「玉の輿」に乗った女
女性週刊誌を開けば、「芸能人○○が野球選手と玉の輿」「玉の輿に乗った女性の体験特集」「玉の輿結婚正攻法」「男心をくすぐり玉の輿にのる方法」……なんて見出しがよく見られます。
この「玉の輿」という言葉は、お金持ちの男性と結婚した女性が自分も裕福となること、という意味です。
結婚した相手が経済力にすぐれていれば、生活や家計のやりくりも楽だし、子供も安心して育てられ、学費の心配もない。パートをしなくても、日中にスイーツを食べて友人と優雅に女子会でおしゃべりもできる。奥さん達のなかでも勝ち組といえるかもしれません。
経済力に優れた男性というのは一握りで、ライバルが多く、競争率はひじょうに高い……そこで、美を磨き、ルックスを良くしたり、スタイルを良くするために運動、エステに励んだりするのですね。
ところで、そもそも「玉の輿」の語源はなんでしょうか?
ひとつは、江戸時代の五代将軍となった徳川家康の母親である桂昌院の説。
京都西陣にある八百屋の娘だったお玉は身分が低かったのですが、西陣の本庄家に養女に出されました。養父は北小路(本庄)太郎兵衛宗正で、関白・二条光平の家司も務めた由緒ある家柄です。
家光の側室となった、京都の上級公家の娘・お万に御小姓として大奥に上がりましたが、家光に見初められて、彼女も側室になりました。そして、正保3年(1646年)に綱吉が誕生しました。綱吉は家光の四男でしたが、他の兄は亡くなり、彼が五代目の将軍となりました。
実にトントン拍子で幸運が舞い込み、「玉の輿」の面目躍如という感じの人生に見えますが、大奥の下積み時代には苦労もあったとか……
そして将軍となった綱吉は朝廷にはたらき、母のお玉こと桂昌院は、従一位の官位をあたえられました。春日局が従二位なので、女性として最高位の官名を授かったことになります。八百屋の娘・お玉が女性の最高の官位に……これが「玉の輿」の語源であれば実にドラマチックです。
しかし、これは俗説ともいわれています。平安時代の書物にも玉の輿という言葉は書かれているからです。
「玉」は美しいものの名称で、宝石の意味もあります。「輿」は身分の高い人を運ぶ乗り物です。
いつしか、身分の低い女性が高い身分の男性と結婚し、立身出世することを「玉の輿」に乗るというようになったと言われています。
綱吉の母・桂昌院は語源ではなく、代名詞というのが相応しいようですね。
最後に、年収が1000万を超える収入をもつ男は、男性ホルモンが盛んで、浮気する確率が高いのでご用心。
「英雄色を好む」とはよくいったもので、成功した人間は精力旺盛で、多くの子孫を残したい衝動がでやすいようです。
ここは相手の人間性を見極めることも大切でしょう。




