第三話 元姫は背負う物と覚悟を語る
自分たちの旅の目的は何だろう。
元勇者アダムは借宿の寝床で一人考える。
魔王の下、魔界議会が融和策を取っているのなら勇者が魔王を倒す必要などないではないか。
国が共和制で治まっているのならリーリア姫が返り咲く必要などないではないか。
答えはわかっている。
二人とも、そうでなければ生きられない身体なのだ。
勇者という負荷、姫という負荷を自分に課さなければ誇りと精神を保てない身体なのだ。
そんなことのためにもはや脅威ではない魔王を倒し、共和制に姫という存在をねじ込ませる?
平和の道からは程遠いようにも思える……。
本当にそれは正しい行いなのだろうか。
彼にはわからなかった。
しかしまだまだ路銀はある。
ダラダラと旅を続けられるのだ。
その途上で答を出せばいい。
彼はそう思った。
眠れないので一階の談話室に降りていく。
パチパチと暖炉の炎が燃える音がする。
その前には椅子に腰かける彼女の姿があった。
てっきり今日は心底疲れて寝入っているものかと思っていたアダムは少し驚く。
改めてその姿をまじまじと見る。
物憂げな様子で白い面に橙色の光を宿すその姿に勇者は美というものの本質を観る。
こんな夜更け、休み羽を伸ばすはずの時間でも油断なく淑やかで折り目正しい女性という外観を維持するリーリア。
ピンと張った背中に一体どれだけのものが背負われているのだろう。
「寝ておかないと明日に響きますよ、姫様」
誰もいないので本来の呼び方をする。
もはやそれは偽りの称号でもあるのだが。
「あれでよかったのでしょうか?」
無論、昼間のひと悶着のことである。
勇者は椅子を持ってきてリーリアと同じように暖炉の前に腰かけるとしばらく考えてから応える。
「もちろん、あんな素晴らしい解決をなされたのです。誰から見てもご立派に見えたでしょう」
「法に依ればあの若者は死罪なのですよね」
「民の言う法など、その場その場の雰囲気でどうとでも運用されるものです。今回は最後には誰も彼の者の死を望む者はありませんでした。姫様の言った通りに、あの若者と父親は罪を背負って生きていくのでしょう」
二人はじっと暖炉の炎を見つめる。
リーリアは陶器の置物のように動かない。
「背負って生きていく、ですか」
リーリアのその言葉に重い重い含みを感じ、アダムは彼の敬愛すべき姫の方を見た。
「我々にももちろん背負って生きていくべきものがあるのですよね、勇者殿」
役目……役割……責務。
時代に必要とされなくなったもの。
それでもそれを求め、それを成さねばならないと彼らが強く信じ切っているということにしているもの。
……もちろん、もはやそれを追求することはこの世界にとって害悪ですらあるかもしれない。
だけれども…だけれども…。
「勇者殿」
「なんでしょう、姫様」
「私も皆に尊敬される姫という役割を背負いますから、どうか、あなた様も皆に尊敬される勇者殿であってください」
その言葉には真の覚悟が見て取れた。
そういうものにもどれたら、の話ですが……とリーリアは後に続ける。
「この旅も無駄ではないのかもしれません。つまり、このまま旅を続けても回り道にはならないのではないかと……。そう思うのです。今日のようなことがあるのなら、それは意味のあることなのではないかと。世直しをしようというのではありません。国全体に自分たちの姿を知らしめることができない今の私たちにはそんな力はありません。しかし、これは道なのです。多分、そこにつながっているのです。だとすれば、無益ではないんですよ」
昼間の出来事にひとまずの解決を提示できたように、これからも行く先々で同じことができたなら……。
それは確実に二人の糧になることだろう。
元の地位に戻り、人々みんなに光明を示せるその時まで、二人は人の波をかき分けながらその倫理観を磨くのだ。
アダムは旅の意味を見出した。
「勇者殿は世の人の目指すべきものに、私は世の人の規範に、それぞれなりましょうね。こうなりたいな、という存在に……」
それにしても、かつての勇者に、かつての姫に、それぞれ立場を取り戻すなど、可能なのだろうか。
彼らはきっとそうなると信じている。
だがそれはいささか盲目的なのかもしれない。
悲しい定めを自覚しつつ暗闇へ向かう黒死病の巡礼者のように、二人はどんづまりの運命への旅路を受け入れる覚悟を決めるのだった。
深夜。
二人はそれぞれの自室に戻り、今度こそ寝入る。
しかしアダムは寝入ってから半刻ほどで目を覚ますと、跳ね起きて剣を手に取る。
ベッドの下に書いた動体検知魔方陣に反応があったのだ。
魔界を一人冒険していたころからの習慣で、チリチリと頭の中に情報を送り込んでくるそれに反応して目を覚ますことなど日常であった。
――四人。
足音を忍ばせて宿屋に忍び込んでくる。
だがわかるのはそこまでだ。
この魔方陣にそれほど正確な位置情報の把握はできない。
ベッドの下に手を入れ描かれた文様の一部を崩し、機能を停止させる。
アダムは刃渡り一メートルの長大な長剣を鞘から引き抜くと、構えを取りつつリーリアのいる部屋の方に向かう。
果たして、すでに廊下には黒い装束の刺客が一人、彼女の部屋の鍵をこじ開けようとしていた。
暗闇の中互いの存在に気付く。
アダムは音も立てずにその者の懐に飛び込むと長剣で袈裟に切り伏せた。
声も上げられずに戦闘不能となる刺客。
背後の物音にアダムは振り向く。
そこにはやはり自分と同じようなロングソードを構えた人間がおり、こちらにまっすぐ突きを放ってくる。
アダムはそれを叩き落とすと右足を踏み込み、左脇を開き、自身の左方から突き出した剣で彼の者の顔面を突き刺す。
口腔から侵入した切っ先が頸椎を傷つけ、ビクン、と大きく一度体を跳ねさせるとその者は倒れ伏した。
残りの二人が姿を見せる。
さすがに同時に二人はキツイ。
そう判断すると勇者は障壁魔法を唱え、廊下に不可侵の透明な壁を出現させる。
リーリアのいる区画への侵入を阻まれた彼らは他に経路がないか探すため建物の裏へと回り込んでいった。
勇者は彼の姫のいる部屋のドアを蹴破る。
踊り込んできた人影に臆することなく、リーリアは落ち着いて暗闇の中の影を見定める。
「勇者殿……!」
「姫様! すぐにここを脱出します」
勇者は剣を腰の鞘に納めると彼女を両手に担いで窓から飛び出す。
二階からの落下の衝撃を人間離れした脚力で吸収すると、リーリアを下ろして宿屋の表側に回る。
そこにはほかの客の止めた馬が何頭か繋がれていた。
「この馬を使いましょう!」
「盗むのですか!?」
アダムは悩む。
今は一刻を争う状況だが、この旅はただの旅ではないのだ。
高潔な目的に達するために、一片の瑕疵も残すべきではない。
くそっ、とアダムは心中悪態を吐くと、元姫の手を引き駆け出すのだった。
これまでの彼らにはどこか物見遊山的な余裕があった。
しかしこれからは追手に気を張りつつ生活せねばならない。
もはや安息は約束されないのだった。