第二十七話 元姫は王族の矜持を語る(2)
「新政府の調子はどうですか? 人民は飢えてなどいないでしょうね」
窓の外を見やりつつ、リーリアは彼女なりの皮肉を込めて言う。
イステティズモは人払いをするよう伝え、部屋の中には二人きり。
彼は涼しい顔で、
「勿論飢えはありますよ。あなた方王族の治世の時ほどではありませんが」
という調子。
リーリアは思う。
かつての首都の窮状と、今車窓から見て来た現状の差異を。
人がどれだけ飢えているかまではわからなかったが、ところどころにうず高く積まれていた死体の山は、前は決して見ることのなかったものだ。
「飢えはどうかわかりませんが、死は蔓延しているようですね」
無表情のまま口を動かした。
目の前の広場にもギロチンが据えられているのが見えた。
「いやはやまあ仕方がないことなんですな」
イステティズモは窓の外を見つめる後ろ姿に語り掛ける。
「王族に連なっていた人間はすべて新世界到来の障害となります。ああでもしなければ我々は前にはすすめないのですよ。お分かりですか? 旧時代の象徴、リーリア姫」
リーリアは沈黙する。
壮年の革命家は熱が入って来たようだった。
ぺらぺらと持論をまくしたて始める。
王族が如何に旧時代を暗いものにしていたか、いかに新時代はそれを払拭していくべきか、そして、リーリアの処遇。
「そう、強引な形とは言えあなたにここまでお越しいただいたのには訳があります。あなたにはここで死んでいただきたいんですな。どこぞともわからない、魔界近くの辺境で刺客に殺される結末ではなく」
「どこぞともわからない、ですか」
イステティズモは口角を上げる。
元姫が彼の言葉の意外な部分に反応したことを不思議がっているのだ。
「死が恐ろしくないのですか?」
しかしリーリアはその問いには答えなかった。
「私、自分が旅した過程にあった町の特産物をちゃんと言えますよ」
革命家は面食らう。
彼にはリーリアが突拍子もないことを言っているようにしか思えなかった。
「最初に訪れた町からは工芸品や毛織物など加工品が沢山貢物として納められてきていました、次に訪れた国境付近の町からはおいしいお野菜がたくさん、ふふ、大好きでした。それから……」
「あなたは自分のかつての権力に酔いしれている!」
声量は窓ガラスを震わせるほどだ。
革命家はそうでないと大衆を扇動できない。
リーリアは指を這わせていた窓ガラスの振動を空虚な心で受け止める。
イステティズモが直接触れてきたような錯覚を覚えた。
しかしそんな大きな声に臆さずに振り返ってこう言うのだ。
「かつて侍女と一緒に、父に隠れて庶民のまねごとをしてみたことがありました。料理をしてみたのです。そういう体験こそ王族に必要なことだと思っていたのです、当時は」
彼女の眼には曇りない高貴なまなざしが宿っていて、イステティズモですらハッとして見入ってしまう。
革命家の男はほう、と言って話に乗ってやる。
いったいこの少女は何を言わんとしているのやら。
「それでどうしたんです? 料理は上手くできましたか」
「いいえ、結果は大失敗。黒こげのなんだかわからないものができてしまいました。それでも、焦げていない部分をなんとか集めて、お皿に盛って、父の所へ運んで行ったのです」
リーリアは懐かしむように笑みを交えながら語るのだった。
「それで」
男はうんざりと言った調子で言う。
「どうしたのです? 王は」
「父は料理を捧げ持って部屋まで来た私を見るや、何をしたのか、どういうつもりでしたのか、一見で看破したようでした。そして、私をぶったのです。平手で。幼い私にはとても嫌な思い出として残りました」
「ほうほう。いやはやまあ……王族の傲慢を表すひどいエピソードですな。王族が低俗な庶民のまねなどしてはならないということでしょう」
「いいえ、そうではありません」
リーリアは部屋の中を歩き、イステティズモに近づいていく。
優雅さと重々しさを兼ね備えた毅然とした足取り……庶民の服を着ていても彼女は間違いなく王族だ。
「そうではないのです。幼い私は王族としての想像力が足りないことを叱られたのです」
「うん?」
革命家の男にはわからない話だった。
「なぜ王室には各地からの貢物が運ばれてくるのでしょう。産物からその地の様子を想像するためです。その地の様子を、民の生活を、彼らの生きる縁を……。王族は想像することを求められるのです。体験では追いつけない、国全体のことを想像する力を持つことを求められるのです。ですから私はあの尊敬すべき父に叱られたのです。体験をもって理解しようなどと回り道をする余裕は王族にはないぞ、想像しなさい、と」
イステティズモは内心彼女の言葉に唾棄する思いであった。
だが大人しくギロチン台に登ってもらうため、努めてここは敬意を表して取り扱おうと決めていたので、それはおくびにも出さない。
「ほう、それはそれは。なかなか立派な心掛けですな」
その時、リーリアのまなざしが変わった。
それまでの落ち着いた優しげで物憂げな様子から一変、イステティズモを圧するような、睨むでもない強い視線へとそれを変貌させたのだ。
発せられる声はまるで叱責であった。
「それが為政者に必要な想像力です。自分の国の町のことを『どこぞともわからない』などと言ってのけるあなたにはそれが足りていません。イステティズモ、あなたには民の生活を想う心がありますか? あなたは自分の想像上の『国家』を愛しているのであって、人民のことを愛しているのではないのでしょう」
……痛いところを突かれた、とは思わなかった。
イステティズモの心に起こったのは「戯言だ」との気持ちのみ。
心にもないことを言ってこの場を適当に過ごさんとす。
「ご立派な心掛けですな」
言いながら部屋の中を歩き始める。
リーリアを中心に、コツコツと威圧するように靴音を響かせながら。
「いやはや、あなたは確かに持っているようですな、リーリア姫……。いや、元姫。王族の矜持と言うものを」
これ見よがしに踏みしめる一歩ごとに、彼の視線はリーリアのつま先から頭のてっぺんまでをねぶるように往復する。
不躾なそんな態度にも眉一つ動かさず険しい顔のまま前を見据えるリーリア。
だが心の中はバクバクと脈打つ心臓に押されるように興奮を湛えていたのだ。
――ここでこの男に言い負かされるわけにはいかない。
「だが」
と、イステティズモは言うのだ。
「人間は人間の力だけで生きることができる。いや、そうあるべきだ」
巫女の話とは反対のことを言い出す彼。
リーリアは黙ってその主張を聞くことにする。
言いながらイステティズモは彼女の背後の方へ歩いていく。
「神も王も不要なのです。なくても生きていけます。いえ、それこそ人間の自由を最も邪悪に侵害する重石なのです。神も、王も、人間が作り出した発明品の中では最悪の失敗作です!」
ドン、と、リーリアの背後で床が踏み鳴らされる。
彼女はそちらに向き直る。
「私は人間を自分で考えることができ、自分で倫理観を装備することができ、自分で責任を負うことができる生き物に改造したいのです。理想の超人です。それが完成した暁にはそこにはもはや政府すら要らないでしょう。無政府主義共同体があるだけなのですな。いやはやなんと素晴らしい」
彼の独り舞台は続く。
また部屋の中を動き回り始める。
興奮の極致のようだ。
「そう、改造……いい言葉ですねえ。改善と言ってもいい。とにかく我々は我々をいじくって、自らの手で自分の精神を切り開き、明日を獲得せねばならんのですよ。その初期段階で血が流れるのは仕方ないものです」
イステティズモは窓際に寄ってちらりとギロチンを見やる。
彼の脳裏にはそこから生産される生首の映像記憶が浮かび上がるが、何の感慨もなくそれは消える。
「そう、あなた方のようにです。あなた方王族がかつて、古代、血を流すことでその王位に着いたように、我々は今、次の段階に進むため、王から、神から、人間の下へ指揮棒を取り戻すため、血を流しているのです。仕方ない仕方ない……仕方ない犠牲。そう思いますでしょう? 元姫リーリア。」
久々に会話のやり取りが試みられたようだ。
リーリアは彼の男の方に向き直ると、渾身の一撃を返さんとグッと心身に覇気を満たす。
「彼らはあなたのような遠大な計画など持っていませんでした」
静かに、だが力強く、語り始めるのだった。
「その場その場で最善と思える行動をとっただけです。人間は計画通りに生きたりなどしないのです。今まで奇跡のように命や価値観を繋いできただけ。それを人間の計画に沿うように改造することなどできないのです。たとえ人間自身の歴史であっても人間には自由にできない。それは神のものと言ってもいい。人間なんかには手出しできない領域なんです。御願い、気づいて……。あなたがしようとしていることは人間の歴史の放棄なんです」
最後の方はまるで哀願だった。
イステティズモの、人工的に歴史は作れるという価値観とは真っ向から反対する価値観だった。
彼は顔を上へ向けて、もうたくさんだと言わんばかりに不快感をあらわにした表情で人を呼んだ。
「いやはや。平行線ですな。まあ交わろうが平行線だろうが関係ないのですが。連れて行くのです」
それを聞くや否やリーリアは跳ね飛ぶように窓へと走り、開け放った。
そして身を一杯に乗り出して叫ぶのだ
「みなさん! リーリアです! どうか話を! 話をさせてください!」
広場に集まった群衆が沸き立った。
おぉ、と怒号なのか歓声なのかわからない声が響いた。
「取り押さえるのです!」
イステティズモが怒鳴る。
暴れる高貴な少女は部屋の中へと引きずり込まれ、地下室に連れていかれるのだった。




