サイバー・イン・サイダー 1
幽霊探偵シリーズ第三話です。やっと本編がスタートしました。嬉しい。今回は近年話題なっているデジタルドラッグが主なテーマです。街の中で起こる数々の事件の全貌をその目で確かめてみて下さい。なお、この話には「美女と野獣シリーズ」のキャラクターが登場しますが、同シリーズを読んでいなくてもこのお話を楽しんでもらう上で支障はありません。
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「ハルにゃんと一日デートに行ってきます。留守番よろしく☆」
西上所長のデスクの上には一枚の置手紙。ああ、今日はお留守番の日だったか。
「今日も依頼はひとつもなしっと。最近なんにもしてないなぁ」
と、わたしは玄関先で大きく伸びをした。ポストの中に依頼書は一枚も無し。ピザ屋の広告さえ入ってない。楽都島は今日も平和だ。
「充分昼寝もしたし、おやつでも食べようかな」
わたしは机の上に放置されているコーンポタージュスナックを開封して、茶色いソファに寝っ転がった。もう片方の手でリモコンを操りテレビを点ける。
「先日発生したケラケラ動画殺人事件の――」
このニュースは今朝も見た。ピッ
「楽都島中華街の株は依然下がり続け――」
これも知ってる。ピッ
「楽都島線に期間限定ラッピング電車が走行! 大人気テレビアニメの――」
興味なし。ピッ
「DJメネティのスーパートレンドミュージックランキング!」
お、これなら面白そう。わたしはザッピングを止めてテレビの方に向き直る。
「今、最も熱く流行になっているミュージシャンがインタビューに答えてくれたぞ! みんなも知ってるよね? そう! 彗星の如く現れた三人組音楽グループ『E―POPS』だー!」
思わずソファから飛び起きる。テレビの音量を5から8に引き上げる。
「君達三人のセカンドシングル『Be brave!』が着うたランキングで一位を独占してるんだってねぇ! デビュー三ヶ月でここまでトレンドになる気分はどんな感じかな?」
ピンクの髪の毛にサングラスのシルクハット男がヴォーカルの女の子にマイクを向ける。
「夢みたいです! こんなにたくさんの人が私達の歌を聴いてくれてると思うと……嬉しくて涙が止まらなくて……! 今でもこれが現実だなんて信じ切れていません!」
「本当に凄いよねぇ。『Be brave!』は曲名通り力が湧いてくるような曲だよね」
「この曲は、勉強とか仕事とか、アルバイトとか恋愛とか――とにかくなんでも頑張ってる人に向けて作った曲なんです! 少しでも自分達の曲がみんなの支えになれば良いなと思って歌詞を書きました!」
「勇気づけられるような歌詞がみんなの心に響いたんだと思うよ! 明美ちゃん、来月には大きな会場でファーストライブを開くんだよね?」
「はい! アスノ地区の超蛇ミュージックホールで開催します!」
と、ヴォーカルの女の子が画面いっぱいにアピールする。
「これは行くしかないぜぇ! 今後も『E―POPS』から目が離せない! 次回もお楽しみに! DJメネティでした!」
わずか三十秒しかない番組内容だったが充分なクオリティだった。あの『E―POPS』がトレンド一位。自分のことのように嬉しい。わたしが彼女達のCDを買う日はもうすぐそこまで近づいて来ている。
『E―POPS』の三人とはとある事件がきっかけで知り合った。以降もヴォーカルの明美ちゃんとは連絡を取り合っている親友だ。その親友がメジャーデビューするなんて嬉しすぎる。来月のライブが楽しみで仕方がない。
「絶対ライブに行かなきゃ」
と、わたしはコンポタスナックの袋を片手に抱えながら意気込んだ。
「そうだ。英人くんも誘おう」
リモコンを携帯電話に持ち替えて液晶画面を操作する。メール画面を開くと、ちょうど英人くんからのメールを受信したところだった。中身を開く。
件名:申し訳ありません
今晩食事に行く予定をキャンセルさせて頂きたいです。
急な依頼が入ってしまいまして……
夜中まで時間を要する依頼内容だったので諦める外ありませんでした。
次は必ず時間を作りますので。
なんということだ。今日唯一の楽しみが無くなってしまった。とりあえずメールを返す。
件名:そっか……
探偵の依頼なら仕方ないよね。
お店の方はわたしがキャンセルしておくから!
気をつけて行ってきてね!
寂しい気持ちを抑えながら携帯の画面を閉じる。
「英人くん……」
英人くんはわたしの同僚である。え? 違う? いや、その、別に恋人同士とかじゃないよ? 二人で水族館に行ったりご飯に行ったりするだけの友達だよ。
「なーんにもすることなくなっちゃった」
夜、英人くんとデ――二人っきりで食事をする予定があれば美容院に行ったり洋服屋さんに行ったり色々することは増えたのに。それすらないんじゃ事務所から出る理由がない。だから友達同士だって!
「散歩でもしようかな。あ、そうだ」
と、わたしは冷蔵庫の中から炭酸飲料を取り出した。新発売のホワイトナイツサイダーを飲んでみようという暇潰しをたった今思いついた。早速ペットボトルのフタを開けて一口中身を飲んでみる。
「まずい……」
あまりの不味さに率直な感想が漏れ出てしまった。
「なんか……なんにも入ってないような味がする……」
どんな味だよ、と自分にツッコミを入れた。飲みかけのペットボトルはそっと机の上に置いておく。その時――玄関のチャイムが鳴った。
「依頼人かな」
と、わたしは事務所の扉まで歩く。探偵事務所に依頼人が訪ねてくることは珍しくもなんともない。むしろ、それが日常だ。
「こんにちは。幽霊探偵派遣会社です――って、誰もいない」
扉の先には無人の下り階段が広がっているだけ。聞こえてくるのは車の走行音と通行人の足音。いたずらだろうか。
「五階まで来てピンポンダッシュ? まさかね」
ドアノブを握ったまま左右を確認する。ん? ポストに何か入ってる。
「依頼人は恥ずかしがり屋なのかな」
と、わたしは空いている左手でポストの中をまさぐった。指先に当たった固くて小さい物を引っこ抜いてみる。これは……USBメモリだ。
「手紙もメモも添えられてない」
こういうパターンは初めて。間接的に依頼をお願いされることはたまにある。けど、USBメモリひとつだけなんていう不親切な依頼方法は初めてだ。
わたしは事務所の中に戻った。姉さんのパソコンにUSBメモリをさして事務椅子に座る。
「パスワードは……24931410R」
USBメモリの中には映像データと音声データ。試しに『現代社会の闇』という名前がついているファイルをクリックしてみる。動画が始まった。
人気のない路地裏。女子高校生とスーツの男が話している。どうやら、監視カメラからの映像らしい。女子高校生がお金を手渡す。男はそれを懐にしまい込む。
「援助交際の瞬間ってこと?」
確かに現代社会の闇だけど……言い方は悪いが、珍しいものではない。街の暗がりに目を向ければいつでも捉えられるような光景だ。しかし、この動画には続きがあった。
男が不敵な笑みを浮かべながら女子高校生に何かを差し出す。男のカバンから出てきたのは……イヤホン? それに、CDのような物も追加で手渡している。
「宗教勧誘の類であろうか?」
「そうですね。通信塾の教育セットってわけでもなさそうですし――」
わたしは一体誰と話しているんだ? ハッとして後ろを振り向く。
「うわっ!? 希星さん!?」
わたしの背後に紺色のロープを着ている人が立っていた。その姿はまるで背後霊。
「我は闇夜を操りし者――希星 魔璃。霊魂の呼び声に応じて参上した」
と、希星さんはポーズを決めた。左手の甲を顔にあてて、人差し指と中指の間から目を覗かせる。本人いわく、邪気を払うための仕草だという。
希星さんもわたしと同じ幽霊探偵だ。けど、その素性はほとんど謎に包まれている。経歴も年齢も、おまけに性別までわからない。事務所にもあまり顔を出さないのでどこで何をしているのかもわからない。わたしが知っていることは二つだけ。占いが得意ということと、中二病だということ。なんにせよ、本当に謎の多い人物なのである。
「白き申し子にもついに思い人ができたか」
「希星さん。いつからそこにいたんですか?」
「英人くん……あたりから」
と、希星さんはわたしの寂しげな表情を真似して言った。
「口外厳禁でお願いできますでしょうか」
「ふむ。ならば、貢ぎ物を捧げよ」
「お納めください」
と、わたしは机の上にあったコンポタスナックを差し出した。
「苦しゅうないぞ。黄金粒から創造される物は美味だと決まっておる」
希星さんは袋を手に取りソファに座る。
「今日はどうして事務所に来たんですか?」
「再び契約を刻印しなければならなくてな」
なんだ、社員契約の更新手続きに来ただけか。そういえば忘れてた。わたしも姉さんに頼んで契約更新してもらわないと。
「霊を狩る死神と死地に咲く毒花は不在か?」
「西上所長と姉さんなら事務所にいませんよ。二人で仲良くお出かけ中です」
「顕現の時を誤ったか……白き申し子は契約者ではないのか?」
「わたしじゃ駄目なんです。契約書には所長か副所長のサインが必要になるので」
と、わたしは言った。動画はいつのまにか終わっていた。事務椅子から立ち上がる。
「コーヒーでもいれましょうか? 姉さん達が帰ってくるまでここにいて貰っても構いませんし」
わたしは希星さん用のコップを食器棚から取り出した。
「なんと! 我に異文化が錬成せし聖水をも捧げるというのか!」
希星さんのテンションはいつも決まってこんな感じ。わたしは個性的で好きだけど、姉さんはこのテンションについていけないらしい。
「どうぞ」
と、コーヒーを注いで机の上に置く。
「ふふ、感謝する」
と、希星さんはコーヒーを上品に啜った。
希星さんの登場でUSBメモリの件が保留になってしまった。事務椅子に戻り見逃した部分を再生してみる。しかし、動画は中・高校生が男にイヤホンを受け取る、というような場面を淡々と映したものでしかなかった。いまいち依頼主の真意が見えてこない。
「うーん、どうしよう」
電話番号とかメールアドレスとか連絡先が書いてあれば話がつくんだけど……わたしは頭を悩ませた。
「招かねざる客が来たようだな」
希星さんがコップを置いて一言。その時だった。
「おい! ここに眼鏡をかけたガキが来なかったか?」
「お前らに訊いてるんだよ! 早く答えろ!」
二人の男が押し入ってきた。わたしは事務椅子ごと男達の方に振り向く。
「来てません。その前に、チャイムを鳴らしてから入って来て下さい」
「うるせぇ! 本当のことを言え!」
うるさいのはそっちだろう。
「匿ってるんじゃねぇだろうな? 隠しても無駄だぞ!」
チンピラ臭MAXのスキンヘッドと金髪男の二人組が声を荒げる。
「人違いじゃないですか? 今日は誰も――」
「誤魔化すなっつってんだろうが!」
と、金髪の方が電気スタンドを蹴り飛ばす。あくまでわたしが誰かを匿っている設定のようだ。話が通じない。わたしが蹴り倒してもいいけど……面倒臭いから頼んじゃお。
「希星さん」
「承知した」
と、希星さんはコップを持って立ち上がった。
「おい、禿坊主」
「んだとこの野郎!」
希星さんがスキンヘッドにコーヒーをぶっかける。
「熱ぃ!」
「邪気を払ってやったんだ」
「は?」
「ほれ、貴様も徐霊してやろう」
希星さんがペットボトルを投げつける。わたしが残したホワイトナイツサイダーが宙に舞う。そして、希星さんが印を結んで声を立てた。
「破っ!」
ペットボトルが粉々に破裂する。破片が金髪の顔面直撃。
「痛ぇ!」
二人のチンピラが顔を押さえる。
「これ以上営業妨害すると警察に訴えますよ」
と、わたしは言った。
「眼鏡のガキはここにはいねぇ! 他の場所を捜すぞ!」
「お前ら! 覚えてろよ!」
チンピラ達は事務所から逃げ出していった。なんか、安物の任侠映画みたいな一場面だったな。
「希星さん。大丈夫でした?」
わたしは電気スタンドを起こしながら言った。
「心配には及ばない。それより、奴らは何者だ?」
「わかりません。このUSBメモリの持ち主を捜してたみたいですけど」
「暗雲が立ち籠めて来たな。風向きも妖しい」
事件の匂いがする。お互いに考えていることは同じだった。
「ペットボトルの手品。どうやったんですか?」
と、わたしは雑巾で床を拭きながら言った。
「手品ではない。この地球に流れる地脈の力をペットボトルに込めたのだ」
と、希星さんは妖しく唇の口角をつり上げた。希星さんの魔術は摩訶不思議。そのトリックはあの西上所長ですら見抜けないらしい。
「あれ? なんか落ちてる」
事務所の床に音楽プレイヤーのような物が落ちている。チンピラ達の忘れ物だろうか。
「希星さん。コップを洗ってきてくれませんか?」
「聖水を武具にしたのは我の落ち度だ。承ろう」
と、希星さんは給湯室へと歩いて行った。
わたしはソファに座ってイヤホンを耳につけてみる。興味本位でトラック1をスイッチオン。
「なに……これ……」
飛行機が飛び立つ音。いや、虫の羽音かもしれない。不協和音が規則正しいリズムでわたしの耳に入り込んでいく。音声合成ソフトの機械音声。工場内の喧騒。噂話を話す声。バーチャル世界の自然。
「どうして……なんで……心地良い……」
わたしの身体全体に鳥肌が立つ。臓器の鼓動が速くなっていく。手足が震えて声が出ない。横隔膜が咳を繰り返し、水晶体が痙攣し続けている。だけど――脳は悦んでいた。
「ただいま!」
わたしは靴を脱ぎ棄てて自分の部屋へと駆け込んだ。明日は人生初めてのデート。特に準備があるわけでもないのに脇目も振らず帰宅した。時計の針はまだ四時半。明日まではまだ半日以上ある。
「なに着て行こうかな! どんな靴履いて行こうかな!」
ベットの上のクッションを抱きしめる。居ても立っても居られない。一分一秒がとても長い。でも、明日になって欲しくない。こんな感覚は初めてだった。
とりあえず、制服のまま一階に下りる。明日の事に関して作戦会議をしなければならない。わたしには心強い味方がいる。やっぱり、同性の兄妹がいると色々な事を相談しやすい。
「――――!」
おかしい。名前が出てこない。大切な人の名前を呼ぼうとすると喉元が詰まる。
「ねぇ、どこにいるの? ――――!」
ほら、まただ。その言葉だけが発せられない。声に出せないのならば捜しに行けばいい。わたしは頭を切り替えて家中を捜し回った。
けれど、大切な人はいなかった。きっと出掛けているだけだろう。そんな慰めも恐怖に変わる。時計の針が進み始める。車輪のようなスピードで。
「――――! ――――!」
言葉が塗り潰されて言葉にならない。突然、床の端が滲みだす。血だ。何も無い所から真っ赤な血が染み出している。ゆっくりとリビングの床が血に染まっていく。
「なにこれ……怖い……怖いよ! 助けて――――!」
わたしはなるべく血を踏まないようにして二階へと避難した。階段が徐々に赤くなる。自分の部屋の扉を閉める。無駄だとわかっていても扉の鍵を閉める。一瞬の間に扉が赤く染まる。わたしはドアノブから手を離した。もう、逃げ場は無い。
「ワケわかんないよ!」
自室の天井が朱色に色付き始める。あの血に触ったら死ぬ。根拠も証拠もないがそんな気がしてきた。ついに、安全地帯はベッドの上だけになってしまった。荒波に浮かぶ小舟のように死を待つだけしか術はないのか。そして、わたしの眼の中に真っ赤な血が――
「気をしっかり持て!」
と、希星さんがわたしの肩を揺する。イヤホンは希星さん手によって外されていた。
「音信無しに倒れたと思ったら、虚ろ目のまま魘されおって。心配したぞ」
「わたし……倒れてたんですか?」
二日酔いの百倍くらい重い頭を抱えてソファから起き上がる。
「終始悪夢を見ていたようだな。我が誰だか認識出来るか?」
「希星魔璃さん」
「良かった。白き巨塔には赴かなくてもよさそうだ」
わたしは音楽プレイヤーから流れる奇妙な音楽に魅せられていたようだ。あのまま希星さんが起こしてくれなかったら……考えるだけでも恐ろしい。
「助かりました。希星さんがいなかったらわたし……」
「礼ならよい。これも星々の運命に導かれてのこと」
本当に運命ってやつに感謝したい。わたしはソファに座り直した。
「最初はすごく気持ち良かったんです。でも、だんだん気持ち悪くなってきて……」
「洗脳の一種やもしれん。異界に続く瘴気がその機械からは溢れ出ている。極めて不吉だ」
「こういうの……デジタルドラッグって言うんですよね」
と、わたしは言った。後ろの方で機械が動く音が聞こえる気がする。
「見よ! 死地に咲く毒花の異世界通信機が!」
姉さんのパソコンがひとりでに動き始めていた。マウスのカーソルが画面上を動き回る。そして、IMEパッドを使って画面上にタイピングされた文字は――
姿ナキ幽霊探偵ヘ告グ 形ナキネット犯罪ヲ殲滅セヨ