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第二十七話 血まみれの悪魔は白く

「わあ……! ここが新しいおうち!?」

 馬車から降りたエルジエは新居の立派な佇まいに目を輝かせた。

 ハイド邸はバートリーが想像していたほどには荒廃してはいなかった。築百年も経っていないような、まだ新しい城砦だ。すっかりしみついた血の匂いと、そこかしこに転がる武具の破片、塀に引っ掛かった人骨に、自分達がやってくるほんの少し前には血生臭いやりとりがあったのだろう、と気が付かなければバートリーも気に入ったかもしれない。

「美味しそうな匂い! どこかにご飯があるのかしら!」

「そうだね。僕達ももらえるかはわからないけど」

 エルジエが争いの跡に気づかないよう、さりげなくそういった破片を足先で追いやりながら、バートリーは辺りを見回した。門の前で待っているように言われていたが、迎えはどこにいるのだろう? 馬車の御者は催眠で奴隷にされた人間で、まともに話を聞けそうにない。

「ようこそお越しくださいました。バートリー様、エルジエ様」

 と、バートリーの疑問に応えたかのように、門の奥、屋敷の入口から声がした。

「主に代わり、ご挨拶させていただきます。わたくしはハイド様の侍従を務めております、ルンゲと申します。以後、お見知りおきをお願い致します」

「………………」

 出迎えの姿にバートリーはしばらく驚きで言葉を失っていた。あの荒くれ者ハイドの侍従がこんなにも慇懃であること、そしてその齢姿がシーカー少年とあまり変わらないくらいの若者であること――華奢とすらいえる細身でありながらあのハイドに付き従っているなんて、バートリーには到底信じられなかった。

「君が……?」

「ええ、よく訊ねられます。わたくしめのようなひ弱な若造がハイド様のしもべであるなんて、と。確かにこの貧弱な体はわたくしめも恥じ入るばかりでございます」

「あ、ああ、いや……君を馬鹿にしたいわけじゃないんだが……」

 ハイドの部下といえば、彼に同調しているごろつきの乱暴者ばかり、と決めてかかっていたのだ。あの無垢な少年シーカーといい、こんな柔弱な若者がハイドの暴虐についていけるのだろうか?

「戦はともかく、病に苦しまれるハイド様のお世話はちんぴら達には務まりません。特にご容態のすぐれない最近は、わたくしめが執政を手伝わせていただいているのです」

 誇らしげに胸を張るルンゲ。考えてみれば当たり前だ、病に伏せっているハイドの部下が武官ばかりでは生活もままならないだろう。少し口が滑っているところもあるものの、このルンゲと言う若者は立派に分館を務めているらしい。目の前の若者を侮った自分をバートリーは恥じた。

「おっと、申し訳ございません、立ち話をさせてしまいました。お二方、どうぞこちらへ。主は今、容態が思わしくなく……大変恐縮ながら、すぐには面会できそうにありません。しばらく客室にてご休息なさっていてください」




 バートリー達に用意された部屋はもちろん旧居の古砦よりも狭かったが、賓客としては最上級の待遇を与えられていた。バートリー、エルジエそれぞれに専用の部屋を与えられ、更に自由に使える専用の侍従がひとりずつあてがわれた。バートリーに至っては寝室とは別に書庫と書斎を兼ねた部屋まで用意され、予想以上の歓待ぶりに眩暈すら覚えてしまった。

「ハイドがこんなにもしてくれるっていうのか? この僕に?」

「それだけ貴方様は我が主に期待されているのです。貴方様のお知恵が、ハイド様のご病気を癒してくれるだろうと」

「………………」

 もしハイドの『病』を治せなかったらどんな目に遭わされるのか。バートリーは顔を青ざめさせた。

 ハイドは結局、その夜には姿を現さなかった――侍従ルンゲ曰く、「ここ数夜は特にひどく、寝台を出ることもままならない」そうだった。顔を合わさずに済んでその夜はほっとしたが、会えないと会えないで不安が募る。

 しかしハイドと面会できるまでの数夜、バートリーがまったく暇であったかといえばそうではなく、新しい、心から熱中できる仕事を見つけることができた。シーカー少年がバートリーに教えを乞いにきたのだ。

 バートリーを無邪気に慕うシーカーはバートリーの授業を熱心に受け、貪欲に知識を吸収した。時には人形遊びに飽きたエルジエや他の若い侍従達をも交えて行うハイド邸での授業は、バートリーの新生活の数少ない楽しみとなった。

「今から千年以上前、古の時代、吸血鬼と魔女が戦争していた時代。聖なる父祖ブラムの直系、ドラクリウス王子率いる古代の吸血鬼達は、魔女王モーガンが治めていた人間と魔女の国と小規模な紛争を繰り返していた――昨夜はここまで教えたんだったね。理由は覚えているかな?」

「はい、当時人間達を支配していた魔女を打倒し、支配権を奪うためです!」

「その通り。表立って争い始めた当初の数年間は、大規模な戦争は起こらなかった。吸血鬼軍にも魔女軍にも穏健派や和平派がいて、戦争の合間に和平交渉を試みていたんだ。ところが、魔女軍を裏切った魔法使い達が吸血鬼軍に投降してからは状況が一変した。離反者達のリーダー格は魔女軍の中でも重要な研究職に就いていて、吸血鬼軍に降ってからも多くの新技術を開発した。人狼がその代表と言われているね。裏切り者に怒り狂う魔女軍と、新兵器を手に入れた吸血鬼軍の争いは徐々に激化していった……」

 学んだ覚えのない知識を口にするのはやはり気味が悪かったが、シーカーは誰よりも熱心に聞いてくれていた。奇異の目ばかり向けられるバートリーの能力を心から尊敬してくれたのだ。

「……そして、人間達の謀反によってモーガンは女王の座を追われ――魔女の国すら追放され、流浪の魔女となった。言い伝えによればこの女王モーガンこそが、千の悪霊と万の呪いを操る大魔女、モルガーナの正体だとされている」

「事実かどうかはわからないんですか?」

「どうもはっきりわからないんだ。とても縁深い関係なのは間違いないんだが……古式ゆかしい魔女術を使っていたモーガン女王と、魂を素材にした邪悪な呪術を操るモルガーナはいまいち印象が符合しない。名を受け継いだ弟子だとか、女王の死後、彼女に成り代わった使い魔だとか、そういうものなのかもしれない。千年以上も生き、吸血鬼をも滅ぼしうる呪いや魔術を振るうのだから、恐ろしい存在には間違いないんだけど……」

「カンタレラ」

 と、そこで急にシーカーが言った。

「カンタレラとモルガーナはどう関係してくるんですか?」

「あ――ああ、」

 相槌でもなく、話の流れを遮って質問してきたシーカーに一瞬戸惑う。しかしカンタレラの話題は、女王モーガンを語るうえでは不可欠なものではあった。

「ええと、まずカンタレラだけど、これはモーガン女王による発明だと言われているんだ。吸血鬼を一撃で殺しうる必殺にして非人道の兵器。当時吸血鬼軍が優勢だった戦争に、全身の血をカンタレラに改造した兵士を多数投入することで、魔女の国は形成を逆転してしまった。けれど、カンタレラになった者は戦に勝とうと苦痛の死を免れることはできない。多くの兵士や民を犠牲にしたカンタレラ計画の非道さに疑いや怒りを持った民達によって、その後女王は失脚させられてしまうわけだけど……」

「カンタレラはモルガーナが作った、って聞いたことがあるんですけど」

「うん、モーガンとモルガーナが同一視される根拠の一つだ。モーガン女王の追放後、魔女の国ではカンタレラの製造は行われなくなった。製法を女王以外知らなかったからとも、カンタレラの非人道性に民達自ら放棄したとも言われている。ところが魔女の国が滅びて数百年後、カンタレラが再び製造されるようになった。モルガーナ率いる黒魔女の一派が決起して、吸血鬼に対抗しようとしていたんだ。黒魔女達の大半はハイド――君達の主、魔女狩り将軍によって討伐されたけど、狡猾に生き延びたモルガーナはその後も潜伏して人間達を犠牲に兵器を作り続け、そして当代のカンタレラが作られた――」

 話しながら、ふとバートリーはその当代のカンタレラに思いを馳せた。カンタレラになった男――噂に聞く限りはまだ齢二十にも満たない子供らしいが――は何を思ってカンタレラになろうとしたのだろう。万人に忌み嫌われる黒い肌、魔女に服従しなければ明日もわからないような命。そうまでなってまで吸血鬼と戦おうとする理由とはなんだろうか。邪悪な魔女の甘言に騙されたのだとしたら、恐ろしい敵とはいえあまりに忍びない。

「じゃあ、モルガーナを殺せばカンタレラは?」

「遠からず死んでしまうだろうね。人工の血液は魔女が管理して初めて機能する。管理者がいなくなれば、澱んだ血を清められず、失血しても補充されず、生きながらにして腐り死んでいくだろう」

 もちろん、他にカンタレラを扱える魔女がいれば話は別だが、もうモルガーナ意外にそんな技術を持つ魔女は生き残っていまい。

「万に一つ、気まぐれにモルガーナに人間の身体に戻してもらってでもいない限り、確実に彼の命はない――」

 そう考えると、これまで数多くの同朋を殺してきた悪魔のような男が、少し哀れに思えてしまった。



 ◆



 白髪の悪魔が笑っている。

 すっかり肌や髪が白くなってしまったグレーテを抱きかかえ、血まみれで狂ったように笑っている。

 返せ、と何度叫んだか知れない。だが、悪魔の耳にはちっとも届いていないらしい。笑って、泣いて、嬉しそうにグレーテに頬ずりをしながら、しきりにこう呟くのだった。


「これでぼくもしあわせになれる」


 視界が血のように赤く――黒く、染まった。




「ヤン! おい、ヤン!」

 体を揺さぶられ、目が覚める。視界に入るのは白い髪――いや、銀色の髪だ。

 ロムルス・ラベート。

「目が覚めたの? 意識ははっきりしてる?」

 シャルル=アンリの声。少し離れたところから老婆の声も聞こえてくる。そうだ、俺は確か――記憶が徐々に戻ってくる。だが、何か変だ、胸の中で、何かがどくどくとうるさい。

 ――眩暈がする。

「なあ、オレのことわかるか!? 気分は悪くないか!?」

「うるさい――」

 じわじわ思考を遮る頭痛を堪えようと、額に手をやる。……その色は、白。あるいは、赤い血を少し透かせた、薄桃色。

 ヤンの血は赤くなっていた。



 事情を説明できるほどにはヤンも状況を理解できてはいなかった。

 いきなりモルガーナが現れたかと思うと、有無を言わさずヤンに魔法をかけたのだ――ヤンからカンタレラを一滴残さず抜き取り、赤い血の流れる人間に戻したのだ。

「坊やにはもうカンタレラを持つ資格はない。復讐なんて諦めて、友達ごっこに興じていればいい――」と。

「じゃあ、今は普通の人間なんだ?」

 翌朝、一晩中ヤンを見守り続けた疲れで寝てしまったロムルスに代わり、シャルル=アンリが訊ねる。

「ちょっと試してみようか」

 ナイフで腕に小さな傷を作ってみると、そこから出た血は間違いなく赤かった。生温かく、鉄臭い匂いが鼻に突く。固まるのにしばらくかかり、鎧のように硬くなることはなかった。

「どうしたもんかなあ」

「この小僧の肌が白くなったのがそんなにまずいのかい」

 頭を抱えるシャルルの横で、老婆ゼルマは眠たげに朝食を食んだ。いつの間にか、既に日は昇りきっている。

「まずいっていうかさ……」

 カンタレラという通り名が示す通り、ヤンの最大の武器はその身に流れていた毒血だ。それを失ったとなれば、ヤンの戦闘力は格段に落ちてしまう。実戦経験は積んできたとはいえ、ただのちびで痩せっぽちの少年と化したヤンがどれほど戦えるというのか。

「大体、オレは魔法のことはよくわかんないけど、そんなにぱっぱっぱって変えたり戻したりできるもんなの? 人間の体。魂まで抵当に入れちゃったっていうじゃない。そんな契約をそんなノリであっさりふいにできるのかな。ああもう、さっぱりわかんねー……」

「それよりもヤンのことが心配だろ!?」

 と、仮眠から目覚めたロムルスが言う。

「ヤンの体は大丈夫なのかよ!? 本当に人間の血になったのか、騙されておかしな薬でも混ぜられてたりしないだろうな!? なんであんなことしたのか、今すぐにでもあのばばあのところに行って問い詰めてやらないと――」

「無理だ」

 ヤンがぽつりと言う。

「モルガーナの棲処は呪いで守られている。招かれていないものは辿り着くことができない。棲処に行くには、モルガーナに招かれるか、モルガーナの呪いを破れる魔法が必要だ」

 感情がないかのように淡々と語るヤンに、ロムルスはモルガーナと初めて遭遇した時のことを思い出す。林の中に突然魔女の家が現れたり消えたりしたのは、やはり魔法の類だったのか。

「魔法なんて使えないぜ。じゃあ……もう手立てはないってのか」

「痛いの痛いの飛んでいけ、なんておまじないならできるけどねえ。あんたらが言う魔法ってそういうのとは違うんだろ? 難儀だねえ」

 落ち込むロムルスの肩を叩くゼルマ。老婆は彼らの話にはまったくついていけなかったが、何やらにっちもさっちもいかなくなっていることはわかった。

「魔女……だったかい。このご時世、そんなの名乗る奴ぁよっぽどの酔狂者か阿呆さね。まして本当に魔法が使えるのなんているもんかい。力になってやりたいとこだけど、あたしゃこの通りただの老いぼれ婆だし……あたしの知り合いはこないだ全員死んじまったしねえ」

 いやだ、慰めるつもりが結局当てこすりみたいになっちまったよ、と言い終えてから気まずくなるゼルマ。だが、そんなゼルマの言葉にシャルルアンリは何か思い出したようだった。

「……そうだ。あて、あるよ」

「へ?」

「ほ、本当かよっ!」

 驚きのあまり立ち上がるロムルスにうん、と頷くシャルル。しかし、その顔はあまり明るいとは言えなかった。

「その子が今も無事に生きてたら――の話だけどね」




 それから三日ほどかけ、シャルル=アンリ一行はクローゼンブルクの街に到着した。

 老婆であるゼルマと衰弱したヤンの体を慮ってゆっくりとした移動になってしまったのだが――シャルルはその判断を激しく後悔した。

「なんだよこれっ……めちゃくちゃじゃないか!」

 荒れ果てた街を見てロムルスが呆然とする。シャルルも我が目を疑い、道を間違えてしまったかと何度も確認した。街並みはすっかり崩壊していた。建ち並んでいた家々はすべて焼かれるか壊されるかし、道端には瓦礫や何かの死骸らしき塊が転がっている。人の気配はまったく感じない。

「どうして――」

 ヤンですら信じられないといった顔で放心していた。シャルルは数日前の吸血鬼ソニィの話を思い出し、苦虫を噛み潰した。これだけ荒れ果てていながら、人間の死体がほとんど見当たらない、ということは。

「ハイド、か……」

「なんだと!?」

「少なくとも、吸血鬼に攻め込まれたと見て間違いなさそうだ。ギルドを探そう。クレっさんやドミニっちがあっさりくたばってるとは思えない」

 廃屋群の中でも比較的原形を留めていた民家にゼルマを休ませ、三人で手分けして街を探索した。ギルドと酒場があった場所は更地のようになっており、地下への入口も塞がってしまっていた。酒場の女主人も死んでしまったのだろうか? ギルドで寝泊まりしていた『じいさん』は? 現実を目の当たりにしたヤンは徐々に心を不安に蝕まれながら、壊滅した街を駆けた。

 クレスニクの姿を見つけたのは、それから少ししてのことだった。

 そこらの焼け跡から引っ張り出してきたらしい材木やらつるはしやらを使い、崩れた家を熱心に掘っている。何をしているのだろう、あのクレスニクが人助けをしているとは思えないが。奇妙な様子に声をかけるべきか迷っていると、クレスニクの方もヤンに気づいた。

「何してる、クソガキ」

「………………」

「……てめえ、どうしたそのツラ。小麦粉でも被ったか?」

 クレスニクの足元には酒瓶が何本も転がっている。酔っているのだ、とヤンは思った。大方酒に困り、酒屋跡を掘り返しているに違いない。

「ヤン!」

「クレス!」

 どうしたものかとヤンが悩んでいるうちに、それぞれ別の方向からロムルスとビーチェがやってきた。面識がない二人は顔を合わせるとお互いの姿に戸惑ったが、話している暇はないとばかりにそれぞれの捜し人の方を向いた。

「カンタレラちゃん、無事だったのねえ。随分色白に見えるけれど、何かあったの? ……じゃなくて、クレス、何してるの? 今大変なのよ、ドミちゃんが……」

「そうかい」

「まさか、まだ探してるの? いくらネッサちゃんでも生きてるわけ……」

 ネッサローズ! ヤンは驚き、クレスニクの横顔を再び見た。ネッサローズこそ、ヤン達がギルドに戻ってきた目的だった。色々と不思議な力を使う彼女ならば魔女の呪いについても何かわかるかもしれない、というのがシャルル=アンリの考えだった。しかし、ビーチェの口ぶりでは行方不明になっているようだが……。

「ネッサなんとかってのを探してるのか、おっさん」

「……酒」

 クレスニクは煩わしげに首を振り、ロムルスに対する返事の代わりに掠れた声でそう言った。ビーチェは呆れて溜め息をつき、転がっていた酒瓶を取ってクレスニクに渡す。

「ど、どうなんだよ……」

「うるせえ」

 安酒をラッパ飲みすると、クレスニクは再び瓦礫を掘り返し始めた。ビーチェのこともロムルスのこともまるでお構いなしだ。

「まったくもう……。そうだ、カンタレラちゃん。シャルルちゃんはどうしたの? 一緒に戻ってきたのよね?」

「お前らを探してる。そのへんにいるだろう」

「そう、じゃあそのうち会えるわね。アタシ達は教会の地下聖堂にいるからって、会ったら伝えてくれる? ……ああでもレッラちゃん、あなたはこっちに来ない方がいいかもしれないわ」

「なぜだ」

 レッラ、という愛称がまるで女のようで少しむっとしながらヤンは問い返す。

「ドミちゃんがね、なんだかあなたのことで凄く怒ってるのよ。宥めても全然聞いてくれなくて……今会ったらきっと大変なことになるはずよ」

「……ネッサローズは、どうしたんだ」

「ネッサちゃんはね……吸血鬼達に襲われて以来行方不明なのよ。探したけど見つからなくって……せめて死体が見つかればいいんだけど、吸血鬼に食べられたのなら可哀想だわ」

 そんな会話をしていると、クレスニクは急に手を止め、瓦礫の中を覗き込んだ。見ると、瓦礫の隙間に何か白い物が覗いている。あれは……人の腕ではないか!?

「なんだよあれ! 人かっ!?」

「まさか、ネッサちゃんなの!?」

「ずっと瓦礫に埋もれていたんだろう? ……死んで、いるんじゃないのか」

 色めきたつヤン達をよそに、クレスニクは淡々と瓦礫をどかし続ける。ヤン達もそれに加わり、瓦礫の山を掘り返す。埋まっていた人物を掘り出したのは、空が朱色から藍色に染まり始め、月が顔を覗かせた頃だった。

 死体だ、とヤンは思った。それは間違いなくネッサローズの姿だった。しかし数日土砂に埋まっていた彼女からは生命の兆候をまったく感じることができなかった。開きっぱなしの目は乾ききり、体はひんやりと冷たく、脈もない。呼吸などしているはずもなく、微動だにしない彼女の姿は生前より人形らしさが増して見えた。

「ネッサちゃん……」

「おい」

 しかしクレスニクはまるでそれに気づいていないかのように、ネッサローズの亡骸を乱暴に掴み上げ、軽く頬を叩いた。

「いつまで寝てんだ。いいかげん起きろ」

 すると、ネッサローズがぱちぱちと瞬きした。

「うわぁっ!?」

「ハイドはもう去ったのですか?」

 そして当然のように喋りだしたネッサローズに、ロムルスはいよいよ腰を抜かした。

「お化けだっ! 死体が喋った!」

「死体ではありません。人形ですわ」

 ネッサローズは作り物じみた笑みを浮かべる。

「わたくし、魔女人形ですの」

「ハイドはいねえよ」

 ただ一人冷静なクレスニクが、ネッサローズを片手で吊るし上げながらその服をはたく。長時間土砂に埋もれていたため、彼女の豪奢な衣装は泥と砂や小さな虫がいくつもくっついている。

「街中の人間を食い散らかしてな。ひとりだけさっさと逃げやがって、こっちは明日食う飯にも困ってる」

「それは大変ですわね」

 ネッサローズは他人事のように言い、変わり果てた街をぐるりと見た。

「よ、よく無事だったわね……ハイドや吸血鬼には襲われなかったの?」

 ビーチェは頭痛を堪えるような顔で問う。ついさっきまで死体だったはずの少女が喋りだしたことから必死で目を逸らそうとしているのだ。

「魔女の力を使いましたの。目は逃れられたものの、避難し損ねてこうして生き埋めになってしまったのですが」

「そうね、『生き』埋めね……そうよね……」

「……ところでカンタレラ様、そのお姿はどうされたのですか?」

「あん?」

  ネッサローズの乾いた瞳がヤンを捉えた。

「カンタレラのお力がすっかり失われているではありませんか――」

「わかる、のか。お前に」

「ええ。毒血はどうされたのです? 大魔女との契約を取り消されてしまったのですか?」

「とにかく、そろそろ地下の避難所に戻りましょう」

 溜め息をつきながらビーチェが言う。その言葉に遮られ、ヤンは答えることも問い返すこともできなかった。

「もう日が暮れてきたわ。ドミちゃんのこともあるし、留守番してるジュビアちゃんが心配よ」

「ちっ、あいつのおしめを替える手が必要ってわけか」

 クレスニクは忌々しげに呟くと、背負い袋から別の麻袋を取り出した。その中にネッサローズを入れて背負う。麻袋から顔だけ出すネッサローズはますます死体のように見える。

「なあ、ヤン。あいつら変だよ、あのばばあよりやばいかもしれないぞ……」

 ネッサローズの異様さに未だ足を震えさせながら、ロムルスはひそひそとヤンに耳打ちした。異常なのは十分承知している。しかし、彼女以外に当てがないのも確かなのだ。彼女が本当に魔法が使え、モルガーナのことやカンタレラの血についても知識があるのなら、なんとしてもネッサローズの力を借りるしかない。

 しかし――ヤンは失念していた。クローゼンブルクの街を襲ったというハイドが誰よりも魔女を憎んでいたことを。ヤンについていたわずかな魔女の残り香すら嗅ぎ分ける執念を持っていたことを。

 魔女人形ネッサローズが、何故あのハイドの目を逃れることができたのか――ヤンにそんな疑問を投げかける人間は、残念ながらいなかった。


吸血鬼大全 Vol.349 ルンゲ

ハイドに仕える吸血鬼。若く、力も弱いが、病床に伏せるハイドの補佐官を務めている。

元々は女性として生まれてきたが、ハイドに憧れて自らの弱さを恥じ、異能によって男性化を果たす。

吸血鬼において、彼のように後天的に性や容姿を変えるものは少なくない。

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