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青の時代 2  作者: 森 鉛
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第三章 双刀の魔女 第一話

 東の小国トランセリアは、山がちの国土を持ち、鉄鉱石を産出する、どちらかといえばあまり裕福では無い国家だった。大陸で最も歴史が浅く、産業に恵まれぬこの国は、人材育成に力を注ぎ、少ない予算を割いて国内に幾つも学校を設け、軍人や文人のみならず、工学や地学も高度に発展させていた。トランセリアの輸出する鉄製品は大変良質で、外貨獲得に貢献し、最近になってようやく二流国と言える所まで発展していたが、それでもまだ大陸一の貧乏国家である事に変わりは無かった。


 そのトランセリアの大門を守る衛兵と、ふらりと現われた旅人の間で、押し問答が続いていた。

「きさまが何者かは知らんが、手形の無い者を通す事は出来ん。今がどういう時期だか分かっておるだろう」

「だから中に入れてくれなくてもいいから、外交官の……えーと…ブ…ビ…なんとかに話をつけてくれって言ってるんじゃねぇか」

「赤毛で色男で、ブとかビとか言われても、誰の事やらさっぱり分からん。大体親しいとか言っておるのに、何故名前も覚えておらんのだ」

「俺は人の名前はすぐ忘れっちまうんだよ…。顔を見れば思い出すんだ、ホントだって」

「駄目なものは駄目だ。あんまり騒ぐと衛兵が集まって来て痛い目を見る事になるぞ」

「……仕方ねぇなぁ。……これでどうだい?もう二~三枚足してもいい。頼むよ」

「き…金貨など持ち出しても、む、無駄だ。わしらはきちんと給料を頂いておる。この国で袖の下は通用せん」

「……トランセリアの兵に賄賂は効かねぇって噂は本当だったんだ。…驚きだぜ」

 最後の手まで使ったのに、入国を許可してもらえないウォルフは困り果てていた。彼は住処を後にしてから、二日かけてここまで到着していた。

 ウォルフは馬の横にどかりと座り込むと、軍人時代に話をした事がある、トランセリアの若い外交官の名前を思い出そうと、必死で考えた。衛兵は呆れて門の内側に引っ込み、同僚と何か言っては、胡散臭げにその姿を見張っていた。


 このやり取りを面白そうに見ていた男がいる。門の横にある詰め所の二階に、普段こんな所には居ない筈の男が、たまたま立ち寄っていた。

「閣下、どうかいたしましたか?」

 窓の外をじっと見ていた上司に、副官が声を掛ける。男は振り返り、軍人とは思えぬ優しげな声で返事をした。

「ああ、あの男、どっかで見た事がある気がしてなぁ…。君知らんか?」

 長身を少し猫背気味にし、柔和な細い瞳で微笑む壮年の男は、トランセリア第三軍司令官、弓の名手として名高いメレディス将軍であった。国境や大門の厳戒体勢もそろそろ二か月になる。兵の志気を下げさせぬように、彼はよくこうしてあちこちに顔を出し、気さくに兵士に声を掛けた。

「……さぁ、存じ上げませんが。お知り合いですか?衛兵に名前を聞いて参りましょうか」

「いやそれには及ばんよ、あの衛兵は袖の下を受け取らんかったな。感心なやつだ、ちょっと褒めに行ってやろう」

 楽しげに階下に下りて行く将軍を追って、副官も階段を降りる。ウチの閣下はちょっと貫禄が無さ過ぎだなぁ、と尊敬する将軍の唯一の欠点を彼は心配していたが、同時に二階の窓から衛兵と男の賄賂のやり取りまで見通す、メレディスの視力の良さに感心してもいた。

 メレディスは門に歩み寄ると、後ろから衛兵に声を掛けた。

「あの男なんて名前だって?」

「ウォルフとか言ってるんだが……しょ!将軍閣下!」

 びっくりして敬礼する衛兵に、今一つ決まらない敬礼を返し、メレディスは続けた。

「お前さっき金貨を受け取らなかったなぁ、実に感心だ。偉いぞ」

 ぽんぽんと肩を叩かれ、褒められた衛兵はさらに恐縮し、鯱張って敬礼する。その姿を置いてきぼりに、すたすたとウォルフに近付く将軍を、副官が追い掛ける。彼は衛兵を手招きし、将軍の護衛を増やしながらメレディスに言った。

「閣下、お一人で近付いてはいけません」

 クギを刺す副官にメレディスが答える。

「大丈夫だ。思い出した」

 メレディスに気付いたウォルフが立ち上がる。元軍人である彼は、近付いて来た男の軍装を見て将軍と分かると、驚いて自分から声を掛けた。

「将軍閣下でいらっしゃいますね、どうかお願いします。ここを通して頂けな…」

「ああ構わんよ。但し一つ見せてもらいたい物がある。君の身分を証明する物がある筈だ。ウォルフ・エルスハイマー准将」

 言葉をさえぎり、小さく囁いた将軍の台詞に、ウォルフは凍り付いたように動けなかった。長い沈黙の後、彼は一つ息を吐いて答えた。

「……分かりました。…ただこの場では困ります」

「いいだろう、来なさい。……あ、馬は置いて行けよ」

 そう言うとメレディスはまたすたすたと歩いて行く。じろじろと眺める副官と衛兵にぺこぺこと頭を下げ、ウォルフは荷物を担いで将軍の後を追った。


 詰め所の一室を借り、将軍と二人になったウォルフは、荷物の中を探りながら訊ねた。もちろんこの部屋に入る前に剣は取り上げられ、厳重に身体検査をされ、荷物もチェックされていた。

「将軍。…何故俺の名を」

 メレディスは答えの代わりに自己紹介をした。

「私はトランセリア第三軍司令官のメレディスだ。覚えは無いかね?」

「……思い出しました。確か何かの記念式典でヴィンセントと一緒に……あぁっ!」

 今頃顔見知りの外交官の名を思い出し、頭を抱えるウォルフ。メレディスはそれを面白そうに眺める。

「そうだ。君は将来を嘱望された准将だったな、私は記憶力はいいんだ。当時は私も将軍などでは無かったがね。……そう、それが見たかった」

 ウォルフが袋から出した包みを解く。中から擦り切れた真っ黒なマントが現れた。

「……ご満足頂けましたか。将軍、お願いがあります。話を聞いて頂けますか?」

「国を捨て、軍を捨て、全てを捨ててもそれだけは捨てられなかったか…、レッド・ドラグーンよ」

「……はい。…よくご存じで。二度とこれを身に纏うつもりはありませんでした。……でも、……将軍、どうかお話を」

「…分かった。…おーい」

 メレディスが扉の外に声を掛けると、すぐに副官が飛び込んで来た。手が剣の束に掛かっている。

「おいおい落ち着けよ…。この男を王宮に連れて行く、もう一度入念に身体検査を。素っ裸にしても構わん。悪いが荷物は預からせてもらうよ、ウォルフ君。ああそれとヴィンセントに使いを出してくれ。私の執務室に来てもらうように」

「外務長官閣下に?…かしこまりました」

 副官の言葉にウォルフは驚いた。

(あの軽薄で女たらしの外交官が外務長官だと。トランセリアは国を潰す気か?)

 失礼な感想を思い浮かべるウォルフなど無視して、メレディスはじっと赤い竜を見つめていた。


 メレディスの執務室に通されたウォルフは、落ち着かない様子で貧乏揺すりをしていた。再度の身体検査で、ウォルフの胸に掛かるペンダントが、リグノリアの王家の紋章を象った物である事が判り、メレディスの手に渡された。もう一つ、小さな袋を開けようとした副官に、ウォルフは不機嫌そうに抗議した。

「妻の遺髪だ…、開けんでくれ」

「分かった。……すまぬ」

 副官は外側から手触りで中味を確認すると、小さくそう言った。結局剣を取り上げられ、マントとペンダント以外はウォルフの元に返された。他には着替えなどが入っていただけだったからだ。

 ペンダントを見つめて沈黙する将軍に、ウォルフが話し掛けようとした時、扉がノックされ、一人の男が入って来た。

「将軍、お呼びだそうで。……?…あれ、…お前…ウォルフ?」

 執務室に現れたヴィンセント・ペルジーニ外務長官は、燃えるような赤毛を肩の近くまで伸ばした、すらりと背の高い男だった。ウォルフのようにほったらかしの髪などでは無く、きちんと手入れをされたきれいな赤毛の彼は、掘りの深いハンサムな顔立ちと相まって、大変に目立つ容姿であった。

 仕事柄国外へも頻繁に出かけるヴィンセントは、国内のみならず、外国にも多くの女性ファンが居るとの専らの噂だった。数々の浮き名を流しながら、二十九歳になる現在まで、独身を通している。ウォルフの故国、プロタリアにも外交官として赴任した経験があり、幾度か彼と酒を酌み交わしていた。

「おいおいマジかよウォルフ・エルスハイマー准将殿。脱走してのたれ死んじまったって聞いてたぜ…、生きてやがったのか」

「……相変わらずだなヴィンセント。お生憎様だったな、まだ生きてるぜ。……お前な、俺の方が五つも年上なんだから、もうちっと口の聞き方に気を使えって前から…」

 いきなり文句を言い始めたウォルフを無視して、メレディスに話し掛けるヴィンセント。

「閣下…こいつ何かやらかしましたか?……それともまさか就職活動ですか?」

「忙しいのにすまんなヴィンセント、女性との約束を邪魔したのではなかったかな?……これ、判るか」

 軽口を言いながら、ヴィンセントにペンダントを手渡すメレディス。ヴィンセントは机の上のマントにちらりと目をやると、ペンダントを手にどっかりとソファーに腰掛けた。

「……リグノリア王家の紋章ですね、こいつが?」

 顎でウォルフを指し示すと、メレディスが黙って頷く。事情を察したヴィンセントがウォルフに向かって言う。

「また厄介事を持ち込んでくれたなぁ…。行方不明だった王女を匿ってたのはお前って訳か。事実は小説よりもなんとやら…ってやつだな」

 ウォルフは少し驚いた。これ程までに情報が伝わっているとは思っていなかったのだ。しかしこれなら話が早いと思い直し、ヴィンセントを無視してメレディスに話し掛ける。

「将軍、お願いです。…挙兵を。リグノリアに手を貸してやっては頂けないか」

 メレディスは少し考え込むと、ヴィンセントに言った。

「……陛下に諮ってみるか。どう思う、ヴィンセント」

 つい先日、リグノリア最後の王族であるクレア王女が、ダルガル将軍によって発見され保護されるに至ったという一報が入ったばかりだった。将軍は各国に協力の要請を行っていたが、どの国からも無視に近い反応しか返って来ないようであり、トランセリアだけが秘かに使者を行き来させていた。イグナートに敵対する意志を表明し、戦の準備を進め演習も行っているトランセリアではあったが、開戦へと至る決め手に欠ける所があった。ダルガルは国の再興に意欲を見せるが、兵の集まりは芳しく無く、若いクレア王女に果たしてどれだけの威光があるかは定かでは無い。現在の状態で戦を仕掛ければ間違い無く負け戦だろうと思われ、トランセリアが参戦してどうにか五分を超えるかといった程度であろう。事態は膠着状態に陥っていた。

 宰相ユーストの情報網にもクレア王女の行方は長い間引っ掛かる事は無く、あちらこちらで見掛けたという信憑性の低い噂ばかりが届いていた。王女を騙る偽者が現れて詐欺紛いの事をしているという話もあり、今回の発見も本物なのかどうか意見が別れていた。ダルガルが兵や他国の助けを得る為に、一芝居打ったという可能性も捨て切れなかったからだ。

 ヴィンセントは一瞬天を仰ぐような仕種をして答えた。

「あ~、多分出兵なさると思いますよ、この話が行けば。…今回のイグナートの一件には、随分と向かっ腹を立ててましたからねぇ…」

「そうか?そんな風には見えなかったがなぁ…」

「かなり物言いが丁寧になってましたから間違いありません。ああいう所が子供なんだよなぁ…、ウチの王様は」

 ずけずけと主君をあげつらうヴィンセントに、メレディスがからかい混じりの口調で告げた。

「よく見抜いてるな、外務長官殿。……まったく、陛下といい、宰相閣下といい、ウチの若いもんは可愛げが無いよ…」

「お褒めの言葉と受け取っておきますよ。…でもそれを言うなら軍務長官殿こそ際たるものでしょうに」

「シルヴァ様にはちゃんと可愛いらしい所があるんだよ」

「はいはい、承りましょう。……今日の御前会議に上げますか?」

「そうだな…裏を取る時間があるかな?」

「大丈夫でしょう、ほら地獄耳の閣下がいらっしゃるから」

「うむ、頼めるか?」

「了解です。…それまでこいつ、どうします」

 再び顎でウォルフを指し示すヴィンセント。ウォルフは話の内容について行けず、ぽかんとしていたが、あわててしゃべり出す。

「た、頼む。俺をその会議に出席させてくれ。不審だと思うなら手足を縛られてもかまわん。頼む!」

 メレディスとヴィンセントは顔を見合わせる。

「だから裏を取るんだよ。お前さんがスパイとかじゃ無いか、確証が取れたら会議に連れてってやるよ」

 得意げに言うヴィンセント。メレディスが続けた。

「どちらにせよ出席してもらうことになるだろうよ。陛下が見たがるだろう…レッド・ドラグーンを。……さてと、じゃあ俺はディクスンとシュバルカに根回ししておくか…」

 同僚の二人の将軍の名前を挙げて、立ち上がったメレディスは部屋を後にする。ウォルフはヴィンセントと一緒に廊下に出ると、手招きする彼の後をついて、王宮の奥へと歩いて行った。


 ソファーに寝転んでいたウォルフはノックの音で飛び起きた。ヴィンセントに連れられ、狭い部屋に閉じ込められて、何時間経ったか。いい加減イライラとし始めた頃、鍵が外される音がし、扉が開いた。

 そこに立っていたのは小柄な若い女性だった。衛兵を後ろに従え、真直ぐな長い黒髪と、眼鏡の奥の優しげな瞳が印象的な女性だった。しかしウォルフの目はそれ以外の所に釘付けになっていた。彼女は大変豊かな胸の持ち主だったのだ。さしてプロポーションを強調する服装でも無いのに、ウエストの細さもあってか、彼女の胸元の膨らみは素晴らしく魅力的で且つ人目を引いた。その視線に気付いたのか、彼女は一つ咳払いをすると、ウォルフに手を差し出した。

「初めまして。外務長官閣下の副官を勤めております、リサ・スティンです」

「あ、は…はい。ウォルフ・エルスハイマーです」

(でけぇ……)

 不埒な感想を思いながら、ぎくしゃくと握手を交わすウォルフにリサは告げる。

「ヴィンセント様の所に御案内致しますので、着いて来て下さい」

 すたすたと歩き出すリサの後を慌てて追うウォルフ。じろじろと彼を見る衛兵に頭を下げ、彼女の後ろを歩くウォルフは、今度はついリサのお尻のラインに目が行ってしまう。

(…いいケツだ。クレアの貧弱な尻とは大違いだ)

 クレアにはとても聞かせられない事を考えながら歩いて行くと、やがて外務長官の執務室に通された。ヴィンセントがにやにやしながらデスクに腰掛け、彼を待っていた。

「閣下、お連れいたしました」

 リサはそう言うと、自然にヴィンセントの横に立つ。二人の間の空気に何かを感じ取り、少しがっかりしたウォルフだったが、すぐに思いなおし、ヴィンセントに迫った。

「おい、どうなった。俺は会議に出してもらえるのか?」

「まぁ落ち着けよ。コーヒーでも飲むか?」

 何も言わず隣の部屋に移動するリサ。恐らくコーヒーの用意をしに行ったのだろう。ヴィンセントはソファーに腰掛けると、ウォルフにも座るよう促した。腰を下ろしながらウォルフが小声で言う。

「…彼女…リサか、…お前のなんだ?」

「………不粋な事を聞くなよ、男やもめ君。お前には王女様がいらっしゃるんだろう」

「クレアとは……。そんな事より会議はどうなんだ、俺は出席でき…」

「答えたら教えてやる。どういう関係だったんだ」

 心底嬉しそうににやにやと笑いながら、ウォルフに交換条件を突き付けるヴィンセント。リサが三人分のコーヒーをテーブルに並べ、ヴィンセントの隣に腰掛けた。余計に言い出しにくい状況になり、二人をきょときょとと落ち着き無く見比べるウォルフに、ヴィンセントはさらに追い討ちを掛ける。

「何にも無いなんてことは無いだろう、ここまでして王女を助けようってんだから。素直に吐いちまえ」

「………ああ、……愛し…合っていた」

「いいぞいいぞウォルフ!かっこいー!」

 手を打ちならし、足をばたばたさせ、ウォルフの肩をぽんぽんと叩き、全身で面白がっているヴィンセント。リサが「失礼ですよ、閣下」とたしなめているが、彼女も少し笑いを堪えているようだ。ウォルフは真っ赤な顔で憮然として言う。

「どうなんだ、俺は言ったぞ。…おいヴィンセント」

「ああすまんすまん、会議には出てもらう。裏がとれたからな…。但し発言が許されるかどうかは分からんぞ」

「それでもいい。……すまん、恩に着る」

 すこし真面目な顔になったヴィンセントが言う。

「お前はいいのか、これで表舞台に立つ事になっちまうぜ。…三年も行方をくらましていたのによ」

「かまわん、クレアの命の方が大事だ。……なに、そこまで決まっているのか?出兵するのか?」

「そうなったらの話だが……。多分陛下は出すぜ、俺はそう踏んでる」

「良かった……」

 ウォルフは組んだ手を額に当て、何かを祈るような仕種をした。それを見つめるヴィンセントが呟く。

「……お前、変わったなぁ…。丸くなったっつーか、優しくなったっつーか…」

「三年も百姓暮らしをしてたんだ、毒気も抜けるさ」

「いや…そうじゃなくて。……女性は偉大だって事か」

 そう言うとリサを見つめにっこりと微笑むヴィンセント。優しい笑みを浮かべるリサ。その二人を見て余計に侘びしさのつのるウォルフだった。


 瀟洒な会議室の細長いテーブルに、トランセリアの重鎮達が勢揃いしていた。ヴィンセントと共に入っていったウォルフに視線が集中する。既に上座に、国王アルフリート・リーベンバーグが座って居た。

 二十歳という年齢よりももっと若く、可愛らしい少年のように見える彼は、壇上の玉座では無く、テーブルに着いていた。くせのある短い金髪、深い青の大きな瞳、行儀悪くテーブルに肘を付き、組んだ両手の上に顎を乗せて、彼はじっとウォルフを見つめていた。ヴィンセントが挨拶をする。

「遅くなりまして申し訳ありません陛下。ウォルフ・エルスハイマーを連れて参りました」

 軽く会釈をし、ウォルフを下座に座らせると、自分も席に着く。衛兵がすかさずウォルフの背後に立ち、壁に並んだ椅子にリサも腰を下ろした。しばらくの沈黙の後、アルフリート自らが口を開いた。

「……ウォルフ。いくつか聞きたい事があるんだ。挨拶はいいから簡単に答えてくれ」

 ウォルフは面喰らった。御前会議に出席するのは初めてだったが、前置きも無くこんなにストレートな話し合いをする物なのだろうか。戸惑いながら彼は答えた。

「…かしこまりました、陛下」

「うん。まず君はリグノリア王家…いやクレア王女から何か頼まれて、トランセリアに来たのかい?」

 アルフリートは歳のせいか物言いもくだけていた。ウォルフは答える。

「いいえ、この行動は自分の独断です」

 テーブルの上に置かれたペンダントを取り上げて見せ、続けて国王は訊ねる。

「王家の紋章の入ったペンダントを持っていたけど、これは王女から?」

「はい、左様です。…必ず取りに戻るからと約束しました」

「これは答えたくなければ言わなくてもいいけど…、つまり二人はそういう関係な訳だね?」

「……将来を誓い合った訳ではありませんが、……そう考えて頂いて構いません」

 ウォルフは、何故トランセリアが自分とクレアの関係にこだわるのかが判って来た。クレアはリグノリア最後の王族だ。仮にトランセリアが自分を助けて、国を取り戻す手助けをしたとするなら、ウォルフが将来の国王になる可能性があるかどうかは重要なポイントだ。もし事が成れば、トランセリアとリグノリアは強力なパイプを持つ事になる。アルフリートは質問を変えた。

「なぜ我が国に?プロタリアでなく」

「…自分は脱走兵です。プロタリアには戻れません。トランセリアを選んだ理由は二つあります。一つはヴィ…外務長官閣下と面識があった事。もう一つはイグナートに正式な抗議文を送ったと、噂で聞き及んだからです」

「ふーん。……うちの全軍は十万だウォルフ。どれだけ投入すれば勝てるかな?」

 この質問にはさすがに隣に座っていた軍務長官が咳払いをした。トランセリアの軍務長官シルヴァ・バーンスタイン元帥はこれまた若い、わずか二十三歳の、しかも女性の総司令官だった。緩やかにウェーブの掛かった長い黒髪が無造作に肩に掛かり、秀麗な白い顔には、眉間に縦に刀傷が走っていた。すらりとした身体に黒と銀の軍装を纏い、どこか凛とした美しさが感じられる女性だった。アルフリートとの会話の間中、見る者を射すくめるような鋭い視線を、その切れ長の瞳からウォルフに送っていた。シルヴァは小声で国王に何か言うと、再び視線をウォルフに戻した。

「全軍を…と言いたい所ですが、……七万必要だと考えます」

 ウォルフはこう考えた。ダルガルは三万集めたと話していた。少し多めに言ったと見積っても、両軍合わせて九万を越える。それなら抗城戦をしても勝利を得られる筈だ。

「それは無理だよ。そうだろ主計局長」

 アルフリートは苦笑いしながら、末席に座った小柄な男に話し掛ける。巻き毛の黒髪の男がおずおずと声を発した。

「…恐れながら七万では、予算的に三日分の作戦行動しか…」

「ご存じの通り我が国は貧乏でね。まあそれはいいや、…ユースト」

「はい」

 シルヴァの向いに座った宰相ユーストが静かに答える。真直ぐな長い金髪がさらりと揺れて、伏し目がちの聡明そうな瞳が覗いた。整った顔立ちは貴族かとも思われたが、トランセリアに貴族階級は存在しなかった。見た目からは年齢の良く判らない男だったが、ウォルフは自分と同じ位か、少し下だろうと感じた。

「ダルガル将軍は今どうなってる」

「リグノリア王都から三日の距離に兵を集結しつつあります。兵力は現在三万五千といった所です」

「おっ、結構集めたじゃないか、これもクレア王女の威光かな?ウチが出るって噂を流しても、大して増えなかったのになぁ」

「そのようで、実際この数日で一万増やしております」

「イグナートは討伐の軍をまだ出さない?」

「王都には八万駐留しておりますが、まだ動きはありません。本国からの増援の動きも無いようです」

「どうもイグナートは動きが鈍いなぁ。金策が尽きたかな?」

「可能性はあります…、既にリグノリアの国庫に手を付けたやもしれません」

「やれやれ、殺しはやるは盗みはやるはひでぇ国だな…。例の鉱脈の情報は?」

「西の山岳地帯にいくらかの兵が伏せてあります、ほぼ確実と見るべきです」

「プロタリアも行ってるんじゃないか?そこらへんで話を付けたんだろうさ」

「未確認情報ですが…おそらく」

 ウォルフは呆れて二人の会話を聞いていた。二十歳の若者の言とはとても思えぬ、アルフリートの可愛げの無い言い種もそうであったし、その国王の問いに表情一つ変えずすらすらと答える、宰相ユーストにも感心していた。国家の情報網とはこれ程までにすごい物かと、ウォルフは思い知らされていた。


「さてと…」

 アルフリートは皆を見渡して言った。

「我がトランセリアはリグノリアの王女クレアに与し、イグナートに叛旗を翻す考えである。諸兄らの同意が得られれば、本日使者を発たせ、明後日早朝に第三軍三万を派遣する。指揮は軍務長官シルヴァ、メレディス将軍を補佐とする。作戦行動は一週間が限度である。如何か」

 しばらくの沈黙の後、将軍の一人が発言を求めた。第二軍司令官、シュバルカ将軍だった。メレディス程背は高く無さそうだが、見事な体躯をした男だった。身体の厚みも、横幅も、凄まじい膂力を有している事を示していた。老年に差し掛かったとおぼしき将軍は、薄くなった頭髪と反比例する、黒々と濃いヒゲをたくわえた口を動かした。

「恐れながら陛下にお尋ねしたい。今回の遠征で我が国に利が有る事は判り申した。しかし二十年に及ぶ平和の時代を破ってまで、戦を仕掛ける我が国の意義は、大義はござるか。陛下のお考えをお聞かせ願いたい」

 若い王に苦言を呈するようなその発言にも、アルフリートは全く動ぜず、柔らかくにっこりと微笑んで答えた。そのような表情をすると、王はどこか少女めいた印象があった。

「シュバルカ、あなたらしい質問だね。……そうだな」

 アルフリートはゆっくりと立ち上がり、テーブルに着いた一同を見渡すと、行儀悪く卓上に腰を下ろした。シルヴァが小さく咳払いする。立ち上がった彼はそれ程背が高くないようだと分かった。

「今回のイグナートの行為を皆はどう思った?正直俺はむかついた、冗談じゃねぇと思ったよ。突然夜中に人ん家に押し入って女子供まで皆殺しにし、金目の物を奪った挙げ句そこに居座るたぁどういう了見だ。野盗か、山賊か、えぇ?」

 ウォルフは目を丸くして彼を見ていた。ここまでべらんめぇな口調で話す王族など初めてだった。見た目とのギャップがさらに驚きを倍加させる。アルフリートは続ける。

「これが仮にも大陸の一員たる国家のやる事か。この暴挙を他人事と見逃し口をつぐむボンクラな王など、王たる資格無しだ。今すぐやめちまえ。五歳の子供の首をはね、あまつさえそれを城外に晒すなど言語道断だ。こんな手段を俺はどうあろうと看過出来ん」

 ウォルフはそっと周囲の様子を窺ってみた。シルヴァが小さくため息をついている以外は、皆当たり前のように王の話に耳を傾けている。ヴィンセントなどあからさまに楽しそうな顔をしているし、質問をした当のシュバルカでさえ、なにやら嬉しそうだ。

「放っておけばヤツらはもう一度、二十年前の戦乱の世に大陸中を引きずり込むぞ。軍事力の大小だけが国家間の関係を左右するような、こんな時代はもう終わらせるべきだ。無法な手段で国盗りなど出来ぬ事を、ケツひっぱたいて思い知らせてやる。二度と同じ考えを起こさぬように、醜悪な前例を残してはならない。今ここで叩いておけば、この先五十年、いや百年の平和の礎が築ける。…如何か、諸兄!」

 ウォルフは次第に王の言葉に引き込まれて行く自分に気付いた。思わず拍手をしそうになって危うく思い留まる。会議室に再び静寂が訪れ、やがてシュバルカが口を開く。

「……御意にござります、陛下。御下命を」

 笑みを隠しきれず答えるシュバルカに続き、次々と重鎮達が同意を告げる。皆、国王の檄を待っていたのだ。アルフリートは頷き、椅子に座り直すと、てきぱきと指示を始める。

「シルヴァ」

「はっ」

「直ちに遠征準備を。宮廷騎士団の動員も許可する。必要なら予備役を召集してもかまわん。ユースト」

「はい」

「ダルガル将軍に親書を。大至急だ。ヴィンセント」

「はっ!」

「周辺諸国に鼻薬を効かせてやってくれ。特にプロタリアと、国境付近を通過するグローリンドだ」

「心得ております」

「ディクスン。シュバルカ」

「は」

「はっ!」

「補給線の確保と後方支援、国境も固めねばならん。頼むぞ。メレディス」

「はい」

「第三軍の神速を持ってイグナートを打ち破ってくれ、頼む」

「お任せあれ。必ずや勝利を陛下の元に」

「主計局長……は、まぁいいや」

「陛下、なんとか六日ぐらいにまかりませんかねぇ……」

「それはやってみないとな。…よし、解散」

 黒髪の小男、主計局長リカルドのぶつぶつ声をさらりとかわし、アルフリートは立ち上がる。既に閣僚達は動き出していた。リサと打ち合わせしながら飛び出して行くヴィンセント。ユーストもいつの間にか副官と共に居なくなっていた。シルヴァは将軍達幕僚に指示を与えている。国王はウォルフを手招きした。

「これは返しておくよ、色男」

 アルフリートはペンダントをウォルフに投げて寄越した。ウォルフは小さく一礼し、受け取ったそれを首に掛けた。

「君の身柄はメレディスに任せようと思っているが…、どうせここで高みの見物を決め込む気は無いんだろ?」

「はい、丸腰でも構いません。どうか戦場に。お願いします」

「そんな事はしないけど、マントは将軍に預けておくから。……ああ、それからウォルフ。君は脱走兵なんかじゃないから。プロタリアは君を行方不明扱いにしているようだよ、皇帝騎士団の将軍に感謝することだな」

「……えっ!」

 ウォルフはさっさと歩き出したアルフリートの後ろ姿を呆然と見送り、声を掛けて来るメレディスの副官にしばらく気付かなかった。


 遠征の作戦本部となった一室で、シルヴァ麾下の将軍達が、テーブルの上に広げられたマントを見つめている。周囲を慌ただしく幕僚が駆け抜け、准将や副官達も興味深げに後ろからその赤い竜を眺めている。やがてシルヴァが口を開いた。

「ディクスン。どうだ、勝てるか。…イグナートにでは無いぞ」

 均整の取れた体格に、よく陽に灼けた真っ黒な顔の、第一軍司令官ディクスンが短く答える。

「勝て申す」

「シュバルカ」

「同じくですな」

「メレディス、おぬしは」

「力比べでなく、戦をせよとおっしゃるなら、勝てます」

 トランセリアの『三枚の楯』は口を揃え、レッド・ドラグーンに対して、『勝てる』と言い切った。シルヴァは少しだけ微笑み、言った。

「私もそう思う。プロタリアと真っ向勝負をするのなら判らぬが、レッド・ドラグーンのみならいくらでも対応策はある」

 メレディスが続けて言う。

「レッド・ドラグーンと言えど弱点が無い訳ではありませぬ、無敵の騎士団などこの世に存在しませぬ故。研究を怠らねば勝てます」

 シュバルカが彼の言葉を引き継ぐ。

「情報を集め、作戦を立て、自軍の有利な場所と時間で戦う。敵のいやがる事をする。自らの力を知る。戦の基本を忘れねば恐るるに足りませぬ」

 ディクスンが言葉少なに、しかし不適な台詞を呟く。

「一度…ぶつかって見るのも面白そうですな」

 三人の将軍は顔を見合わせにやりと笑う。周囲の幕僚達から小さな歓声が上がる。その声を片手で押さえ、シルヴァは嬉しそうに言った。

「頼もしい限りだ。だが現状はイグナートに集中せねばならん。メレディス、エルスハイマーに士官を何人か付けてやれ。いい研究材料になるだろう」

「私が馬首を並べたい所ですが…、かしこまりました」

「よし、久々の大いくさだ。皆頼むぞ。特に初陣の兵が多い、古参兵とのバランスには注意してくれ。この戦を経験した彼等がどれだけ生き残るかが、我が国の将来を左右する」

「心得ました」

 そこにアルフリートがふらりと姿を見せる。本部に居る全員が立ち上がり、さっと敬礼をする。彼等はすぐに持ち場に戻り、再び忙しく遠征の準備に追われる。若き国王が挨拶の仕方などにいちいちこだわらない事を、宮廷の者たちは皆良く知っていた。

「シルヴァ、ちょっと時間ある?」

 アルフリートのくだけた物言いに反応するのもシルヴァだけだった。彼女はかすかに眉をひそめ、不機嫌そうに返事をした。

「はい、今伺います。少々お待ちを」


 王の執務室で待つアルフリートの元に、シルヴァが訪れた。他には誰も居ない。にこにこと彼女を迎えた国王に、開口一番シルヴァは言った。

「アルフ、もうちょっと王様らしくしなさいっていつも言ってるでしょ、もう」

「いきなりだなぁ…。はいはい気を付けますから、結構評判いいんだけどな」

「なに?私忙しいの知ってるでしょ」

「遠征準備はメレディスに任せとけば大丈夫だよ。シルヴァちょっと口出し過ぎ」

 そう言うとアルフリートは自分の膝をぽんぽんと叩いた。シルヴァは周囲に人の居ない事を確認してから、婚約者の膝に横座りし、慣れた仕種で彼の首に手を回した。さほど背丈の変わらない二人は、そうするとシルヴァがアルフリートを見下ろす格好になる。

「…そうかな。自分でやれる事はやっときたいのよね、今回は私の宮廷騎士団を五千持って行くから」

「まぁ、するなとは言わないけど、部下を信用して、頼む時は全部任せないと」

 将軍達の前と全く口調が違うシルヴァは、軍装でさえなければ、年相応の恋人に甘える女性に見えなくも無かった。姉弟同然に育った二人は、幼い頃からお互いの性格を知りつくしており、二人きりの時は遠慮なく言いたい事を言い合った。アルフリートのキスを素直に受け止めるシルヴァ。そっと唇を離して、優しい声で王は言った。

「今回の遠征は一週間の期限付きだから。七日たったら勝ってようが負けてようが、とっとと帰って来ちゃっていいからね」

「言ってる事は判るけど、戦場でそんなにきっちりと線は引けないわよ」

「うん、まぁなるべく。イグナートの横っ面張り倒せればいいんだ、その事実があれば後は外交でなんとかなると思う。グローリンドの反応も悪くないし。もちろん勝つにこした事はないけど」

「勝てるわよ。今の状況ならリグノリアが三万引き受けてくれれば十分勝算はあるわ。…増援か、プロタリアが出て来たらちょっと分かんないけど」

「そん時も逃げて来ちゃっていいから。兵を死なせたくないんだ」

「それは私も同じよ。…無傷って訳にはいかないけど」

 キスの合間に交わされる恋人同士の会話は、同時にトランセリアの最高軍事会議となっていた。彼等は二人きりの時でもいつもこんな風な話をしていた。たまに甘い会話が交わされる事もあったが、ベッドを共にした時でも、恋人を胸に抱き、恋人の胸に抱かれて国際情勢を論じ合う二人だった。ある意味はなはだムードに欠ける婚約者ではあったが、それでもお互いに相手の事を愛しく思っているのは確かだった。


 メレディスがヴィンセントに『シルヴァ様には可愛らしい所がある』と言ったのは、部下の前では威厳を保つ彼女が、恋人の前ではごく普通の若い女性に戻る事を、知っているからかもしれない。

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