第四話 元姫は体験と知識のあるべき有様を語る(1)
一晩の野宿を経て辿り着いた次の町は流れ者ばかりの町だった。
知識人、商人、冒険者たち、傭兵……。
魔族の世界との境の近いこの地には様々なタイプの人間たちが吹き溜まっていた。
みな新しい時代の到来にどうしていいかわからず、とりあえずの措置としてこの町で享楽にその身を浸しているらしかった。
二人は新しい宿で旅の疲れを癒す。
追手がかかった直後ではあったが、この町なら恐らく少しの間は身を隠せるように思えた。
「へえ、じゃあ冒険者さんですか」
「まあそんなところです、ねえ、お嬢様」
「はい」
身分も境遇も適当にはぐらかして宿屋の食堂で溶け込む。
酒を飲みながら話しかけてきた中年男は自らを詩人だと言った。
身なりはいいが、着古されていてボロボロである。
元は貴族の出奔子弟のように思われた。
かなり酔っているのか、図々しくも二人の座るテーブル席に座ってきた。
「いやね、わたしも昔は世界中を渡り歩きたいと思っていたんですよ。しかし叶いませんで……結局、想像力でもって頭の中の世界を旅することにしたんですな。私の作る詩はさしずめ空想世界の旅日記ですよ」
「そうですか」
二人は男の自分語りに静かに耳を傾ける。
この人はきっと旅人を捕まえてはこんな話をしているのだろう。
「いやいややはり私には才能なんてなかったんですなあ。最近何も作り出せんのですよ。いやいや詩を思いつきはするのですよ? しかし思いついてはかき消し思いついてはかき消しです。決して満足いくものが作れなくなったんですよ。いやはやいやはやこれがスランプというものですかなあ」
「はあ……」
アダムは気のない返事をする。
いったいなんだというのだろう。
急に現れては結論のない話をグダグダと……。
我々は愚痴聞き屋ではないというのに。
しかし彼の姫様は興味を持ったか、さもなければ務めてそう振る舞おうとしているようだった。
「いいじゃないですか。是非あなたの作品を拝見してみたいものです」
「私の作品は人の鑑賞に耐えうるモノではありません!」
ガタン、と大きな音を立てて立ち上がると拳を振り上げてそう言う。
アダムもリーリアもあっけにとられてしまった。
興奮はすぐに収まったのか慌てて席に着く詩人であった。
「いやいやこれは失礼しました。しかし強烈に確信しているのですよこのことだけは……。だって先人の書いたどんな詩と比べてみても私のは本当に……ゴミ屑だ」
「そんなことはないですよ、きっと」
「いいえ! そうなんですとも!」
今度は身を乗り出してリーリアの方に詰め寄る。
――この酔っぱらいはあまりに無礼だ。
勇者は思う。
さすがにリーリアも気を悪くしたようで、これ以上このような態度をとられるようであれば一喝をもって追い払うだろうと思われた。
「へっ、ちんけな男だねえ」
そんな言葉が別のテーブルから投げかけられる。
酔っ払い詩人は目ざとく反応を見せる。
「誰だ! もう一回言ってみろよ!」
もはやすっかりたちの悪い酔客だ。
だがたちが悪いのは今しがた挑発的なセリフを投げかけたそこの女にも言えることだ。
蜂がぶんぶんうなっても放っておけばいいものを敢えて手を出すのだから。
この痩せこけた男に蜂のような針があるかは疑問ではあったが。
「虫けらみたいにちんけな男だって言ったのさ。自称詩人さん。聞こえなかった? 大人しそうなやつに管撒いて絡んで、大人げないったらありゃしないよ」
「このアマ……。痛ぇ目に遭いてぇのか!」
枯れ木のように細い腕を振り上げて迫っていく様はあまりに滑稽だった。
リーリアは彼女の勇者に促して止めさせようとするが、間に合わない。
しかし、詩人は足を止めざるを得なかった。
女がはだけさせたマントの影から大きな曲刀が顔をのぞかせたのだから。
椅子に座ったままの姿勢、刃を鞘に納めたままでも威圧感十分。
詩人はピクリとも動けなかった。
「あ、いや、すみませんでした。気を悪くさせたら謝るよ……」
詩人はそういうとアダムとリーリアの席からも離れ、カウンターに着いてしょげかえった。
その瞬間食堂の中をギャハハという観衆の爆笑が包み込んだ。
無論、詩人を嘲笑するものだ。
詩人はそれっきり、黙って酒を飲むだけなのだった。
「哀れなものですねえ」
アダムはリーリアに言う。
「アダム、あまり人をそのように言うものではありませんよ」
軽く自分の従者を窘めるリーリアだったが、積極的に詩人を弁護する気などない。
そんな二人の席にごとりと酒の入った陶器のジョッキが置かれる。
「親父さん、酒は頼んじゃいませんよ?」
アダムが応じる。
酒を飲んでも酔わない元勇者とこんな席で酒を飲まない元姫には不要な注文だった。
「あちらのお客様からです」
見ると、離れた席から先ほど詩人に詰め寄られていた女傑がこちらをにやにやしながら見やっている。
二人と目が合うと席を立ってこちらへやってくる。
先ほどの詩人のように、促される前に勝手に椅子を引いて座る。
「さっきは絡まれていて災難だったねえ」
女傑は馴れ馴れしくもそんな言葉を投げかけてくる。
また厄介なのに……
元勇者はそう思うのだった。
「いえ……」
リーリアは曖昧に応じる。
しばらく世間話に花が咲く。
曰く、どこから来たのか、など。
無論、二人は本当のことなど言えない。
適当に話を合わせるだけだ。
「ほう、では剣の腕は相当のモノがおありなんだろうねえ」
女傑は注文した鳥の肉をもっちゃもっちゃと汚らしくほおばりながら勇者に問いかける。
「まあ、自信がないということはないですね」
アダムは精一杯控えめに表現する。
「謙遜しないでよ。私も自分の腕には人一倍信頼があるんだ。その私の目から見てもやはりかなりの……」
――この女性の目的は何だろう。
リーリアは訝しまざるを得ない。
酒を奢り(二杯ともアダムが飲んだ)近づいてきては剣の腕が何だとのたまう。
彼女には訳が分からなかった。
女傑の、マントに包まれた体をその隙間からつぶさに観察する。
鍛えられた腕、引き締まったボディラインを覆い隠す皮鎧に鎖帷子。
装備はどれも使い込まれており、歴戦の女戦士という風情。
その言葉は唐突に発せられた。
「あんたに決闘を申し込む」
「なんだって?」
予想外とも、予想通りとも、何とも言い難かった。
アダムにはそんなようなことを言われるような気はしていたのだ。
さながら暗い鈍色の曇天に雨を想定するように、無意識に剣呑な言葉に備えていたから。
この女戦士のにやにや笑いには最初から、刃を隠したような不気味さがあったのだった。
「受けてくれるのか? くれないのか? ここで怖気づくようじゃ男じゃないぞ」
「なんと無礼な!」
リーリアが席を立って声を荒げる。
当然の反応だ。
「お嬢さん、この男はあんたの飼い犬かな?」
「重ね重ねなんという物言いですか、あなたという人は。お酒のお代、お返しします。行きましょう、アダム」
「お嬢様、落ち着いてください……。あなたはどうしてそんなことを言うんです? 初対面の人間には誰にもそう言って回っているのですか?」
女戦士はにやにや笑いを崩さずに言う。
「勿論誰にもってわけじゃないさ。あたしの見立てに敵う人間でなけりゃこんな声はかけないよ。ただあんたはただもんじゃないと思ってね。ま、すぐに答えを出さなくていい。明日の夕方、この町の南の口の前で。別に来なくてもいいんだよ? その時は怖気づいたと判断させてもらうけどねえ。くっくっく……」
そう言うと女戦士はそのまま席を立って宿屋の外へ行ってしまう。
呆然とその後ろ姿を見送る元勇者と元姫だった。