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第一話 鬼来たる

 切断されたコスタードの腕が黒い液体を撒き散らしながら飛んでいく。

 コスタードは自分の判断が正しかったことを確信した。切り離された腕はパンのように恐ろしい速さで黒い水を吸い、中空に浮いたまま腐り落ちていく。あの毒が体まで回っていたらひとたまりもなかっただろう。肘までとなった左腕を変形させ、素早く傷をふさぎながらコスタードは黒い血の持ち主を見やった。

「自らの腕を落とす、とは」

 まだ二十歳にもならぬような若者だ。しかしコスタードは彼から幼さやあどけなさを感じることはできなかった。フードを被ったところで、双眸に宿る淀んだ闇が彼の邪悪性を示していた。

「百頭落としのコスタード……大仰な通り名は伊達ではないらしい」

 少年は今しがたコスタードの左腕を斬りつけた短剣を軽く振る。刀身がやや反った片刃のそれは東洋風の打ち方だ。コスタードの血を粗方ふるい落とすと、少年は再び短剣で躊躇いなく自らの左腕を斬りつけ、刃に黒い血を吸わせた。狂っている。コスタードは口の中で呻いた。

「だが、貴様が次に落とすのは貴様のその首だ」

「……若造め」

 コスタードは手斧を握り直した。左腕を再生させたいが、まだ宵の森の中だ。人間の生き血を吸うのは不可能に近い。欠乏を感じるコスタードの鼻に、少年の黒い血が甘く香った。甘美なる猛毒、かつて聞いた与太話を思い出す。

「カンタレラ」

「……」

 呟いた名前に少年は微かだが反応を見せた。

「父祖ブラムの時代、魔女どもが作った恐ろしき猛毒……全身の血と入れ換えて吸血鬼を襲って回る命知らずがいると聞いたが、おまえか」

「しくじったな。噂になるほど殺し損ねがいたか」

 少年――カンタレラは表情を浮かべずに呟く。噂の怪人がこんな若造? あの素早い斬撃を身を以て知らねばコスタードも信じられなかっただろう。カンタレラの傷口から垂れた血が凝固し、黒い装甲と化す。この有様ではもはや人道へは戻れまい。今まで葬ってきた吸血鬼ハンターの中にもここまで捨て鉢な者はいなかった。

「まあいい。どの道全員殺す。貴様も地獄の底で仲間を待ち続けろ」

「大した自信だ。わたしがおまえを返り討ちにする可能性を微塵も考えていないのか」

 コスタードの右腕が揺れ曲がる――形を変え、ばらりと解け、手斧に絡みつく無数の茨の蔓へと変わる。精悍なコスタードの頬に血管が浮き、さながら蔦が絡みついたような紋様を作った。

「地獄へは、おまえを送ったあとにゆっくり向かうとするよ」

「…………」

 カンタレラは無言でコスタードへと跳躍した。狙いがコスタードの右腕であることは明白だった。向かってきた短剣に手斧で応戦する。鈍い金属音が森奥に反響する。

「……!」

「不意討ちに成功した程度でのぼせ上がるなよ。こんな軽い剣でわたしを斬れると思っていたのか!?」

 毒はまだしも、力量はまだまだ若輩者の領分らしい。コスタードの片腕分すら受け止めるのに精いっぱいのようだった。短剣に意識が集中したのを見計らい、鳩尾へ思いきり膝蹴りをくれてやる。

「ぐッ――」

 加減したとはいえ、倒れずにその場で踏みとどまる根性はなかなかのものである。タイタニアスにも見習わせたいものだ。ここにはいない弟子に一瞬想いを馳せ、カンタレラの頭を手斧の柄で殴る。

「――――」

 が――浅い。不利と見るやすぐさま後退する。場慣れはしているのか。あちらの方が足は速い。逃がすべきか……? 浮かびかけた案に、しかしこの近くでおちあう予定だった弟子の顔が浮かぶ。駄目だ、この場で始末しなければ。踵を返したカンタレラに、コスタードは手斧を落として右腕を伸ばした。

「な……ッ!?」

 蔓と化したコスタードの腕は思いのままに伸び、逃げかけていたカンタレラの胴や手足に絡みつく。さすがに驚いたらしく動きを止めた少年の体を持ち上げ、力任せに振り回す。そのまま近くの木に叩きつけるとカンタレラは激しく咳き込んだ。轟音とともに気が軋む。

「思ったより頑丈だな」

「っ、く……!」

 縛られたままのカンタレラが苦悶に顔を歪めながらもぞもぞと身じろぎした。蔓を斬ろうとしているのだろうか? しかし彼の短剣は彼の腕ごと蔓でがっちり胴体に固定している。斬れるとしたら精々己の腹くらいのものだろう。それでも闘志は消えないのか、強く睨みつけてくるカンタレラの形相にコスタードは思わず嘆息した。

「見どころはあるが随分と生き急ぐな……人間とはいえ殺すのが惜しい。何がおまえをそんな狂人に変えたのだろうな……」

「……!」

 と――カンタレラが大きく顔色を変えた。そこまで屈辱的な言葉だったか……? 一瞬的外れなことを考え、しかし蔓に感じる濡れた感触と、どろりと地面に落ちていく黒い液体を見て彼の行った所業を察した。

「ッ、おまえ……!」

「殺されるのは……俺ではない。貴様の方だ……!」

 己の腹を掻っ捌きながらもカンタレラは歪んだ笑みを浮かべる。まずい――濡れたせいで蔓が滑る。カンタレラの毒血、直に触れる程度では問題ないようだが……待て、確か先程見た奴の血……! とっさに蔓の縛りを強くしたせいで引きはがすことが出来なかった。蔓が彼の体を縛ったまま凝固した血によって固まる!

「く、この……!」

 再びカンタレラを木に叩きつける。しかしカンタレラは剥がせない! カンタレラも短剣が出せないと見るや、自由な左腕を自ら噛みついた。腕からだらだら血を流しながら、蔓に爪を立てて傷をつけようとする。

「自殺志願者がッ――!」

「げほッ!」

 三度カンタレラを叩きつける。カンタレラは血を吐き……だが抜け目なく割れた木の破片を掴む! 先が尖った木の破片をナイフに見立てて蔓に突き立てた!

「ぅぐッ……!」

 蔓に変化しているとはいえ、それは確かにコスタードの腕。破片が刺さった傷から血が溢れだす。カンタレラは再び己が腕の肉を食い破り、血でまみれた手を傷口に突っ込んだ。

「ッがァあああああああああああああ!」

 熱された酸を直に流し込まれるような感覚。腕を……斬らなければ! しかし手斧は落としたまま、それを拾い上げる腕はない! 右腕が末端から腐り落ちていく……!

「ッゥううううう……!」

「ふッ!」

 腐った蔓を無理矢理に引き千切り脱出したカンタレラはコスタードの手斧に向かって走る。短剣で腹を斬った代償に右腕が血で固まってしまったのだ。残った蔓をカンタレラに伸ばすコスタード、しかしカンタレラが速い! 手斧を左腕で拾った彼はそれで勢いよく右腕を斬り、血を付けたままコスタードを袈裟切りした。

「ぎゃああああああああああああッ!」

「なるほど……よく斬れる斧だ」

 生きながら腐敗していくコスタードを見ながら静かに呟く。そしてそのままコスタードの首へと狙いをつける。

「約束だ……もらうぞその首」

「た……タイタニアスーッ!」

 コスタードの叫んだ名前が誰のものだったのかカンタレラは知らない。吸血鬼なら殺すだけだ、この男同様に。そうして切り取られたコスタードの首を躊躇いなく踏み潰す。これでまた一人殺した。

「…………」

 長い息を吐く。今の名前……仲間が近くにいるのか? ならば殺さなければ……神経を尖らせるカンタレラの耳にがさ、と枝葉が擦れる音が届いた。

「いっひっひ……まァた随分無茶なやりかたしているじゃないか」

「……モルガーナ」

 見上げた先にはローブを着た妙齢の女。人間が乗れるとは思えない細い枝に優雅に腰かけ、カンタレラをにやにやと猫のような笑みで見下ろしている。

「久しぶりに見に来たらこのザマかい。一匹殺すたびにボロボロになって、この調子じゃ吸血鬼を全員殺す前に寿命が尽きちまうよ?」

「問題はない」

 ぶっきらぼうに答え、その場に腰を下ろす。固まったままの右腕をどうにか剥がさなければならない。女はその様子をにやにやと見守った。

 かの魔女の名はモルガーナ。彼女こそが毒血の怪人カンタレラの製作者である。カンタレラは固まった血を剥がしながらモルガーナを見上げた。前回見たときと顔が変わっている。いや、奴は会うたびに顔が変わっている。あどけない童女から魔女にふさわしき老婆の姿まで、魔女は無限の姿を持っていた。そのどれが彼女の本当の姿なのかカンタレラは知らない。興味もなかった。

「たっぷり血を使ったもんだねェ。これぞ出血大サービスってかい? まァそんなに使っちまったんじゃあしばらく吸血鬼狩りはできないだろうさ。ブッ倒れる前にさっさとうちに来るんだよ、坊や」

「うるさい」

「つれないね? 婆の忠告は聞くもんだよ?」

 舌打ち混じりに返事すると、モルガーナは呆れたように溜め息をついてすうっと溶けるように消えた。魔法だ。口振りから見るに、そもそもここにいたのは魔法で作った幻影だったのかもしれない。右腕を自由な状態にしてからカンタレラは立ち上がる。確かに……認めがたいが血を使いすぎた。体に妙な浮遊感があり、気分が悪い。気は進まないが、モルガーナの根城へ向かわなければならないようだった。

「死ぬわけにはいかない」

 呟く。カンタレラは生きなければならない。吸血鬼を殺しつくすその時まで。十年前に死んでいるべきであった彼が今もなお生きているのもすべてその為である。

「殺す……皆殺しだ」

 放り出していたコスタードの手斧を拾い上げる。百人斬りの手斧、二つ名に見合う切れ味だった。もらっていくことにしよう。腐り落ちたコスタードの死骸から服を剥ぎ取り、簡易的な袋を作って包み込んだ。

「殺す……生きて、殺す……」

 月明かりを頼りに森を歩いていく。その後姿を草陰から見つめている小さなネズミの存在に彼は気づかなかった。



  ◆



 女吸血鬼、貞淑たるカミラの屋敷では定期的に晩餐会が開かれる。痛ましいほど犠牲を出した先の大厄戦争以降、有力な吸血鬼同士の動向監視・安否確認を兼ねた親睦会の一つである。

「フィロストレイト殿、オベロン殿が事前の欠席連絡、スタルヴリング殿が行方不明……とすると、これで全員揃いましたかな?」

「サンジェルマンさまとコスタードさまがまだ来ておられませんわ、ベルナルディンさま」

「おお、これは申し訳ない!」

 席に着き、自慢の髭を弄りながら顔ぶれを確認する吸血鬼ベルナルディンにカミラは淑やかな笑みを浮かべて訂正した。赤く、体のラインが見えるような、ともすれば下品にすら見えるドレスすらカミラは優雅に着こなす。人間はおろか、吸血鬼ですらも彼女の美貌には敵わないだろう。ベルナルディンはほう、と感服の息を吐く。

「どうされたのだろう……お二方はどちらも無断で欠席されるような方ではないはずだけれど」

「スタルヴリングはいつものこととして……しかし五人も、いや六人も欠席か……只事には思えん」

 席に着いているのは主催者のカミラを含め、たった四人。いかにも貴族らしき風体のベルナルディンと、礼服の上に医者めいたローブを羽織る青年シーカー。そして、他三人の晩餐会にふさわしい装いからおよそかけ離れた武骨な軍服を着た偉丈夫ラヴァル。ラヴァルの言葉に、若きシーカーは居心地悪そうに組んだ手を動かす。

「……確かに私では兄さ……ハイドの代理は力不足なのは否定できないが。しかしハイドにも事情が……」

「ハイド殿の体調不良も困ったものですなあ。あの魔女狩り将軍がまさか出歩けぬほど弱ってしまうとは。まさしく鬼の撹乱ですぞ」

「近いうちにお見舞いに向かった方がいいかしら」

 めいめいハイドを心配するふたりをよそにラヴァルはふん、と息をついてシーカーをじろりと睨んだ。六フィートあまりの巨躯に機嫌の悪そうな厳しい顔つき。シーカーが縮こまるのも無理はなかった。

「まあ、来ないものは仕方がない。待っていても料理が冷めるだけだ」

 と、ラヴァルが乱暴に卓上のフォークを引っ掴んだのをまるで待っていたかのように、その男は姿を現した。

「やあ――お待たせ」

「……!」

 思わずフォークを皿に盛りつけられたステーキに突き刺す。カミラが「まあ」と目を丸くし、ベルナルディンが眉根を寄せてこちらを睨むがどうでもいい。殺し好きのハイドも気に食わないが、この男はそれ以上にラヴァルの機嫌を乱す男だった。彼の柔和で泰然とした微笑みもラヴァルからすれば挑発のようにしか思えない。

「随分お早い到着だ、サンジェルマン。雄鶏の鬨にでも起こされたのか?」

「ごめんね、遅れてしまった。いや、本当に申し訳ないと思っているんだ……」

「何か事故に遭ったのですか? どこかお怪我は?」

 ラヴァルの皮肉に気がつかなかったかのように淑女めいて穏やかにサンジェルマンを心配するカミラ。女ながらに高い地位を得られているのは何も美貌だけによるものではないのだ。流行りの型の赤黒コートを着た青年貴族らしい風貌の金髪紅眼の男は困ったように眉を下げた。

「いやいや、心配なら彼にしてあげてほしいな、カミラ姫。ぼくより余程、彼の方が傷ついている」

 そう言われ、初めてサンジェルマンの後ろの小さな影に気づく。シーカーよりもさらに若い、少年と言って差し支えない年頃のその吸血鬼に見覚えのないものはいなかった。かのコスタードの愛弟子である。

「タイタニアス」ベルナルディンが落ち着かなげに髭を弄って少年に訊ねる。「その……コスタード殿はどうされたのですかな?」

 乱れたまま整えられていない衣服、真っ青な顔に絶えず浮かんでは流れる汗と涙。只事ではない。明らかに恐慌状態のタイタニアス少年だったが、しかしそれでも何か伝えようと震える口を開く。

「そ、そのっ……こ、コスタードは、お師匠はっ……!」

「『カンタレラ』と名乗る人間に数刻前に殺された……そうだよ」

 嗚咽が混じって上手く言葉が紡げないタイタニアスを見かねてか、サンジェルマンがそう告げた――刹那、広間の空気が凍りつく。

「……馬鹿な」

 ラヴァルすら、そう呻くので精一杯だった。

「たわ言を……あのコスタードだぞ? 人間など百も二百も葬ってきた、そんな男がそんなわけ……ありえるものかッ! 弁えろ餓鬼が!」

「落ち着いてくださいな、ラヴァルさま」

 語調を荒げ、ついには噛みつくように怒鳴るラヴァルをカミラは穏やかにたしなめる。もっともそんな彼女の顔も蒼白に染まっているのだが……そんな中、衝撃に黙りこくっていたシーカーがふいに口を開いた。

「カンタレラ……コスタードを殺したのはカンタレラ、確かにそうなのかい?」

「……!」

 口もきけぬ精神状態か、タイタニアスはひたすらに首を縦に振った。

「それがなんだというんだ……!」

「いや……最近、行方不明となった吸血鬼が増えてきただろう? 少し調べていたんだ、もしかしたらあの憎き魔女共の計らいかもしれないと」

「カンタレラ……かの猛毒のことならば耳にしたことがありますわ」

「どうやら魔女に唆されて、全身の血とその毒とを入れ替えた酔狂者がそんな名を名乗って吸血鬼を殺して回っているらしいんだ」

 怪人……カンタレラ。ラヴァルも耳にはしたことがあった。つい最近、腐れ縁の知り合いに用心するよう言われたばかりだ。人間ごときに何を恐れる、それよりまずは自分の身を心配しろとそのときは笑い飛ばしたが。

「今まで奴に殺されたらしい吸血鬼はいずれもはぐれ者の無名ばかり……吸血鬼ハンターがふかして粋がっているのだとばかり思っていたけれど。彼の言っていることが間違いないのなら、おそらくカンタレラは本物の狂人だ」

 カンタレラ――吸血鬼を滅ぼす為に開発された最強の猛毒。匂い、味こそ甘美だが、味わう前に舌から全身が腐敗するという。確かにそれを血液の代わりに全身に流せばその人間は吸血鬼の天敵となろう。だが、人間の血を捨てるということは人間性そのものを捨てるに等しい。寿命を縮め、社会を捨て去り、そこまでしても吸血鬼を殺したいと思うような人間が果たしているのだろうか?

「ま、間違いありません! 奴の血は黒色でした……なのにとても美味しそうで、一口でも味わいたくなるような匂いだったんです!」

「お前、コスタードとカンタレラが戦うのを見ていたのか?」

 ラヴァルに鋭い視線を向けられ、タイタニアスは反射的に身をすくめた。

「師が殺される場面をただ何もせず指を咥えて眺めていたのか?」

「そ、それはっ……!」

「命あっての物種、というやつじゃあないのかな、ラヴァルくん」

 サンジェルマンがにこやかに、さりげない仕草でラヴァルとタイタニアスの間に割って入った。そうだ、奴のこういうところが気に食わないのだ。ラヴァルは思う。悟ったような言い方で相手に諭す。占い師か霊媒気取りか? おまけにこの爽やかな笑みはなんだ、仲間が死んだというのに悲しむそぶりも見せないとは。

「『生き残って笑った者が勝者』……それがコスタードくんの教えだったんだよね? なら、彼のしたことは何も間違っちゃあいないさ。第一、師を殺せる相手に挑んで勝てる実力はまだ彼にはないだろう?」

「……はい」

 震え、頷くタイタニアス。ラヴァルは舌打ちする。今更謝罪しようにもサンジェルマンにすっかり面目を潰されている。「悪かった」と、彼らしからぬ小さな声でぼそりというとラヴァルは席を立った。

「ラヴァルさま?」

「……仲間が死んで飯が食えるほど腹は減っちゃいない。悪いが、失礼させてもらう」

 半分本当で半分嘘だった。サンジェルマンのせいで失せた食欲が訃報のせいで完全に消え去ってしまっていた。多少評価や地位が落ちたところで知るものか。そもそもラヴァルがここに招かれること自体が本来ならばありえないことなのだから。

「帰り道に気を付けて、ラヴァルくん。まさかとは思うけど、噂の狂人に辻斬りされないように」

「………………」

 酷い冗談だ。ラヴァルは返事もせず足早に広間から出て行った。

「まったく、相も変わらず礼儀を知らん男ですなあ。いくら掟番とはいえ、カミラ殿に招かれながらあの態度! よくもあのように無礼に振舞えるものだ!」

 少しして、ベルナルディンが髭を弄りながらラヴァルを貶した。コスタードの死という受け入れがたい報せに固まった空気を換えたかったという意図もあったが、ひとりの女性としてカミラを敬愛する彼はラヴァルの傍若無人な振る舞いが純粋に気に食わなかった。

「あの方も普段ならばもっと落ち着いてらっしゃいますわ。ラヴァルさまとコスタードさまの仲がよろしかったのをあなたもご存知ではなくて?」

「うぐ」

 しかしそんな下心もカミラ自身によって脆くも粉砕される――カミラに静かにたしなめられ、ベルナルディンは子供の様に肩を落とした。「まあまあ」とサンジェルマンがまたも口を挟む。

「みんな、悲しい報せで調子が狂っちゃってるんだよね。だけど、悲しんでばかりじゃ先へは進めないよ。コスタードくんの為にも、ぼく達は前を向いていなくちゃね」

 ね、とサンジェルマンは棒立ちだったタイタニアスの腕を引き、空いていた席に座らせる――コスタードが座るはずだった空席だ。腕を掴まれたタイタニアスはぎょっとしながらも、しかし抵抗することはしなかった。ここにいるのは全員大厄で多大な戦果を挙げた英雄達だ。大厄以降に生まれたひよっこの彼がラヴァルのような無礼など働けるはずもない。だからおどおどと椅子に座ったまま小さくなることしか出来なかった。

「腹が減っては戦は出来ぬ。さあ、ご飯を食べようか」

 と言って、彼も着席する――今しがたラヴァルが立った席へ。そうして彼がフォークを突き立てたきり手を付けなかったステーキに手を伸ばす。

「うん、美味しい。さすがカミラ姫専属のシェフは腕が違うね」

 人間の二の腕のステーキを骨ごともぐもぐと咀嚼しながらサンジェルマンは快活に笑った。



  ◆



 白みかけた夜空に向かってシャボン玉をぷう、と吹き飛ばす。筒から吐き出されたいくつもの泡が雲に囲まれた月の光に照らされる。穏やかな風が吹き、シャボン玉と少女の白い髪を優しく揺らした。

「エルジエ、エルジエ――一体何をしているんだい」

 ノックと共にそんな声。まずい、と慌てて筒と小瓶をポケットに隠したが、入ってきた白髪の同居人は窓の外に浮く泡の群れで彼女の行動を全て察した。

「またシャボンかい、エル」

「だって、退屈なんだもん」

 エルジエはぷくうと頬を膨らませた。バートリーは子供心というものがわかっていない。ろくろく外にも遊びに行けず、部屋にあるのは飽きてしまったお人形だのご本だの。数日前、こっそり出かけた夜の村で拾ったシャボン遊びのおもちゃがなかったら、今頃エルジエは退屈で干からびていたかもしれなかった。

「人間の玩具なんかで遊んではいけないよ。人間と関わったらろくなことはないんだ」

「でも、このお人形もご本も、みんな人間が作ったんでしょう? なんでシャボン玉はだめなの?」

「…………」

 と、白髪の青年吸血鬼バートリーは沈黙させられた。精々十つほどにしか見えないが、少女エルジエは見た目以上に聡い。当たり前だ、彼女もれっきとした吸血鬼。外見相応に幼く扱えば痛い目を見る。バートリーは窓の外、白み始めた空を見て切り口を変える。

「ごらん、もうすぐ夜が明ける。早く布団に身を隠さなければ太陽に身を焼かれてしまうよ?」

「ずるい、バートリーはいっつも遅くまで朝更かししてるのに! カーテンを閉めれば平気じゃない、もうちょっといいでしょ?」

 ずるい、ずるいとぶうぶう言われ、バートリーは閉口して窓の遮光戸とカーテンを閉めた。ここのところ、こんな風にエルジエにやり込められてしまうことが多くなってきた。ああ、この少女もいずれは成長して大人になってしまうのか。家族として嬉しいような寂しいような、複雑な気分だった。

「……今度、月のない夜に少し遠出しよう。知り合いが開いた食堂が、味が良いと評判らしいから」

「本当!? お外に連れて行ってくれるのね、約束だよ!?」

「ああ、約束さ」

 エルジエを他の吸血鬼の目にはあまり晒したくないけれど……テュバルならばきっと融通を利かせてくれるだろう。彼の世間話や冒険譚を目を輝かせて聞くエルジエの姿が思い浮かび、気が早いバートリーの心は躍った。

「さあ、もうおやすみ。眠らなければ夜は来ないよ」

「はあい」

 家族がベッドに潜り込むのを確認して、バートリーはエルジエの部屋を出た。自室へ戻ろうと廊下を歩いていると、程なくして門扉が乱暴に叩かれる音を耳にする。やれやれ、そんなに大きな音を出して、エルが起きたらどうしてくれるんだ? 心中ぼやきつつ門へと向かう。

「……やあ、ラヴァル」

「久しぶりだな、人間もどき」

 門を開けると、以前見たときと同じように不機嫌そうに眉間にしわを寄せた巨躯の吸血鬼が立っている。彼が元々喜怒哀楽関係なしに仏頂面なのはバートリーもよく知っていたが、しかし今晩の機嫌は特別悪そうに見えた。

「どうしたんだ、こんな夜明けに……うかうかしているとじきに朝日が昇ってしまう」

「今更お前とそんな長話すると思うのか? 俺が?」

 口についた心配も、しかし冷笑によって切り捨てられてしまう。バートリーは肩をすくめ、「まあ、とにかく入ってくれ」と中に招き入れた。

 バートリーの現在の根城は、かつて人間達が戦争に使い、今では忘れ去られ打ち捨てられていた山中の砦を改築したものだった。どうやらかなりに血生臭い由縁があるらしく、近くの村の住人も滅多に立ち寄らない。バートリー以前にも吸血鬼が使ったことがあるらしかった。稀に奇矯な者が砦の中を探りに来ることもあったが、全員がバートリー達の食事へと姿を変えた。

「一体どうしたんだ? 僕とはもう口も利きたくないんじゃあなかったのか……」

 廊下を歩く最中も、応接間に通されても、一向に口を開かぬラヴァルにバートリーはついに痺れを切らした。当てこすりめいた言い方になってしまったが、来るたびにそんな文句を言うくせに飽きずにバートリーを訪ねてくるラヴァルの方がずっと当てこすっている。

「口も利きたくないような相手と口を利きに来たんだ、それなりに理由があるんだろう?」

「……カンタレラ」

 と、ようやくラヴァルは言葉を発した。それは以前テュバルから聞きラヴァルにも話した与太話の名前だった。

「吸血鬼を殺して回る、毒の血を持つ怪人……最後にしたのはそんな話だったか?」

「ああ、だが……あんなのただのつまらない風説だと、君も……」

「コスタードが殺された」

 ラヴァルがやっとのことで口にした本題を、バートリーはしばらく飲み込むことができなかった。……死んだ? 誰が?

「お、おい、変な冗談はよせ」自然、声も震える。「殺されたって……コスタードが? 馬鹿な、あれほどの男がハンターに不覚を取るなんて」

「タイタニアス――あいつの弟子が息急き切って伝えてきた」

 その口調はどこか夢でも見ているようにぼんやりしていた。ラヴァル自身、まだこれが現実だと受け止めきれていなかった。

「コスタードが殺された、カンタレラと名乗る黒い血の人間に……とな。奴が人間相手に不覚を取ったのか、それとも奴の愛弟子がくだらん嘘をついたのか……どちらが本当だと思う?」

 そう言われては返す言葉もない。タイタニアスはバートリーにも面識があった。とてもコスタードの弟子とは思えない弱々しく優柔な少年だったが、真面目で実直な吸血鬼だったと思う。しかし、コスタードが……死んだ? かの大厄で白き者共の首を次々刈り取る彼の姿を知るバートリーにはとても信じることができない。

「カミラやサンジェルマンも耳にしている。じきに報復に動きだすだろう……だが、森に隠れたネズミを見つけるのは容易いことじゃあない。カンタレラが討伐されるまで、はたしていくつ犠牲が出るだろうな」

 ラヴァルの猛禽めいた目がバートリーの深緑の瞳を覗き込む。飢えているわけでもないのに喉が異様に乾いていく。

「狙われるのは会合に集わぬはぐれ者ばかり」

「僕のような……か」

「お前の勝手気ままもここまでだ」

 かつてのバートリーならば誘われるまでもなく適当な会や派閥に属していただろう。大厄のような《災害》の存在、さらにカンタレラという新たな脅威。もはやはぐれ者でいるメリットはないと言っていい。だが。

「あの娘を捨てろ」

「断る」

 その選択肢は十年前のあの日から既に消滅していた。

「お前だけならどうにかできなくもない――だがあの娘は駄目だ。いずれお前達の秘密は白月に晒される。どの道、あの娘に未来はない」

「保身の為に自分の家族を捨てろというのか? それこそ死んだ方がマシだ」

「家族」

 ラヴァルが鼻で笑う。家族――家族だと?

「人間もどきがいよいよ堂に入ってきたな。いいか? お前に家族などいない。お前が抱いているのは《家族愛》だとか言う血袋の幻想ではない。ただの妄想、エゴ、自己満足だ」

「黙れ! 君に何がわかる!?」

 もはや恒例の押し問答だった。感情的に立ち上がって怒鳴るバートリーをラヴァルは冷ややかに見つめる。

「いいかげんに思い出せ。お前は吸血鬼だろうが」

「エルだって吸血鬼だ! 僕の家族なんだぞ!」

「あんなおぞましいものが家族だと!? ふざけるのも大概にしろ!」

 つられたようにラヴァルも立ち上がった。卓を挟み吸血鬼達は静かに睨みあう。

「エルは……エルジエは僕の、たったひとりしかいない家族なんだ。それ以上何か言ってみろ、いくら君といえど……!」

「………………」

 両者の顔に血管によるまがまがしい紋様が浮かび上がる。ラヴァルの手にヒビめいた模様が浮かび、バートリーの目が白く発光し――だが始まりかけた吸血鬼の同士討ちは、遠くから響く雄鶏の声で中断させられた。

「……もう、夜明けだ。今日は泊まっていくといい。今出歩けば朝日に焼き尽くされてしまう……」

「結構だ」

 バートリーがわずかに残していた良心から発した言葉もラヴァルはつっけんどんに断り、先程よりもさらに荒々しい足取りで出口へ歩き出す。これにはバートリーも顔色を変えた。

「お、おいよせっ! カンタレラより先に太陽に殺される気か!?」

「黙れ。お前はまず自分の心配をしろ」

 お決まりの言葉を別れの挨拶のように言い――ラヴァルは門を飛び出す。

「ラヴァル!」

 自分も文字通り身を焦がされてしまうかもしれない――そんな危惧はかつての友が姿を消した瞬間に消え去っていた。後を追って外に出て、そして呆然とする。

「……ラヴァル……」

 雨が降っていた。数時間前から静かに空を侵略していた雲がついに天を覆い尽くし、勝鬨のように激しく雨粒を落とす。雄鶏の鳴き声が遠くの雷鳴にかき消される。ラヴァルは雨に溶けてしまったかのように跡形もなく姿を消していた。

「お客さん、帰った?」

 唐突な声にバートリーははっとする。寝ていたはずのエルジエが館の中から目をこすりながら雨に打たれる彼を見ていた。

「駄目じゃないかエル! 今日は雨だからいいものを……!」

「あいつ嫌い。いつもバートリーにいじわるばっかり言うんだもの」

 やはりエルジエにもあの音が聴こえていたのだろう。それでバートリー達の様子を窺っていたに違いない。気がつきはしなかっただろうか? 自分が正当な吸血鬼ではないのだと……変に気にさせてしまったら。胸をざわつかせるバートリーに向かってエルジエは駆け出し、自身まで濡れてしまうのもお構いなしに彼に抱き付いた。

「大丈夫だよ、バートリー」

「え……エルジエ」

「わたしはどこへも行かないよ。バートリーとずっと一緒にいる。だから、泣かないで」

 エルジエは背伸びし、バートリーの頬に触れた。それを濡らしているのが雨なのか、それとも別のなにかなのか。もはや彼にはわからない。

「約束だよ。わたしはずっと、バートリーのそばにいる」

「…………ありがとう」

 掠れた声で呟いて、バートリーは家族を抱きしめた。大丈夫だ。ずっと欲しかった、すべてを捨ててでも欲しかったものがここにある。僕には彼女さえいればいい。他には何もいらないんだ。

 世界でたったふたりだけの《家族》を拒むのか祝福するのか、雨は抱きしめあうふたりをひたすらに濡らし続けていた。

吸血鬼大全 Vol.76 百頭落としのコスタード

肉体変化能力を得意とする吸血鬼。肩から先を自在に変化させることが出来、植物の

蔓のように変化させて戦う。

武器は手斧。《将軍》にこそ及ばないが、先の大厄戦争では多くの敵を葬り多くの吸血鬼から尊敬されている。

後年は戦いから遠ざかり、若い吸血鬼のタイタニアスを弟子として育てていたがその腕前は健在。片腕を失くした状態で単独でカンタレラを追い詰めた。

タイタニアスの名付け親でもあり、吸血鬼らしからぬ気弱なタイタニアスを最期まで気にかけていた。

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