第三十三話 終
勇者は旅を続ける。
彼一人で魔界を目指す。
即時転移魔法で魔界に飛ぼうとしたが、出来なかった。
どうやらここ最近魔界全体を強力な妨害魔法が覆っているらしい。
人間界より進んだ、強大な魔法力の産物と言えた。
だからアダムは、かつて二人で行った旅を徒歩でなぞる。
かつて初めてリーリア姫と歩んだような、藍で染め上げたように青い空が、愛おしかった。
首都から最初の町。
その郊外の墓場で、かつて罪を犯した若者とその父親がある墓碑に花を手向けている。
わざわざ探したのだ。
「あんたは……!」
「あ……」
父親が驚き、若者も反応を見せる。
アダムは軽く手を上げただけで無言で二人の前まで来ると墓石を見下ろす。
二人はその様をじっと見つめる。
「あの人の墓ですか。毎日参っているのですか?」
親子は頷く。
「たった一人の息子さんを殺してしまって、何のお詫びをする方法もありません。ただ、余ったお金は全てあの人の母親に渡しています。それに墓参りを欠かしたことは一日たりともありません。それでもあの女性は泣くことを止めません。取り返しがつかないのです」
「そうなのです……」
アダムはその言葉に胸を痛める。
彼らの謝意は本物だった。
だが取り返しのつくものでもない。
彼らはこうして永遠に自分たちの姿勢を表明し続けるのだろう。
こういう姿勢を見せることこそ生を厳粛にし、無用な殺生を回避させるのかもしれなかった。
そういう意味では、彼らもリーリアの「この国をよい方に導こう」という願いの、実行者に他ならないのだ。
アダムは早々と彼らに別れを告げると次の町に向かった。
「おお、あなたは! 今日は秋の小麦畑の色の髪をしたお嬢様は一緒じゃないのかい?」
詩人の名は四方の町に轟いていた。
久々の挨拶もなんだか妙に詩的な趣を帯びている。
いまや高名な詩人がいると有名になった宿屋の席で、世間話もそこそこにそれとなく女戦士のことを聞く。
「ああ、彼女なら……」
あるのなら、墓の場所でも聞いておきたかったのだ。
「今は町にある教練所でみんなに剣を教えているよ!」
驚くしかなかった。
「生きていたのか?」
アダムは席をったんばかりの勢いで訊く。
詩人は顎をしゃくってある席を見るよう促す。
そこには見違えるほど真っ当な格好をした片腕の女戦士がにやにやしながらこっちを見ていたのだった。
「あ……店に入った時にはいなかったじゃないか」
「あんたらが来たと聞いていても立ってもいられなくてね。こうしてやってきたってわけさ」
「離れたところに座ってないで、こっちに来ればよかったのに」
「あんたの驚く顔が見たくてな」
一緒の席で酒を飲み交わす。
片腕でも剣の先生は務まるものだな、と女戦士は明るく言うのだった。
アダムは救われる思いがした。
「体験を重ねたのはなぜか、何のためか、なにに生かせるのか、考えてさあ」
女戦士は言うのだ。
「やはり人に還元してこその体験だよなあ」
感慨深げな言葉にアダムは頷く。
唐突に女戦士は隣の席の詩人の肩をがっしり抱き寄せた。
男と女、しかも女の方は片腕と言えど、鍛えたその腕力は枯れ木のように細い詩人を容易く引き寄せる。
「でさ! あたしたち結婚することにしたんだ!」
「な、何だって!?」
「へへへ……命を救った縁でね」
聞けば、あの夜瀕死の重傷を負った女戦士を回復魔法(詩人は回復魔法の熟達者だった)で助けたのは詩人だったらしい。
体験を新たに積み、理想を体現した男と積み過ぎた体験を人々に売って暮らす女……相性のいい夫婦に見えた。
「そうか。祝福するよ」
それだけ言い残して次へ。
アダムはこの話は絶対にリーリアにしようと決めるのだった。
国境の町。
賢者ジーベルの庵を訪ねる。
まだ彼はそこに暮らしていた。
「そうですか、リーリア姫はちゃんとご自分の答えを見つけられたのですな」
テーブルを挟んで向かい合って、ジーベルの目を見ながら重々しく頷く勇者だった。
「ではあなたはどうする気ですか?」
「それはもうすでに決めています。これは覚悟の旅です」
「なるほど……」
賢者は一聞で理解したようだった。
語るべきこともなく、勇者は庵を後にする。
姿が見えなくなるまで、彫像のように立って勇者を見送るジーベルの姿があった。
「あ、お兄ちゃんだ!」
裏通りを見てまわっている時、最初に出会ったのはキラファだった。
道のあちこちを走り回って……。
見れば驚くべきことに人間の子供とそれまでずっとそうであったように仲よく遊んでいるではないか。
「お前たち、仲直りできたのか!?」
「うん!」
かつて訪れたオークの家へ一緒に赴く。
記憶の中のそれと変わらない姿で、町の一角にたたずんでいた。
「すまんなあ、出せるものもなくて」
「いや、お構いなく」
アダムは一緒のテーブルに着いたオークの子をまじまじと見る。
足をぶらぶらと揺らして時々アダムの膝にぶつけているその子の目はキラキラ輝いていて、とても以前虐められていたようには思えない。
「どうもあれから人間どもの意識が変わってな。子供たちだけは安心して交流出来るようになったんだ」
「ほう……」
まさしく希望の見える話ではないか!
アダムは心の中で喝采した。
魔界を旅した話をする。
ドラゴンの背に乗った話はキラファの目を一層輝かせた。
やがて別れの時が来る。
「じゃあね! お兄ちゃん! お姉ちゃんによろしくね!」
「あんたらのおかげで新しい時代が開けそうだよ。俺らの心の傷は決して忘れることはできないが、次の世代に憎しみを伝えないで済みそうなのは本当にありがたいよ」
さあ、次へ。
もう一つの国境の町、ヴェルトゥとユーリのいる町だ。
アダムはようやく二人を探し出す。
酒場の一角で、暗い雰囲気を醸しつつ、三人はテーブルに向かう。
ヴェルトゥがガタリと立ち上がる。
「私はあんたのこと許してないんだからね。あんたのせいでお姉ちゃんは……」
「おいヴェル、よせ」
ユーリはヴェルトゥを抑えつつもやはり納得いっていない様子だ。
それもそうだ。
生涯一緒にいることを誓い合った伴侶が死んでしまった遠因を作ったのはアダム達なのだから。
「その件についてはどれだけ謝っても足りない……」
暗い顔を晒してしまうアダムだった。
沈黙が下りる。
耐えきれず、口を開く。
「ヴェルトゥさん、ユーリさん、あれから調子はどうですか?」
「どうって……」
ユーリはまっすぐアダムを見据える。
「私は生涯一人身でいるつもりですよ。キャスティ以外の相手なんて、考えられない」
「そうですか、そうでしょうね」
ユーリの言葉にその通りだ、お姉ちゃん以上の女性なんかいない、と言ってそっぽを向いてしまうヴェルトゥ。
なんとなく、二人の気持ちは察せられるのだが、自分の立場上、何も言うことはできない。
別れを告げ、席を立つアダムだった。
「あの!」
ヴェルトゥが呼び止める。
「お姉ちゃんは……尊敬されるべき人ですよね?」
「ええ、そうだと思いますよ」
「私も、道は違うかもだけど、同じくらい尊敬される人になれるかな?」
アダムは考える。
即答してもいいのだが、リーリアの様に適切な言葉を選ばなければならないような気がした。
「なれますよ。まずは、身近な人の心を救ってあげてください。あなたの経験は、きっと優しさを獲得するための物だったのですから」
アダムが去って数か月後、二人は結婚式を挙げるのだった。
ゴブリンの村は産めよ増やせよ、当に人口爆発の最中にあった。
「おお、あなたは!」
「お久しぶりです」
ゴブリンの村長は健在であった。
次々と成人する若者たちをどの町に送り出すかの差配で忙しそうだ。
「歓迎の食事をどうぞ」
「いえいえ、遠慮しておきます……」
かつての経験から断固拒否するアダムだった。
その姿を見て村長はカッカと笑う。
「もうああいう食事は振る舞いませんよ。家畜を増やしたのです。魔界のモンスターは畜産には適していますからな。食料問題も起こってはいません。我らが慈悲深き青の鱗様が手伝ってくれていますのじゃ」
「そうでしたか」
青の鱗の岩山へ。
「どうしてもそうするのか?」
「ああ」
アダムはこの青いドラゴンに応える。
いつもの鉄板をひしゃげるような音の混じる声は、穏やかな音色をたたえているのだった。
「そうかそうか。仕方ないことなのだろうな。彼はかつての友人だが、勇者とはそういう生き物だ」
「すまない。あんたの好意を利用するような形に……」
「なに。お前がやったとバレなければいい。そうすれば私も咎を受けないしな」
「いいのか?」
「ここで殺し合って止めろと? そこまでの義理はない。今私にとって大切なのはあのゴブリンたちだ」
「そうか」
アダムはゴブリンの村を後にするのだった。
この村にも新たな問題が降りかかることがあるのだろう。
だがきっと彼らとドラゴンなら乗りこえられるだろう。
彼は……そしてリーリアもきっとそう信じているのだった。
犬人の集落。
白い毛並みの美しい、立派な体格の長が歓待してくれる。
「おお、あなたか。待ち望んでいたぞ」
ちょうどその日は神を讃える祭りであった。
太鼓がならされ、毛並みよく元気な集落の犬人達が洞窟の前でどんちゃん騒ぎだ。
どうやら今回は捧げ物を供出するに十分な収穫があったらしい。
神の実在に懐疑的だった女の犬人も恋人らしき者と飲めや歌えの大騒ぎだ。
洞窟からは捧げ物を燃やした煙がふわっと……。
ふっ、とアダムには妖精の姿が見えた気がした。
そう、確かにこの洞窟には神がいるのだ。
満ち足りた気持ちで翌日、アダムはついに魔王城に向かうのだった。
魔王城内の構造は完全に把握していた。
あの時の好意で歩き回らせてもらったおかげであるから、少し後ろめたい気もするが……。
魔王、討つべし。
革命を裏で手引きし、今も人間の王国に圧力をかけ続けるヴォルフガングは、彼にとって明らかに討つべき敵であった。
リーリアには黙っての旅出である。
だからこそ、成功させねばならなかった。
不可視化の魔法を使いつつ城の中を進む。
無論、そのような魔法を使った人間への対処策は何重にも施してあったが、アダムは前に引き入れられた時に見た感知網の配列を完全に記憶していたのだ。
果たして、目的の人物はいた。
たった一人謁見の間の脇の小部屋に引っ込むのを待って後を追い、アダムは自らの不可視化魔法を解く。
一人部屋でたたずみ休息をとっていた魔王はソファーから立ち上がると、当然、驚愕の表情を浮かべる。
アダムは剣を抜いて突きつける。
間には十歩の距離。
最後に言うことはないか? という無言の圧力だった。
「おや……勇者殿。ふむ。こうなりますか。なぜです?」
「知れたこと! すべてはお前が革命を手引きしなければ起こらなかった! 今も王国に圧力をかけている件も含め許さん!」
魔王はじっと黙って立っている。
勇者はさらに続ける。
「そもそも初めから、お前が魔王軍を引かせて戦争を終結させていればこんなことには……」
「愚かな……」
ヴォルフガングは呆れた様子で首を振る。
「余にそんな力はありませんよ。お飾りなのです。戦争を収めるためにはこの一連の流れは致し方なかった」
「その結果お前たちは何を得た!? 都合よく立ち回らせる手駒としての姫様か!?」
「その御蔭であなたの姫様はイニシアチブを取り戻せたじゃありませんか」
「お前らの人間の国に対するイニシアチブだろう!」
魔王は押し黙る。
そう、それこそが目的。
人間の王族をいいように操れる状況の現出こそが目的だったのだ。
「お前は完全に政治的に引いた態度を逸脱し、介入しすぎた。もはや飾りではない。勇者が討伐するだけの理由を生じさせた」
「よいのですか? 私を人間であるあなたが殺したことが知れたらまた戦争ですよ?」
「今度は軍事力で脅しをかけてくるのか。無駄だ。王国は完全に元の状態に戻っている。戦争は膠着するだけだ」
そこまで話が及ぶと魔王は術式を発動させ、詠唱を始める用意をする。
輝く魔方陣が床に広がった。
「私だって即時転送魔法を使えるのですよ。十歩の距離では間に合いますまい。それでは。この件はゆっくりと会議にかけるとしま」
その瞬間だった。
勇者の持っていた剣が空を切り裂き、魔王の心臓を貫いたのは。
飛ぶ羽虫の羽だけを射抜くような投擲だった。
十歩の距離で正確に目標を捉えたのだ。
そしてその剣は勇者の物ではなく……盗み出した魔王の腹心のものであった。
「おろ……かな」
仰向けに倒れ伏す魔王を見てアダムは思う。
今更の話だ。
これでよかったのかと。
だがそれでも当然の帰結だとも思えた。
勇者と魔王。
二人の運命の交わる場所が、血塗られていないはずもないのだ。
それから魔界は大騒ぎだ。
なにせ貴き魔王が自分の臣下の剣を胸から生やして死んでいたのだから。
当然、嫌疑はその剣の持ち主にかかる。
いや、あまりにあからさまだったがゆえに工作だとは誰しも気づいていただろう。
しかしそれは権謀術数渦巻く魔族議会のこと。
それのみを証拠に、その臣は粛清されたのだった。
魔界にはしばらく混乱が沸き起こることになる。
魔王の死が、勇者を運命から解放した。
その死がもたらす影響は絶大だった。
誰もかれも、民衆は、憎き魔王の死に喝采した。
子を為す前に倒れた魔王はその血統を途絶えさせたのだ。
結果、魔界は王を持たぬ国となる。
魔王、という人間を苦しめる象徴となされた存在はもはやいはしないのだ。
勇者が魔王を討ったことは誰も知らなかったが、勇者はいよいよその宿命を果たす理由がなくなり、晴れ晴れとした気持ちで王都へ帰ったのだった。
一人だけの、歓待する者の無い凱旋を果たした勇者は王国王城の謁見の間で片膝をつくのだった。
「姫様。魔王は政争により命を落としました。もはや私に勇者としての責務はありません。どうかお暇を」
「勇者殿……」
リーリアはすべてを察していた。
勇者と姫の成婚の条件は勇者が魔王を討つこと。
大々的に魔王討伐を周囲に知らしめることができない以上、その道はもはや潰えて……。
「勇者アダムよ」
「はい」
「少し中庭に出ましょう。二人きりでです。侍従はここに」
謁見の間に列する臣下の者や侍従たちは顔を見合わせつつも二人を見送るのだった。
演劇舞台の照明魔法のスポットライトのように、高い塔のそびえる王城にある中庭はそこだけ光が差し込んでいる。
緑の芝生と黄色い野の花が咲き、蝶の飛ぶ、城自体の規模の割にこじんまりした中庭だった。
「あなたは長い旅の間、ずっと私を補佐してくれましたね」
先に中庭に進み出たリーリアが後に続く勇者に背を向けたまま呟く。
優しい声だった。
アダムはずっとそれに浸っていたかった。
「姫様、私は……」
「あなたは魔王を討つ者、勇者アダム」
そう、そうなのだ。
そしてその運命を真に失した者。
元勇者アダム。
姫はもはや元姫ではないのに、自分だけが放り出された気分だった。
「そうではないのです」
「何のことでしょう?」
アダムはリーリアの言う言葉の意味が分からなかった。
「そうではない……あなたは王の補佐、勇者アダムです」
「え……」
「ずっとそばで私を補佐してほしいのです」
アダムは素直にその言葉を受け取れない。
姫様はもはや本当の姫様なのだ。
自分で勝手に伝統を捻じ曲げて魔王を「討ってもいない」勇者と婚姻することなどできないのだ。
「姫様、御戯れを。私はもはやただの元勇者……」
「魔王を討ったものとの成婚というのは伝統ですね?」
リーリアは勇者に初めて向き直る。
雪のように白い肌を桃色に紅潮させていた。
勇者はドキリとその胸を高鳴らせるも、ここは姫様の心をお留めしなければ、と決意を新たにする。
彼の姫様の前から一歩後退すると、膝を突き、臣下の礼をとる。
「姫様」
「やめて、勇者殿」
そこには一人の女の子の叫びがあった。
「それが伝統だというのなら、ではその伝統を飛び出ましょう。伝統の改革もまた王族の役目です。民が他の国の王族との政略結婚などするでしょうか。民の規範となるのなら私は……恋愛結婚を選びます。いいですか? これまではさげすまれてきた、ただの臣下と王族との結婚です。でもそれでいいと思うのです。なぜなら、それが民に寄り添う道だと思っているから……ですから、断らないで、勇者殿。さあ、私を愛しているのなら、この手を取ってください」
リーリアは自ら首を垂れるアダムの前に進み出ると手を差し伸べる。
アダムは草の絨毯を見つめていた目線を上げ、高い壁に切り取られた空を背景にするリーリアの顔を見上げた。
何とも言えない、静かな涙を流す一歩手前の表情に見えた。
その色はかつて見たことのないもので、晴れやかでもにわか雨を予期する空だった。
この手を取らなかったらはじけてしまうのだろう。
そんなことは……そんなことは決してできない。
手袋を取り去ったその手は、降り注ぐ日差しよりも温かなのであった……。
中興の狙、純の王女リーリアと剣の勇者アダムの治世から数えて三代後、魔王の血統を失って久しい魔界は人間の王威を自然と受け入れ、魔界と人間の国は一つになったのだった。




