第二話 元姫は愛と罰の在り方を語る
「すみません、姫さ……お嬢様、そのような衣服しか見つかりませんで……」
「何を言うのです、素敵じゃありませんか」
町に着くと早速ドレスを高く下取ってもらい、平民の服を用意した。
リーリアは姫だった頃には接することもなかったような身分の人間の服を着ることになる。
それはくすんだ緑色で、純白のドレスとは比べものにならない代物だった。
「市井の方々はこういうものを着ているのですか。布地がゴワゴワしていますが平気なのですね」
アダムは貴婦人がお辞儀をするように裾をつまんでスカートを広げて見せるリーリアに見惚れてしまう。
貴人は何を着てもその高貴さを隠せないものだな、と、平民出身の元勇者は思うのだった。
町の中で宿を探す道すがら、町の中央の広場で二人はなにやら群衆のガヤガヤと騒いでいるのを見つける。
「なんでしょうね、お嬢様」
「気になりますね。静かですが熱気を感じます」
まるで、城を襲いに来た群衆のような……。
元姫はそんな連想を頭を振って追い出す。
アダムは慎重な様子を見せる。
「やめておきましょう。トラブルには関わるべきではありません」
リーリアは首を横に振る。
「いいえ、見ておかねばなりません。こうしてせっかく開かれた世界を旅することになったんですもの。見聞は広めなければなりません。必ず城へ戻った時に治世の助けになりましょう」
「左様ですか。十分お気を付けください。当然私がお守りしますが、過信してもらっては安全なものも安全ではなくなります」
リーリアはコクリとうなずくと人の群れ成す輪の方に近づく。
彼らは四人の人間(一人はもはや物言わぬ存在に成り果てていたが)を囲んでいた。
すなわち、立ち尽くす老女、血を流して倒れている青年、大柄な男、そしてその男にしこたま殴打され続けている若者だ。
「お前は、よくも、こんなことをしてくれたな!」
大柄な男は若者を殴りながらそんな言葉を口にしている。
「アダム、とにかくあの男性を止めなさい。あのままでは死んでしまいます」
「わかりました」
このような暴力的な光景にリーリアはひどく面喰ったはずだが冷静にアダムにそう命じる。
元勇者は群衆の輪の真ん中まで進み出ると、地面に仰向けになった青年の顔面に拳を幾度も振り下ろしつづけている男の腕をつかむ。
勇者として冒険を繰り返してきた彼の力は並の人間のそれではない。
体格で比べれば全くかないそうにない相手の太腕をいとも簡単に止めて見せ、がっしり掴まれたそれはピクリとも動かせなかった。
大柄な男は明らかにその状況に驚き、目を見開きながらアダムの方を見る。
「な、何だお前は! 邪魔をするんじゃない! できの悪い息子……いや、一線を越えた大バカ息子を教育中なんだ! あんたにゃ関係ないだろ!」
「息子なのか、そいつは。あんた、息子を殺すつもりか?」
大柄な男はぜえぜえと荒い息をつきつつ血だまりの中に顔を突っ込ませて死んでいる青年を指さす。
「息子は人を殺しちまったんだぞ!? もう死んで詫びるしかないじゃねえか!」
なるほどな……アダムは状況を把握した。ちらりとリーリアの方を振り向く。
彼女は険しい顔で状況を見守っている。
アダムはしゃがみ込むと自分の父親の身体の下でぼこぼこと蜂にでも刺されたかのように顔面を腫らしている若者に話しかける。
「本当に殺したのか?」
若者は仰向けに倒れたまま力なく首を縦にゆすった。
「一体何故だ?」
少しの逡巡の後に答えが返ってくる。
「侮辱されたから……ついカッとなって……」
アダムはまたリーリアの方に視線を投げかける。
表情からは何を考えているのか彼には読み取れなかった。
ともかく、彼は彼なりに問題を解決しようとする。
男の手を放すと今度は広場に広がった血だまりと遺体を呆然と見下ろす老女に話しかける。
「あなたは亡くなったこの方の親族の方ですか?」
老女は心ここにあらずと言った風で頷く。
「私はこの子の母です。こんな……こんなことになるなんて……」
そういうと泣き崩れてしまう。
アダムは今一度辺りを見回す。
集まった町の人々は誰しも興味深げな顔で事態の推移を見守っている。
ただの野次馬のようだ。
なるほどな……。
状況の把握は済んだ。
大柄な男が口を開く。
「わかったか? もう気が済んだだろう。誰がどう見てもこれはもう死んでお詫びするしかない状況だろうがよ。畜生、畜生、おめぇ、どうしてこんな風に育っちまったんだ」
男は大粒の涙を流しながら男泣きに泣く。
ひぃひぃと家畜が鳴くように泣きわめく大の男の有様に、野次馬の中にはもらい泣きする人間が現れる。
だが、元勇者も元姫も、泣けなかった。
「見上げたものですね、あなたは……」
リーリアが前へ出て言った。
意外な登場に場の雰囲気が変わる。
一介の平民とはまとうオーラの違う彼女が放つ柔らかだが芯の通った気は、場の空気を一言で塗り替えるに十分なものだった。
「へへ、そりゃどうも……」
「話はそれだけじゃありませんよ」
にやついた表情を浮かべる男にぴしゃりと言ってのけるリーリア。
予想外だったのか男は固まる。
アダムは事態を見守っている。
彼にはどうしていいかわからなかった。
殺しの罪は死で償われるのは自然な話だとは思ったが、父親の態度には違和感を禁じえなかった。
しかしそれを言語化することはできない。
彼の姫様の澄んだ道徳観が必要とされる場面だ。
リーリアは老女、つまり死んでしまった青年の母親の方を向いて問いかける。
「あなたは、どうしてほしいですか?」
服の裾を顔にあてがってしくしくと泣いていた彼女はぐしゃぐしゃにした顔をリーリアに向けて震える声で返答する。
「わか……りません」
「そうでしょうね。では質問ですが、息子さんの命の代償として殺した相手の命を要求しますか?」
その場の全員が固唾を飲んで見守る。
アダムもその一人だ。
正直予想外であった。
か弱い姫であるはずのリーリアがこれほどまでに凛々しくこの場を収めようとしていることに少々の驚きを感じていた。
果たして、老女はゆっくりと頷いたのだった。
「殺せ……」
群衆の中の何者かが物騒な言葉を口にする。
「殺せ! その若者は殺されるに値する人間だ! 被害者の親族もそれを望んでいる! 法に照らしても死罪は明らかだ! ここで殺してしまえ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
幾人もの町の人がそんなセリフを唱和する。
負の感情と熱情の陽のエネルギーが場に満ち満ちる。
こんなところに姫様を置いてはおけない。
アダムはここから脱出する決心を固める。
土台無理だったのだ。
こんなハードな状況にまだ十代である彼女が手を出そうなど……。
「黙りなさい!!」
教会の鐘のごとく凛とした大きな声だった。
途端に広場は水を打ったような静けさになる。
だが黙らない人間がいた。
父親だ。
彼はふーふーと荒い鼻息を出しながらリーリアに食って掛かる。
「お嬢ちゃん、まさか慈悲をかけてやってくれとでも頼み込むんじゃないだろうな? ええ? 殺しだぜ? うちの息子がやっちまったのは人殺しなんだぜ!! それでも許せってことか!?」
リーリアは毅然として首を横に振ると、城のバルコニーから民衆に演説をした時よろしく声を張り上げる。
「みんな、どうして冷静になれないのでしょうか。人殺しには死罪、確かに妥当でしょう。しかし何かすとんと腑に落ちないものがあるのではないでしょうか。この父親の男性を見てください。これは本当に親として正しい態度だと言えますか?」
群衆はぼそぼそと互いに口を交わし始める。
疑問、肯定、否定、あらゆる小議論が為され始める。
しかしそんな雰囲気を破るものがあった。
「人の気も知らねえで!!」
また、父親だった。
「盗みなら俺も頭を下げて一緒に謝っただろう。人様にけがをさせたんなら俺もこのくらいぶん殴って終わりにしただろう。だが、殺しだぜ!? いったいどう詫びればいいっていうんだ!! 死ぬしかないんだよこいつは!! 俺の気持ちがわかるか!? 息子が死ななきゃならねえ状況に放り込まれた俺の気持ちがよぉ!」
アダムは口をぎゅっと結んで考える。
姫様はどう決着をつけるつもりなのか……と。
また、雅なるも雄々しさをはらむ声が響き渡る。
「それが人の親としての態度ですか。これから述べることは邪推かもしれません。しかしよくお聞きなさい。本当に今から言うことがあなたの心にないか……」
輪になった民も、アダムも、老女も、倒れ伏した若者も、今度こそは父親も、黙って耳を傾けるのだった。
「あなたは自分の身に降りかかった『人殺しの親になってしまった重荷』に耐えきれなかったのです。そして、その重荷を共に分かち合わなければならなかったはずの息子さんを抹消することで重荷から逃げようとした。つまり、わが身可愛さに自分の息子の命を差し出した親失格の人間です!」
しん、と場が鎮まる。
しかし父親も黙ってはいない。
「そんなわけあるか! 誰に聞いても言うぜ!? とにかく何が何でも人を無碍に殺したら死ななきゃならねえんだ! そうだろう! みんな!」
消極的肯定、そんな空気が皆の間に流れ始める。
しかし少女の言葉が再度それを破砕する。
「何ゆえ親は当事者でもないのに子の罪を共に背負わねばならないのでしょう。それは愛する者の罪を共にすることこそ人間の美しさだとみな知っているからです。あなたは一度でも子と共に罪を償おうとしましたか? 子供に死の贖罪を一方的に押し付けることで責任から逃れようとした卑怯さが本当になかったと心から言えますか!?」
「黙りやがれ!!」
父親は立ち上がるとリーリアに襲い掛からんとダッと走り寄る。
その瞬間、アダムがつかみかかったかと思うと腰を支点に大柄な彼を一回転させ地面にたたきつけ、抑え込む。
ぐへぇっとうめき声を上げた父親だったが、けがはしていなかった。
勇者にのしかかられつつもバタバタと暴れる。
幾らリーリアに危険が迫っていたとはいえ、丸腰の人間に剣を抜くような軽率は控えたのだった・
「だったら俺はどうすりゃいいんだ! 俺も一緒に人殺しの咎を背負う!? できるわけねえ! 俺はそんなに人間できてねえんだよ!!」
リーリアは足元に転がされた父親に向けて侮蔑と憐憫のないまぜになったまなざしを投げかける。
これが市井の人間か……。
彼女は半ば絶望したような気持で本来自らが統治すべき民を眺めた。
彼らを教え導くという、本来の立場的には真っ当なるも傲慢な考えが頭をもたげてきた。
目を閉じてそんな考えを圧殺する。
彼らと共に歩むことこそが王族の本懐なのだ、と。
「待っとくれよ!」
老女だった。
「そんなものを見せないでおくれ! あんたも人の親なら、その子が本当に大切なら、それらしく振る舞っておくれよ! あんたがしていることは一つも美しくないよ! あんたがしていることは……私の可愛い息子だけじゃなくあたしにもナイフを刺しているようなものなんだよ……。もういい、もう死で償えなんて言わないから、頼むからこれ以上醜いものを見せないでおくれ……」
おーんおんと泣き始めた彼女の声に毒気を抜かれた群衆はぽつりぽつりといなくなっていく。
父親が抵抗をあきらめたようなのでアダムは用心しつつ拘束を解く。
やがて広場には青年の遺体とその傍で泣く老女、へたりこむ父親、仰向けになったままの若者だけになった。
リーリアは若者に近づいて言う。
「さあ、立てますか? これからのあなたの人生は辛いものになるでしょう。長い贖罪の人生です。でも大丈夫。あなたのお父さんが一緒になって重荷を背負ってくれるんですから。二人でならきっと生きられます」
彼女がその言葉を放った瞬間、父親も大声で泣き始めた。
老女と大男の泣き声が響き渡る中、若者はむっくり起き上がると泥だらけの顔に涙を一筋流した。
「さて、行きましょうか。もう彼ら自身が物語を進めるしかありません。部外者の私たちにできることはもうありません」
「ええ……」
アダムは感動していた。
まさか姫がここまで成熟した心を発露させ、こんなことをやってのけるとは。
謁見の間で膝をつきながら、あるいは王城の庭でほんの少し語らったことしかないこの少女の内面に隠された宝石にただただ驚くしかなかった。
それにしても父親を地面に抑えつけた時に付いた泥をどうにかしなければなあ、と思いながらリーリアと共に今夜の宿を探し始めるのだった。
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