第三十一話 民はうねる(2)
二人は既に民衆があらかた登壇してしまったステージに向かう。
イステティズモは彼の支持者に囲まれつつ、食料配給についての質問を受け続けている。
リーリアがアダムを伴ってステージ上に上がった時の彼の驚き様と言ったら。
逃げたのではないのか!?
彼は全くわけがわからなかった。
リーリアは同じステージの、同じ目線となった民の不思議そうな顔を見回しつつ言うのだ。
「みなさん、もう一度、話を聞いてはくれませんか」
リーリアの脇に立つ民衆から、いまだに広場でもみ合っている民衆から、彼女に注意がむけられる。
完全に静まって彼女にすべての関心を抱くようなことはこの混乱の状況下では不可能だったが、それでも数割の人間が彼女の話を聞こうと向き直った。
いきなり自分たちの近くに現れた姫に登壇していた者たちの困惑はだんだんと消えていき、声が上がる。
「王族が戻ってきやがった!」
「いい機会だ! 俺たちの手でギロチンにかけてやろう!」
王政へもっとも憎しみを持つ者たち、それが今はステージ上に溢れている。
イステティズモはほくそ笑む。
しかし今、リーリアは一人ではないのだ。
「障壁魔法!」
アダムはリーリアと自身を取り囲むように不可視の壁を張る。
これで時間は稼げる。
「みなさん、お聞きください」
改めて話をしようとするリーリア。
怒れる民は自分を阻む壁の向こうで成すすべなく立ち尽くしている。
「まずは食糧問題です。こうして暴動が起きる程状況が差し迫っているとは想定外でした。革命政府に代わり陳謝いたします」
「それならお前が代わりに食い物を用意してくれるのか!?」
リーリアにはできない。
当然だった。
彼女自信には食料供給をマネジメントする能力も権限もないし、それを代行してくれる官僚もいないのだ。
返答に窮する彼女だった。
「それをすべきなのは革命政府だろう!」
勇者が言った。
「おお、勇者殿」
「勇者殿が……」
「それもそうだ」
リーリアに否定的だった人間たちも勇者のカリスマ性は認めていた。
なにせアダムはヒーローだったから。
この世の何かに自分の不幸の原因の一切を求める姿勢の人間たちにとり、魔王討伐の大義を持つ勇者はまさに希望だった。
障壁の外でイステティズモはチッ、と舌を鳴らす。
「勇者の言葉を聞いてはなりません! こいつは反逆者です! 今も魔王の命を狙い世を戦乱に引き戻そうとする悪なのです!」
しかし彼のそんな言葉は共感を呼ばない。
イステティズモよりは勇者アダムの方が民の人気があるのだ。
いやむしろどちらを信じていいかまだ分からない状態だ。
押し合いへし合いしながらも困惑に身を固める民衆。
「はっ、俺が反逆者か。それじゃあお前は何だ? 独裁者か?」
障壁の中からアダムが声を張り上げる。
イステティズモは胸を張って答える。
「私は人民の代表です。それ以上でも以下でもありません。私こそ人民の典型例であり、私以上に人民らしい人間はいません」
アダムはこの自称人民代表に剣を向けて問う。
「では何ゆえお前は飢えていない!? 何を正当性の縁としてにお前は人民より多くの食べ物を食べることができるのだ!!」
「私でなければできぬ仕事だと私は確信しているのです! 私が倒れたらいったい誰が人民を導くのですか! いやはやそんなこともわからないのですかな!? では王族はどうなのです! 民に未来を示すでもなく、どうして人より飢えずに生きていいというのです!」
リーリアが答える。
「王族も人を未来に導けます。王族は国家の第一人者だからです。それは大昔に民が決めました。民が食物を差し出し、王族が輝きを返す。それが太古に結ばれた民と王族との約定です。民が望むのならその約定を破棄してもよいのです。ではあなたと民は何の約定をしていますか? 誰が決めたというのですか?」
「それは――」
私だ、とはついに言えなかった。
下からの要請に従った革命ではなかったのだ。
イステティズモが全てを立案し、全てを決め、全てを運んだ。
民の意を汲んだつもりはあっても決して……。
「それが何だというのです! 結果的に民のためになればいいのです!」
「なっているのか? 民のために」
イステティズモは辺りを見回す。
いつの間にか喧騒は止み、彼の周りの人間たちはじっと彼を見ている。
オホン、と口に手を遣り言葉をまとめる。
「よいですか、わが愛する民よ。食料問題は必ず解決します。そして……」
「ホントか!?」
民衆の一人が答える。
イステティズモは自分の話に割り込まれたことに少なからず動揺しているようだ。
「いやはや……もちろんですとも」
「なら今すぐ寄越せ! こっちは死にそうなほど飢えてるんだ!」
同じ声が上がる、多数。
「どうか皆さま、落ち着いてください。約束します。すぐに相当量の……」
「信用できるか!」
そうだそうだの大合唱。
今や完全に革命政府への信頼が揺らいでいた。
ここでアダムが口を開く。
「みんな、聞いてくれ!」
この場で絶対の信頼を勝ち得ているのは勇者だけだった。
イステティズモは歯噛みする。
「あの政府庁舎にこそ食料があるはずだ! 行け! 行くんだ! 飢え死にしたくないだろう!?」
わーっ、とステージを踏み越えて政府庁舎として使われている建物へ向かう民衆。
アダムの言葉を信じ切っている。
なにせ、勇者なのだから。
人がリーリア、アダム、イステティズモの両脇を流れていく。
人の勢いが激しすぎて衛兵が近づけない。
流れる川の中洲のように静かな三人の空間で、アダムは障壁魔法を解くのだった。
「もう終わりだな、イステティズモ。反乱の首謀者め。覚悟しろ!」
アダムは剣を振り上げる。
無意味にも、手を上げて防ごうとするイステティズモだった。
恐怖におののくさまを見せないのはさすがと言うべきか。
「待ちなさい、アダム」
振りかぶったまま手を止める。
「なぜです? 姫様。こいつは反逆者も同然……」
リーリアはアダムの肩に優しく触れる。
「アダム、あなたにばかり穢れ仕事をさせるわけにもいきません。私がやります」
「姫様が!?」
アダムは剣を下ろし、呆然としてリーリアを見る。
しかし意を決すると短剣を抜いて彼女に渡すのだった。
「けじめをつけようというわけですか。私が死ねば時代は逆行しますよ?」
そう言う革命家に対しリーリアは頭を横に振る。
「いいえ、イステティズモ。そうではない、そうではないのです」
「何?」
「時代は進んでなどいないのです。確かに変化はあります。それでも変わるべきではないものもあるんです」
「お前たちの特権のことか」
「お前! 侮辱だぞ!」
アダムが声を荒げる。
リーリアはそれをなだめる。
「わからない方には決してわからないのかもしれません。こうして、人心が王族から離れてしまっているところも見られてしまいましたしね。まったく、私の不徳の致すところです」
リーリアは大雨の後の川の流れのごとき人の動きを見る。
もはや誰も姫や革命政府首班に構わず、食料の在処めがけて押し寄せている。
――民とはこういうものなのかもしれない、いや……。これは本当の民の姿ではないはず。
リーリアは考える。
衣食が足りないせいなのだ、と。
落ち着けばきっと王族を受け入れてくれる、そう信じるのだった。
「イステティズモよ。あなたは自分の信念のもとに行動したのでしょう。それはわかります。しかし、かつての王国の法によれば大逆は死刑……。御覚悟を」
イステティズモは背の高い体を直立不動に保ったまま宣言するのだ。
「聞くのです、特権階級よ。お前らは永遠に存在できる気でいるようだが、それは真実ではないのです。いずれ現れる第二第三の私がきっとお前たちの子孫を打ち倒すでしょう」
リーリアはまた、頭を振る。
「もちろんそうです。我々は風前の灯火のように儚い。いつ倒れてもおかしくない塔のようなものです。でも私たちを打ち倒すのならそれはあなたのような人間ではありません。民です。民なのです」
「私は民の代表だーッ!!」
「もはや言うべき言葉はありません」
高貴なる姫は短剣を構える。
「父よ、この手を血に汚すことをどうかお許し……いえ、もうきっと穢れているのでしょうね」
「そんなことはありませんよ、姫様」
アダムの方を振り向くリーリア。
アダムはそっと彼女の短剣を握る手に自らの手を添える。
力強い、大きな手だった。
「罪など、いくらでも一緒に被ります。王族と一緒に歩むことこそ、我ら民の喜びだからです」
「勇者殿……」
二人の力により、短剣は革命政府首班の胸に突き刺さった。
政府庁舎は暴徒により襲撃を受け続ける。
結局、地下室にはやはり食糧庫があったようで、暴走する民のエネルギーはそこに向かった。
その荒れ狂うエネルギーはイステティズモの思想にもリーリアの規範にも収まらないのだった。
「これが、民……」
リーリアは食料を求め猛り狂う民の姿を呆然と見つめ続ける。
それは彼女の想像を超えた民の隠れた姿だった。
隣にいる女性を殴り飛ばして自分の分を確保しようとする男。
もみくちゃにされて今にも踏みつぶされそうな子供。
そんな光景ばかりだった。
「みなさん! 落ち着いてください! どうか!」
「姫様!逃げましょう!」
「しかし民が!」
「今は何を言っても無理です!いったん退くのです!」
「でも……」
リーリアは逡巡する。
この状況で苦しむ民を見捨てられないのだ。
しかし結局彼女はアダムに連れられて一旦混迷する首都を脱出することを決めるのだった。




