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純と剣 ~元勇者は元姫と旅をする~  作者: 北條カズマレ
第二章 詩人と女戦士
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第五話 元姫は体験と知識のあるべき有様を語る(2)

 夜が来る。

 しかしまあ何という町だろう。

 昨日一日の間に妙な人物に二回も出会った。

 一人は酒のせいなのか生来のものなのか、情緒不安定な男であったし、もう一人は初対面の人間に決闘を申し込むような危険人物だ。

 やれやれ、とアダムは自室のベッドにその身を投げ出す。

 無論、魔方陣をその下に書くのは忘れない。

 ふと、それに反応があった。

 隣の部屋の中で暴れているものがいる。

 くぐもった声も聞こえてきたのであるが、そのおかげで何者かがわかった。

 

「ちくしょうちくしょうちくしょう! 書けない書けない書けない! 何度書いても納得がいかない!」


 試しに廊下に出てみると明瞭に聞こえてくるではないか。

 あの詩人だ。

 これが創作の生みの苦しみという奴だろうか。

 どうも違うようだった。

 それにしてもこれではうるさくて寝れやしない。

 アダムは彼の部屋をノックする。

 部屋の中の大騒ぎがピタリと止んでドアが開く。


「どちら様ですか?」


 隙間から顔を出したその顔は数時間で十歳老け込んだような印象があった。


「いや、その、なんだ、随分興奮してらっしゃったようなのでどうしたのかなあ、と」

「あ、ああ、いやいやそのですね、また詩を書いていたんですよ。そしたらねえ、やっぱり、自分が書いてるモノがどうしようもない駄作にしか思えなくって……」


 この人は病気だ。

 元勇者はそう思った。

 その夜は結局どたばたと自己否定の乱痴気騒ぎを繰り広げる音を隣の部屋に聞きながら、アダムはなんとか寝入るのだった。


「そうですか……。そんなことが」


 次の日の朝、宿屋の一階食堂で昨日のように食事を摂りながらアダムは自分の主人に昨日の夜の話をする。


「相当根深いようですね、あの詩人さんの精神に刺さっている棘は」


 リーリアは彼に同情するのだった。


「まあ、あそこまでいくと昨日の態度も許せる気がしますね。彼は毎日毎日ああなのでしょうか」

「おそらくそうなんでしょう」


 そこまで話したところで、大きな音を立てながら階段を下りてくるものがある。

 倒れそうになりながら、文字通り転がるように駆け下りてくる。


「ついにやった! 書けた! いい詩だぞ! なあ! ついにやったんだ!」


 カウンターで皿を拭いていた主人に話しかける詩人。

 異様な熱気だ。

 もしかすると昨日は一睡もしていないのかもしれない


「へえ、それじゃあ見せてもらいましょうか」

「い、いや、ちょっと待て、もう一度読み直す」


 詩人は手に持っていた紙片を食い入るように見つめる。

 やがてわなわなと肩を震わせながら……。


「なんだこれは!」


 大声で叫んだ。


「だめだ! とてもじゃないがこれは……駄作……ひどい出来だ……どういうことだ!? さっきはあんなによく見えて……あああ……」


 どうやらこの事態は何度も繰り返されているようで、主人はマンネリさを感じているようである。

 この男がここに留まるようになって以来、徹夜の後の朝はいつもこうなのだ。

 書きあがった書きあがったと触れ回っては、誰にも決して自分の詩を見せることがない。

 恥を感じる脳の器官だけが奇形的に肥大しているのだ、この男は。

 店の主人はいつもそう結論付ける。


「本当に、どうしようもない人ですね、お嬢様」


 興味なさげに、わななきながら自分の詩を書いた紙片をつぶさん勢いで握りしめている詩人を見ながら言う。

 リーリアはいささかの間思案している様子をその顔に浮かべる。

 沈思黙考……、彼女はこうしている時が一番美しい。

 元勇者はついそう考えると自分のあまりの不敬さに気づき、慌てて思考を振り払う。

 格好こそ町娘だが、纏う雰囲気は女神を描いた絵画そのままの高貴な少女はアダムにこう伝えるのだった。


「アダム、あの人が持っている紙を取ってきなさい」

「え? それまたどうしてです?」


 リーリアは答えない。

 仕方ない、姫様の命令は絶対だ。

 いつか勇者として魔王を倒し、彼女の伴侶となることを許されるその日までは。 

 勇者は無言で席を立ち、周りのことなど全く見えていない様子で自分の詩を見ながらブツブツ呟いている詩人の手からそれを奪うと、席へ取って返した。

 詩人は一瞬何が起きたのかわからない様子で茫然としていたが、あと数秒以内に自分の失敗作が他人の目に触れるのだという状況に気付くと、大声を上げて元勇者に飛びかかった。


「お嬢様!」


 紙片を丸めてリーリアの方へ投げるアダム。

 そして詩人を抑える。

 じたばたとこれでもかという勢いで抵抗する詩人。


「やめてくれ! どうする気だ! 私の詩をどうする気だ! 頼む! 読まないでくれ! お願いだ! お願いだァ」


 リーリアはくしゃくしゃになった紙片を受け取るとゆっくりとそれを開く。

 そこには一片の詩が書かれていた……。


「晴天に影有り、曇天に影無し」


 リーリアは読み上げる。

 朗々と、可憐に。

 やめろ! と、詩人の声が響き渡る。

 食堂にいる人間たちはみな少女の読誦に耳を傾けていた。


「燦燦たる陽光に向かう旅人よ、背後に気を付けたまえ。そこな影に潜むは何者か。汝は知らざるものなり。欝々たる曇天に惑う行人よ。地に目を向けたまえ。八方に影はなく。汝は幸いなるものなり」


 後、数行にわたる詩であった。

 誰も、笑ったり罵ったりしなかった。

 詩の内容に感じ入ったのかもしれない。だがそれ以上に、静かな空気にその声を優しく載せる彼女の有様にこそ感動を誘うものがあった。

 ただの宿屋の食堂には無縁なはずの厳かな空気がこの王族出身の娘から溢れ、壁に柱に人に染み入った。


「あ、よ、よくも」


 涼やかで尊い沈黙を破ったのは当の詩の書き手、詩人であった。

 

「よくも俺の、俺の大事な詩を勝手に読み上げやがったな! そんな未完成な、この、この、駄作など発表されてしまったからにはもう死ぬしかないじゃないか!」


 詩人はアダムに羽交い絞めにされながらまくしたてる。

 

「では死ぬのですか?」

「あ、いや、死にはしないかな」

「ところでこの詩ですが」


 びくり、と詩人の身体が跳ねる。

 そしてわなわなと震えが走り始める。

 脇に手を回して拘束している元勇者が心配になるほどの戦慄だった。

 リーリアは目を閉じて息を数舜吸い込むと笑みをこぼしながらこう言うのだった。


「とってもよかったです」

「え……」


 詩人は意外そうな声を漏らした。


「ですよね。みなさん」


 リーリアは間髪入れずに食堂の聴衆に確認する。

 静かだった場にざわざわと話し声が聞こえ始める。

 曰く、まあ悪くはないな、曰く、本人が言うほどひどい出来じゃねえよな、曰く、俺はなかなかいいと思ったぞ、曰く……。

 詩人は目をしばたかせながら体から力を抜く。

 アダムが拘束を解くとすとんと音を立てて床にへたり込んでしまった。


「まさか、いいわけないだろう」


 詩人はつぶやく。

 詩人は周りの評価を疑っているようだ。


「いいえ、本当にいいものでしたよ。才覚というものを感じさせました。我々凡人にはこれほどの詩吟ができようはずもありません」

「まさか、へへ、俺は俺の目を信じるよ。これが、こんなもんがこんなに評価を受けるはずがないんだ」

「まだわからないんですか」


 一転、厳しい声になる。

 アダムは、また彼女の人格の素晴らしさを見ることができるのだ、とその姿を克明に脳裏に焼き付けようと、まるで戦いに臨むときのように精神を集中させる。


「あなたの審美眼はあなたを救ったりしないのです。あなたの目が、知識に裏打ちされた評価が、あなたに何をもたらしましたか? 何もないのではありませんか? むしろあなたから正当な評価を受ける機会を奪った。何よりも憎むべき敵なのではないですか」


 場が鎮まった。

 みな、元姫様の言葉を咀嚼せんとしている。


「あなたはきっと万巻の詩選を暗記なさっているのでしょう。確かにそれはかつての詩聖たちの遺産、かけがえのない人類の宝物でしょう。しかしそれを物差しにあなた自身を測っても劣等感と自己否定しか生まないのなら、そんなものは知らない方がいいのです。よく聞いてください。知識は体験を上回ってはならないのです。あなたの知識があなた自身を侮蔑するほどになるまで肥え太らせてはいけないのです。だからそんなに苦しむ羽目になるのですよ。あなたには絶対的に経験が足りません。どんなに拙かろうと人にあなた自身の作品を見せてみるという体験が」


 詩人はがっくりと床に手を突くとそのまま動かなくなった。

 アダムは心配になってしゃがみ込むと彼の顔を覗き込む。

 その横顔には笑みとも恥じらいともつかぬなんとも言えない表情がへばりついていた。


「俺でも、こんな俺でも、人に作品を見せていいのか?」


 数舜、言葉が聞こえることはおろか食器を動かす音すらしなくなる。


「俺は聞きたいぜ。毎日ここで聞かせてくれよ」


 入り口側のテーブルに座るある男がそう言う。

 それを皮切りに、我も我もと聞きたがり達が名乗りを上げた。

 俺も訊きたい、私も、自分も、と、幾多の声が食堂に木霊した。

 詩人は目をパチパチと瞬かせながら、思ってもみなかった状況を受け止めきれずにいるのだった。


「一件落着ってところですかね。さすがです、お嬢様」


 詩人の周りに集まって口々にもっと聞かせてくれと言う人間たちの群れと、笑みをこぼしながらそれに答える詩人の姿。

 それを見ながら、無言でうなずく元姫であった。


「あとは、あと一人、苦しんでいる人間が近くにいましたね」


 アダムはもちろん忘れていなかった。

 二人で村の南門に向かうのだった。


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