男の子を女装させる風習
八徳の文字が浮かぶ不思議な水晶玉を持ち、運命のめぐりあいで集った八人の犬士の物語――
これは滝沢馬琴の代表作「南総里見八犬伝」のことであるが、この話で有名なのは犬塚信乃と犬飼現八の二人が、芳流閣の大屋根で対決し、ともに利根川へころころと転がり落ちるシーンだろう。
さて、この犬塚信乃は幼少時、女の子の姿をさせて育てられていた。
この物語に限らず、平安末期に描かれた「とりかえばや物語」では女の子が男装、男の子が女装する話だ。
このような男の子を女装させる慣習は、実際にあったことなのでしょうか?
結果から言うと、実際にあった風習なのである。
人間の乳幼児期は、女の子のほうが体質的に強く丈夫であり、男の子は弱くて育ちにくかった……
医学的にいうと性染色体であるX染色体には免疫に関係する遺伝子が含まれていますが、Y染色体には含まれていないのです。
男性がX染色体が一本しかありませんが、女性は二本もあるので、片方のX染色体に異常があれば、もう片方のX染色体が補完できるからです。
むろん、現在では医療の発達により男の乳幼児の死亡率は低くありません。しかし、昔は幼児期に病気などで死亡する確率が多かった……
昔の人は上記の医学知識を知りませんから、これを男の幼児のみに病をうつす悪霊、荒神、鬼がいると考えました。そのため、平安時代頃から魔除けの護法として、魔物から男児を守るため、女の子の格好をさせて欺くのです。
昭和天皇などの天皇家、神道の社家でもこの風習は受け継がれたようです。
江戸時代からはじまった七五三の風習も、死亡率の高かった子供の成長を祝う行事の名残りですね。ちなみに七五三は五代将軍・徳川綱吉の嫡男・徳松の健康を祝ったのが始まりという説があります。
これ以外にも、捨て子は育つという護法があり、他人の家の表口に生まれたばかりの赤ちゃんを一度捨てて、あらためて拾うという方法もあります。悪霊に捨て子と思わせてだまそうという護法です。
これは豊富秀吉の子供の話が有名ですね。高齢の53歳で生まれた赤ちゃんの名前を、縁起をかついで「棄(捨)」と名づけました。しかし、残念ながら数え3つで亡くなってしまいます。
続いて秀吉57歳のときに生まれた子供を拾丸と名づけたのも、この風習からでしょうね。こちらは秀吉の後継者として成長して、豊富秀頼となります。
日本に限らず、やはり外国でも同じ風習がありました。
マッカーサー元帥、ルーズベルト大統領、英首相チャーチル、文豪のヘミングウェイなどの幼少時の写真を見ると、髪を長く、女の子の服装を着せられた写真が残っています。これも一家の跡取りである男の子が病気にならず健康に育つための魔除けの考えでした。
日本の悪霊にあたる邪眼から男の乳幼児を守るには、女性とその象徴が有効と考えられたのです。邪視とは、魔女や動物、神官などが悪意を持って対象者を凝視することで呪う力のことです。
まあ、邪視も悪霊、荒神も医学的知識のなかった時代の迷信なのですが、子を思う親が災いから救うために考えだした親心から発したものなのです。
ちなみにヘミングウェイは母に女の子のように育てられた幼児体験の反動で筋肉質な体型に鍛え上げ、『誰がために鐘は鳴る』や『武器よさらば』などの行動派で男らしい小説をたくさん書いたと考える心理学者がいます。
コンプレックスを昇華させて文豪にまでなったのかもしれませんね。マッカーサー、ルーズベルトたちも、もしかしたら……




