サイバー・イン・サイダー 3
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「鍵丘鑑識課長はただいま捜査会議に出席中です。よって、会うことは出来ません。お引き取り下さい」
「会議が終わったら会えるんだな?」
「許可証が無い方は、一階の展示エリアと休憩室及びエントランス以外の入室は認められていません」
「……許可証があれば会えるんだな?」
「許可証の発行は特別な措置が無い限り認められません」
「だったら最初から入れないって言えよ!」
警視庁のエントランスで受付嬢とオシャレな格好をした女が揉めている。警備員が来る前に私が事を納めなければならない。週明けの仕事始めだというのにあいつは厄介事を躊躇なく持ち込んでくる。
「ちっ! これだから警察は気に入らないんだ」
と、毒島が受付から離れていく。諦めたのだろうか?
「ったく、生真面目に捜査会議なんかに出やがって……」
毒島は近くの喫煙所に歩を進めると、そのまま中に入って行った。後ろ姿を追いかける。
「白衣を着ていれば誤魔化せたかな――」
「警視庁の中には、そう簡単には入れませんよ」
と、私は喫煙所の外から不審者に声をかけた。不審者がタバコ片手に笑い返してくる。
「よぉ、鍵丘。随分と早かったな。今日の捜査会議はおサボりか?」
「どこかの誰かさんが私のことを呼んでいると部下に言われましてね。一警察官としては早急に対応にあたるべきだと思っただけですよ」
と、私は喫煙所の中に入る。副流煙は身体に悪いから浴びたくないが、この女にタバコを吸うなと言っても聞かないだろう。
「相変わらず真面目腐った態度だな。疲れるだろ?」
「いいえ、これが普通です。あなたも少しは口の利き方を見直したらどうですか」
「あたしが敬語なんか使ったら世も末だろうな」
と、毒島はタバコに火をつけて言った。
「そもそも、その格好はなんですか」
警視庁は迷彩柄の上着にケミカルウォッシュのデニムを着た女性が気軽に入っていいような場所じゃない。
「ああ、今日はデートだったからな。彼氏に白衣は止めろって言われてね」
彼氏と言われてある人の顔が私の頭に映り込む。
西上元警視。私が唯一憧れ、尊敬していた上司の名だ。私の憧れの人は毒花の香りに魅了され、警視庁から姿を消してしまった。憧れの人は私ではなく彼女を選んだ。私は……独り警視庁に残された。けれど、それで良かったのかもしれない。あの人が私の傍から居なくなったおかげで仕事一筋の真っ当な警察官になれた気がする。それも、もう昔の話だ。今更彼女に何を言ったところで何も変わらない。
私はあくまで鑑識課長として彼女と話す。昔のことを思い出したくないから。
「私をからかいに来たんですか? もし、そうならばあなたをここから追い出しますよ」
「仕事が彼氏じゃなかったのか」
と、毒島が悪戯小僧のような顔をしてくる。本当に何をしに来たんだこの厄介者は。
「西上元警視のことならもう割り切りました。そうですね、あなたの言う通り今の私は仕事が彼氏なのかもしれません。なので、仕事の所に戻っても良いですか?」
と、私は若干声を張り上げて言い返した。
「あたしも鑑識課に連れてってくれ」
「は?」
「今日はお前をからかいに来たわけじゃない。ケラ動事件の情報を得るために来た」
毒島の目つきが変わった。そうか、彼女は仕事をしに来たのか。
「最初からそう言って下さい。すぐに許可証を用意させますから」
「悪かった。先に仕事の話をしたら世間話ができないと思ってさ」
「あなたは……そういうところがあるからズルいって言われるんですよ」
私は赤くなった頬を隠しながら喫煙所を後にした。
エレベーター内で現在の捜査状況を毒島に説明する。
「ケラケラ生放送絞殺動画事件はメディアに大きく取り上げられました。事の発端となった殺人動画は、ツイッターやユーチューブなどのSNSによって拡散してしまっています。警視庁ではもっぱら動画の削除と模倣犯の警戒に追われていますよ」
「ケラケラ動画を使って公開処刑だもんな。メディアが喰い付くのもわかる」
「私の部署である警視庁鑑識課は総動員で事件の捜査及び収束に当たっています。ですが、手が足りていません」
私の部署は警視庁の三十階にある。毎朝階段を使って出勤してくるのは私ぐらいしかいない。三十階という階段の長さは朝のジョギングにもってこいなのである。
「お、それじゃああたしは鑑識課の皆さんに歓迎されちゃったりするのかね?」
「ビバリーヒルズに住んでる女優みたいな格好を何とかすれば一理ありますね」
エレベーターのドアが開く。目の前に広がるのは見慣れた鑑識課の風景。
「へぇ、鑑識課ってのは意外とハイテクなんだねぇ」
と、毒島が西上元警視の口調を真似ておどけて見せる。完全に私のことを煽っている。
「あ! 鍵丘課長!」
動画の解析をしていた部下の品森が私に気付いて声を上げる。私は毒島を連れて画像解析室へと入った。解析室の中では品森の他に二人の鑑識官が動画の解析を行っていた。
「そちらの方は?」
「探偵の毒島さんです。今回、捜査に協力してくれることになりました」
と、私は毒島のことを品森に紹介した。
「よろしく」
「よろしくお願いします」
と、毒島と品森が握手を交わす。その後、話題はすぐに事件の話に切り替わった。
「数時間前に都内の大型モニターで流された殺人動画はオリジナルじゃないんです」
品森がパソコンの画面を操作しながら説明する。
「やっぱりな。生放送にしちゃ画質が粗いと思ったんだ。となると、ビルのモニターに流れたのは殺人動画の再放送ってとこか」
「さすが、鋭いですね。実際に殺人動画のケラケラ生放送が配信されたのは三日前の朝七時頃」
と、品森が動画の右下にある時刻表示をズームして表示する。
「ほら、きっかり七時です」
動画の右下には2016/07/02 07:00:00という数字が並んでいた。
「例の動画は、犯人が被害者の死体を部屋から引きづり出したところで終わってる。被害者の遺体は見つかったのか?」
「それに関しては私が」
と、私は捜査一課から貰った捜査資料を読み上げた。
「動画が配信された翌日、茎島湾の海底で発見されました。見つけたのは、海浜大学茎島校舎のスキューバダイビングサークルの大学生達です」
「被害所の身元は?」
「被害者の名前は炭田雷人。株式会社パラレルジョイの開発部長で茎島郊外のアパートに独りで暮らしていたようですね」
「茎島? 随分と遠いな。たしか、パラレルジョイの本社は都心のど真ん中だろ?」
「被害者は都会に住むのが嫌で、本社から遠く離れた茎島のアパートを借りて暮らしていたという記録が残っています。わざわざ片道二時間かけて通勤していたそうです」
「そこが、今回の事件の重要なポイントなんですよ」
品森が少々興奮気味に口を挟んできた。
「この事件の犯人は社内の人間である可能性が極めて高いんです。この動画の題名からもそのことが見て取れます」
「うるさい上司の殺し方……確かに、社内トラブルを予見させるタイトルだな」
「しかも、犯行時刻にパラレルジョイの全部門のPCが犯人によってハッキングされています。ウイルスの種類は強制的に動画を再生させるもの。もちろん、再生された動画はケラケラ生放送」
「犯行の瞬間をより多くの人に目撃させる必要があったってことか」
「大型モニターに映された動画は株式会社パラレルジョイのPCから盗まれた物だということもわかっています。このことからも、犯人は会社に太い繋がりがある人物であることがわかります」
「そして、犯行時刻に社内にいた人物は犯人ではないということです」
私は品森の話に続けて補足説明した。毒島が渋い顔をして応える。
「あー……なんだ、もうちょっとわかりやすく説明して欲しい」
「今回の事件は非常に複雑です。そうですね、ホワイトボードを使って説明しましょう」
と、私は画像解析室のホワイトボードの前に立ち、サインペンを手に取った。
「まず、7月2日の朝7時。殺人動画がケラケラ生放送のサイト上にアップされました。株式会社パラレルジョイの社内PCがハッキングされたのもこの時刻です」
7:00 殺人動画放送開始・パラレルジョイのPCがハッキングされる
「次に、午前7時8分。殺人動画の生放送が終了します。これは、犯人による被害者の殺害が終了したことを意味します」
7:00 殺人動画放送開始・パラレルジョイのPCがハッキングされる
7:08 殺人動画放送終了
「さらに、午前7時15分。この時刻は、パラレルジョイの会議室で定例会議が始まる時刻になります。ですが、七月二日の定例会議は社長が定時に間に合わなかったために、5分遅れで会議が始まりました」
7:00 殺人動画放送開始・パラレルジョイのPCがハッキングされる
7:08 殺人動画放送終了
7:20 パラレルジョイで定例会議開始
「ここで、パラレルジョイの社長他役員二名が茎島の現場に到着した時刻を付け加えておきます」
「あんな遠い所まで何しに行ったんだ?」
「被害者の安否確認だと証言していました。社長らがアパートに到着した時、被害者の部屋の鍵は開いており、動画内で被害者を拘束していた電気コードと動画の撮影に使用したと思われる被害者のノートパソコンが無くなっていたそうです」
「パソコンが……無くなっていた……?」
7:00 殺人動画放送開始・パラレルジョイのPCがハッキングされる
7:08 殺人動画放送終了
7:20 パラレルジョイで定例会議開始
9:30 社長たちが被害者のアパートに到着
「そして、ようやく警察に通報する時刻に辿り着きます」
7:00 殺人動画放送開始・パラレルジョイのPCがハッキングされる
7:08 殺人動画放送終了
7:20 パラレルジョイで定例会議開始
9:30 社長たちが被害者のアパートに到着
9:50 社長が茎島警察署に通報
「以上がこの事件の経緯となります」
と、私はマーカーをホワイトボードの粉受けに置いて言った。
「この中で目をつけるとしたら7時20分の定例会議か」
「さすが探偵さんですね、勘が鋭い」
と、品森が自慢の天パ頭を掻く。続けて、
「パラレルジョイはさほど大きい会社ではありません。なので、パラレルジョイの定例会議には社員全員が参加します。つまり――」
「定例会議に出てない奴が犯人ってことか」
毒島の眼がキラリと光る。事件の詳細を概ね理解したようだ。
「その通りです。被害者の家から株式会社パラレルジョイまでは車で移動しても二時間はかかります。殺人動画の放送が終了した時刻は7時8分、定例会議の開始時刻は7時15分です。茎島で被害者を絞殺する殺人動画を生放送で配信していた人物は――朝の定例会議に出席することは出来ません」
会話の内容がようやく説明から推理へと進展した気がした。
「欠席者は?」
「三人です。海外出張に行っていた企画部長の京極敦也。体調不良により会社を休んでいた経理部の三田島未来。有給休暇を取って会社を休んでいた開発課長の波山重貞が欠席者に該当します」
と、私は捜査メモを読み上げた。
「後は、社長と営業部長の初芝照夫が遅れて会議に参加したってところですかね」
と、品森が補足した。情報は揃った。
「なんだ、やることは決まってるじゃないか。容疑者三人に話を聞いてボロを吐かせれば捜査終了。あたしの手を煩わせる必要もない」
「話が聞ければいいんですけどね」
「どういう意味だ?」
「それが、三人とも連絡がつかないんですよ。足並みそろえて音信不通」
私はそこで少々大袈裟に溜め息をついてみた。
「ちっ、そういうことか。要は現場検証から先にやっちまおうって魂胆だな?」
「鑑識課の人間が大いに不足していまして、課長の独断と偏見で行う現場の再捜査に人員を割けない状況なんですよ」
最近、一つの事件に対しての捜査の質が落ちていると私は感じていた。たとえ答えがわかりきっている事件に対しても捜査の手を緩めてはいけない。窓のサッシにこびりついていた埃が事件そのものの真実をひっくり返すことだってある。
そう考えていた私の元に毒島が訪ねて来たことは、まさに渡りに船だった。
「私の趣味に付き合ってくれますか?」
「もう昼の三時を過ぎてる。早くしないと日が暮れちまうぞ」
と、毒島が早足で画像解析室から出て行こうとする。
「ちょっと! どこに行くつもりですか?」
「どこって……事件現場に決まってるだろう」
「現在の時刻は午後三時四十二分。犯行が行われた時刻は午前七時です。今から現場検証を行っても確実なデータは得られないでしょう。私の現場検証は、犯行が行われた時と同じ条件で実施しなければ意味がありません」
と、私は屈託のない笑顔をして言った。
「出た! 鑑識課長のスーパー生真面目……」
と、品森が苦笑する。毒島は、
「ふっ、めんどくせぇな」
と言って鑑識課から立ち去っていった。
「後で連絡くれ」
毒島が見せた後姿は――何故だか笑っている気がした。