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EX コドク

 ロムルス・ラベートは普通の青年だった。

 温暖な平原地帯の村に生まれ、四つ年の離れた弟と共に農民の両親の手伝いをして暮らしていた。隣人らとの仲も円満で、他の多くの者がそうであるように周りの人間から祝福され、またロムルス自身も他の村人を祝福しながら生きていた。

 このまま平穏な生活を続け、当然に結婚して家族を作り幸せに生きていくのだろうと誰もが思っていた。

 彼が十八歳の誕生日を迎えるまでは。




 その日、彼はいつものように早起きし、畑仕事をするために外に出た。畑に向かう前に少し離れた高台まで行き、村の様子を一望するのが彼の日課だった。しかし生憎今日は――否、今日も村を見ることは出来なかった。

「うえー、また霧かよお」

 ここのところ毎日のように村を覆っている霧にうんざりしてため息をつく。最後に青空を見たのはいつだったろうか。このまま太陽が出ない日が続けば作物の育ちに影響する。大不作の年の冬、悲しくなるほどひもじい思いをしたことを思い出して口をへの字に曲げながら改めて畑に向かった。と――そこにいた先客の姿に驚く。

「兄貴、今日は僕がやるよ」

「レミー!」

 ロムルスと同じ栗色の髪の少年。弟のレムスだ。珍しく張り切って早起きをしてきた弟に、ロムルスは慌てて駆け寄り手を掴む。

「駄目だ! こんな天気の日に畑仕事なんてしたら体を冷やすぞ! 兄ちゃんがやるから家に居ろって!」

 健康優良そのもののロムルスとは反対に、弟のレムスは幼い頃から体が弱く病気がちだった。冬になれば風邪をひき、夏になれば熱さに倒れ、地面を踏む日より寝台に横になっている日の方が多いような有様で、能天気なロムルスの数少ない心配の種であった。

「平気だよ。僕ももう大人なんだ、このくらいちゃんとやってみせるさ」

 むっとした様子で言う弟にロムルスは頭を悩ませる。虚弱な身体とは裏腹に彼の意思はとても強固だ。一度こうと決めたことはそれこそ本当にてこでも使わない限り絶対に変えようとしない。おまけに弁がとても達者で、ロムルスはいつもレムスに言い負かされていた。

「日が出てないんだから暑さでばてる心配はないし、寒くなったら上着を着ればいい。そんな大した力仕事じゃないんだし、大丈夫だってば」

「う、うーん、そうだな……」

「それに、今日は兄貴の誕生日だろ?」

「そうだっけ?」

 ラベート家はさほど裕福な家ではなく、子供達の誕生日を祝う習慣はなかった。ただ、レムスだけはよく家族の誕生日を覚えていて、こうして祝いの言葉を告げるのだ。

「誕生日くらい少しは休みなよ。僕が代わりにするからさ!」

 なるほど、だから珍しく早起きしてきたのか。納得すると同時にますます頭が痛くなる。

「……ううん。お前の気持ちは嬉しいけどなあ、それでお前が無茶でもして倒れたら嫌だよ。兄ちゃんはいつも通りの朝がいいなあ」

「でも……」

「んー、じゃあそうだな……こういうのはどうかな」

 ロムルスは無い知恵を絞り、やっとのことで弟を納得させられる結論を思いつく。

「オレとお前で仕事を半分こするんだ。そしたらオレは楽できるし、お前もそんなに疲れない。二人でやればすぐに終わるだろうしな!」

「……そうだね」

 レムスは少し不服そうにしながらも頷く。ロムルスはほっとして顔に笑みを浮かべた。

「よし! そうと決まればさっさと終わらせるぞ! 頼りにしてるぜ、レミー!」

 ロムルスはレムスの頭をくしゃくしゃに撫でた。子供っぽい仕草にレムスはくすりと苦笑する。

「わかったよ。兄貴もお願いね」

「おう、ローム! 今日も早いなあ!」

「うっす! おはようっす!」

 畑仕事にやってきた他の村人たちがラベート兄弟に気づいて手を振ってくる。

「今日はレム坊も一緒か! ちゃんと腰を入れないとすっ転んじまうぞ!」

「が、頑張ります……」

 そうしてロムルスはレムスとともに、いつもより少し時間をかけて畑仕事を終わらせた。最近少しわがままになった弟に困ったような嬉しいような複雑な気持ちを抱きながら。




「今日は何の本を読んでるんだ?」

 昼になっても霧は晴れそうになく、外出を控え自室でくつろいでいたロムルスはふと弟にそんなことを訊ねた。レムスは安楽椅子でのんびり読書している。

「生物の生態について書かれた学術書。面白いよ、兄貴も読んでみる?」

「セイタイ……?」

「……動物の暮らしのことだよ。何を食べてるかとか、狩りをどんなふうにするかとか」

「へえ……」

 レムスが読んでいるページを覗き込むと、何やら難しい言葉が沢山使われていてロムルスにはちんぷんかんぷんだった。著者は……M.バートリー? 学のないロムルスには当然なじみのない名だが、きっと高名な学者先生なのだろう。

「行商の人が譲ってくれたんだ。ただでくれたのが信じられないくらい、とってもためになる本だよ」

 ロムルスの知る限り、レムスは村で一番頭の良い若者だった。

 幼い頃から病気ばかりしていたレムスは友達と遊ぶことができず、代わりに両親や優しい村人がくれた本を読んで過ごしていた。小さな本の虫は知識を養分としてどんどん成長し、今では周囲の大人も目を剥くほどの物知りとなった。かたやロムルスは勉強はてんで苦手だったが、レムスのことを屈託なく誇らしく思っていた。

「なあ、やっぱり都会に行って勉強した方がいいよ」

 だから、いつもロムルスはレムスにこう言うのだ。

「お前は頭が良いし、勉強すればきっと偉い先生になれるって。都会ならここよりここよりも沢山お医者もいるだろうし……そうだ、お前自身がお医者になれるかも。うん、きっとなれるって!」

「兄貴、おおげさだってば」

 しかしレムスは冷静に言い返す。

「お医者とか先生とか……僕は本を読むのが好きなだけだよ」

「いいや、おおげさなもんか!  お前は誰より勉強ができるじゃないか! なのにもったいないだろ、こんな田舎にずっといるなんて……」

「兄貴」

 と、レムスは珍しく強い口調で言う。

「そう思ってくれるのは嬉しいけど、行こうと思って行けるようなもんじゃないだろ? うちはそんなにお金もないし、万が一行けたとしてもちゃんと勉強の先生を見つけられるか……」

「う……」

「それに、僕はこの村が好きだよ。兄貴がいて、父さんと母さんがいて……ここ以外のどこかで暮らすなんて考えられない。僕はここにいたいからいるんだ」

 穏やかな口調ではあったが、明らかに怒っている声音だった。まずい。ロムルスは自分のしくじりに気づく。いつもこうやって褒めているつもりでレムスの機嫌を損ね、何日もへそを曲げられる羽目になる。慌てて思いつくままに弁解の言葉を口走る。

「ご、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだ。だよな、お前の気持ちもちゃんと考えないとだよな! ほんと、悪かったよ……」

「兄貴……」

 レムスが何か言いかけたとき、外から絹を裂くような女の悲鳴が聴こえてきた。

「なんだっ!?」

「今の、はすむかいのおばさんの声に似てたよ!」

 兄弟は慌てて家の外に出る。両親も心配そうに声がした方を見つめていた。霧が濃いせいで遠くの様子はまったく見えず、ここからでは何が起きたか窺うことができない。

「なんだろうね今の……。何かおっかないことじゃないといいんだけど……」

「オレ、様子見てくるよ!」

「ぼ、僕も行く!」

 一目散に駆け出したロムルスの後を少し遅れて追うレムス。そうしてはすむかいの家に到着した二人は恐ろしいものを目の当たりにした。

「な、なんだよこれ……!」

 地面や家の壁、辺りにはおびただしいほどの血が撒き散らされていた。何か恐ろしいことが起こったのは想像するまでもなく――そのような目に遭わされたのは家の前に倒れている婦人だろうか? そして、その前に屈みこんでいる人物――。

「うっ……!?」

 先に気づいたレムスが真っ青になり、せり上がる吐き気を堪えて口を押さえた。その人影は四つん這いになって婦人の体に頭を近づけ、熱心にその肉を――食べていた。まるで犬がエサをもらったときのように、一心不乱に、もぐもぐと。

 くちゃくちゃと。ぐちゃぐちゃと。

「おっ、お前何やってんだよ!?」

「………………」

 思わず後先考えずに怒鳴りつけたロムルスに反応し、『それ』はゆっくりと顔を上げてこちらを振り向いた。まるで犬のよう? さもありなん、まさしく犬――否、狼そっくりの顔をしていた。

「げえっ!?」

「兄貴やばいよ逃げよう! 兄さんっ!」

 狼男――よくよく見ればその骨格は明らかに人間とは違い、人と獣が入り混じった奇妙な手足は黒く硬い毛がふさふさと生えそろっていた――は兄弟の姿にひくひくと鼻を動かすと、にい、と笑うように牙を剥き出してこちらへ歩いてきた。まずい! ロムルスは辺りを見回し、婦人やその家族が使っていたであろう薪割り用の斧を見つけて手に取る。

「何してるんだよ兄さん!?」

「やっつけるんだよ! あいつ、絶対やばいだろ!」

 ロムルスは何も考えていなかった。彼には狩りの経験はなかったし、自分で家畜を屠殺したことも少ない。まして斧を誰かに向けたことなんて一度だってあるはずがない。しかし、自然と体が動いていたのだ。自分の身を守るという本能――あるいは弟を守ろうとする使命感で。

「先に行けレムス! 誰か腕の立つ人を連れてくるんだ! こいつをやっつけられる強い奴を!」

「でも兄さん……!」

「早く行けッ!」

 ロムルスが叫ぶのと同時に狼男は跳躍する。広げた掌に生えた長大な爪は、一度でも浴びれば夫人の二の舞になることを嫌でも予感させた。

「くそっ!」

 とっさに斧を振り上げ横薙ぎに振り回す。素人の見よう見まねだったが、運良く狼男の右腕に命中した。狼男は呻いて動きを止める。

「やった!」

「ガルルル……」

 だが、それも一瞬だった。狼男が傷口をべろりと舐めると、瞬く間に出血が止まって傷が塞がる。そんなまさか!? 目を見張るロムルスめがけて再び狼男が突進を仕掛ける。こうなるとロムルスも冷静ではいられない。無我夢中で斧を振り、なんとかこちらに来させまいとした。しかし二度も上手くいくはずがなく、狼男は容易くそれを避けてロムルスの腹を殴りつけた。

「うぐっ……!」

 倒れ込んだロムルス。狼男はすかさず馬乗りになる。ぼとぼとと胸や腹に落ちてくる狼男の唾液にロムルスの顔色は蒼白に染まった。

「くっ……そおおおおっ!」

 ほとんどやけになって狼男の顔を殴りつける。しかし抵抗もむなしく狼男は耳まで裂けた大口を開け――

「ァがああああッ!?」

 ――一本一本がナイフのように鋭く尖った牙がロムルスの喉笛に振り下ろされる! 断末魔の悲鳴が霧の中に響き渡った。自分は今まさに死ぬのだ、という不思議な実感がロムルスにはあった。激痛に顔を歪め、息ができなくなってなお悲鳴を上げ続けながら、なぜだか心だけは奇妙なほど冷静に落ち着いていた。ああ、くそ、こいつはあのおばちゃんと同じにオレも食い殺すんだ。その次はどうするんだろう? 親父や母さんや、レムスまで襲うだろうか? そんなことさせるわけにはいかない。絶対に駄目だ……!

「――ッあああああああああああああァ!」

 ロムルスは最後の力を振り絞り、右手に掴んだままだった斧を自らの喉笛に夢中になっている狼男の首へと振り下ろした。ざぷ、と厭な感触が斧越しに伝わる。ロムルスの首に噛みついたまま狼男が悲鳴らしい鳴き声を上げた。それが断末魔であると悟るにはロムルスの頭は朦朧とし過ぎていた。

「…………ざ、ま……」

「兄さん! 兄さんッ!」

 遠くからレムスの声が聴こえてくる。ああ、返事をしなければ。狼男がいるんだ、危ないんだ。しかし声を上手く出すことができない。ロムルスの意識はぼやけていく視界の中に溶けていった。




「兄さん! 兄さん……!」


 声が聴こえる。


「凄い熱……」


「出血が酷すぎる、生きてるのが不思議なくらいだ」


「医者はッ!? お医者さんはまだ来ないんですかッ!?」


 レムスが怒鳴る声だ。いや……泣いているのか?


「早くしないと兄さんがッ! 兄さんが……!」


「落ち着けレムス! もう少しだ……!」


「大丈夫よローム、しっかりするのよ!」


「兄さん! 兄さんッ!」


 薄目を開けると、自分にすがりついて泣きじゃくっているレムスが見えた。父も、母も、皆目に涙を溜めている。なんだか笑ってしまいそうになった。いつもだったら熱に喘いでいるレムスをロムルスが必死で看病しているのに、今日は逆になってしまったのか。


「だ……じょぶ、だ…………ミー」


 せめて、少しでも元気づけようとレムスの頭に手を伸ばしたが、手が震えて上手く撫でることができなかった。髪の代わりに顔をぐしゃぐしゃにしながらレムスはロムルスの手を取った。


「兄さんは死なせない。僕が絶対助けてみせる」


 ロムルスの意識は、再び闇に堕ちた。




「ん……」

 喉が渇いた。目を覚ましたロムルスはベッドの中でぼんやりと天井を見上げる。

「オレ……生きてる?」

 四、五回ほどの瞬きの後、はっとして自らの首に触る。狼男によっていくつもの大穴を穿たれたはずの首、しかしあるはずの傷は跡形もなく綺麗に塞がっていた。治ったのか……?

 戸惑いのままふと横を見ると、枕元に小さな紙包みがあるのに気がついた。開いてみると包み紙はそのままメッセージカードになり、封入されていた贈り物が誕生日プレゼントであることを告げていた。

『誕生日おめでとう レムス』

 装飾用に加工されたメダイユだった。溶接された金具に革紐が通され、ペンダントに出来るようになっている。

「あいつ……」

 じんん、と胸が熱くなり、礼を言おうと送り主の姿を探す。しかし部屋にいるのはロムルス一人だけのようだった。なんだか気が抜けるような感覚にロムルスは頭をかく。

 その頭に生えた髪が茶色から輝くような銀に変化していることには、まだ気づいていない。

「……腹、減ったな」

 ぐううと鳴った腹を抱えて起き上がる。窓から見える外の景色は真っ暗だ。何時だろう。母さんは晩ご飯を作ってくれているだろうか。親父やレミーは? 家は妙なほど静まり返っていた。

「親父? 母さん?」

 リビングに向かいながら呼んでみるが返事はない。どこにも明かりは灯されておらず真っ暗だった。みんな寝ているのだろうか……? と、そんなとき、鼻腔を奇妙な匂いがくすぐった。それも気のせいでなければ、ついさっき嗅いだばかりの匂いである。

 血の匂いだ。

「な……んだよ、これ……」

 それは二匹いた。テーブルの横にうずくまり、くちゃくちゃ何かを食べている。あいつ、一匹だけじゃなかったのか? そもそもなんでオレの家にいるんだ? そんな些細な疑問は彼らが食べている肉片によって吹き飛ばされる。あれは人の腕じゃないのか!? 親父達はどこに行ったんだ!? まさか……!

「グルル……」

 呆然として後ずさるロムルスに狼男達が気づく。ぼたりぼたりと涎を垂らしながら、のこのことやってきた新たな獲物を牙にかけようとする。

「く、くそっ! 来んなっ!」

 狼男が文字通りの化け物であることは嫌というほど思い知らされた。こんな奴らを、それも二人も相手にしたら今度こそ殺されてしまう! 逃げなければ。

「ガゥッ!」

「うげッ!」

 しかしロムルスが動くよりも早く狼男が突進してきた。腹に思いきりぶつかられ、内臓を揺さぶられる。空腹でなかったら今頃胃袋の中身をぶちまける羽目になっていただろう。

「こっの……何すんだ!」

 一瞬で頭に血が昇り、タックルを食らわせてきた狼男を蹴りつけた。すると――

「ギャイン!?」

「えっ!?」

 狼男は悶えながら壁まで吹っ飛ばされる。もちろん手加減などするはずはないが、予想以上の威力が出たことに自分自身戸惑ってしまう。オレ、こんなに力強かったっけ? 困惑して自分の体を見直してみると、手の爪が妙に伸びて尖っている。そういえば歯もいつもより長くなったように感じる。

「な、なんか、変だぞ……?」

「グルルル……!」

 そうこうしているうちにもう一匹の狼男が四つ足で駆け、大口を開けてロムルスに噛みつこうとする。とっさに屈みこんで避け、狼男の胴を捕まえて頭を床に叩きつけた。人間離れした素早さ、そして腕力。ロムルスは自分が何をやっているか自覚もないまま、本能と直感だけで反撃していた。

「グギャン!」

 頭をしたたかにうちつけられた狼男は弱々しい悲鳴を上げると動かなくなった。まさか……死んだのか? わけもわからないまま狼男から後ずさる。荒れ果てた家。転がる肉片。何匹もいる狼男。なんだかおかしな変化が起きているらしい自分の体。悪い夢でも見ている気分だった。

「なんなんだ……なんなんだよ!?」

 ばくばくと心臓が破裂寸前まで鼓動する。じっとしているといっそ本当に心臓ごと体が破けてしまいそうで、ロムルスは家から飛び出していた。行く当てはなく、何がしたいというわけでもなく、ただただ不安と恐怖心だけがロムルスを動かす。

「母さんッ! 親父! レミー!」

 暗闇に向かって叫ぶ。きっとどこかに避難したんだ、絶対無事なはずだ! 近所の人に聞いてみよう、どこかに隠れてるはずなんだ! すがるような願いは、しかし見えてきた光景によって無惨に打ち崩された。

「……ぇ…………」

 きっと、これが地獄なのだと思った。ひしめくほどに群れを成している狼男達。一面に散らばる肉片、骸。ひと気もなく、聞こえてくるのは唸り声と肉や骨を咀嚼する音。村人達の安否? むごたらしく破壊された家々を見れば想像するまでもない。

「なんで……なんでだよ、なんでこんなッ……!」

 思わずつぶやくと、闇に光る無数の瞳が一斉にこちらを見た。どいつもこいつも呆れるほど腹を空かせているらしい。篝火に寄ってくる羽虫のように続々とロムルスに群がってくる。

「くそっ……くそっ! くそくそくそくそ……!」

 もう何も考えられなかった。ひたすらにロムルスに食らいつこうとする狼男達を片っ端から殴り、蹴り、投げ飛ばしていく。周囲にいくつ狼男の骸が重なろうと、彼らはロムルスを襲うのをやめなかった。

 終わりの見えない地獄が、しばらく続いた。




「……はぁ、はあ……」

 驚くべきことに、ロムルスは最後まで斃れなかった。狼男にいくら殴られようとほとんど傷を負わず、逆にやすやすと返り討ちにすることができた。なぜ? 自分でもわからない。ただ、一匹残らず骸と化した狼男達が今のロムルスの強さを証明していた。

「……なんだよこれ。一体何がどうなっちまったんだよ……?」

 もう何度口にしたかもわからない言葉を再び発する。無論、誰も答えてはくれない。家族はどうなったんだ。村の人は? みんな狼男に食われてしまったのか? そもそもこんな化け物、一体どこからやってきたというのか。眩暈を感じて顔を覆い、違和感を覚える。

「あ、れ……?」

 ざらりと、感じるはずのない妙な感触があった。それだけではない、鼻の形がおかしい。なんだか妙に前に突き出していて、湿っていて……ロムルスは恐る恐る自分の手を見た。それはもう人間の形をしていなかった。

「ぁ、ああ……ああああああああ……!」

 腕、足、腹、背、そして人間にあるはずのない尾。どれもこれも銀色の毛がふさふさと生え、これではまるであいつらと同じ狼男だ。耳は天を指し、瞳は金色に月の光を反射し、大きく裂けた口から長い舌と牙をちらつかせる。もし知り合いの誰かが今の姿を見たとしたら、彼をロムルスだと見抜くことは不可能だったろう。そこにいるのは銀色の人狼なのだから。

 その場にたたらを踏んで、足先で変に硬いものを蹴ったのを感じる。屍となった狼男の一体が腕輪を嵌めていたらしい。その腕輪を見たとき、ロムルスの恐怖はいよいよ頂点に達した。あれは確か、隣の家のおじさんのものじゃないか? 父親に作ってもらった特製品だと前に自慢していた。そこにあそこの狼男、あのペンダントも見覚えがある。あっちに倒れている奴の額の傷、猟師のアダン爺さんにそっくりだ。あいつも、あいつも、それにあいつも……みんなどこかで見覚えがある……!

「……うわあああああああああああああッ!」

 自分の姿に見覚えのある狼男達。自分が犯してしまったことの真実に、気づいてしまったとき、ロムルスは叫ばずにはいられなかった。まさか。まさかまさかまさか。じゃあ、家の中にいたあいつらは? 親父は、母さんは、レムスは……!

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 その夜、一つの村がなくなった。村中の人間が一人残らず殺されているのを行商人が発見し、近隣の村や町を騒がせる噂となった。誰が殺したのか、一体何が起きたのか。事実を知る者は誰一人いない。ただ、その夜に隣村の者が狼が悲し気に遠吠えをするのを聞いたとして、こんな噂が囁かれるようになった。

 あの村は人狼に滅ぼされた。銀色の人狼に殺されたのだ――と。

 

「オレが殺したんだ……親父も母さんもレミーも、村の人みんな……!」

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