第三十二話 運命は収束していく
その日の夜。
満天の星空の下、パチパチと音を立てて燃えるたき火。
郊外の平野で二人は体を休めていた。
今日はあまりに色々なことがありすぎた。
「民はもう王族を必要としていないのでしょうか」
ぼうっとした表情から漏れるリーリアの声。
アダムはうーんと唸る。
「衣食足りて礼節を知ると言います。王族への敬意とはそういうものなのです。あれが民の心の底なのは事実だとしても、それが民の真実の姿というわけではないでしょう。かつて民はちゃんと王族を敬っていました。状況が一旦落ち着いて民が楽を感じればきっと元のように……」
「しかし私の手足となって働いて民の要望を満たしてくれる臣下がいないのにどうして民に安心をもたらせばいいのでしょう」
「それは……」
アダムは答えられない。
困ったように頭をボリボリ掻くと(彼の姫様の前ではいささか無礼な態度だが疲れによって素が出ていた)、自分のプランを披露する。
「何日かしたらまた首都に戻りましょう。混乱は収束しているはずです」
「その間飢える民を放っておけと? 曲がりなりにも秩序を維持していた革命政府を倒してしまって、あまりに無責任です」
「しかしですねえ……」
たしかにそうなのだ。
王族が数日とは言え民を見捨てる姿勢を取るなど彼女にとってはあり得ないだろう。
今こうして苦しんでいる民を放ってこんな場所で野営しているのも十分考えられないことなのだ。
ふぅ、とため息を吐くアダムだった。
「わかりました、姫様。では明日、すぐに取って返しましょう。何の権限も回復できていない私たちに何ができるかはわかりませんが、とにかく人心を慰撫することくらいはできるはずです」
「そうですね。そうしましょう」
闇夜に浮かぶ灯りの島に沈黙が下りる。
アダムは空を見上げる。
暗いが、希望の星が瞬いている。
「それとも、二人で静かに暮らしましょうか?姫様はがんばりました。運命から解放されてもいいはずです」
「バカなことを言ってはいけませんよ、アダム。私にはできない、民を見捨てるなんて、できない……」
「……すみませんでした。そうですよね。姫様」
その夜は早くに眠りについた。
体力を温存せねばならなかったから。
「革命政府も独裁者だー! もう我々を救ってくれる存在なんかいないんだ!」
首都はまさに無政府状態に陥っていた。
民の中から秩序を回復し状況を収めようとする動きもあったが、上手くいっていないようだった。
そんな混乱の中を、勇者と姫は歩き続ける。
首都では彼らの顔を知っているものが多い。
民の中には彼らの正体に気付く者がいる。
やがてそれは大きなムーヴメントになって、様々な反応を引き出された群れとなって彼らを追う。
「勇者……」
「姫……?」
「生きていたのか?」
「昨日、広場に現れたという話だぞ」
「姫様の方は処刑されたと聞いたが」
「いや、逃げ出したとか……」
昨日のように熱狂的な反応はなかった。
だが今日の民は静かに二人に吸い寄せられていった。
二人はただただそんな群れの中を歩く。
自分たちの健在ぶりを見せつけるように。
そうして、昨日の広場に着く。
政府庁舎となっていた建物は焼け落ちていて、飢えた民が行き場をなくしてたむろしていた。
彼らはリーリアの姿を見止めるとすがるような目線を投げかけてくる。
しかしどうしようもないのだ。
地方の食料事情は旅の途中で把握している。
十分な量だ。
しかしその分配を管理する機構がなかった。
結果、都市は飢えていた。
無政府状態とはこういうことだった。
リーリアも勇者も無力だ。
とりあえずは民の自治組織の中でも最も大きなものを見つけ出し、それを何とか動かすほかない。
「しかし姫様、我々にはノウハウがない。そう簡単には状況を好転させることはできないのです」
突然姿を現した元姫に彼らは少なからず驚いたが、自らの権威づけには願ったりかなったりだと受け入れてくれた。
革命政府が瓦解した今、唯一の権威はかつての王族だけなのだから。
彼らの中には王族を毛嫌いする向きもあったが、背に腹は代えられない。
「そうですか」
話を聞くうちにリーリアは絶望に沈んでいく。
アダムもなんとか知恵を絞るが、物資輸送のシステムを混乱前の段階まで回復するだけで一か月はかかりそうだった。
その間に餓死する民はいかばかりだろう。
リーリアの憂いは深かった。
そんな重苦しい雰囲気の会議の中、血相を変えて飛ぶ込んできた男がこう叫んだ。
「魔王が! 魔王軍が迫ってきてる! もう首都を包囲しつつあるとよ!」
魔王直々の親征であった。
無政府状態となり、政治的空白を生じさせたこの国を、卑怯にも講和を破って食い荒らしに来たとしか思えなかった。
首都にあと数キロまで迫っていた。
対応が可能な軍は……防備を立て直すことができていなかった。
首都からはクーデターを恐れたイステティズモによって意図的に軍が遠ざけられていたのだ。
「無駄な抵抗はやめましょう。まさか皆殺しに来たわけでもないはず。私が交渉役になりましょう。勇者殿、一緒に」
パイプ役は彼女しかいないのだった。
「お久しぶりですね、リーリア姫」
「魔王様……此度は何用でしょう」
郊外に設営された陣幕の中、アダムとリーリアは魔王ヴォルフガングの前に通される。
その巨大なテントの内部に人間は二人だけだ。
居並ぶ他はみな魔族。
「真意をお聞かせ願いたいのです」
リーリアが始める。
「何ゆえこのタイミングで魔王様自ら軍を率いてこちらに?」
「革命政府の崩壊を察知したからです」
あり得ない。
昨日の出来事に呼応して軍を動かして今日首都に?
おかしな話だった。
「ずっと準備していたというわけですか」
「まあ、そうですね。ごまかしようもありません。大規模な集団転移魔法の儀式を行っておりました。この日のために。あなた方ならやってくれると思っておりましたよ」
何のことはない。
すべて魔王の手の内だったということだ。
「それで」
リーリアは強い警戒心を隠しながら言葉を述べる。
「あなたは政治的空白状態の我が国をどうするつもりですか」
荒事を許すリーリアではないが、軍の統制がとれない以上、どうしようもなかった。
人間側には正確なことは知り得ぬことだったが、今首都に迫る魔王の軍勢は十万を超える。
何とか指揮権を得ても首都の占領は免れないだろう。
さすれば、各地の軍は降伏せざるを得なくなる。
王国……いや、今は共和国……ですらない、政体崩壊中のこの国は滅びるのだ。
「魔王様がこう考えているとは、さすがに思い至るべきでしたね。慈善で私とアダムを首都に送り込んだわけではないですもんね」
魔王はじっとその言葉を聞いている。
アダムは警戒を高める。
ここでリーリアが捕縛でもされたら完全に人間側は詰みである。
その時はアダムが死を賭してでも阻止せねば。
だが交渉役としてこの場に来ないわけにもいかなかったのだが。
「あなたがそう考えるのももっともですね」
魔王が言った。
「そもそもこの国で革命が起こったのも我が方と革命勢力の協定によるものでした」
絶句である。
魔王が革命を引き起こしたという風にも聞こえるではないか。
リーリアは激怒する。
「あなたは!」
魔王は手を上げて落ち着くように言うのだ。
「どうか、押さえてください。仕方なかったのです。革命によりあなたの国を弱体化させねば私どもの国も講和に応じられるはずもなかった。仕方ないことだったのです。だからこそあなた方の王政には講和をする能力がなかった……。王政そのものを破棄することが講和の条件と同義でしたから」
「なんてこと……」
リーリアは息を飲んだ。
だとすれば長きにわたる戦乱も納得がいく。
父王の苦悩はいかばかりだっただろう。
「しかし」
魔王は話をつづけた。
「もうよいのです」
「どういう意味でしょう?」
「もう講和が可能なことは示されました。しかし革命政府もなくなった今、交渉相手がいなくて困っています。リーリア姫」
魔王は元姫をまっすぐに見つめる。
「どうかこの国の統治をもう一度お願いしたい。それが私の願いです」
「支配しようとすれば出来るものを、どうして……?」
「私は王族の下での民族の一統性を信じているからです」
リーリアの理解はおぼろげだった。
それを察してさらに言葉を補う魔王。
「そのような状態でのみ、国家は正しい形で安定し、正しい方向に向かうことができるのです。民族には王が絶対に必要なのです。いえ、たしかにそうではない国もあります。しかしどうでしょう。そういう国の向かう先が定まったことがあったでしょうか。そうではないでしょう。王を戴いた国のみが自分たちの方向性を示すことができる。少なくとも私はそう信じています」
「つまりあなたは私たちの国もそうあってほしいと願っている……?」
魔王は頷いた。
自分たちによる支配では決して人間は収まらないことを知っているのだ。
虐げれば彼らは勇者を生む。
勇者こそ恐るべきものだ。
勇者が魔王を討つという物語は確信をもって受け止められているのだ。
人間を締め上げて統治することはできなかった。
「わかりました」
リーリアは目を閉じてこれからせねばならぬことを考える。
目を開く。
そこには深い意志が感じられた。
「渡りに船とはこのことです。時に魔王様、我が国は貴国から食糧支援を受けることができますか?」
「ええ、もちろん。わが軍勢の糧秣を提供いたしましょう。では我々は食糧支援に来たということで……講和を破るつもりはなかったということにしていただきたい」
用意のいいことだ。
とアダムは思う。
初めから何もかも見越してやってきたに違いない。
自分たちの思い通りになりそうな王政を人間の国に再度打ち立てることを目的に。
これからのリーリアの前途を想像すると胸が痛んだ。
魔族の国からの絶対的干渉をはねのけつつ治世を行わなければならないのだから。
即位式は簡素に進んだ。
それだけ国は困窮していたのだ。
順次行政府が自治組織から組織された。
王族に連なる官僚機構はあらかた革命政府によって掃除されてしまっていたから、ノウハウもコネクションもない組織の運営にリーリアは四苦八苦した。
そして、数か月後。
首都は回復した治安と改めて行われた新王女の盛大な即位式に沸いたのだった。
ヴォルフガングから見れば人間の新王政政府は御しやすいの一言であった。
あらゆる外交交渉で魔族は優位に立てた。
すべては魔王の思惑通りだった。
ただ一人の人物を除いて。




