マルコ・ポーロが語る黄金の国ジパングは日本では無かった!?
日本を英語でジャパン(JAPAN)というが、その語源となったと言われているのが、13世紀のイタリアの旅行家マルコ・ポーロがアジア諸国を旅したことを記した「東方見聞録」に登場する黄金の国ジパングだといわれています。
しかし、最近の研究ではそれは間違いだったかもしれないという説があるのです……
そもそも「東方見聞録」は1271年に、17歳のマルコが父のニコーロと叔父のマフィオとアジアへ旅をし、24年後の1925年、マルコたち一行は財産を築いて故郷に戻ってきました。飛行機も長距離列車もない時代に旅したその距離はなんと、15、000㎞!!
彼が帰国した3年後の1928年、故郷のヴェネツィアはジョノヴァと戦争をはじめてしまい、マルコは志願兵となって参戦。しかし、ジェノヴァ軍に捕まってしまいます。数ヶ月の牢獄生活中に、同じ牢にいた職業的著述家のルスティケロ・ダ・ピサにアジア諸国の旅を口述して筆記してもらいました。このピサは、マルコの話の他に自分の知り得るアジアの知識をマルコに無許可につけ加えたともいいます。ヨーロッパの人々は当時誰も行ったことのないインド、中国、日本などのアジア諸国のことを書いた旅行記「東方見聞録」 (The Travels of Marco Polo) に夢中になり、ベストセラーになりました。
マルコ・ポーロは1299年に牢獄から解放され、ヴェネツィアに帰り、豪商の一人として有名になりました。
しかしですね……「東方見聞録」を綿密に調べた歴史学者によると、どうにも記述に間違いが多いことが目につくのです。
ここでは日本について書かれたことにクローズアップします。
マルコ・ポーロ自体は日本へ行っていないので、伝え聞いた話です。
ジパングは「東の彼方、大陸から1500マイルの大洋にある」と記述されています。1500マイルとは約2400キロです。
では、実際の日本と大陸の距離とは?
一番近い一番近い対馬から約50㎞で、晴れて空気の澄んだ日だと、対馬から韓国が見えるというくらい近いです。夜にはプサンの夜景が見えるそうです。
福岡市からだと250㎞くらい。山口県からだと300㎞未満くらい。
これでは東方見聞録の記録とずいぶん違いますね……
ほかにも、ジパングには「王を擁いた白い肌の人々が住む巨大な島」があり、「日本は黄金の豊富な国なので,皇帝の宮殿は屋根も床もすべて黄金でできている」、みごとな宝石、赤い真珠などの財宝があったと描写されています。
これは時代的に奥州平泉の中尊寺金色堂のことだと考えられています。宝石はヒスイなどでしょうか?真珠の養殖はもっとのちの話です。
ジパングの風習として、偶像崇拝があります。これは、仏教のことでしょう。
さらに「自分たちの仲間ではない人間を捕虜にした場合、殺して料理して、みんなでその肉を食べる。彼らは人肉が他のどの肉よりも美味いと考えている」と、食人の風習があったとあります。戦った相手の首を斬る野蛮な風習はありましたが、さすがに食人は……もっと南方の島の話のようです。
マルコは中国、当時はモンゴルに支配された元のクビライに、豊富な知識を買われて元の役人に登用されたと書いてあります。元寇(1274年、1281年)についての記述もあり、史実に近いこともあれば、元軍が日本の首都・京都まで進撃した記述がありますが、史実では元軍は博多で戦い、一日で撤退しています。さらに日本の兵は奇跡の石を武器にしていたなどとファンタジックな描写もあります。
マルコが日本について聞いた相手はどうも、イスラム人のようであり、イスラム国では「ワクワク伝説」という黄金伝説があって、これは倭国をさすのではないかと考える学者がいます。
どうも、ジパングはイスラムや中国がいだく遠方の幻想世界、神仙の住まう国というイメージがつきまとっているようですね。
さらに「ジパングの海域には7448個の島々がある」とあり、「島々では高価な香木、黒胡椒、白胡椒が豊富に採れる」と書かれていて、これらの事から赤道付近の東南アジアの島のことではないかと言われています。なかでも可能性の高い島がボルネオ島だそうです。
と、いってもジパングの記述にすべて当てはまるわけではないですが、ジパング日本説よりも可能性が高いようです。
あのコロンブスも東方見聞録の黄金の国ジパングに憧れて、アジアへ行く西廻り航海を着想しました。まあ、東の彼方の黄金の国ジパングは発見できなかったけど、新大陸アメリカを発見することはできましたね。
コロンブスというと、アメリカを発見した偉人という印象がありますよね。
しかし、その目的は植民地であり、スペイン軍に従わないインディアンを虐殺なんてしています……コロンブスは日本にこなくて幸いです。




