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第十五話 別たれる月/前

 十年前。あの夜もちょうどこんな風に満ちきった月が空に輝いていた。

「げほっげほっ、ごほっ……」

 ラヴァルは後悔していた。ほんの気まぐれで昔の知り合いの招待を受けて出席した晩餐会。しかしそこでラヴァルを出迎えたのは嫌悪や軽蔑の視線だった。

 ラヴァルが『掟番』として赤いマントを纏うようになってから早数十年――『右眉傷の吸血鬼』として名もかなりに知られてきた。赤マントを着ていなかろうが気づかれることは覚悟していた。しかし、息を吸うごとにあちこちから睨まれて食欲など湧くわけがない。

「少し休んでくると良い。外の空気でも吸ったらどうだ?」

 たまたま会場内で出くわした同じく掟番であるフォーティンブラスにそう勧められ、バルコニーに向かう。さすがは隊長格を務める熟練の掟番、周りをよく見て気遣っている……半ば感心しつつ歩き、バルコニーの扉を開けて異変に気づいた。

「……おい、大丈夫か!?」

 バルコニーの柵にすがりつきながら咳き込む影。ひどく息を荒げ、時折崩れ落ちそうになるのを必死でこらえている。あまりに尋常ではない様子にとっさに駆け寄り、体を支えながら背中をさすってやる。ふと、その吸血鬼の足元に血のような滴がいくつも落ちていることに気づいた。吐血か!? いや……料理の血を吐いてしまったのか?

「……ありがとう」

 しばらくそうしていると、少し回復したらしい先客がよろよろと顔を上げた。吸血鬼にも珍しい白い髪をした、青白い肌に青緑色の眼を持つ青年。まともに食を摂っていないのか、分厚い礼服の上からでも悟れるほどに痩せ細っている。

「お前、名前は?」

「……バートリー。君は……?」

 枯れた声で訊ね返す彼はラヴァルのことを知らないらしい。ほっとしたような、どこかむず痒い感覚に襲われながら一言、自分の名を返す。

「ありがとう、ラヴァル……本当に助かった」

「礼は良い。それより今のは一体どうした? 変な連中に何かされたか?」

 言ってから、このいかにもひとの良さそうな吸血鬼、ラヴァルのように恨みを買うこともないだろうと気づく。しかしバートリーと名乗る吸血鬼はラヴァルの問いに対し気まずそうに顔をしかめた。

「……なんでもない」

「そんなわけはないだろう」

 あからさまに言葉を濁されついついむきになって追及する。晩餐会の中、ひとりバルコニーで咳き込み苦しんでいながらなんでもないわけがない。同伴者や知り合いはいないのか? 大体、どうしてそんなに体調を悪くしたのか。

「なんでもないんだ、本当に」

「本当に?」

 なおもしつこく食い下がるラヴァルに嫌気がさしたのか、バートリーは不愉快そうに声を低くした。

「……人間もどきのことがそんなに気になるか?」

「人間もどき?」

 聞くだけでそれとわかる、明らかな侮蔑の言葉だった。まさか、それが彼の『名』なのか? 思わず訊ね返すラヴァルを無視し、バートリーは足早にその場を去ろうとする。しかし。

「ぅ……!」

「おい!」

 まだ体調が思わしくないのか、バートリーは足をもつれさせてよろめき柵に手をついた。姿勢を立て直そうと踏ん張っているが、手足は未だ微かだが震えている。このまま中に戻ってもまた倒れてしまうだろう。

「な……何をするんだ!?」

 見かねたラヴァルはバートリーの腕を自分の肩に回し、無理矢理肩を貸して体を支える。バートリーは抗議の声を上げるが無視して歩き出すと諦めたように抵抗をやめた。

「何が目的なんだ……?」

 会場内に戻ると、扉の開閉音でいくつかの視線がこちらへ向いた。礼服の似合わない大男と痩せ細った白髪の青年、さぞかし奇妙な取り合わせに見えることだろう。奇異の眼で見られるのに慣れているラヴァルは気にせずバートリーを支えたまま歩くが、不意に飛んできた野次にはさすがに顔をしかめずにいられなかった。

「やい、朋殺し! 次はそいつを殺す気か!?」

「なんだって……?」

「………………」

 ぎょっとした顔のバートリーに無言で肩をすくめ、野次を無視して先程話したフォーティンブラスの元へ行く。

「お前も大変だな。……彼は?」

「気分が悪いらしい。これから送っていく」

「そうか……私があとで説明しておく。気をつけて戻れ」

「すまん」

 数少ない理解者に頭を下げ、そのまま出口へ向かう。しかし同様の罵声はいくつも飛んできて、そのたびふたりの眉をひそめさせた。

「さっさと失せろ、掟番!」

「二度とその薄汚いツラ見せんじゃねえ!」

「随分嫌われているんだな……」

 会場を出てから少しして、おずおずとバートリーが言った。

「嫌われ者に助けられて不服か」

 皮肉で返すと、バートリーは慌てたように首を振る。

「いや、まさか! ……僕と一緒だと思って」

「お前が?」

 早々嫌われなさそうな、頭から足の爪先までおひとよしのお坊ちゃんにしか見えない彼が? 疑問符を顔に浮かべるラヴァルに、バートリーは伏せ目がちに話しだした。

「僕も皆から馬鹿にされて笑われているんだ。さっきのことも、嫌なことを言われて、気分が悪くなってしまって……」

「なぜだ? 何か罪を犯したわけでもないだろう?」

「……笑われて当然なんだ。吸血鬼なのに血が飲めないんだから」

 自嘲気味に話すバートリーに、ラヴァルは先程見た血痕を思い出す。やはりあれは人間の血だったのか。

「おかしな話だろう? けれど、どうしても駄目なんだ……血を飲もうとすると、どうしてもその血の持ち主のことを考えずにはいられない。彼や彼女は一体どんな人生を送っていたのだろう、僕なんかが命を奪って良かったのか? 彼らの死を悲しむ誰かがいるんじゃないのか? 僕という吸血鬼がとってもおぞましいものに思えて仕方がなくなるんだ、こんな罪深いことをしなければ生きていけない体だなんて……!」

 苦しそうに胸をおさえながら堰を切ったようにまくし立てるバートリー。そうして話し続けたことで息を詰まらせたか、再びごほごほと咳き込み始める。ラヴァルは慌てて背中をさする。

「おい……!」

「……君は、優しいんだな。こんな出来損ないの僕を気遣ってくれるのか」

 咳の拍子に出た涙を拭いながらバートリーが言う。ラヴァルが返事に迷っていると、バートリーはそっとラヴァルの腕を自分から話す。

「けれど、もういいよ。君も軽蔑しただろう、こんな『人間もどき』。僕と一緒にいたら君まで人間好きの変態だなんて言われてしまう。……今夜の恩はいずれ返そう。僕なんかのために、本当にありがとう」

「――待て」

 夜闇に去ろうと踵を返したバートリーの腕をラヴァルは掴み直した。

「!」

「人間もどきか。朋殺しとどっちがましな名だろうな」

 振り向いたバートリーの横顔に、ラヴァルはかつてこの手で殺めた友の顔を思い出した。あいつもこんな風に助けを求めていたのだろうか? ならば、このまま手を離せば、彼もあいつのように……! ラヴァルの手にこもる力が強くなる。

「な、なんで……僕は……!」

「お前が言ったんだろう。お前も俺も、同じ嫌われ者だ。世間の評判なんて今更どうにもならん」

「だけど――」

 ラヴァルの腕を振りほどこうとするバートリーは、しかしラヴァルの瞳を見て動きを止めた――その目に何か感じ取ったのか、再び目を伏せ唇を噛む。

「お前、家はどこだ? 自前の馬車はあるか?」

「……今夜は泊まるつもりだったんだ。馬車も明夜にならないと……」

 バートリーの答えにラヴァルは眉根にしわを寄せた。うかうかしてると明け方になってしまう。かといって、今更館内に戻って宿を借りるわけにもいくまい。少し考えた末、ラヴァルはバートリーの腕を引いて歩きだす。

「ど、どこへ行くんだ……?」

「ここから少し歩いたところに掟番の宿小屋がある。そこで一日を明かすぞ」

 結果的にはその判断は正解だった。宿小屋のある森に辿り着くまでバートリーは何度も倒れそうになり、しまいにはラヴァルはバートリーを背負って森の中を歩く羽目になった。

「すまない、本当にすまない……」

「喋るな、舌を噛むぞ」

 いくらなんでもひ弱すぎる。吸血鬼でも血を飲まないとここまでか弱くなってしまうのか。ようやく小屋に着いたとき、ラヴァルは体の疲れよりも背中のバートリーを気遣う心労から解放されたことに安堵のため息をついた。

「一つ……しかないのか?」

 宿小屋は大勢が泊まることを想定していないらしい手狭さで、寝台代わりの棺も一つしかなかった。棺自体は柔らかい藁が敷かれており寝るには問題なさそうだが……どうしたものかとバートリーがラヴァルの顔を見ると、ラヴァルはさっさと自分の上着を布団代わりに床に寝そべっていた。

「ラヴァル!?」

「どうせ俺にはその棺は小さすぎる。それに、お前が体を冷やして明夜に差し支えたら面倒だ」

 それだけ言うと、ラヴァルは有無を言わさず目を閉じてしまった。そんなことを言われて棺で寝ないわけにもいかず、バートリーは恐る恐る棺に身を横たえた。

 ほんの数歩も離れない先に今夜出会ったばかりの男がいるような状況。普通ならば緊張や警戒心で眠れなくなってもおかしくないはずなのだが、ここ最近では一番安らかに眠ることができた。




 ……甘い香りが鼻をくすぐる。目を覚ました先にあったのは、少し萎れかけた数輪の薔薇。驚いて顔を上げると、先に目覚めていたラヴァルが薔薇を手にし不味そうに顔をしかめながら花弁を千切って食べていた。

「苦いしえぐい。こんなもの、日常的に食べる奴らの気がしれん」

「これは……?」

「これならお前も食えるだろう。不味いが、腹の足しくらいにはなる」

 そう言って、また一口食べては不味そうに顔をしかめる。……まさか、バートリーより早く起きて摘んできてくれたのか? 血が飲めないと語るバートリーのために?

 どうして彼はここまでしてくれるのだろう。バートリーは不思議で仕方がなかった。今までバートリーの秘密を知った者は皆一様に笑うか蔑むかのどちらかだった。生きる糧すら食べられないならば大人しく死んでしまえ、などと言われたのは一度や二度ではない。きっと、彼はひと一倍優しいのだ。けれど……。

「……どうした」

 いつまでも薔薇に手を付けず、しょぼくれた顔でうつむいているバートリーをラヴァルがいぶかしむ。

「せっかくこんなにしてもらっても、僕はきっと、君には何も返せないよ……」

「……俺が見返りを要求するためにやっていると思っているのか」

「ち、違う! そうじゃなくて……!」

 あわあわと否定の言葉を探そうとするバートリーの口にラヴァルは食べかけの薔薇を突っ込んだ。

「むぐ!?」

「さっさと食え。ぐずぐずしてるとまたここで日を暮れさせる羽目になるぞ」

 少し怒ったようなラヴァルにバートリーは慌てて薔薇を咀嚼する。吐き出したくなる苦みの中に甘い香りがふんわりと広がった。

 少しは近づいたとはいえ、本来ならば馬車を使わなければならない距離。バートリーの住居はまだまだ遠い。バートリーの体調を気にしながら進みつつ、日の出までに次の仮宿を探さなければならない。掟番として引き受けたどの仕事よりも厳しい行程にラヴァルは何度も冷や汗をかいた。

「せめて、馬の一頭でもいれば……」

「馬は苦手だ」

 バートリーの呟きにラヴァルがぼそりと言った。

「あいつらは面倒だ。すぐにこっちを舐めてかかり、油断するとすぐに手やら頭を噛んでくる。乗ろうものなら全力で振り落としにかかってくるしな」

 仏頂面で言うラヴァルは動物に懐かれないたちらしい。なるほど、動物達もラヴァルの強面は好かないのか。なんだか可笑しくなり、バートリーは歩きながらくすくす笑いをかみ殺した。

「なあ、掟番ってどんなことをしているんだい?」

「知らないのか?」

「噂は聞いたことあるけれど……でも、君の口から聞きたいんだ」

「……ろくな仕事じゃないのは知っているだろう。何百年も前に偉い奴らが勝手に決めた掟を破った奴を罰する。それだけだ」

「素晴らしい仕事じゃないか。大変だけれど、誰かがやるべき正しい役割だ」

「貧乏くじを引かされただけだ」

 吐き捨てるように言うラヴァルに、しかしバートリーは言い返す。

「だったら、なんであんなに酷いことを言われてまでもそんなことを続けているんだ? 嫌な思いをして、苦しいだけなのに」

「………………」

 バートリーの問いにラヴァルは一瞬沈黙した。

「……償い、だ」

 しばらくして、絞り出すようにラヴァルが言う。その声は起き掛けに食べた薔薇の花弁よりも苦みに満ちていた。

「『朋殺し』。昔俺は何よりも大事な友をこの手で殺めた。犯してはならない罪を止めるには、それしかなかった」

「掟番として、その友達を殺めたのか?」

「逆だ。友を私刑で手にかけたからこそ、俺の行為は正しかったと証明するために掟番に入った。……あいつは正しく裁かれたのだと証明するために」

 ラヴァルの話はあまりにも言葉足らずすぎ、ともすればいくらでも悪く取れてしまいそうな言い方だった。むしろ、そうしてあえて自分を貶めているかのような。

「……とても大切だったんだな。その友達のことが」

「…………」

 ラヴァルは答えず、ただ静かに月を見上げながら歩き続けた。


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