第十九話 元姫は神と出会う(2)
広場に再度戻る。
群衆は何事かと様子を見に再度集まってくる。
今度彼らが見ることになるのは演説するリーリアの姿ではなく彼らの戦士とアダムとの決闘になるのだ。
血の沸き立つような見世物が見られるとわかると皆我先に二人を囲む輪の最前列へと位置取ろうとする。
今度は若者も年長者も一緒になって興奮気味なるもおとなしく事態を見守る。
――現金なものだ。
血なまぐさいものが見られると分かったら対立も忘れてしまうとは。
アダムは少し呆れる。
だが人間も魔族もこういうものかもしれないのだった。
「アダム、分かっていますね?」
リーリアの声が背中にかかる。
無論、彼は了解している。
殺さずに、である。
しかし今回は……難しいかもしれないのだった。
「強そうだねえ。これは骨が折れる……」
壮年の犬人は不敵な笑みを見せる。
この男もまたの女戦士と同様、体験を貪る者なのだろう。
だがその精神をさらに信仰心で包んでいる彼はより厄介だ。
おそらく彼は自惚れることなく、神にその身を捧げるために研鑽を怠っていないのだろう。
いつ死んでもいいとのたまっていたあの女とはそこが違うはずだった。
手強い。
アダムは最大限の警戒をすると共にリーリアの命令を破る覚悟、すなわち、殺す覚悟を決めるのだった。
群衆が彼らの仲間を応援する声が響く完全なアウェーの環境の中、アダムは構える。
右雄牛の構え――両手を交差させ、柄を側頭部に引き付け、剣を水平に敵の方へ向ける構え――をとる。
対する獣人は突きの構え――日本剣術の正眼の構えからさらにスタンスを大きくとったもの――だ。
獣人の眼光と彼の剣の切っ先が同じ点に重なり、見ているだけで吸い込まれるような威圧感をもってアダムを射抜いていた。
獣人の方がやや優勢、4分6でアダムに不利と言えよう。
睨みあう両者。
アダムはスーッと剣を水平そのままに胸元へと下ろしていく。鍵の構え。相手の剣を鍵を使うようにこじ開け、その奥の体に切っ先を突き立てるための構えだ。
――これで五分。
アダムは戦況の拮抗を確信する。
しかし、アダムが構えを変えた途端それに相手が反応した。
上体を数センチ傾けたのだ。
これでアダムの有利は確実ではなくなる。
相手を一撃で殺傷しうる武器での戦いは本来瞬時に終わるもの。
故に真剣勝負であればあるほど両者とも手を出しにくくなる。
一つ間違えば全てが終わりなのだ。
自然、慎重に間合いを測る読み合いが勝負の主軸となる。
今、アダムは押されていた。
間合いの競り合い、空間の奪い合いこそが有利不利を決定づける要因である以上、構えの転換の隙に相手が重心を少しでもこちらへ持ってきたのはまずい状況だ。
負けじとアダムもズリリと摺り足で前へ出る。
しかし、それ以上に前に出てくる犬人だった。
今度は一歩前へ――。
アダムの首筋は冷や汗を帯び始める。
まずい。
負けるかもしれない。
それほどに彼の者は上手であった。
どうやっても向こうのほうが間合い管理がうまい。
まだ二歩の距離がある今のうちに攻撃魔法でカタをつけようか、いや……。
呪文詠唱を始めた瞬間首に剣が食い込む未来が見えた。
剣で受けて立つしかないのだった。
汗が一筋、アダムの顔を流れ、地面へと落ちていった。
壮年の犬人は余裕の表情だ。
さらに接近してくる。
もうアダムが思い描いていた、踏み込んで剣をくぐり肩口を突くプランでは攻撃が難しい間合いだった。
防御しかできまい。
だとすれば今の構えは不利で……。
もう一度構えの変更を……。
しかし、それを許してくれるはずもない。
だとすれば……。
ええい、仕方ない。
させられる感が強いが行くしかない。
アダムは膝の力を抜きつつ足を縮め、その反動をもって自由落下以上の速度で体を沈降させる。
そのエネルギーを前足と後ろ足の入れ替え、体の転回により前方への推進力に転換、瞬時にトップスピードで間合いを詰める。
後ろ足を前に出して一歩踏み込み、剣と剣が触れ合う距離。
アダムは両手を前に出し、長剣の突きの一撃を繰り出す。
相手が反応する。
前に出した剣でアダムの攻撃を払い、そのまま彼の顔を突き刺さんと剣を出す。
アダムは膝の操作で身を沈ませ頭の皮一枚を犠牲にそれを回避。
剣を持つ手に力を抜き、狙うは小手だ。
指を落として決着を……。
しかし、獣人は超人的反応速度で長剣から片手を離し、アダムの会心の一撃を避けた。
そして急降下する鳥が地面スレスレで上昇に転じるように、剣を神速の折り返しでもって自分の頭上へ持っていくとアダムの脳天目掛けて振り下ろす。
人間とは異質の、獣人の剛力に裏打ちされた圧倒的速度の振り。
キーン。
金属音。
アダムもまた人ならぬ速さで剣を返し相手の一撃を防いだのだ。
再度同じ攻撃が彼に加えられる。
キーン。
再度の金属音。
キーン、キーン、と連続していく。
やがて獣人の連撃には変化が加わり始め……。
上段、横薙ぎ、袈裟、逆袈裟、下段跳ね上がり……。
その度に金属音が辺りに響き渡る。
アダムは超速攻の鉄の嵐に自らの体を、腕を、体捌きを、剣を合わせていく。
瞬きする暇すらない、剣筋を見切るのにコンマ数秒の余裕もない、攻防。
上段、袈裟、下段、横薙ぎ、突き。
上、横、右、中心、横、横、下。
やがてアダムの中で相手の剣筋は方向も速度も失い、ただ反応の誘発剤としての存在でしかなくなっていく。
線、線、線、線、線……。
縦横に走るそれを反射神経だけで受ける。
尋常の精神では続かない。
とっくに理性は吹き飛び気を失っているかのような精神状態の元、戦闘への反応だけが自由自在に存在を主張していた。
観衆は目でとらえられる速度を超えた戦闘スピードにすでについていけなくなっている。
聞こえるのはデタラメなリズムで響く、剣を打ち合わせる金属音のみ。
超一流の戦士同士の伝説に残されるべき戦いを、素人の誰が理解できただろうか。
壮年の獣人戦士は心の底から驚愕していた。
本来チャンバラ勝負など三合も剣をぶつけあわせればそれで終わり、必ずやどちらかが戦闘不能になっているのが常。
しかしこの戦いたるやどうだろう。
十、二十、五十……あるいは、百。
無数の剣のぶつかり合いを経てなおどちらも致命傷を負っていない。
異常事態だった。
アダムは防戦一方とはいえ、頭皮を裂かれた以外はかすり傷しか負っていない。
犬人は攻めきれないでいた。
ある一瞬、両者ともに同時に致命傷を与え得る体勢に陥る。
自然、手が止まり、二人とも同じように飛び退いて距離を取った。
二つの荒い息が広場に満ちた。
百人に達する群衆の誰も、息を殺していたからだ。
ふう、とそれが破られ、百のため息が聞こえた。
見るものすら息もつけない戦いだった。
「フハハハハハハ!」
突然、笑い声が響く。
壮年の獣人が上げたものだった。
「嬉しいぞ!これほどまでに心躍る戦いは生まれて初めてだよ」
アダムは呼吸を整えつつ狂った獣人の方に殺気を孕んだ目線を向け続ける。
リーリアは落ち着いたものだ。
彼女は戦闘のことなど皆目わからなかったが、彼女の勇者の勝利だけは確信していたのだ。
アダムの頭から流れる血がポタリポタリと地面に赤い染みを作った。
頭の傷はかなり深い。
早く処置しなければ行動に支障を来すかもしれない。
だが相手は回復魔法を使う隙を与えてくれそうにもなかった。
――時間がない。
アダムは焦り始めた。
「そこまでです」
リーリアの声。
観衆も、長も、剣を向け合う二人も、彼女の方を見る。
もっとも、アダムと壮年の犬人は互いに警戒の気を飛ばし合うことをやめなかったが。
「これ以上はどちらかが命を落とすでしょう。あまりに無益です。そうは思いませんか?」
壮年の犬人か剣の構えを崩さずに、
「自分の従者の旗色が悪くなったから引っ込めると?なるほど。じゃあ引き下がってくれるんだな?」
「いいえ、引き下がりません。私は洞窟に行きます。あなた方の大事な神様にお会いさせていただきます」
「なんだと!」
彼は今にもリーリアに斬りかからんばかりの勢いだ。
アダムは女戦士との戦いの時にそうしたように即時転送魔法の準備に入る。
リーリアは話を繋げていく。
「自分たちの神聖な領域によそ者を入れたくない。至極まっとうな考え方です。しかし今、その神聖な存在を巡って集落が二分される騒ぎとなっている。これは悲しむべきことです。こんな状況だからこそ、問題を解決できるのはよそ者である私たちだとは思いませんか?」
「詭弁だ!」
息巻く獣人は叫ぶ。
リーリアは臆さない。
「ではどうするというのです?このまま対立が深まり、いつか神聖な場所が自分たちの同胞の手で決定的に犯される危険性を増大させようとでも?」
「信心のない犬人を全員殺せばいい。簡単だ。今からでもやってやる」
ざわざわという声が広場に満ちた。
この男ならやりかねない、いや、力量的にできてしまう。
辺りは恐慌寸前の雰囲気が漂い始める。
その時だった。
長の持つ剣が壮年の犬人の体を背後から突き刺したのは。
苦悶の叫び声をあげる彼だった。
「ぐあ……ッ!? な、なぜだ……」
「お前はあまりにも極端なんだ、許してくれ、許せ……」
「あ……に、兄さん、あんたに殺られるなんて……」
倒れる壮年の犬人だった。
それっきり、起き上がることはなかった。
アダムもリーリアも、集まった集落の人間たちも言葉なく、ただ立ち尽くすだけだった。




