第十九話 すくわれた村
半刻程歩き続け、ようやく抜けた長い森の先に待っていたのは平原を覆いつくす霧。二人が陽の光を浴びるのはまだまだ先になりそうだった。
「吸血鬼に襲われるには絶好の天気じゃん。超わくわくしてこない?」
「………………」
冗談交じりに言うシャルル=アンリにヤンはどう答えたものかわからず押し黙る。いくら吸血鬼ハンターといえど、吸血鬼と戦うことを喜べる人間は彼くらいのものだろう。
「……今回の敵は、違うだろう」
湿気った空気の中に獣臭が混じっていないか注意深く嗅ぎながら、ヤンは思いついた答えを述べた。
「俺達が狩りに来たのは人狼じゃないのか」
人狼――すなわち獣と化した人間。元は普通の人間でありながらけだもののような姿に変化し、理性を失い人畜を襲う獰猛な怪物となった者達だ。
吸血鬼ハンターのシャルル=アンリ・ナヴァール、そしてカンタレラことヤンにギルドの会計係ネッサローズが持ちかけた仕事。それはジェヴォーダンと呼ばれる村に発生したという『怪物』の撃退だった。昼夜問わず村に現れ、人間や家畜を襲い食らうという話を聞く限りは吸血鬼にしては不自然である。きっとそれらは人狼だろう、というのがシャルル達の見立てだった。
「ま、十中八九はね。いくら霧があるっても、昼からのこのこ来てくれる吸血鬼もいないだろうし。でも――多分どっかで一枚噛んでると思うんだよね」
「吸血鬼が、人狼騒ぎに?」
「コーハイクンは知ってるっけ? 人狼の起源」
ヤンの身の丈ほどもある得体の知れない大得物が入った革袋を軽々担ぎながら、シャルルはいたずらっぽい笑顔で訊ねた。
「……吸血鬼と魔女の戦争で生まれた兵器だ。吸血鬼が魔女を皆殺しにするために造った」
「そだね。その伝承が正しいんなら、人狼は自然に生まれた存在じゃない。ついでに言うとマトモな生殖能力もないはずだ。そんなんがつがいを作って赤ちゃんぽこぽこ生んでたら今頃人間はとっくに絶滅してるって」
「………………」
「『人狼に噛まれた人間は人狼になる』――狂犬に噛まれたみたいな、タチの悪い病気、って感じじゃん?」
あまりにあけすけな言い方にヤンは自分でも気づかぬうちに顔をしかめていた。シャルルアンリはそんなヤンに微笑みながら続ける。
「で、普通の獣とも違ってモノを考える頭もないからさ、人狼になった奴はそう長生きはできない――今回みたいに人里に現れるなんて、そうそう自然に起きはしないんだ。あるとすりゃあ……」
「……何者かが人狼を村に放った?」
「そ! 人狼を扱えるような奴なんて吸血鬼くらいしかいないでしょ? 人狼は適当に皆殺しにして、裏にいる吸血鬼をぷちっと八つ裂きにする。それが今回のお仕事ってワケ」
そんな大仕事を害虫駆除のように言えるのはシャルル=アンリくらいのものだろう。鼻歌を歌いながら楽しげに終わりの見えない霧の中を歩く彼に対し、ヤンはずっと抱いていた疑念をぶつけた。
「人狼は、皆獣のようになってしまうのか」
「ん?」
「人狼になっても人間の頃と同じまま、理性を失くしていない奴もいるんじゃないのか」
思い出すのは以前出会った青年の能天気な笑顔だ。シャルルはあまり考えていない風に頬をかく。
「んー、まあたまーにいたりはすんじゃね? そんなのも。でも……そっちのがなおのこと厄介っしょ。人間のまま獣の力を使えたら吸血鬼以上にタチが悪い……で? なんでそんなこと訊くの?」
にやけた顔のままじろりと睨まれ、ヤンは身じろぎする。
「……別に」
「ふーん? ま、いいけど……万が一そんなのが今回の本丸でも、ちゃんと殺そうね? 『吸血鬼じゃないから、人間だから』ってのはナシ。オッケー?」
「ああ」
とは頷いたものの、やはり気乗りはしなかった。最早怪物になり果てたとはいえ、元は人間。とうに死に、吸血鬼の従僕となった屍食鬼とはわけが違う。もしいつかの彼のように理性を持つ人狼が現れたら――『ちゃんと殺せる』のか、ヤン自身自分が信じられなかった。
もちろん、シャルルならばそんなことを気に病んだりはしないのだろうが……と考えているうちに、きりの中に妙な匂いが混じっていることに気がついた。
「おーい! あんたら、ジェヴォーダンに行くのか!?」
向かい側から荷馬車に乗った男がやってくる。商人であるらしい中年の男はヤン達二人の姿にほっとしたように手を振った。
「そういうアンタはその帰りっすか?」
「まあな。だから言うが、行くのはやめたほうがいい! あそこはひどい! 犬だか狼だか知らないが、害獣が人間に化けてるなんて言ってよそ者に塩撒いてきやがる! おかげでこっちはろくに商売も出来ず素寒貧だ!」
「ありゃりゃ。大変だったんすね~」
ぷりぷり怒りながらやってくる男にシャルルはもっともらしく相槌を打つ。
「じゃあ、おにーさんは害獣には心当たりがない?」
「当たり前だ、昨日来て今日帰りだぞ!?」
「そっか、なら……」
あ、と声を出す暇もなかった。シャルルが腰に手をやり長いチュニックの裾をひらめかせる動作はヤンにはとても見覚えがあるもので――次の瞬間男の肩口から鮮血がほとばしったのも、また。
「……ぎゃあああああッ!?」
「なんでアンタ、そんなに獣臭い匂いぷんぷんさせてんすか」
男からは確かに人間と獣が入り混じったような奇妙な体臭を感じた。しかし、男の様子は至って普通。人狼の村から帰ってきたのならそんな匂いが移ってしまってもおかしくないのか、とヤンは結論付けていたが……
「な、なんだお前ッ!? なんでいきなり、うぎゃあッ!?」
「ワンちゃんが上手に化けたじゃん。でも、ちゃんと匂いも消さなきゃ駄目だぜー?」
恐慌に陥った男の肩からナイフを抜き、さらに胸を斬りつける。相手のことはもちろん、自分に返り血がかかるのもおかまいなしだ。一体何をやっているんだ、とようやく我に返ったヤンが腰の短刀に手を伸ばした矢先、苦痛に歪んでいた男の顔に変化が訪れた。
「あぐっ、が……げががががッ……」
男の顔の皮膚がぼこぼこと泡立ち、骨格が奇妙に変形し人ならざる硬い毛が生え揃っていく。無論普通の人間にそんな現象が起こるはずもない。その変化を見るや、シャルルアンリはナイフで男の首を深々と刺した。
「ぐぼッ!」
「それじゃ、ハイサヨナラってね!」
男の鳩尾を蹴って仰向けに倒すと、首に刺したナイフの柄を地面に縫い付けるように足でぐりぐりとふみつける。男の体はしばらくびくびくと痙攣していたが、大量の出血と共に動きを止めた。
「人狼……だったのか」
獣と人間が融合したような奇妙な顔立ちになった男の屍を見て呟く。歯茎から生えた不揃いの乱杭歯は明らかに人間のそれではない。
「体の匂いより口の匂いだよ」
シャルルはおどけた風に自分の口を指差しながら男の死体を検分する。
「言っちゃえば食べたものの匂い。鶏や豚じゃなくてジビエとも違う変なくさみがあったら要注意。フツーの人が人肉なんて食べるわけないんだからさ」
唐突な行動に見えたがシャルルの方がヤンよりも注意深かった、というわけか。しかし、いくら確信があったとはいえ敵意をまったく見せなかった相手を躊躇なく殺してしまうなんて。
「ほら、コーハイクンも手伝って? 死体野ざらしにしてたらあとあとめんどくさいよ?」
軽薄な口調で言いつつ簡易埋葬の穴を掘るシャルルに、ヤンはのろのろ動いて共に穴を掘る。無論、シャルルのやり方は決して間違っているわけではないのだろう。しかし――周囲を取り巻く霧同様に、ヤンの心にかかった靄はなかなか晴れなかった。
「しかし……ちょっと厄介なことになりそうだね?」
混乱のままで固定されたしかばねの顔を見て、シャルルは静かに呟いた。
返り血のついた服を着替え、男が連れていた二頭の馬に跨ってさらに半刻。ヤン達がジェヴォーダンの村に辿り着いたのは日暮れ間近のことだった。
「うえ……」
村中に広がるむせんばかりの獣臭にたまらずシャルルが顔をしかめる。先程出会った男とは比べ物にならない、さながら村全体が獣の巣のようだった。
「おい、よそ者だぞ」
「またよそ者か……」
加えて村人がヤン達に向けてくる敵意の視線。試しに話を聞こうと近づくと、皆が一様に目を逸らし足早にその場を去っていく。なるほど、これでは商談どころか今晩の宿を見つけるのも難しいだろう。
「村長サンの家に行きたいんだけどなー……」
ネッサローズに今回の件を依頼したのも村長のはずだ。何をするにしろ、まず村長に話を通さなければどうにもできない。しかし、村人達によそ者の相手をする余裕はないらしい。どうしたものか、と頭を抱えていると、控えめな声が聴こえてきた。
「あの……あなた方がギルドの吸血鬼ハンターさまですか?」
ヤンより一つ二つ年若いか、といった年齢の少女だった。他の村人より衣服が幾分か上等なものに見え、どうやらこの村では名家と呼べる家の娘であることが推察できる。
「知ってんだ? 村長サンの家に行きたいんだけど、教えてくれる?」
「私の父です。どうぞこちらへ……」
村長の娘――名はターニャというらしい――の後をついて歩く最中にも村人達からの刺々しい視線を感じた。それに気づいたターニャが申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい……最近物騒なことが多くて、皆気が立ってるんです……」
「やはり人狼のことか」
小さな声で言ったつもりだったが、何人もの村人がヤンの言葉に反応するのが見えた。
「……はい。もう何人も人が死んで。牛や豚も食べられてしまって……」
「よそ者がヤクいものを持ち込んだ、って思ってるワケね」
ターニャによると、ひと月ほど前に村にやってきた流れ者が宿屋の一室で変死しているのが始まりだったという。その日以来村の家畜が相次いで食い殺されるようになり、野犬の類かと思って仕掛けた罠にはまるで狼のような顔になった宿屋の息子がかかっていた、と。宿屋の息子を始末した後も騒ぎは収まらず、どころかどんどん酷くなっていき、獣に食い殺されたような村人の死体すら見つかるようになり――今に至る、と。
きっと村人の中に人狼が隠れているのだ、とヤンは考えた。旅人だか誰だかは知らないが、最初に村にやってきた人狼に噛まれた村人が夜な夜な暴れているのだろう。もちろん、そんなことを村人達の目の中で口走るほど愚かではなかったが。
「その流れ者サンはどんなふうに殺されてたの?」
シャルルの問いはうら若い少女にするにはあまりにぶしつけで残酷で、ターニャも戸惑ったように眉をひそめた。
「私は直接は見ていませんが……大きな獣に引き裂かれたような、とても惨い死体だったって」
「ふうん。大きな獣、ね」
村長の家は石造りで、小さな城にも見える外観だった。砦を屋敷として再利用しているのだろうか? ひなびた村には似合わない重厚な扉が不気味だった。
「お父様、ハンターさま達がいらっしゃいました」
「おお! どうも、遠路はるばるありがとうございます!」
応接間に通されると、奥から禿げ頭の中年男性が汗を拭いながら慌ただしくやってきた。
「私はデーニッツと申します。僭越ながら、この村の村長を務めさせていただいております」
「シャルル=アンリ・ナヴァールっす」
「カンタレラ」
村長は感極まったように何度もヤン達と握手する。じっとりとした脂汗とざりざりとした毛の感触に不快感を覚えた。
「この通りなにぶんへんぴな村ですが、どうぞごゆっくりおくつろぎください……」
「あー、オレらそういうのいいんで。とりあえず先、おシゴトの話いいすか?」
村長デーニッツの話を切り上げて本題に入ろうとするシャルルアンリ。しかしその言葉に村長は困ったような顔になった。
「う、ううむ……そのことなのですが……せっかく来ていただいたのに本当に申し訳ありませんが、もうほとんど解決しまして……」
「どういうことだ?」
「騒ぎの犯人、怪物が捕まったのです」
村長はどこかばつが悪そうに言った。
ヤン達は村長邸の地下へと通された。砦だった頃の名残だろう、罪人や捕虜を入れておくための小規模な牢獄が何部屋かあった。
「三日程前についに怪物が尻尾を出しましてな。村の衆総出で取り押さえて無事捕らえることができたのです」
どうやらギルドに助力を乞う手紙が届いた後に犯人が捕まったらしい。今頃ギルドには謝罪の手紙が届いているのだろうか。
「てことは、もう被害は出てないんすね。その怪物ってどんな奴なんすか?」
「旅人を装って数日前から滞在していました。しかし……怪物に変身して村の者を襲っている現場を運良くおさえることができたのです。気さくを装ってあんなことをしていたとは、実に恐ろしい奴ですよ」
その怪物を閉じ込めたという一番奥の独房へと辿り着く。薄暗い牢の中に体を縄で何重にも縛り上げられた人影が寝転がっているのが見えた。と、ヤン達の足音で目が覚めたのか、人影がもぞもぞ動きだす。その拍子にちらりと見えた顔に、ヤンは思わず声を上げそうになった。
「うーん、なんだ……? 腹減ったなあ……」
両腕を使えないように縛られた状態で器用に膝を使って上半身を起こす。泥や埃で汚れた顔を眠たげに歪めながら辺りをきょろきょろ見回し、やがて目当てのものを見つけて嬉しそうに目を見開いた。すっかり色が変色したパンのような塊や泥がついたままの野菜の切れ端といったあまりに粗末すぎる食事――むしろ残飯と呼ぶべきか――が盛られた歪んだ小皿である。
「――飯だぁっ!」
余程腹を空かせていたのか、その男は一心不乱に皿に向かって這いずっていく。しかし両腕が使えない状態では皿から食事をつかみ取ることができない。男は「うー」と困ったように皿と自らの体を比べ見たが、腹の中で「ぐー」と助けを求める虫の声に、覚悟を決めたように顔を皿の中に突っ込んでがつがつと残飯を食べ始めた。
まごうことなき犬食いである。
「……あー、ごほん、ごほん」
気まずい沈黙の責任を取るかのように村長がわざとらしい咳払いをする。さすがにそうまでされて気づかぬはずもなく、男は泡を食ったように顔を上げた。
「うえっ!? なんだよ、見てたんだったら早く言えよぉ!?」
「…………なぜ、お前が」
泥と埃、更には食べかすで汚れてしまった顔を恥ずかしげに赤らめる男。ヤンにとっては認めたくない事実だったが、彼は紛れもなくロムルス・ラベートだった。
「なんだ、村長さんか……なあ、このご飯不味いよ、なんか変な臭いするし」
「だまらっしゃい! これだけのことをしておいて、飯がもらえるだけで奇跡であると知れ!」
ぶーたれるロムルスに村長が厳しい顔で一喝する。どうやらヤンやシャルルには気づいていないらしい。ヤンはそっとシャルルの顔を窺った。ロムルスとの面識があるはずの彼の顔はいつも通りのへらへらとした笑み、何を考えているかも定かでない。
「この恥知らずの人殺しめが!」
「! それは……」
村長の言葉にロムルスは痛いところを突かれたように黙り込む。まさか本当に彼が……? 動揺するヤンの隣でシャルルがなんでもないことのように訊ねた。
「そいつの処遇ってもう決まってるんすか? やっぱ死刑?」
「しっ!?」
「もちろん! と言いたいところですが……今現在、刑を執行する準備が整っていないのです。何分静かな村でしたから、執行人の経験のある者も志願者もおりませんで……」
殺そうにも設備も人員もなくてにっちもさっちもいかず、仕方なく処分が決まるまで生かしているというわけか。少しほっとするヤンだったが、シャルルの次の発言で再び肝を潰しかける羽目になった。
「ふーん。じゃ、オレらが殺りましょうか?」
「は……!?」
「なんと! お任せしていいのですか!?」
突然降って湧いたあまりに美味い話に目を白黒させながら確認する村長にシャルルがにこにこ答える。
「もっちもちっすよー。この通りオレら、怪物殺しのプロっすし? 頼まれてたお仕事ができなかった分はちゃんと働かせてください。困ってる人達を見捨てて帰るなんてできないし!」
「おお、おお……! ありがとうございます!」
村長は目に涙すら浮かべてシャルルアンリの手を握りしめる。一方のヤンは声も出せずに混乱状態に陥っていた。なんだこれは。なんだこの状況は? 自分は一体どうすればいい?
「つーわけで、ちょっと何日か滞在させてもらえません? さすがにサクッと今すぐ! ってワケにはいかないんで」
「もちろんですとも! すぐにお二方の部屋を手配いたします!」
「……お、おい!」
ようやく声を出せるようになったヤンは慌ててシャルルの袖を掴む。まさか本気で殺す気なのか。ロムルスを、自分たちの手で!? 額に大粒の汗を浮かべたヤンの様子に村長が不審げに訊ねた。
「どうかされたのですかな? 顔色が悪いようですが……」
「う……」
「あー、ちょっと待ってください」
と、シャルルアンリは苦笑しながら言うと、村長に背を向けるようにしてヤンに向き直る。嫌な予感にとっさに身構えようとしたが、シャルルの拳がヤンの腹に食い込む方が早かった。
「がふっ……!?」
「やっぱりそうだ。コイツちょっと体調悪いみたいっす。どっかで休ませてもらえませんか?」
ぐったり力をなくしたヤンを担ぎ上げて言うシャルル。村長は納得したように頷いた。
「そうでしたか。では一度上に戻りましょう」
「ういーっす」
「……お前……」
肩に担がれつつ睨みつけてくるヤンに、シャルルは彼にだけ聴こえる声で言った。
「焦んなよコーハイクン。気持ちはわかるけど、ここでヘタなことしたら奴らの思うつぼだぜ」
「な……」
「罠にはめられてるんだ。あのワンコクンも、オレ達も」
むせかえるほどの獣臭であふれかえった村長邸を歩きながら、シャルルは静かに微笑した。
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