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第十話 元勇者は賢者に回答する

 二人はその夜賢者からいろいろなことを聞いた。

 ヴォルフガングがもはや名ばかりの君主であること、共和制政府が矛盾なく政権運営を果たせそうなこと、つまり、自分たちの存在の意味が完全に消失していることを。

 リーリアはジーベルの家に一つしかない寝床で、アダムはテーブルを片付けて敷いた毛布の上で、それぞれ今日聞いた言葉を反芻するのだった。

 状況はますます自分たちの存在を無意味なものする方向に行っている。

 二人にはどうすればいいかなどもう全く分からないのだった。


 次の日、元勇者はまだジーベルと話し込みたいと言うリーリアを残して町へ繰り出す。

 酒場へ行くのだ。

 寂れた裏通りから適当な店を選び扉をくぐる。

 料理と酒の匂いが肺に飛び込んでくる。

 早々と席に着くも、そうして初めて気づいたことがある。

 本当に無作為に選んだのだったが、そこは人間だけが使う店だった。

 なるほどと勇者は思う。

 いくら融和が進んでいるとはいえ、気心の知れた仲の同族同士でないと落ち着けないこともあるというわけか。

 だがそんなことでいちいち驚くものではない。

 驚くべきは次の出来事であった。


「魔族に死を! 魔王に鉄槌を!」


 そう言って客たちは乾杯すると酒をごくごくとあおるのだった。


「な、なあ、あんた」


 びっくりしたアダムは恐る恐ると言った風でカウンターの隣の席の男に話しかける。


「自分は流れ者だからよく事情を知らないんだが、こういう乾杯の音頭はよくあるのか?」


 話しかけられた男は目を見開くと意外という顔で答える。


「当たり前じゃねえか。あの臭い魔族どもとよろしくやってる連中だって本心ではこう思ってるぜ! あんただってそうだろ? 違うとでもいうのか?」


 店の人間の視線が新顔のアダムに集中する。

 その雰囲気にのまれつつも本心を答える元勇者。


「いや……俺も魔王は討たなければと思っているよ」


 言うが早いか、隣の男にがっしりと肩を掴まれた。


「同志よ」


 それ以降は打ち解けた雰囲気で、魔族がどうとかの話は一切なかった。

 だがアダムは敢えてそこに突っ込んでみる。

 

「自分は大分前から魔界を旅して……その……化け物を退治していたんだが、情勢に疎くてな。ここではみんな魔王を憎んでいるのか?」


 それはドラゴンや知能を持たない大型のデーモンを討伐していたという意味だが、違う風に取られたらしい。


「そいつぁ最高だ! 奴らを狩っていただなんて、我ら人間の英雄じゃないか。まるで勇者だ! はっはっは」


 アダムはぎくりとする。

 どうやら本当の勇者だとばれたわけではないようだ。

 アダムは魔界では主に魔族の住む街を避け、魔族ら自身ですら近づかない山野を旅していた。

 魔界の最奥にある魔王の王城を目指して。

 決して魔族をいたずらに殺して回っていたわけではない。

 魔族とて人間と変わらぬ、感情と知性を持った存在だ。

 魔王配下の兵たちを返り討ちにするくらいだった。

 もっとも、それすらも魔王を倒すという大義の炎が消えかかった今では無駄な殺しだったのかもしれないが。


「しかしあの勇者の件は残念だったなあ」

 

 アダムは聞き入る。

 

「魔王討伐の最前線という正義の本義にいたはずの人間が今じゃかつての姫と一緒に国賊だからなあ。時代はどんどん悪い方に向かってるぜ」

「それはどういうことでしょう」

「ええ? あんた知らないのか? 勇者はまだ魔王の首を狙ってるって話だぜ。講和が成立した今じゃご法度だってんで国民軍は総力を挙げて追ってるって話だ」


 絶句し項垂れる。

 そんな話になっているとは。


「しかしどうしてこうなっちまうのかねえ。魔王を倒してくれた方が世の中良くなるってのに」

「そういうものでしょうか」


 アダムは顔を上げて聞き返した。

 隣の男はさも当然と言った風で答える。


「そりゃそうだろう。何せ俺ら人間を虐殺しまくった戦争犯罪人だからな。とにかく断罪されるべき犯罪者なんだよ」

「なる……ほど」


 犯罪者だから……。

 元勇者は唐突にその手にバトンを渡された気分であった。

 しかしもちろんいきなり飛び上がって喜んだりはしない。

 むしろ頭は冷えていく。

 ――だから何だというんだ?

 たとえ魔王に何らかの責任があり、それを追求しようとしても結局世の平穏を乱すことになるのは確実だ。

 人間である彼が魔王を討つ限り、それは魔族の大反発を生み、再び世を戦火に巻き込むだろう。

 突然手に入れた大義のピースに一喜一憂してはいけない。

 しかし貴重な収穫だった。

 民は魔王の処断を望んでいる……。

 そこにこそ自分の役目の残り火があるように思えてならなかった。


 ジーベルの庵ではリーリアが待っていた。


「アダム、遅かったのですね。今までジーベル先生に話を伺っていたところです」


 大分飲んだのにまったく酔っていない様子の、事実ほとんど酔っていない彼は頷くとジーベルやリーリアと共に席に着く。

 昨日の問いへの答えを見せねばならない。


「その様子ではなにか気付きがあったようですな」

「賢者ジーベル、お聞きしたい」

「ええ、何でもどうぞ」


 アダムの問いかけに快く応じる老人だった。


「魔王が人間から恨まれているのはこの町に限ったことではないのですか? これだけ融和が進んだこの町でも魔王や魔族への憎しみは見て取れました。いわんや他の町では……」


 ジーベルはその言葉に少々黙考し、答える。


「宣伝が原因ですね」


 その言葉は少し意外だった。

 リーリアもどういう意味か分からない様子だ。


「戦時中、ヴォルフガングの人となりは過剰に貶められる形で王国内でプロパガンダが流布されたのです。今では市井の人間は実際の彼がどうあろうと卑劣で邪悪な存在だと信じております。実際は人間の王室と何ら変わりない、真っ当な統治者だったのですが」


 賢者は最後に「そういうプロパガンダの最も大きな成果が勇者という存在を人々の心根に根付かせたことである」とも言った。

 つまり自分は哀れなピエロというわけか――。

 勇者は軽いめまいを覚える。

 それでもめげずに会話を続ける。


「しかし私は、すでに人心に芽吹き、大樹にまで育った魔王への憎しみを見てまいりました。あれが人々の共通の認識だとするなら、決して魔王を信頼したりはしないでしょう」

「だからこそ魔王は一線を退き、議会にすべてを任せるようになったのです。そういう政変があれば最低限、人間も講和に応じるだろうと。王国は王国で、あくまで魔王討伐にこだわりいたずらに戦火を長引かせる王室を排除し、共和国になる必要性があったのですが」


 二人は自分たちが完全に「要らない者」であった事を知り、愕然とする。

 リーリアはこれまでの人を導くような強いまなざしを忘れ、すがるような目つきで元勇者を見た。

 元勇者は……勇者として、それでも答えるのだ。

 自分の中の回答を見せる時だ。


「賢者殿」


 ジーベルは身を乗り出して肘をテーブルに乗せる。

 やっと実のある話が聞けそうだと思ったのだ。


「それでも、私は魔王討伐を続行したいと思います」


 リーリアは傍らに座るこの青年をじっと見据えていた。

 賢者は予想外の答えにもうろたえることなくそれはなぜですか、と問いかける。


「私は役割を見出したのです」


 とアダム。


「それは人々が不当に育てた魔王への憎しみを一心に肩代わりする仮初の役職です」

「それはどういうことですか?」


 賢者が問う。

 リーリアもわからない様子だ。

 アダムにも実際よくわかっていない。

 これまでのことを材料に、考えながらしゃべっている。

 用意された、借り物の言葉でないがゆえにそれはひどく拙く、回り道に何度も入り、同じ個所をグルグルした。

 かいつまんで言えばこうだった。


「わだかまってしまった憎しみは簡単には消せないものです。魔王を討てとの声は少なくとも私たちの世代では消えることはないでしょう。いくら魔王の本質を語ろうとも、それが信じてもらえないのなら仕方ない。人々があくまで生活の不満を魔王に還元しようとするなら、自分はそれを討とうとする姿勢を見せ続けるべきなのです。意識改革が進み民が真の意味で魔王への憎しみを忘れるその日まで」


 ジーベルは結論が出るまでじっと聞き入っていた。

 アダムが言い終えるとスーッと息を吸い、目を閉じて考える。

 自慢だろう長い白髭をいじるような落ち着かなさも見せなければ、体をゆするようなしぐさも見せなかった。

 ふーっとゆっくり息を吐きながら目を見開く。


「それで……。その間はどうするのですか? 魔王を討つ気がないのに人々に夢を与え続ける気ですか。無意味な夢を」

「それで人々の気持ちが治まるなら」

「愚かな……」


 ジーベルはまた目を閉じて何事か考えている。

 愚か。

 確かにそう言った。

 勇者は賢者の御眼鏡にかなわなかったことに少なからず落胆する。

 しばらくの沈黙の後、ジーベルが言う。


「まあいいでしょう。それでやってみるといいではないですか。実際に魔王を討たず、他者の軽挙妄動を慎ませるのであれば取り返しのつく話です。勇者の代わりに盲目的に魔王を討とうとする試みは幾度も立案されていると聞きます。悲しいことです。それらを鎮静化させる。あなたのそれもそのための一つの方策かもしれません」


 まあ、自分の古びた使命に無理やり延命策を講じた、という感は否めませんが……と皮肉めいた口調で続ける賢者であった。


 もう要らないからとジーベルから譲り受けた荷馬車――まさかそんなものをくれるとは二人も思わなかった――に乗りながら町から出るためメインストリートを抜けていく。

 これから向かうのは魔族の世界。

 追手を撒くためだ。

 他に当てはない。

 この旅はだんだんと目的に達するというものではないのだ。

 ただなにか方策を見つけ出すために当て所もなく漂泊するしかない。

 先ほど述べた勇者という存在を魔王討伐の最後にして唯一の錦の旗として喧伝するという方策もリーリアの安全を確保した後でないとおぼつかない。

 アダムを偶像化してしまえば必然、追われる立場のリーリアにも危険が及ぶのだ。

 まずは元姫を姫の立場に戻すことが先決だった。


「そういえば姫様」

「なんでしょう、勇者殿」


 御者席のアダムからは見えなかったが、荷台で物憂げな顔を浮かべていたリーリアだった。

 先ほどアダムがいない間にジーベルとした話が尾を引いているのだ。


「姫様は何かあの賢者を納得させられるような答えを見出せましたか?」


 無言でもって返答が返ってくる。

 そういうことだった。

 致し方ないことかもしれない。

 いくら聡明なリーリアとは言え、答を出せないこともある。

 しかしそれでも決意の言葉を口にするのだ。


「アダム」

「はい」

「私も、絶対にあなたのように自分の責務にきちんとした答えを出しますからね」

「はい。いつまでもお待ちしていますよ。あなた様が如何に考えようが、あなた様の向かう先は常に正しいのですから。これまでの旅と、私が補償いたします」

「ありがとう……。それとあなたの考え、素敵だと思いましたよ」


 しかし勇者の考えはこれまでとは違う結論を導き出してしまうのだ。

 つまり勇者の案は最終的に魔王を倒すことを目的としない、魔王を倒すことを条件とする姫との結婚をあきらめるものなのだ。


「私の考えのまま進むと、姫様と一緒にはなれませんね」

「そうですね」


 無感情な声色。

 後ろの荷台から聞こえる声からはリーリアの心は読み取れなかった。

 元勇者はできるだけ陽気に話しかける。


「もともとおかしな慣習だったのですよ。これまでは歴代の勇者が道半ばで倒れることで終わっていた話なのに。妙に勇者がもたつけば姫様は行き遅れてしまうだけですし。こういう状況なのですから縛りは少ない方がいいです」

「そうかもしれませんね」

「では、魔界へ向かいましょう。その後のことは向こうへ着いてからです」


 馬車はカタコトと車輪を回して道を進むのだった。

 その道が本当に前へ進む道かは誰も保証してくれないのだが。


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