第二十話 元姫は神と出会う(3)
本来魔族はみな魔力を帯びている。
訓練で潜在魔力を励起しなければならない人間と違い、生きているだけで魔力を発し、世界と魔法的にかかわる……。
その性質故に魔力に敏感な存在には魔族は避けられ気味になるという傾向があった。
このケースもそうなのだろう。
彼らの神はきっと魔力に過敏に反応して仕舞う種族なのだ。
だからこそ彼ら自身にはその姿が確認できない。
悲しい、神と民族の関係と言える。
彼女はそんな悲劇的間柄の両者の懸け橋となる気でいた。
彼らの神が青の鱗のように慈悲深いなら、きっと今の飢えるか飢えないかの状況にも心を痛めているはずである。
捧げものを捧げなくてもよい、と言ってくれるかもしれない。
リーリアの大まかな思考の流れを記述するとこうなるのだった。
「こちらです」
長が言った。
壮年の犬人、つまり彼の弟の葬儀も後回しに、まず彼らが神のご信託というわけで、リーリアとアダムが洞窟の前に連れてこられたというわけだ。
長一人の先導の下、頭の傷を回復魔法で治したアダムがリーリアの後ろを行く。
「私とアダムさんは洞窟の外で待機しています。魔力ある者が近づくと神が姿を隠してしまうので」
すでに何度もした説明を改めてする長だった。
ややボーっとした様子なのは自分の弟を手にかけてしまった直後だからか。
「あっ、そうだ」
唐突に何か思い出したようだ。
面食らう二人。
アダムが訊ねる。
「どうしたんです?」
「いや、その……。入ることになるのはそこのお嬢さんなんですよね?」
何をいまさら言っているのだろう。
そういう話だったではないか。
顔を見合わせるアダムとリーリアだった。
「いえね、それが……。他に洞窟に入った人間の方がいないんで確かではないんですが恐らく内部の魔力濃度から言って、魔力を持たない人間にはキツイ環境かと……」
アダムは自分がその可能性に思い至らなかったことを悔やんだ。
事前にわかっていれば強く反対したのに。
いや今からでも遅くはない。
こういう真似はやめてもらいたかった。
魔法を一切使えない人間が濃い魔力の満ちた空間に行くと体を害する恐れがあるのだ。
「お嬢様、これは危険です。お考え直しを」
アダムは懇願するように言う。
入ってはならないと言われる洞窟の奥でリーリアが倒れる想像をする……。
助けが遅れることは明らかだった。
「いいえ、アダム。私たちは魔王様の特使です。ここまで来てしまったらやり遂げねば魔王様の顔をつぶすことになります」
「しかし……」
そうまで魔王などに義理立てすることもないだろうに、と言いたいアダムだった。
ついに洞窟の前まで来る。
何の変哲もない、小さな洞窟だった。
人間でも身を屈まねば入れないそれは体の大きい犬人達にはさぞつらいだろう大きさだった。
「ではお願いします」
長にうながされるままに、
「では神様に会ってまいります」
さっそく洞窟に入ろうとするリーリアだった。
「ちょ……、お嬢様!?」
アダムはそんな彼女に声をかける。
そんなちょっと近所まで行ってくる、というような様子で……。
「なんですか、アダム。ここまで来たなら後は入ってお会いするだけでしょう? 粗相がないようにしませんと……」
リーリアは自分の衣服を正す。
アダムは思うのだった。
彼の姫様はこういうところがあると。
誰に対しても臆さずに向かっていく様はあまりに無鉄砲で、いつもはまだ安心していられるのだが、こうしていざ危険に挑もうとなると途端に止めたくなる。
過剰な配慮だろうか。
自問するアダムだが、やはりこれはリスクが大きすぎると判断する。
「お嬢様」
彼は言うのだ。
「やはり危険です。どうか、どうか……」
だが危険だとしか言えないのだった。
リーリアはおろおろとそんな言葉を何度もつぶやいているアダムをじっと見つめると、ふっと笑みを浮かべる。
見るものすべての心に癒しの花を咲かせるあの笑みだった。
「大丈夫ですよ、アダム」
彼女の勇者はやっと黙る。
「中にいるのは貴き神でありますから。きっと悪いようにはしません。心配してくれてありがとう。でもどうか安心を……」
それでもアダムは納得がいかない。
獣人の長の方を見る。
彼はじっと二人の様子をうかがっている。
それは今更やめないでくれともやめるなら今だぞとも言っているように見えた。
「では行ってまいります」
「はい、では、お気をつけて……」
力なく見送るアダムだった。
何の変哲もない洞窟に見えた。
リーリアは一歩一歩中へと踏み入っていく。
振り返ることもなく。
内部は魔力の渦がところどころで青白く光っていて、明かりがなくても足元を見て取れた。
道はくねくねと折れ曲がる。
つい何度か曲がった後、初めて後ろを見る。
とっくに明るい外は壁の影になって見えなくなっていた。
途端に心細さに支配される彼女だったが、意を決して中へ中へと進んでいく。
それほど深い洞窟ではないから、最奥へは簡単にたどり着けた。
そこは開けていて、小部屋のようになっていた。
「これは……」
そこには巨大な光が……。
光の塊、魔力のよどみがあった。
すさまじい魔力の圧力に気を失いそうになるリーリアだったが、足に力を込めて倒れるのを我慢する。
「妖精神様は?」
チリチリと意識をむしばまれる。
呼吸が荒くなって汗が噴き出る。
明らかに魔法酔いの症状だった。
今すぐこの場を離れないと危険だ。
リーリアは自分の身に起こっている事態を的確に把握する、しかし帰れない。
まだ会っていないのだから。
「一体どこに……」
あたりを探し回るリーリアだったが、狭い洞窟のこと、どこかに隠れる場所があるはずもない。
つまり……。
「神様など、いない……」
その事実に気付くと彼女は、取って返すのだった。
「リーリア様!!」
洞窟からふらふらとした足取りで姿を見せたリーリアにアダムが駆け寄っていく。
息も絶え絶えと言った様子で彼女の勇者の腕の中に倒れ込むリーリアだった。
アダムはこんな時であるのにその金色の髪の香りを強く感じた。
汗ばんだ冷たい体。
すぐに休養が必要な状態だった。
「み、みんなを……」
リーリアが精いっぱいの力で声を発する。
「みんなを、集めてください、大事な、話が……」
「今はお休みになるのが先です!」
魔力酔いは魔力の作用する場所の近くで気を失いでもしない限り重篤な症状はほとんど引き起こさない。
倦怠感や発汗、寒気などが主だ。
が、それでもアダムはその背に彼の姫をおぶると長と共に集落へ急ぐのだった。
「みなさん、お話があります」
翌日、壮年の獣人戦士の葬儀の終わったころ、回復したリーリアは長の協力のもと、また広場に人を集めて馬車の荷台に立った。
アダムも長も集落のほとんどの人間も、この高貴な少女の話に耳を傾ける。
皆が彼女の話を聞きたがっているのだ。
人間がこんな場所に来る機会などほとんどない。
ましてやの洞窟に入るなど……。
リーリアは異例中の異例。
その体験談は宝の様に貴重だ。
「まず言っておきますが」
心に直接響くような心地よい声。
「あなた方の神は慈悲をお示しになられました。今期の捧げものは不要とのことです」
ざわざわと群衆が口々にその言葉を繰り返す。
これで集落内の両派閥が対立する理由は消失するはず。
リーリアは楽観的だった。
アダムはそんな姫と群衆の様子を複雑な表情で見守る。
「えっ、神様がいなかった?」
「そうです」
前日。
長の屋敷、来賓用の部屋のベッドに横たわるリーリアの横、椅子から転げ落ちんばかりの勢いで驚くアダムの姿があった。
「それじゃあどうするのです!? そんなことを言っても信じてはくれないでしょうし、納得もされませんよ? あの若い犬人達を別にすれば!」
「そのとおりです、ですから、方便を使うのです」
「それはどういう意味ですか?」
「明日、みんなと一緒に聞いてください」
あの言葉はこういうことだったのか。
アダムは納得する。
なるほど。
これが最もいい解決方法に思えるのだった。
神の存在証明と捧げものが不要であること。
双方を満たすにはこういう嘘が必要だった。
「嘘だ!」
声が響く。
あの若い女犬人だった。
「神などがいるはずない! あの少女は嘘をついている!」
その声に一部の獣人たちが同調する。
そうだ、そうだ、と。
リーリアは臆さずに応答する。
「いいえ、確かに私は神との対話を果たしました」
「まさか……」
「確かなことですよ」
この世にはとても嘘を吐くとは思えない人がいる。
姫から発せられる気はそういうたぐいのものだった。
詐欺師のカリスマでもなく、為政者のその場しのぎでもなく。
誠の徳の体現であるかのような貴いオーラがあった。
今回はそれが嘘を納得させるために使われるのだったが。
アダムは少し悲しい思いがした。
「神の実在を疑ってはならん!」
年配の犬人が声を上げる。
その通りだ、の大合唱が起こる。
若い犬人の女はまだ何か言いたげであったが、引き下がるしかなかった。
声が収まると、その年配の獣人がリーリアに問うた。
「お嬢さん、果たして本当に神様は捧げものを不要だと……?」
「はい。この耳でしかと聞きました。そうおっしゃっていましたよ」
ざわめき……。
安堵の色濃いおしゃべりが場に満ちた。
リーリアは結論を述べる。
「そういうことです、みなさん。神様の言うことを尊重してください。これからは餓えか神への不誠実かで悩んだときは、迷わず捧げものをしない選択を取っていいとのことです!」
集会は終わった。
アダムとリーリアは立ち去っていく民衆の背中を見守った。
「ありがとうございました」
長が話しかける。
「これで一件落着です。神様の言葉を代弁してくれたこと、本当に感謝します」
「いえ……」
リーリアの胸は痛んだ。
これからも彼らはあの魔力が溜まっただけのただの洞窟を神と拝んで暮らしていくのだろうかと。
リーリアはなぜ魔王がこの任を与えたのかわかる気がした。
王族とはこういうものなのだ。と言っているのだ
近づいてはならない、見てはならない
その本質を知ってしまったら、王は王でなくなってしまう
だからタブーであるべきだし、隠されるべきなのだと
現に魔王はそういう存在になろうとしていた。
だがリーリアの考えは違うのだった
近づいてみてもその神聖性が変わらない存在こそ彼女の目指すモノだった。
魔王の使い魔が成果を確認し、帰還していった。
魔王ヴォルフガングも満足することだろう。
二人は人間界、共和国、王都へ向けて、魔界から去る道をとって進むのだった。




