第十五話 元姫は伝統のあるべき姿を語る(3)
「あなたたちはそれでいいのですか?」
次の日の朝、姫は再度ゴブリンを集めて言うのだった。
「本当の気持ちを教えてください、子殺しに対する本当の気持ちを」
ガヤガヤと騒いでいたゴブリン達は静かになってしまう。
誰も答える者はいなかった。
村長以外は。
「長く続く伝統に関して我々は何か考えを及ぼしたりしませんのです。子殺しは我々の生活に根差した文化です。変えようなどとは考えようもございません。貴い我らのアイデンティティです」
リーリアは意を決してという風に述べる。
「その貴い文化が300年前にドラゴン青の鱗によって作り出されたものだったとしてもですか?」
ざわめきが起こる。
みなそんなことは思ってもみなかったようだった。
思ってもみなかったのはアダムもそうだった。
まさかリーリア姫が真実を明かしてしまうなんて。
村長が前に歩み出る。
「あなたは我々にどうしてほしいのですかな?」
「私は……」
一晩でまとめた考えを頭の中でわかるようにかみ砕く。
「私はただあなた方に考えてほしいのです。伝統の本質を忘却し、ただそれが長く行われているからという理由で何の疑問もなく続ける。伝統だからの一言で。本当にそれでいいのですか?」
その時だった。
高空から金属同士を擦らせるような声が響いたのは。
彼だった。
青の鱗だった。
砂煙が上がる。
甚大な揚力を生み出す巨大な翼がはためき、その度に突風が巻き起こる。
ゴブリンたちはみなひれ伏した。
彼らの神が登場したのだ。
「おお、貴き我らが神よ……」
轟音と砂煙の中、村長がかろうじて周りの音に負けぬ声で口上を述べた。
ふわり、と到着の大騒ぎとはうって変わって静かな様子で着地する青の鱗だった。
「我は今日ここに語り合うために来た」
獣の上げる金属音としか言いようのない声。
「人の子らよ。お前たちは私の可愛い民をたぶらかそうとしているな?」
「そんな! 滅相もないことです」
リーリアは侮辱されたととったのか、強い調子だ。
青の鱗はドラゴン流の炎の吐息を混じらせた笑い声を上げる。
「我にはそうとしか見えんぞ? 土台こいつらに何かを考えさせようなどと無理な事なのだ」
憐れみをもってゴブリンたちを見やる。
「半ば上から押さえつけるように、『伝統』の名のもとに規範を植え付けねばならないのだよ」
リーリアはそれを聞き、一つの疑問を投げかける。
「あなたは彼らの王ですか?」
青の鱗にとっては意外な質問だったようだ。
首を引いてそんな感情表現をする。
「我は神とも呼ばれる。王のようなものだ。それがどうかしたか?」
「王ならば、悪しき伝統をどうにかしようと努力すべきではないのですか?」
青いドラゴンはフーっと息をついた。
炎の粉が一緒に噴出されてリーリアの周囲に舞った。
「君たちは何様だね? 最初は我を討伐できる気で来たし、今は我を恐れずにそんな提案をする。言ったではないか、間引きは平和のために必要なのだと。忘れてしまうほど愚かではあるまい」
「それでもです」
リーリアは強く答える。
「残酷な現状に満足せず、他の道を探るのが王の務めではないでしょうか」
「お前は何様だ!!」
ついに青の鱗は怒りをあらわにした。
羽をはばたかせ口から熱風がこぼれる。
リーリアの身体を熱い風が通り抜ける。
火口のそばのごとく、熱せられた空気に包まれるリーリアだった。
アダムはハラハラしながら見守る。
今にも飛び出して障壁魔法で姫の身を守りたい、そう思うのだった。
リーリアが次に口にするは覚悟の言葉。
「私はリーリア! 王国の姫です。もはや共和国となった私の国ではありますが、王族としての矜持は捨てていません。私は王族としてあなたと対等に話をします!」
青の鱗が怒りの矛を収め、熱風がおさまった。
すべて合点がいった、という風であった。
何か思案顔である。
ゴブリンたちは口々に話をしている。
あれが人間たちの姫か、まだ生きていたとは、じゃあそれに付き従うあの男は……?
「なるほどなるほど。姫と勇者というわけか」
青の鱗にはすべて分かった様だった。
「なら納得がいく。我を討伐しようとしたことも……それが勇者の習いという物だからなあ」
ドラゴンの瞳がアダムを射抜く。
普通の人間なら飛び上がるような威圧感を孕むその眼光を元勇者は平然と受け止める。
「魔王討伐という大義をなくしたお前は私という明確な悪を得てそこに飛びついた。正義を成したくて堪らない醜い人間ということだ」
「何……っ!」
アダムは憤慨するが、リーリアの上げた手に制される。
「どうか挑発はおやめください。私たちはお話をしているのです」
「答えの出た結論を蒸し返そうというのが君の言う話なのかね?」
間引きによる平和……。
一点の隙もない、仕方のない風習。
「ゴブリンたちが伝統と呼んでけなげにも守るもの、あなたが仕方ないとしてゴブリンたちに課した運命、どちらも……絶対ではありません」
ドラゴンも、ゴブリンも黙って耳を傾けることにしたようだ。
「あなたは何百年も生きていながらなぜ結論を急ぐのでしょう。安易な手段で満足するのでしょう。いいではないですか、ゴブリンたちの数が増えたって。それを戦争に発展させない方法は他にもあるはずです」
青の鱗は炎をちょろっと吐いて言葉を返す。
「ほう、それは例えばどんな?」
「それは……」
リーリアは言葉に詰まってしまう。
望まれていたのは夢想の倫理的解決ではなく実際の政治的解決だった。
それはまだ彼女には欠けていた。
アダムの出番だった。
「移民させるというのはどうだ?」
皆の目がアダムを向く。
「あぶれてしまった若者のエネルギーを戦争ではなく対外政策に向けるんだ。人間の国は戦争による疲弊で慢性的労働力不足だ。きっと受け入れてくれる」
「それに付随して起こる数多の問題は? 我の頭なら千は思いつくぞ」
「それでも血を流す停滞よりは良いのです」
リーリアが話を受け継いだ。
「どうして目先の安定だけで明日のその先を見ないのですか? 伝統伝統と言いますが、時にそれは近視眼的になってしまうものです。伝統は未来の事象までは包含できないのですよ。伝統は変えてもいいのです。それが未来につながるならば。熟慮の末に……」
「愚かな!」
ゴブリンの村長の声が響く。
意外な声にリーリアははっとしてそちらを向く。
「伝統が如何に特別かわかっていないようだな、伝統は人知を越えたものだ! 一世代の愚考で変えていいものではない!」
「この伝統がたった一人の考えで生まれたものであってもですか?」
村長は今日初めて知ったその事実にうろたえを見せるもすぐに気を取り直して答える。
「それでも300年続いてきたのだ! 自然にできた伝統に劣るものではない!」
「私がしているのはそういう話ではありませんよ」
リーリアは窘めるように言う。
「どんな成立過程をもつ伝統であっても、どんなに長く続いてきた風習であっても、それが悪習であるのなら捨て去るべきなのです。この伝統を捨てることで開ける未来があるのなら、やってみるべきなのです。そうは思いませんか? 300年をゴブリンの平和に捧げた徳高きドラゴン、青の鱗の方よ」
くっくっく、と青の鱗がさもおかしそうに笑った。
「おもしろい姫様だな、リーリア姫よ。よくぞ言うものだ。いいだろう。我がこの者たちの知恵となってやる。移民政策、なかなかおもしろいぞ。また新たな問題を生じさせるだろうが、それでも子殺しをする今よりはましだというのだな? いいだろう。すぐには無理でも、この案を検討にかけ、前向きに動いていくことにしよう」
その言には誠実さが見て取れ得た。
このドラゴン生来の徳なのだろう。
リーリアは笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「いや礼には及ばぬ。我がこの者たちとお前たちを見て勝手に決めたことだ」
そういうと岩山へと飛び去って行くのだった。
それから何日かの逗留の間、子殺しは一度も行われなかった。
数日後、二人は魔界の奥地を目指して出発する。
カタカタと馬車の車輪を鳴らして。
「あれでよかったのでしょうか」
リーリアが憮然とした様子で問いかける。
居住まいはただしていても、いつもの威厳は消えかかっている。
今回の解決が本当に正しかったのか自信がないようだ。
アダムが答える。
「我々は彼らの運命をどちらかに転がしてしまいましたね。いい方か、悪い方に」
「悪い方だったらどうしましょう」
アダムは御者席から幌の中を振り向くと安心させるように言った。
「我々にも責任がありますね、そうなったら。でも選び取ったのはあのドラゴンとゴブリンたちです。結局、彼らの運命に他ならないのですよ。我々が負えるものは少ないんです。いや、でも今頃、やっぱり今のままがいいと間引き策を続けているかも……」
そこまで言って失言だったと気づく。
それでは何の意味もないではないか。
それでもリーリアは微笑んだ。
「すべては彼らの意思のままに、ですね。我々よそものは常におせっかい焼きです。それでも責任はあるのですから……姫の立場に戻れたら、またあの町を視察しましょう。いい方に行ってくれているといいのですが」
二人は心配顔のまま長い旅を続ける……ことになるはずであった。
突然目の前が砂嵐になる。
これは……。
「姫よ、勇者よ」
青の鱗だった。
甚大な風と共に降り立つ、
なにか忘れ物でも届けに来てくれたのだろうか。
二人は不思議に思った。
「あなた方は二人とも魔王城へ向かうのだろう?」
「なぜわかったんです?」
アダムが素っ頓狂な声を上げる。
驚くのも無理ないことだった。
青の鱗はおかしそうに笑う。
「姫と勇者が目指す場所というのはそこしかないではないか。まあ、どこであろうと構わないのだが。我の背に乗せて行ってやる。これは手向けのようなものだ」
二人の顔がパッと明るくなった。
その旅は得も言われぬ楽しさだった。
眼下に小さく見える魔界の風景に二人は童心に帰って感動を表現した。
そしてついに目的地に着いたのだった。
眼下に魔王城を包する岩山が見えてきた。
「我の背から降りてお出ましになったとあらば、きっと魔王への謁見も許されよう」
ずっとドラゴンの背で考えていた。
魔王城へ行って魔王に会い、どうするのかと。
話し合い、討つ、今の世界の有様について議論する……様々なことが考えられた。
考える時間は、足りなかった。
二人は何も決まらないまま魔王城に降り立ったのだった。




