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歴史いろいろ話  作者: 辻風一
歴史いろいろ話
8/21

静御前は義経の正妻ではなかった!?

 悲運の貴公子・源義経と美しき白拍子・静御前――――

 その静御前が実は義経の正妻ではなかった事をご存じでしょうか?

 単発のドラマや歴史漫画ではまず省略されてしまいますが、実は静御前ではない、正式な奥さんがいたのです。

 ではそもそも、静御前と義経のなれそめから語りましょう。


 静御前は京の都で舞を舞う白拍子でした。白拍子とは平安末期から鎌倉時代に流行した歌舞を舞い歌う遊女です。

 源氏の若大将である源義経は彼女の美貌に惹かれて愛妾としました。

 愛妾とは今でいう愛人です。


 実は源義経にはすでに正室がいたのです。河越重頼の娘の郷御前さとごぜんです。

 さらに、静御前とは別にもう一人の愛人、平時忠の娘である蕨姫わらびひめです。

 つまり正妻が一人、愛人が二人いたというわけです。

 まあ、この時代の有力者は正妻の他に愛人を複数持つことが常識でした。それもこれも、医療の未発達の時代で、子供が生き延びる確率が低かったため、跡取りとなる男子を複数確保する必要があったのです。


 平家を倒し源氏のなかでも注目されていた源義経でしたが、兄の頼朝の怒りをかってしまい、追われる身となります。平家をおそるべき強運であっという間に倒した義経ですが、今度は不運続きであっという間に自分の軍隊を失っていきます……


 逃亡生活の続く義経は正妻も愛人とも別れて逃避行が続きます。

 悪くいえば、逃げるのに足手まといだった。

 よくいえば、罪人となった義経についていけば殺されてしまうかもしれない状況なので、隠れて生き延びてくれということです。


 静御前は頼朝軍に捕らわれてしまいます。鎌倉の鶴岡八幡宮社前で頼朝とその妻の政子の面前に引き出されてしまいます。二人は静に舞をするように命令します。頼朝と義経が仲違いする前は家族であったのに酷い仕打ちです。

 静はしかたなく、京で名を馳せた歌舞を披露します。



〈しずやしず しずのおだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな〉

訳(倭文しずの布を織る麻糸をまるく巻いた苧環 (おだまき)から糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)。


 〈吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき〉

訳(吉野山の峰の白雪を踏みわけて姿を隠していったあの人(源義経)のあとが恋しい)



 つまり要約すると、「もう一度むかしに戻りたい」「吉野で別れた義経が恋しい」と。

 なんと、静はよりによって、生き別れとなった義経を切々と恋い慕う歌舞を皮肉をこめて歌い舞ったのです……

 処刑されるかもしれない状況で、なんと気丈な女性なのでしょう。

 当然、源頼朝は怒ってしまいます。あわや、静御前も鎌倉で処刑されてしまうのか……

 しかし、頼朝の奥さんの政子は「夫を慕う女心は、女にしかわからないものです」と感動して夫をなだめました。


 命びろいした静でしたが、お腹に宿っていた男子は殺されてしまいました。政子の温情も、男子には厳しかったのです。

 それというもの、源頼朝じたいが平家の平清盛が殺そうとしたけど、義母の温情で生かして伊豆に流したのですかが、やがて成長して平家を滅亡に追いやったのです。

 義経の子供を生かしておけば、かつての頼朝のように成長して頼朝に復讐の刃を向けるかもしれません……


 静御前とその母親である磯禅師は京に帰されました。さすがに気がとがめたのか、政子は多くの宝を与えました。しかし、その後の彼女の足取りは不明です。


 一説には、愛しい義経を追いかけて、従者たちと平泉へ向かいます。しかし、頼朝軍の目をさけ、険しい悪路を進み、病気になってしまいます……

 栃堀に逗留して病をいやす静でしたが、建久元(1190)年4月28日、従者たちの世話もむなしく、静御前は亡くなってしまいます。

静の従者たちと栃堀の里人は、丘の中腹に静御前の遺骸を埋め、庵をつくって彼女の霊の墓守をしました。この庵が、現在の高徳寺といわれています。

 

 ちなみにもう一人の愛人である蕨姫はその後、消息不明。

 正妻の郷御前は子供と平泉にたどり着き、義経と再会しました。

 しかし義経を庇護した藤原秀衡が死ぬと、その息子の藤原泰衡は頼朝を怖れ、

 文治5年(1189年)閏4月30日、百騎の兵で義経が暮らす衣川館を襲いました。戦の天才義経も、さすがに多勢に無勢、少ない手勢はみな倒され、持仏堂にこもり、郷御前と娘を殺害したのち自害してしまいました……


 義経妻子の墓は、平泉町金鶏山の千手堂境内にあります。

 ちなみに頼経は享年31歳、郷御前は22歳、娘は4歳だったといいます……

 静御前に比べて地味な印象の正妻でしたが、最後は親子で冥途に旅だったのですね……


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