江戸時代にUFO出現!?
日本をふくめ世界中で未確認飛行物体――UFOが目撃され、多くは見間違いなどですが、なかには本物らしき目撃談もあり、いまだに正体が解明されていません。
そんなUFOが江戸時代にも目撃されたらしい……という話があります。
「南総里見八犬伝」で知られる滝沢馬琴が1825年にまとめた「兎園小説」に円盤らしき目撃談が紹介されているのです。
「兎園小説」とは、江戸時代の文人や好事家が集まって、珍しい話や階段を語った集まりがあり、それは「兎園会」または「耽奇会」と呼ばれていました。
そのなかに「虚舟の蛮女」という題で、図版つきで掲載された話です。この図版は「虚舟」で検索すると出てくると思います。
その虚舟を目撃したのは享和3(1803)年2月23日の午後のこと。
旗本・小笠原越中守の領地で、常陸国(茨城県)の「はらやどり浜」の沖合に不可思議な小舟が現れました。
その形状が、「お香の入れ物のような円形で、直径は三間(5.4メートル)、上部は硝子障子(ガラス張り)で、継ぎ目はチャン(松脂)で塗り固められ、底も丸く、鉄板を筋のように張り合わせてありました」
そして、その奇妙な小舟には女性が一人乗っていました。彼女は「眉と髪が赤く、顔色は桃色、白く長い付け髪」という日本人とは思えぬ姿で、言葉は日本語と異なるものでした。そして、二尺(60センチ余り)四方の箱を大事に抱えて、微笑んでいたといいます。
その頃は鎖国時代、はらやどり浜の住人たちは対処に困り果て、幕府に届け出をすると面倒なことになるし、お金もかかるので、この赤髪の女を奇妙な小舟に乗せて、引き出して、元来た沖合に流してしまいました。
遭難者に対して実に冷たい処遇ですが、これも幕府の鎖国制度が原因です。漂流民の保護に対する諸外国の不満がやがて、1853年の黒船来航となっていきます。
さて、この奇妙な小舟の内部には「蛮字」という不思議な文字が書かれていて、「兎園小説」の「虚舟の蛮女」では、この文字を知る人を探していると結んでいます。
もしかして、この虚舟がUFOで、蛮女が宇宙人なのでは?
と、1970年代の空飛ぶ円盤ブームのときに改めて話題になりました。いまだに空飛ぶ円盤関係の本に紹介されています。
さて、実際はどうなのでしょうか?
兎園小説の作者はこの蛮女という女性の服装がロシアの衣服に似ていたので、ロシア人かもしれない。また最近、浦賀に来たイギリス人の船に蛮字があったので、イギリス人の可能性もあると推理しています。
文政年間にはロシア人が長崎に来て開国をせまり、イギリス人が浦賀に無断上陸して捕られたという時代です。黒船来航が近づいている慌ただしい時期の話でした。
この蛮女とは漂流した外国人だったのでしょうか?
また、茨城県に「はらやどり浜」という土地がどこにあったかわからず、虚舟の話はほかにもあり、架空の話ではないかと柳田国男教授は語っています。
ところが最近になって新資料が発見されました。
見つけたのは三重大学の特任教授の川上仁一さんです。この方は甲賀流伴党21代目宗家でもあります。
伴家は甲賀流忍術を伝える古文書を所持していて、その中にあったのです。川上氏は「先祖は参勤交代の警備などにも当たっていた。江戸時代の外国船が入ってきた頃に、各地の情報や風聞などを集めた文書の一つではないか……」と語ります。
謎の地名「はらやどり浜」とは、常陸原舎り濱」という実在の地名が判明したのです。伊能忠敬の作った地図にもある地名で、現在でいえば、茨城県神栖市波崎の舎利浜となります。
また、蛮女の絵の新資料も発見されました。
茨城県に伝わる「金色姫」という、養蚕伝説の女神と似ていることがわかりました。この金色姫は、元は天竺の姫君で、継母に苛められ、それを憐れんだ父が繭型の舟で海に流して、日本へ来た……という伝承があるのです。金色姫は体が弱って亡くなりましたが、養蚕・生糸の製法を伝えたために茨城県の蚕影神社に絵が奉納されたそうです。
また最近、馬琴が「兎園小説」の出版後、「金色姫」の錦絵を作成したことが判明しました。江戸時代末から製糸の機械化生がはじまり、生糸を輸出品として大規模な生産しだしたので、製糸業者が縁起をかついで買ったといいます。これはやがて、明治時代の殖産興業方針につながります……もしかしてこれは、滝沢馬琴さんが時流を見て商売するための宣伝だったのでは?
しかし、馬琴以外にも虚舟の関する書物は出版され、当時江戸で話題になったようなので、確定はできません。
例の蛮字が、実はどこの国の文字でもなかったのが、不思議です。
また、鉄製のガラス張りの窓がある舟というのも、妙にリアリティがある描写ではありませんか……
まだまだ謎が残る「うつろ舟伝説」の話でした。




