第二十話 死すべき者
『……来ねえな』
居眠りしかけていたシーカーはハイドの呟きに慌てて目を覚ました。そろそろ吸血鬼にとっても野宿は寒い時期である。身震いし、出かかったくしゃみをこらえながら辺りを見回す。シーカー以外には誰もいない、ぽつりぽつりとまばらに木が生えているだけの寂しい野原である。
「えっと、あれ……」
戸惑いながら空を見上げ、月の位置に今の時刻を類推する。うかうかしていると住処に戻る前に夜が明けてしまいそうだ。しかしおかしい、こんな時刻になっても未だに待ちびとが来る気配はない。
「シャイロックさん……」
狩りが不得意なシーカーにとって、シャイロックとの繋がりは生命線に等しいものだった。ハイドの言いつけ通りに狩りに挑戦したものの、やはり上手くいかず、散々叱咤されながらシャイロックに連絡を取って、数夜。約束ではここで待ち合わせ、新鮮な人間を受け取る手筈になっていたのだが……。
「あいつが約束を破るはずがねえ」
ハイドが再び呟く。そうだ、人買い、人間売りであるシャイロックが客との取引をそう簡単に反故にするわけがない。ましてシーカー――長年の友であるハイドとの取引だ。余程のことがなければすっぽかすはずがないのだ。
余程のこと、だ。
「まさかっ……!」
ふと思い浮かんだ最悪の可能性に顔を青ざめさせ、慌てて思考から追い払おうと頭を振るシーカー。しかしハイドはちっ、と舌打ちしてシーカーにここから去るよう促した。
『何やってる。そこでのんびり日光浴でも楽しもうってか? アー・ユー・イディオット?』
「で、でも……」
『あいつだって日の出ぎりぎりになって来るわけねえだろうがよ? 「約束の時間になっても、なんの
連絡もないまま来なかった」……この時点で充分にアブノーマルだ。だったらてめえのすることはただ一つ。俺様の口から言わなきゃわからねえのか?』
「……はい」
シーカーはもたれかかっていた木からよろよろと体を起こし、名残惜しく辺りを数度見回してから踵を返す。本当にシャイロックに何かあったのか、ひょっとしたら何かの事情で来れなくなっただけではないのか……そんな祈りにも似た疑念が幾度となく脳裏に浮かび上がる。
シャイロックがカンタレラに殺された。そんな噂がまことしやかに語られるようになったのはその数夜後のことだった。
◆
柔らかな寝床で目覚めるのは何日ぶりだろうか。目を覚ましたヤンは窓を見、そこから見える景色が明るいどころか闇のただなかにあることに戸惑う。どういうことだ、わけもわからず寝返りを打つと、鼻と鼻が触れ合いそうなほどの近くに顔があった。
「ぎゃああああああああっ――――!」
「やっと起きたんだ。三時間も眠りこけちゃってどうしたのさ」
叫びかけたヤンの口を手のひらで塞ぎながら、ヤンを三時間も気絶させていた張本人であるシャルル・アンリ=ナヴァールはけらけらと笑った。その憎たらしい笑顔にこれまでの経緯を思い出す――人狼に襲われた村。怪物の正体として囚われた男。――ロムルス・ラベート。そうだ、こうしてなどいられない! ヤンは勢いよく飛び起きた。
「――!」
「はいはい。で、どこ行く気?」
そのまま部屋を飛び出そうとしたヤンの手をシャルルが掴む。結果思いきりつんのめり腕の関節を外しそうになる。だのにシャルルと来たらまるで何事もないかのように平気な顔をしている。
「…………」
「あのワンコクンのとこに行きたいの? いいけど、地下牢の場所覚えてる? ていうか、ここどこだかわかってる?」
言われてようやく今いる部屋に見覚えがないことに気がつく。宿屋……いや、それにしては妙に広く、ベッドや家具の拵えがいい。石造りの壁に、ひょっとしてここは村長邸の一室なのではないか、と見当をつけた。
「そ。宿屋でいいって言ったんだけどさ、最初の事件で宿屋のおかみさんが塞ぎ込んじゃって、今は閉店しちゃってるんだって。相部屋だけど別にいいよね?」
「…………」
ベッドも一つしかないことについては大いに抗議したいのだが、それはまあ置いておくとして。
「地下牢はどこだ」
「この時間に行くの? 入口の鍵は閉められてるだろうし、鍵貸してもらえるかわかんないぜ?」
「………………」
考えてみればそうだ。いくらロムルスを処刑するという名目でも、こんな遅くに面会しに行って良い顔をされるわけがない。変に怪しまれて警戒されるようになったら面倒だ。だが……理屈ではよくわかっても、こうもあれも駄目これも駄目と否定されては面白くない。
処刑――そうだ、処刑だ。
「どういうつもりだ」
「ん?」
急に変わったヤンの声音に話題が変わったことを察知するシャルル。
「本当に、あいつを処刑する気なのか」
シャルル=アンリは以前何度かロムルスと会ったことがあるはずだ。お互い初対面であるにもかかわらず和気藹々と話している姿をよく覚えている。なのに――なんの容赦もなく、殺してしまおうというのか。
「そりゃ当たり前でしょ。村の人を何人も殺すような怪物を生かしておけると思う?」
「あいつはそんなことしない!」
言って、こんなにも声を荒げている自分自身に驚いてしまう――まるでロムルスを心から信頼しきっているようだ。
「……ふうん。カレのこと、よく知ってるんだね?」
シャルルはにやにやと笑いながらそんなヤンを品定めするように見つめている。
「じゃあ、カレが人狼だってことも知ってて黙ってたんだ?」
「…………!」
「な、言ったろ、コーハイクン」
シャルルの腕がヤンの眼前に伸びる。顎を掴むというその仕草は例えば恋人達が互いに睦み合うときのそれとはあまりにかけ離れた、捕食者が捕らえた獲物を検分するような動作だった。
「ぐッ……」
「見た目は人間だろうが、良い奴っぽく見えようが、奴らはバケモノなの。ちゃんと殺さなかったらいつ喉笛を噛み千切られるかわかったもんじゃない。あのコとどういう仲なのか知らないけど、人食いと友達になるなんてちょっと平和ボケしすぎじゃない、カンタレラ?」
失態だった。最も弱味を握られてはいけない相手に知られてしまった。このままでは人狼を庇った裏切り者として、ロムルス共々ヤンまで殺されかねない。しかし生憎、ヤンの頭にこの状況を切り抜ける打開策は浮かんでこないのだ。
「あいつは……人殺しなんかじゃない……!」
だが――ヤンは知ってしまっているのだ。見ず知らずの人間を本気で心配し、その死を悲しみ、それをもたらした邪悪へ心から義憤を抱くロムルスという男を。あんな男が人を殺すはずがない。まして、そんな濡れ衣の為に殺されていいはずがない! もしシャルルがどうあっても翻意しないというのならどんな手を使ってでも止めなければならない。ヤンは腰の短刀《裏切》に手を伸ばした。
「うん、まあそれは知ってるけどね」
「う!?」
と、ふいにつかまれていた顎を放されまたもつんのめりそうになる。混乱してシャルルを見上げると、捕食者の眼光は消えへらへらとした笑顔に戻っている。
「え……」
「てか、最初から知ってたよ? 最初にどっかの酒場で見かけたとき、おもっきし人狼の話してたじゃん。隠したいことなんだったらもうちょっと小さな声でした方がいいと思うなー?」
「………………」
知って……いたのか。知っていて今まで素知らぬ顔をしていた?
「いくら嗅いでも人肉の匂いしないし、人狼にしちゃマトモな感じだから『ウソだろー』って思ったけど……じゃ、やっぱりホントなんだ。はー、マジかー。吸血鬼のうえに人狼までオトモダチときちゃあ、ドミニっちもひっくり返っちゃうって」
「……友達じゃない……」
とりあえず否定したが、論点はそこではなく。
「ま、あのコはマジに無実なんだろうね。人間を齧った匂いしないし、そもそも彼が村に来た時期と事件が起きた日が明らかに食い違ってる。ひと月前と数日前。どんぶり勘定にしても計算が雑すぎ」
「! なら……」
「本命は確実に別にいる。閉じ込められて無力化してるロムロムクンよりも先にそっちを探して潰す方が先決だ、とオレは思うよ?」
村人を襲う人狼が他にいるならロムルスを殺そうが再び被害が出るだろう。逆に言えば、そいつさえ捕まえてしまえばロムルスの無実は証明できる。もちろん、ロムルスを処刑する必要などない!
「ま、そんなこと言い出したら確実に大騒ぎになってめんどいことになるだろうし、かといって口実もなく長居するわけにもいかないし? ホシが見つかるまではワンコクンにスケープゴートやってもらおってワケ。コーハイクンも頑張ってよ? ホシが見つからなかったらホントにあのコを処刑しなきゃならなくなっちゃう」
「……!」
「あは……でもさ」
見るからに顔色を明るくさせたヤンにシャルル=アンリは苦笑しながら続けた。
「見た目はどうあれ、あいつは人狼だ。殺した方がいい、って思うのは本当。彼が人狼であることとこの事件の犯人かどうかは別問題だってこと、忘れるなよ」
「おはようございます。体調はもう大丈夫なのですか?」
「ああ……」
翌朝。村長の愛想の良い挨拶に、ヤンは軽く頭を下げて答える。今日も相変わらずジェヴォーダンの村には霧が立ち込めていた。聞くところによると、この季節この地域一帯はよく霧に覆われるのだという。村に着く前にシャルルが話していたことを思い出し、なんとなく嫌な気分になる。
「ナヴァールさんは先に出発されました。村の者に聞き込みをなさるとかで……カンタレラさんも?」
「いや」
昨夜二人で話し合った。本命を探す為の調査や聞き込みは、ヤンよりも余程長く吸血鬼ハンターをやっているシャルルの方が適任である。ヤンがついていっても肌の黒い不気味な容姿で警戒され、聞き込みが上手くいかないかもしれない。オレの邪魔さえしなければ好きなことをしていい――というシャルルアンリの出した結論に異議はなかった。言外に役立たずと言われたわけだが、シャルルにそう言われて言い返せるほどヤンも器用なことができる人間ではない。
「……あの人狼と話がしたい。地下牢までの鍵を貸してくれ」
「面会したいとおっしゃるのですか!? あの大悪党と! いくら縛られていても彼奴は人殺しです、むやみに近づくのは危険ですぞ!」
村長は仰天しヤンの意思を何度も確認した。やはり村の責任者として怪物騒ぎには散々煮え湯を飲まされているのだろう。しかし一向に変わらないヤンの表情に諦めたように息を吐いた。
「我々も何度も尋問したのですが、彼奴め、まったく口を割ろうとしないのです。何の為にこんなことをしたのかも、一体村の者を何人襲ったのかも……カンタレラさんの尋問で白状すればいいのですが」
「…………」
覚えのない罪を吐けるわけはないだろう、という思いは胸の内にしまっておく。
「本来ならお付き合いするべきでしょうが、申し訳ない、少々些事がありましてな……代わりに屈強な村の者を護衛として呼んできましょうか」
「いい。間に合っている」
過剰なほどの気遣いにヤンは腰に差したままの短刀をさりげなく触りながら答えた。
「化け物の類なら、数え切れないほど殺してきた」
「……失礼。吸血鬼ハンターである貴方には無用の配慮でしたな」
察した村長は非礼を詫びて頭を下げ、書斎から鍵を持ってきた。氷のように冷え切った鉄の感触に少し緊張する。
「どうかお気をつけて」
地下牢に続く階段を降りながら、なんとかロムルスを助け出す方法はないか考える。牢屋から出してやれればいいのだが、さすがに牢自体の鍵を借りる名目は思いつかない。無理矢理こじ開けて出せてやれたとしても、その後騒ぎにならないはずがない。真犯人を捕まえれば無実は晴れるだろうが、ロムルスが人狼であることはバレている。同じ『怪物』であるロムルスの釈放を喜ぶ村人はいないだろう。そも、味方であるシャルルアンリすらロムルスを歓迎していないのだ。ロムルスの命運はヤン一人に懸かっていた。
「せめてシャルル=アンリを説得できれば……いや……」
結局名案は浮かばないまま階段を降りきり、ロムルスの入れられた牢まで辿り着いた。昨日来た時と同じくロムルスは床に寝そべり、ぐうぐう鳴っている腹を誤魔化すようにさすっている。
「ん、村長さんか? なあ、ご飯まだかな? 一日残飯一食だけってさすがにちょっときついよ……」
「………………」
「頼むよー、オレもうお腹ぺこぺこだよ。お腹と背中が胃袋をサンドイッチにしちゃいそうなんだって。オレが死んだらお腹からでっかい虫が出てきちゃうぜ?」
「………………」
「オレを死刑にするんだろ? だったらせめてお腹いっぱいになってから死にたいんだ。ネズミでもイモムシでも文句言わないからさあ、なんでもいいから食べさせてくれよお……」
「……お前を死なせはしない」
ふいに聞こえてきたヤンの声にロムルスは空腹も忘れて飛び起きた。もちろん聞き間違いのはずはなく、世にも珍しい黒い肌の少年が、以前別れたときと変わらぬ苦しげな仏頂面でロムルスを見下ろしていた。
「ヤン!? お前、なんでここに……」
「………………」
わけがわからず呆然としているロムルスに、ヤンははたしてどんな言葉をかけるべきかわからなかった。大丈夫なのか、とか、ここに来るまで何をしていたのか、とか、牢に囚われた人間に言える台詞ではないだろう。かといってヤンの近況はと言えば、数日吸血鬼と寝食を共にしたり、その咎で破戒僧に三日三晩拷問されたりと、とても人に話せないようなことばかりだ。しかし、そもそも。
命懸けで助けてくれたロムルスに対し暴言を吐き、喧嘩別れをしたような身で、いったいどんな顔でぬけぬけと話しかけるというのか。
「……お前」
それでも、何か――こうして再び会ってしまった以上、何か言うべきではないのか。考えがまとまらないままに口を開いたヤンを、ぐうっと鳴り響いた異音が妨げた。
「えっと……お前、なんか食べれるもん持ってない?」
腹に虫を抱えたロムルスが恥ずかしげに訊ねた。
「美味え! 美味え美味え美味え! 凄いな肉、肉ってこんなに美味しかったっけ!?」
さすがに見捨てるわけにもいかず、手持ちの食料から水と干し肉とパンを分けてやると、包み紙ごと貪らん勢いで食べ始めた。大して美味しくもない安物のはずだが、昨日の残飯のような食事を思えば大分マシなのだろう。
「美味いなあ……ヤン、本当にありがとな……」
「………………」
ついには涙すら流し始めたロムルス。さすがにむずがゆい気持ちになり、ヤンは咳払いして改めて口を開いた。
「俺はこの村の『怪物』を殺しに来た」
「! そっか……シャルル=アンリと一緒に来たんだな」
昨日のことを思い出したのか神妙な顔つきになるロムルス。顔中に食べかすをつけたままの簀巻き状態でそんな顔になっても緊張感はまるで生まれないのだが。
「じゃあ、オレが捕まってる理由も知ってるんだよな。俺が村の人を襲ったって……」
「お前がそんなことをするとは思えない。お前が、人を殺すなんて」
「…………」
途端にロムルスが微妙な表情で沈黙したのにも気づかず、ヤンは続けた。
「お前を死刑にしたくない。知っていることをすべて教えろ」
「……オレだって、何がなんだかわかんねえんだ」
ロムルスはらしくもなく眉根にしわを寄せて話しだす。
「お前と別れた後色々ふらふらしてたらさ、どっかの村に怪物が出るって聞いて、なんか嫌な予感がしたから来たんだよ。そしたら、村の人が狼人間に襲われててさ」
「助けるために、人狼に変身したのか」
もう大体察しはつく。ヤンは頭を抱えたくなった。
「襲ってきた狼人間を倒して助けてあげたっていうのに、村の人はオレが村を襲ったんだとか言い出したんだ。違うっていうのに誰も聞いてくれなくて……わけわかんないうちに取り囲まれて、縛られて、気づいたらここにいた」
「お前なら――人狼の力なら、多少取り囲まれようが逃げることができたはずだ。人間の力で人狼を縛れるはずがない」
ヤンの指摘はロムルスの痛いところを突いたようだ。むぐ、と閉ざした口にヤンは再び溜め息をつく。
「……村人を傷つけることを恐れたのか。お前を誤解し、濡れ衣を着せた人間達を」
「だって……寝覚めが悪いだろ。無実だって言ってるのに、本当に人を傷つけたりしたら笑い話になっちゃうし」
「村は困窮し、村人は怪物を憎んでいる。いくらお前が村人を助けようと、お前が人狼である限り村人がお前を赦すはずがない。人を気にする前に自分の命のことを考えろ」
人を助けた恩が死刑という仇で返されるなどそれこそ笑い話だ。ヤンは知らず知らずのうちに自らの顔に憤怒の表情を浮かべていた。
「お前は何を考えている。自分を殺そうとしている奴らの命を助けようというのか。自分が死んでもいいというのか」
ヤンの問いに、しかしロムルスは。
「………………」
裂けて血が流れるほど強く唇を噛み、ひたすらに沈黙していた。
「……ロム、ルス」
「なあ、ヤン」
ロムルスの声は穏やかだった。しかし何故か、その言葉の続きを聴くのが恐ろしかった。
「自分のこと、死んだ方がいい人間なんじゃないか、って思ったことあるか? こんな奴、さっさと死んじゃえってさ――」
「な……」
「オレさあ、お前が思ってるほど立派な人間じゃないよ。嫌な奴のことは死んじまえって思うし、嫌なことからは尻尾巻いて逃げるし。ちゃんと話さなきゃいけないことをずっと黙ってて、お前に嘘ついてるし」
ばくばくと心臓が早鐘を打つ。やめろ、と声にならない声がヤンの口から飛び出した。それ以上言うな。そんな話は聞きたくない。無論ロムルスの耳には届かなかったが、届いたとしてどうして彼の言葉を止められよう。知っていることをすべて教えろ、と最初に言ったのはヤンなのだから。
「ヤン。オレは人殺しなんだ。いっぱい、いっぱい――たくさんの人を殺したんだ」
弟も、母さんも、親父も、隣の人も、好きだった女の子も、知っている人全員。それ以上先のことは、めまいがして上手く聞き取れなかった。
「ナヴァールさん、一体どちらへ行かれるのですか?」
「あ、おっはーターニャちゃん。ちょっと村の人に聞き込みしようと思ってさ」
村娘ターニャの目に映るシャルル=アンリの姿はどこか異様だった。昨日村を訪れたときと同じく奇妙な程大きい縦長の布袋を背負って、一体どんな聞き込みをしようというのだろう?
「ありゃ、やっぱり変に見える?」
「変というか……その荷物は?」
ターニャに指差され、シャルルはいたずらっぽく舌を出して「実はね」と耳打ちする。
「これから墓荒らしに行こうと思ってさ」
「は……墓ですかっ!?」
「うん、墓」
あっけらかんと言い放つシャルルにターニャの心境はいかばかりだったろうか。いくら歓迎されている大切な客人であれ墓荒らしは立派な犯罪だ。村長が知れば卒倒するだろう。そも、何故怪物退治が本文であるはずの吸血鬼ハンターが墓を荒らすのだろう?
「どうしても気になることがあってね……大丈夫、副葬品を盗もうとかそんなんじゃなくて、ただの調査だから」
「駄目ですよ! そんな罰当たりなことをしたら呪われてしまいます!」
「村の一大事を救う為なんだからカミサマもご先祖様も許してくれるってー」
ターニャの説得にも耳を貸さずへらへら笑うシャルルアンリ。見ている方が恐ろしくなるほどの怖いもの知らずである。
「ちゃんと元通りキレイに埋めておくからさ、村長にはナイショね」
「は、はあ……」
教えた覚えもないのに迷いなく墓地の方へと歩いていくシャルル。もしかしてわたし達は想像以上に厄介な人を呼んでしまったのではないか、とターニャは内心の不安を強めた。
「んー、やっぱりか……」
数分後。掘り返した墓の穴を覗き込み、予想通りの光景を改めて確認したシャルルは考えるように顎に手をやった。ここまではいい。しかし、これからどう対処したものか。
「コーハイクンが知ったらめんどいことやらかしそうだから、しばらく秘密にするとして……とりあえずもうちょっと墓を確認しとこっかな」
あくびしながら掘削道具代わりの短剣をくるくる弄んでいたシャルルの耳にその異音が届いたのは数秒後のことだった。
『グルルルルッ!』
「おっと!?」
それは獣の唸り声そのもの――シャルルはとっさにまったくの勘で短剣を後方に振りかぶった。幸運なことにその切っ先は襲撃者の喉を捉える。
『グゥ!?』
『ウゥゥゥゥ……』
『ガウッ! ガァアアア!』
「わぁお」
シャルルは思わず口笛を吹いた。気づけば周囲を七、八体の人狼が取り囲んでいる。いったいどこに潜んでいたのか――いや、直前まで気配は一切なかった。彼らはシャルルを追ってきたのだ。
「ここそんなに大事? 死んだ肉なんて美味しくないでしょ……」
『ガァアッ!』
「あらま」
シャルルアンリの喉笛に向かってきた人狼を短剣の峰でいなす。これだけの数の人狼、まさか偶然現れたわけではないだろう。この一連の騒ぎの黒幕にとって墓荒らしは不都合なのだ。人狼達の敵意に満ちた視線を受け、シャルルはにやりと笑った。
「そんなにオレを始末したい? だったらもっと大勢で来た方が良かったんじゃないかな。刎ねれる首がたった八個しかないなんてつまんないんだけど?」
シャルルは背負っていた布袋を下ろし、中から得物を取り出す――大鎌に見まごうほど刃が長大な戦斧。それがシャルル=アンリ・ナヴァール愛用の武器だった。
「お土産ってわけじゃないけど、自己紹介がまだだったね。オレは『首斬り中指』シャルル=アンリ・ナヴァール。犬の首なんて貰っても嬉しくないけどね――!」
刃が閃き、空の墓穴におびただしい血と肉片が投げ込まれる。鮮やかな虐殺、あるいはおぞましい演舞が始まった。
吸血鬼大全 番外編 例外の五指
近年吸血鬼達を脅かしている五人の凄腕の吸血鬼ハンターの俗称。
一指目《黒茨の親指》クレスニク・フォン・ヘルジング
二指目《突き尽くす示指》ドミニコ・ベネデッティ
三指目《首斬り中指》シャルル=アンリ・ナヴァール
四指目《紅の環指》ベアトリーチェ
五指目の素性は不明。