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第五話 掟番の怪訝

 世界には『分』というものが設定されている、というのが吸血鬼ラヴァルの持論である。

 吸血鬼は吸血する。なぜなら吸血鬼は人間の血以外では生きていけないからだ。犬猫豚牛、同胞の血などもってのほか。とにかく人間の血でなければならない。それ以外を口にすれば、腹を壊して食ったものを吐き戻すほかに道はない。人間の真似事をしたり、食料に哀れみを感じて絶食すればただただ死に滅びる。それが吸血鬼の『分』だ。

 それは種に限ったことではなく、個々の生き方にも関わってくる。例えば、人間には身分というものが存在するらしい。大雑把に分けると支配者と被支配者。王とか貴族とか、騎士とか商人とか農民とか、細かく分けるならそれなりに種類があるらしいが、どうせそんな『仕組み』は五百年もすればまた変わるのだろう。重要なのは、この『身分』というものは生まれつき定められているもので、かつ簡単には変えられないということだ。

 農民の親から生まれれば自分も農民に、貴族の親から生まれれば自分も貴族に。落ちぶれて身分が下がることはあれども、基本的に生まれついた身分が変わることは滅多にない。支配者は生まれもって民を支配し、被支配者は生まれもって搾取される。難儀なことである。親だの家族だの血統だのに縛られて一生自由な道を歩くことができないのだ、こんなものに憧れているような奴は気が触れている、とラヴァルは思う。

 しかし、そういった『血』に縛られない吸血鬼にも『分』は存在する。支配者と被支配者――あるいは尊き者とそうでない者。明らかにその二者が存在しているように思うのだ。

「ラヴァルさまは面白いことをお考えになるのですね?」

 だからつまり、《直系》と《親なし》、《将軍》と《掟番》、そういう立場の違いがなかったとしても――目の前の女、カミラと自分が一緒にいるのはあまりに『分』不相応だと思うのだった。

 晩餐会というものにはきっとあと何百年経とうが慣れないだろう。煌びやかな衣装を着て料理に舌鼓を打つ輩達が闇夜を飛び走る同胞であると到底信じられない。そも、これは人間の真似事の範疇には入らないのか? いくら親睦の為とはいえ、着飾って話に花を咲かせて血を上品にグラスから味わうなど、自分達が何者であるか忘れたのか、と掟番として声を大にして言いたくもなる。掟番を抜きにしても、本当なら、たとえ義理があろうとこんな集まりに何回も参加したくはないのだ。

「あら、これくらいのことは《掟》には反しないのではなくて?」

 と、今回の晩餐会の発案者は笑う。それを言われたらぐうの音も出ない。

「とにかく、だ。カミラ」

 照れ隠しに咳払いしてラヴァルは言う。貞淑たるカミラ、吸血鬼の中でも指折りの美女たる彼女に微笑まれると自然と頬が上気してしまう。

「今回の晩餐会には参加したくない。そしてできれば、今後はこういった集まりに誘いをかけるのはやめてほしい」

「あら、ラヴァルさまはわたくしのことが嫌いなのでしょうか」

 思わず吹き出しそうになり、カミラの美しい顔に唾がかからぬように必死でこらえる。なんてことを言うんだ、このひとは。

「違う。あんたには散々世話を焼いてもらっている。それに、あんたを嫌うような輩が一体この夜の中のどこにいるというんだ」

「買い被りですわ。わたくし、これでも色んな方から恨みを買っていますから。もしかしたら知らぬうちにラヴァルさまからも買っていたのではないかと心配になってしまいましたの」

「随分と金持ちなんだな」

「浪費家なだけです」

 カミラはその言葉とは裏腹に、いつもの皮肉も上手く言えずへどもど言葉を紡ぐラヴァルをおかしそうに見つめる。きっとラヴァルが自分に弱いことも充分に承知しているに違いない。だのに不思議と怒りが湧かないのは彼女の鬼徳か、それともなんとかの弱味というやつであろうか。

「……話を逸らさんでくれ。俺があんたを嫌っているかどうかは関係がない」

「では、どうして断られるのでしょう?」

「……俺の口から言わせる気か?」

 出されたティーカップに注がれた血を飲むべきか逡巡し、ふと出口の方を見やる。扉の横にはカミラの侍従、ネリッサが控えている。カミラとその客人ラヴァルを護衛するためにカミラの部屋の入室を許可された彼女だが、カミラの目がなければ今すぐにでもラヴァルをくびり殺さんとばかりにぎらぎらとこちらを睨みつけていた。

「同胞殺しを任されてる輩と飯を食いたい奴はいまい? 嫌われ者の自覚はある」

「あなたの場合、そのお口のはしたなさにも問題があると思いますわ」

 余計なお世話だ。

「問題なのは俺の立場だけじゃない。あんたが俺を呼び出すことに問題がある」

「あら、どうしてでしょう?」

「とぼけるな。掟番はどの吸血鬼に対しても平等でいなければならん。ブラムの直系だろうと名無しだろうと」

 だのに――派閥の長であるカミラの晩餐会に何度も出席し、カミラ派であるように振る舞えば。

「自らの派閥に掟番を取り込むなどろくでもない勘繰りをされかねんぞ。……あんたにそういう気がないのなら、の話だが」

「あなたはどう思っていらっしゃるのですか? ラヴァルさま」

 しかしカミラは逆にラヴァルへ問い返した。

「どうしてわたくしが、余計な危険を背負ってまであなたをお招きしているのか。どうしてだと、あなたは思っているのでしょうか?」

 カミラの群青色の双眸がラヴァルの顔を覗き込む。ただならぬ様子に思わずぞっとし、息を呑んだ。

「……知るか。とにかく、今度の晩餐会には行かんからな。もう誘うのはやめてくれ」

 そんな風に強引に話を打ち切り、ラヴァルは立ち上がる。カミラは引き留めはしなかった。ただ一言、

「当日、お待ちしておりますわ」

 と言ったきり、ただ優しく貴婦人の笑みを浮かべるだけだった。

「……ふん!」

 それがどうにも気に入らず、ラヴァルは乱暴にマントを翻して部屋を出る。途中、侍従ネリッサに思いきり睨みつけられたが、逆に睨み返すと身をすくませて道を開けてもらった。悪人相もこういうときには役立つものだ。

「お前が何を考えているかなどわかるわけないだろう! わかっていたら……!」

 ぶつくさと愚痴をこぼしながら回廊を歩く。すると、くすくすとばかに子供っぽい笑い声が耳をくすぐった。

「素直に言えばいいじゃないか。『君が心配だ、何か考えがあるのならちゃんと話してほしい』って。カミラ姫も変わっているよねえ、こんな意地っ張りなやつを気に入るなんて」

 絹めいた金髪に宝石をはめ込んだように真っ赤な瞳。貴族風の黒いジャケットを着こなすその男を見た瞬間、ラヴァルの不機嫌は油を注がれたように燃え盛った。

「サンジェルマン……」

「うわあやだやだ、会った途端にそんな目で見なくたっていいじゃないか。出会ったらまずは挨拶、『おはよう』『こんにちは』『ごきげんよう』が礼儀なんじゃないかな?」

 そう言って肩をすくめるサンジェルマン。他者、特にラヴァルをいらつかせることにかけては天性の才能を持つサンジェルマンに相対すると、ラヴァルは自分が掟番であることを決まって後悔する。掟破りでない者に私怨で暴力を振るうのは禁止されているのだ。どんな些細な罪だって見逃すまいと目を光らせても彼が尻尾を見せる気配がない。そういった無意味な観察のせいで自ら気分を悪くしている事実に、ラヴァルはまだ気づいていない。

「なんの用だ……」

 と言いかけ、彼の傍らに小さい影があるのに気付く。サンジェルマンにばかり目がいっていたが、この少年は。

「お久しぶりです……ラヴァルさん」

「……タイタニアス」

 かつての友、コスタードの愛弟子。あの夜とは違ってちゃんと礼式にのっとった礼服を纏っていたが、涙が染みついたようなそばかす顔にはあまり似合っているとは言い難い。

「ほら彼、師匠がいなくなって身寄りがなくなっちゃっただろ? 行く当てもないみたいだったからぼくが面倒見てるんだ。ね、タイニー」

「タイタニアス、です……」

 サンジェルマンがつけたあだ名を控えめに訂正するタイタニアス。

「そうだ、せっかくこうして再会できたんだ、ちょっとふたりで話でもしたらどうかな?」

「え、サンジェルマンさん!?」

 と、サンジェルマンはタイタニアスの手を無理矢理ラヴァルに繋がせる。抗議しようと口を開くタイタニアスを遮るように、サンジェルマンはウインクしながら言った。

「コスタードくんのことはぼくよりラヴァルくんの方が詳しいからね。何か訊いたらいいんじゃない?」

「お、おい!」

「じゃあ、ぼくちょっと用事があるから!」

 子守を押し付けたな、と気づいた時にはサンジェルマンの姿は消えていた。奴の顔を見なくてよくなったのは良しとして、どうしたものかとおずおずこちらを見上げるタイタニアスを見る。

「……手、離してもいいか?」

「え、あ、はい! もちろんです!」

 女子供でもあるまいし、と繋ぎっぱなしの手が急に恥ずかしくなりそう訊ねると、タイタニアスはあわあわと手を離した。どうやら怯えられているらしい。あの一件のせいだろう、無理もない。いくら師匠の知り合いとはいえ、散々脅しつけられた相手から話を聞きたがるような者はそうはいやしないだろう。

「立ち話もなんだ。場所を移すぞ」

 とはいえ、このまま放り出せばサンジェルマンに借りを作ることになりかねない。タイタニアスは遠慮がちに頷き、大人しくラヴァルについていった。




 中庭に作られた庭園まで移動する。よく手入れされた薔薇の生け垣の上にやや欠けた月が浮かんでいる。カミラの館は主の心がそのまま反映されたように美しいがどうも息苦しい。月が見えると心なしかほっとする。

「……コスタードは」

 低い階段に腰掛けて話を切り出す。タイタニアスはしばらく居心地悪そうに立ちすくんでいたが、やがて覚悟を決めたようにラヴァルの隣に座った。

「強い奴、だったな――英雄、と呼べるくらいには。実際、《大厄》での奴は凄まじかった。奴のいた戦場が、あるいは戦況が違っていたならば、ハイドやローゼンクランツのように武功を認められて将軍と呼ばれるようになっていただろう」

「大厄って……大厄戦争のことですよね?」

 訊ねられ、そういえばこの少年は大厄以降に生まれた吸血鬼であったことに気づく。

「ああ。三百年ほど前、天から突如『降って』湧いた侵略者――《白きものども》が我々吸血鬼に攻撃をしかけ、それらを撃退駆逐しきるまでの戦いのことだ。コスタードに教わっただろう?」

「ほんの少しだけですが……その、《白きもの》ってなんだったんですか? お師匠に聞いた話では、なんだかよくわからなくて……」

「……わかっている吸血鬼がひとりでもいたら御の字だろうな。奴らが《何》だったのか、まったくわからないというのが正直な話だ」

 明らかに人間とも吸血鬼とも違う生物――まるで人間が作る彫刻像のように真白く、無生物じみた、翼を生やした《何か》。それらは突如現れ、言葉らしい言葉も発さずにひたすら吸血鬼達を攻撃し殺戮した。あれらと初めて対峙したときのことを思い出すとラヴァルの巨躯すら竦んでしまう。同胞の血で真っ赤に染まった白き人型が大剣を手に無表情にこちらへ向かってくるのを。

「奴らは何者なのか。何故俺達を殺すのか。それすら判然としないまま虐殺され、虐殺する夜が続いた。奴らに殺される前に恐怖で気を触れさせてしまった者も現れる中、お前の師匠コスタードはその手斧で勇猛に奴らと戦ったよ。あいつのおかげで士気を取り戻した者は少なくない。……俺もそのひとりだ」

 奴をついつい過剰に評価してしまうのはそのせいからかもしれないな、と思いつつ付け加える。いつのまにかタイタニアスもラヴァルに対する怯えをどこかへ追いやり、興味津々といった様子で彼の話に耳を傾けていた。

「あ、あの! お師匠の『名』も大厄の活躍でついたんですよね! 『百頭落とし』!」

「そうだったな……あまりに即物的すぎて、気に入っていないようだったが」

 確かにあまり格好のついた名ではない。大厄の活躍で名が知られたとはいえ、もう少し体裁の整った名でも良かったろうにと彼の代わりに思う。

「えっと……確か『名』って、お師匠みたいに活躍したり、色んな吸血鬼に顔を知られたらつけてもらえるんですよね? 名誉のあるものなんじゃないんですか?」

「最近はどうだか知らんが、昔は――特に大厄以前はそう大したものでもなかった。単にありふれた名の奴を呼び分ける為の手段だったよ、《名》は。だから昔に付けられた名のほとんどは悪口とそう変わらん」

 名に特別さを見いだすようになったのは吸血鬼の数が減った大厄以降だったか。思えば大厄のおかげで吸血鬼の世界も多分に変わった。掟が作られ、掟番達が任命されたのも、将軍など一部の吸血鬼が特別視されるようになり、それらの吸血鬼が派閥を作るようになったのも大厄以降の話だ。

「……そういえば、ラヴァルさんの《名》ってどんなのなんですか? 聞いたことないような……」

「俺も、あまり名乗りたくなるような名ではないからな……」

 とはいえ訊ねられたのに隠すようなものではないだろうと口に仕掛けた途端。

「聞かない方がいいんじゃないかな。あんまり気分の良くなる名前じゃないから」

 タイミングを図ったように大理石を鳴らす足音が背後から聞こえてくる。ラヴァルが彼、サンジェルマンを嫌うのはこういうところだ。

「お待たせタイニー。お話、楽しかったかな?」

「あ……はい……」

 サンジェルマンに呼ばれて立ち上がるタイタニアス。ラヴァルも込み上がる癇癪の虫を飲み込んで振り向いた。

「お前こそ楽しかったか? 自分の役目をよそに押し付けて行く油売りは」

「やだなあ、そんな言い方しないでほしいな。ラヴァルくんほどじゃないにしろ、ぼくだってそれなりに忙しいんだから」

 ならばなぜサンジェルマンより忙しいであろうラヴァルに子守を押し付けるのか。呆れて言葉も出ないラヴァルへつかつかと近づくサンジェルマン。

「っ――何をッ」

「きみもあんまり思い出したくない話だろう? 詳しくは知らないけれど、辛い事件だったらしいじゃないか。この

傷も……」

 サンジェルマンが伸ばした指がラヴァルの右眉をえぐる傷に近づく。ぎょっとしてのけぞると、サンジェルマンは子供っぽい笑みを浮かべて指を引っ込めた。

「……お前!」

 いきなり何を? 憤るラヴァルを尻目に、サンジェルマンはにこやかにタイタニアスの手を取った。

「そろそろ帰ろう。あんまりひとの家に長居してたら迷惑だしね」

「はい……あ、あの!」

 と、タイタニアスはサンジェルマンに引かれながらラヴァルを振り返った。

「お話、楽しかったです! その……良かったらまた、聞かせてください!」

「……ああ」

 サンジェルマンのせいで額に浮きかけた青筋を隠すように後ろを向き、ラヴァルはおざなりに手を振った。だからタイタニアスが彼に向ける視線が最初のときとは明らかに違っていることにも、サンジェルマンがそれを見て微笑んだことにも気づかなかった。




  ◆




「わ……悪かった! 見逃してくれえっ!」

 掟番となってからかなりの年月を経たが、どうしてこうも裏切り者は似たような台詞ばかり言うのだろう。

「その言葉はお前のせいで犠牲になった同胞達に言うんだな。恥知らずめ」

 もっともそんな薄っぺらい言葉でこいつの罪を許すような奴はいないだろうがな、と掟破りに軽蔑の眼差しを向ける。月も同調しているかのように夜の平原に冷たい光を降り注がせていた。

 この吸血鬼、鳴き鳥のペイジの罪状は、ここ最近ラヴァルが聞いた中でも最も酷いものだった。人間――それもよりによって吸血鬼ハンターギルドに同胞達の情報を売っていたのだ。いやにハンターとの交戦報告や狩られた仲間の話を聞くと思っていたが……たとえラヴァルが掟番でなかったとしても、彼を許すことはなかっただろう。

「仕方なかったんだよ! そうすれば助けてくれるって……そうしなきゃ俺は殺されるところだったんだ!」

「自分さえ助かれば仲間がどんなに殺されようと構わないと? 随分優しい心根だ、尊敬するな」

 掟番に罪がばれてなお言い訳をして逃れようとする根性。怒りを通り越してもはや呆れるばかりだ。同胞であろうとこんな奴を生かしておくわけにはいかない。ラヴァルは顔に血紋を浮かび上がらせ、右手を振り上げた。

 そのときだった。

「――ッ!」

 背後に感じた殺気――とっさに横に飛びのいたラヴァルは、ほんの刹那まで自らが立っていた地点にかまいたちめいた斬撃が通過するのを見た。斬撃――否、細くしなやかなそれは鞭――は地面をしたたかに打ち付けた後大きくしなって後方の主の元へ帰っていく。

「ちっ……避けやがったか。めんどくせえ」

「く……クレスニク! 来てくれたのか!」

 無様に這いつくばっていたペイジが襲撃者に目を輝かせる。さてはこいつが情報を売っていた吸血鬼ハンターか。舌打ちしながら襲撃者を振り向き、臨戦態勢を取る。

「ドジ踏んでんじゃねえよ大間抜け。まあ、最後に大物を釣ったことは褒めてやらあ」

「す、すまねえ、助かった! あんたが来てくれなかったら俺は今頃……!」

「うるせえ。狩りの邪魔だ、さっさと行っちまえ」

 縋りついてくるペイジにしっしと追い払う仕草をする襲撃者――クレスニク。ペイジはすまねえすまねえと何度も謝りながらクレスニクの横を逃げていこうとする。まずい、逃がすわけにはいかない。追いすがろうとしたラヴァルだが、しかしクレスニクの方が早かった。

「……地獄に、な」

「え……?」

 ぴしゅん、と空気を裂く音が響く。不思議そうに振り向いたペイジの首が水平にずれ、やがて肩からぼとりと落下する。呆然と目を見開くペイジの生首――それを鞭によって切断せしめたクレスニクは無造作に歩み寄り、ぐしゃりと顔を靴底で踏み潰した。

「足つけて尻尾見せちまってる時点でてめえはもう用済みだ。簡単に仲間裏切るような吸血鬼(クズヤロー)を助けてやるほど俺も暇じゃねえ。今までありがとうな、クソったれ」

「お前……!」

「さて、めんどくせえ奴もいなくなった。次はてめえの番だぜ、仲間殺し」

 裏切り者とはいえ、今まで協力してきた者をこうもあっさり文字通り斬り捨てるのか。驚愕と怒りで奥歯を食いしばるラヴァルにクレスニクは死んだ魚のように胡乱な瞳を向け、ペイジの血が付いた鞭を振るった。

「つっ!」

 避け損ね、矢のように頬をかすめて再び敵の足元へ戻った鞭。出来た切り傷を無理矢理塞ぎながら、得物を奪うチャンスを逃してしまったなと舌打ちする。

「掟番の赤マント、菫色の瞳、右眉の傷……。てめえが『朋殺し』のラヴァルか」

 敵は一人らしい。ぼさぼさと無造作に伸びきった黒髪に酒の臭いが染みついた黒い外套。そのうえ鞭使いとなればラヴァルにも心当たりがある。クレスニク……吸血鬼ハンター。

「クレスニク・フォン・ヘルジング。『黒茨の親指』だとか、呼ばれているそうだな」

「は、むさい野郎に名前を知られてても嬉しくならんな。めんどくせえだけだ」

 めんどくせえ。

 と――クレスニクは鞭を振るう。二十フィート近い革製の蛇が空気を切り裂きながら目にも止まらぬ速さでラヴァルの顔面に襲い掛かる。とっさに足元にあった枝を蹴り上げ盾にするが鞭はごく当たり前に剣さながらの鋭さで枝を両断した。

「くっ――!」

 厄介だ。こんな長い得物、並大抵の者は扱うことができない。振り回すことは出来てもその先端を正確に的に当てるのは相当な修練を積まねば難しいはずだ。しかしクレスニクの鞭はあたかもそれ自身が意思を持っているかのように執拗にラヴァルを追ってくる。さすがは『例外』、彼に屠られたであろう同胞のことを思い歯噛みする。

「避けんじゃねえよめんどくせえなあ!」

 一方巨躯でありながら軽やかに鞭をかわすラヴァルにクレスニクも苛立ちを覚えていた。無論『名有り』をそう簡単に始末できるなどと甘い考えは抱いていないが、しかし異能を見せるどころか反撃の構えすら見せないラヴァルの姿勢は気に食わない。後退を続けるラヴァルに合わせ、クレスニクも鞭を繰りながら少しずつ前進する。

「どうしたデカブツ――その体は吸った血が詰まっただけのお飾りか!?」

「やかましいぞ血袋が!」

 達人の振るう鞭は音よりも速く飛ぶという。右手首を逃がしたかと思えば左腿、かろうじて良ければ今度は首! 防御する暇すら与えない超速の猛攻。なんとか反撃に移らなければ……ラヴァルの顔に血紋が浮かび、両手が不穏に光を放つ。クレスニクはその瞬間を見逃さなかった。

「らあッ!」

「!」

 右手で鞭を操りながら左手で素早く腰のナイフを抜き、ラヴァルの胸へと投げつける――! その間にも鞭による休みなき攻撃が加えられているのだ、あと一歩遅ければナイフはラヴァルに刺さっていただろう。ラヴァルの異能、超感覚(サイコキネシス)による不可視の腕に防がれ宙で動きを停止したナイフを見てクレスニクは舌打ちした。

「大人しく刺さっておけばいいものを。めんどくせえ」

「余程何もかも面倒らしいな、お前は。安心しろ、すぐに面倒も感じずに済むようにしてやる」

 《腕》からナイフを抜き、クレスニクに投げ返しながらラヴァルは《イメージ》する。この手刀を作るイメージ――両腕が鋼の硬質化するイメージ。超感覚によって生成した不可視の腕を不可視の双剣に変化させるイメージだ。

「だったらさっさとくたばりやがれ!」

 ナイフを鞭で払い落とし、クレスニクはラヴァルに向かって突進する。その頃にはラヴァルの双剣も完成し、クレスニクを袈裟切りにすべく見えないロングソードを振り上げた。しかし見えないはずのそれをクレスニクは鞭を振るって弾く。耳をつんざく激しい金属音。

「ッ――!」

「だらあッ!」

 すかさず鞭がラヴァルの首を狙う――しかしラヴァルの剣は一つではない。弾かれた方とは逆の剣で鞭を防ぐ。防がれたとみるやクレスニクはすぐに鞭を引っ込め後方へ飛ぶ。ラヴァルの目や体の動きで不可視の剣の軌道を予測しているのか。クレスニクの反射神経に冷汗が流れる。ただものではない。

 だが。

「がッ!?」

 ラヴァルの《攻撃》にはさすがに気づけなかったようで、直後に胸に出来た切り傷をおさえて呻いた。とっさの攻撃だったからかやはり浅い――出血はしたが決して決定打にはならない。ラヴァルは《手》についた血を舌先で舐めた。酒臭くて不味い。

「てめえ……なんだ今のは……」

「さあな。面倒だから教えん」

 にやりと口角を上げてみせると、クレスニクも引きつった笑みを浮かべてみせた。

「なるほどな……名有りの掟番。仲間殺しのクズも手練れとあればそれなりに厄介か」

「お前のような血袋に蔑まれるほどに落ちぶれたつもりはないがな。……どうする、その傷でまだ続けるか? 面倒がりの狩人気取りめ」

「……ちっ。めんどくせえ」

 傷を抱えての単独戦闘は不利だと判断したのだろう、ラヴァルにナイフを投げつけながら撤退していくクレスニク。裏切り者とはいえ同胞を殺した吸血鬼ハンター。本来なら逃がすべきではない。しかし……。

「……くっ」

 クレスニクが見えなくなったのを確認してから右腕を見る――先程使った《裏技》のせいで中指と薬指の間の股から前腕にかけて切り裂かれたように大きな傷が出来ていた。クレスニクの予想外の強さに思わず使ってしまったが、もしクレスニクが怪我を押してでも戦闘を続けていればただでは済まなかっただろう。案外、クレスニクの撤退で命が救われたのはラヴァルの方かもしれない。

「吸血鬼ハンター、か」

 右腕の止血と応急措置を施しながら呟く。増えた交戦報告。所詮は人間と侮っていたが、近頃はクレスニクを始めとした《例外の五指》と呼ばれる強者が頭角を現してきた。そして――――例のカンタレラだ。

「………………」

 何かが起ころうとしているのではないか。ラヴァルはふと、予感めいたものを覚えた。強くなった人間達に妙な動きを見せるカミラ派。これは何かの前触れなのではないか。この流れがやがて、何か大きな災いを――大厄にも比肩する災いを呼び込むのではないか、と。

「……まさか、な」

 考えながら馬鹿馬鹿しくなり、一笑に付す。しかし胸に浮かんだ妙な寒々しさは消えないままだった。


吸血鬼大全 Vol.107 朋殺しのラヴァル

吸血鬼達の動向を監視し、掟破りや裏切り者に制裁を加える掟番に所属する吸血鬼。

得意とするは超感覚。主に顕現するのは腕だが、彼の場合その腕をイメージで剣や盾などに変形させることができる。この厄介な不可視の双剣は、しかしほとんど裏切り者の仲間に振るわれるばかりである。

掟番の制度が成立したのは大厄戦争後すぐのことだったが、彼は当初任命されていなかった。とある事件で裏切り者と化した友を斬ったことがきっかけで掟番の長ノスフェラトゥに目をかけられることになる。

彼の右眉にある傷はその事件でできたものである。

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