上杉謙信は女性だった!?
越後の竜、軍神と呼ばれた戦国大名・上杉謙信。彼が実は女性だったという怪説がある。
この説の発端は昭和43年(1968年)に小説家の八切止夫が言い出したのが始まりである。その根拠は三つある。
1、スペイン人ゴンザレスの証言説
スペインのトレドの修道院から15~16世紀の宣教師や航海者が残した日本に関する報告書類が発見された。
船乗りゴンザレスがスペイン国王フェリペ2世に出した佐渡金山の報告書に「上杉景勝(謙信の甥で後継者)の叔母」という記述があり、八切止夫はこの叔母を謙信ではないかと唱えて、1968年の読売新聞夕刊に小説『上杉謙信は男か女か』を連載。たいへん評判になったが、歴史学者からは時代考証が徹底していないと批判されている。
それに、叔母というのはただの記載ミスでは……
2、婦人病説
松平忠明の『当代記』(第一級史料)によると上杉謙信が亡くなった原因は“大虫”と記されている。この“大虫”とは味噌のことで、赤味噌→月経の隠語といわれている。なので、八切止夫は“大虫”が月経であると解釈した。
今でいうと子宮筋腫が原因による過多月経で亡くなったかもしれないというのです。
ちなみに謙信は一般的に脳卒中が死因といわれています。
3、瞽女の歌説
その当時、瞽女が上杉謙信のことを“男もおよばぬ大力無双”と歌ったという。が、それを記した瞽女頭・山本ゴイの唄本は現在残っていない。
八切止夫の唱えた女性説に触発されて他にも逸話があります。
○毎月10日前後に腹痛に悩まされていたという記録があり、これは生理ではなかったのか? 北条軍との戦いの中でも、腹痛のために出撃をとりやめたことがある。
○上杉謙信は兵書マニアですが、意外にも『源氏物語』や『伊勢物語』も好みでした。これは女性が好んだ恋愛物語です。信長は謙信を恐れていて、南蛮マントや洛中洛外図屏風などを送っていますが、その中に源氏図屏風もあった。
しかし、実は男の武将でも『源氏物語』好きはいました。武家は公家の世界を知るために読んでいましたし、楽しみとして読んでいた武将もいます。直江兼続、前田慶次郎もファンでした。
○上杉謙信は生涯妻帯せず、実子がいなかった。それで四人の養子がいた。また、若い男が好きだったという記録もある。といっても、当時は衆道は一般的でした。
これらに反論する説として、謙信は宗教的な理由で妻帯禁制をしたからという説がある。
また、千葉采女の娘・伊勢姫、直江景綱の長女、近衛前久の妹・絶姫との悲恋の話がある。といっても確実ではない伝説……
そして上洛したときに遊郭にかよったという話もありました。
上杉謙信は有名な武将であるが、謎もまた多い武将のようですね……




