第六話 元姫は体験と知識のあるべき有様を語る(3)
果たしてそこには当然のごとく女戦士がたたずんでいた。
門扉の市中に背を預けながら指でコインをはじいては受け止めて暇つぶしをしている。
二人がやって来るのを見ると例のにやにや笑いを浮かべて出迎える。
「よお、お二人さん。お嬢さんの方は呼んじゃいないんだけどね。見届け人かい? よした方がいいと思うよ? 愛人が血反吐の海に沈むのを見るのはいやだろ?」
下品な挑発にも眉一つ動かさないリーリア。
アダムの方はと言えば、彼の姫様を侮辱された怒りではらわたから頭へ血が吹きあがる感覚を得ている。
「じゃ、とっととおっ始めようかい。あんたの長剣がどう振るわれるのか、楽しみだよ」
その前に……。
と、リーリア。
少しの間だけよろしいですか? と声をかける。
「なんだい。せっかくお互いやる気なんだから水差さないでくれよ」
お互い? アダムは一瞬たりとも決闘を受けようという気分になったことなどなかった。
彼の姫様を頼りにするところが多分にあった。
すなわち、これまで見てきたリーリアの力ならここでもやはり場を収めて血気盛んなる女戦士の気を静められるのではないかと……。
「あなたはいつもこういうことをしているのですか?」
女戦士はにやにや笑いをさらにニヤッとゆがめて笑う。
ああ、そうさ、といやらしい抑揚をつけた声で答える。
「この町で流れてくる奴らを待ち構えちゃあ、手ごろな奴を見つけて挑んでるのさ。まあ、ほとんどは腰抜けか紳士気取りのアホさね。だがたまにいるんだよなあ、あんたみたいな偉丈夫が。女だからと舐めくさりもせず正々堂々って感じのいい男がさ。あたしはそういうやつらを幾人も剣の下にひれ伏せさせてきた。みんな心のどこかでは思ってるんだろうな。『自分だけは負けるはずがない、まさかこんな女風情に』ってよ。ざまあみろってんだ。あたしの喜びはそういう奴らが血反吐を吐きながら情けない目でこっちを見上げるときさ」
なるほど……。
リーリアは目を閉じる。
そして新たなる質問を投げかける。
「あなたは……以前からそうなのですか? 何かきっかけがあったんじゃ……」
「そんなことどうだっていいだろうが! こっちはさっさと剣を合わせたいんだ! 外野はこれ以上出しゃばるな!」
怒鳴りつけられたリーリアは臆することなくじっと女戦士を見据える。
狂気を孕んだ笑みを浮かべていた彼女が見せる怒鳴り顔は、大の男でもすくむような迫力があったが、元姫は難なく受け止めて見せる。
そんな様子を見てまたニカっと笑う女戦士であった。
「あまりカッカするなよ。こういうやり取りは決闘の条件だと思ってくれればいい」
そう言うアダムの顔とリーリアの顔を見比べつつ、考え込み始める女戦士。
はぁーっ、とため息をつくと通りの縁石に座る。
「こっちへ来なよ。いきなり切りかかったりしないから」
二人は言われたとおりに女戦士の隣に行くと、同じように縁石に座る。
すぐ隣にアダムが座り、端にリーリアが座る。
女性両名でアダムを挟む格好。
アダムとしては、危険人物のすぐ隣に大切な姫様を座らせることなどできなかったのだ。
「どこから話せばいいかなあ、身の上話みたいになっちゃうんだけどなあ」
リーリアは思う。
この人はきっと孤独だったのだろうと。
誰にも理解されず、一人で生きてきたのだろうと。
でなければこういう状況でこんな話をし始めるはずもない。
孤独こそ人を病ませるものだ。
ちょっと手を差し伸べられるだけで簡単に心を許してしまう。
誰にでも決闘を申し込む危なっかしさと、誰にでも打ち明け話を始めてしまう人懐っこさの同居する矛盾した心性……この女傑の特徴だろう。
「あたしが最初に殺しをした時の話をしようか。あれは七つの時だった。普通の農村で暮らしてたあたしはある日、女衒に連れられて町まで行くことになった。要は売られたってわけさ。ここまではよくある話。でも傑作なのはここからだ。大人の男に手を引かれて売られていく哀れな少女はどうしたと思う? その男が油断した隙に荷物の中から短刀を盗み取るとそれを男の首筋に突き刺したのさ。あたしは逃げたよ。逃げに逃げ……。たくさんやったよ。何かって言えばそりゃ殺しだね。考えてみれば当然じゃないか? 農村から追い出され、殺しから始まった新たな人生。身体を売った経験より殺しの方が多いかもしれない。やがて私は剣術を習う機会を得た。剣術教室の師に取り入ったのさ。なぜかって? 殺しの技術を習うためさ。そして今のあたしがある。もう何人斬ったかわからないよ。犯罪も正当な殺しも含め、いったい何人斬ったかなんてね。まったく、我ながらなかなかいないぜ、こんな悪党は」
そう言って彼女はけけけと笑うのだった。
話す間中、顔面の皮が裂けて中の骸骨がむき出しになったかのような、狂った笑みを浮かべていた。
アダムは思う。
これは真の狂人だと。
これから望む決闘には気が進まないでいたが、殺してしまってもなんだか今はそれほど気に病まないだろうと思えるのだった。
しかしリーリアは少し違った印象を持っているのだ。
「さて、こんなもんでいいだろ?」
女戦士は立ち上がると尻の埃をぱんぱんと払う。
「まったくあたしの昔話なんかに興味を示すやつがいるなんてねえ。驚きだよ。ま、素直にこんな話をしちまった自分にもびっくりだけどねえ。ん! なんか清々した! ありがとうよ。これで心置きなく殺し合いができるな?」
アダムの方も今はすっかりその気になっている。
彼は自衛以外の人殺しの経験などないが、今では女戦士の価値観に自らをかっちりはめ込ませてしまって、同じ価値判断を共有している気がしていた。
話に感化されたというよりも、そういう生き方をしてきた人間が相手ならば決闘という帰結は極めて自然なものに思えたのだ。
だが自分一人で最終的な判断を下したりはしない。
彼も立ち上がるとふっとリーリアの方を見る。
もともとこの決闘を止めてもらうために一緒に来ていただいたようなものだ。
彼女がそう決断するならいつでも決闘を全力で避ける方に舵を切るつもりだった。
だが彼の姫様が殺しを推奨するはずもないと……。
「お受けなさい、アダム」
その言葉はあまりにも意外だった。
「え!? どうしてです? お嬢様」
彼はあまりに予想外なリーリアの物言いについつい訊ねる。
リーリアはふわっと立ち上がるとアダムの顔に自身の顔を近づける。
彼女の匂いがアダムの鼻に入り込んでくる。
リーリアはそっと耳打ちした。
「ただし殺してはなりませんよ。できますね? できると信じています」
アダムは頷く。
難しい話だった。
アダムから見て、女戦士はかなりの使い手と見える。
そんな相手を生かしたまま打ち負かすなど、並の人間にはできそうもない。
――しかし、自分は勇者だ……。
彼は彼自身にそう言い聞かせると剣の柄に手をかける。
やる気になったアダムを見て女戦士が心底嬉しそうにその口に笑いを含む。
「いいねえ、いいじゃないか。その気になってくれるなんてすごいよ。ここじゃギャラリーがうっとうしい。こっちだ。路地裏に行こうぜ」
黒い殺気をひしひしと感じる中、二人は黙ってこの狂った女傑に付いていくのだった。




