明智光秀のホトトギス
戦国時代に活躍した愛知県出身の戦国大名、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は戦国の『三英傑』と呼ばれいてます。
彼等の業績をわかりやすく詠んだ短歌にこういうのがあります。
「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食うが徳川」
いやいや、徳川家康だって大変な苦労をしたのに、「座りしままに」とはけしかん! と、家康公が草葉の陰からお怒りになりそうですが、実にわかりやすく三英傑を詠んだものです。
また、ホトトギスをつかった俳句も有名ですね。
織田信長は「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
なるほど、信長の短気な性格と比叡山の焼き討ち、伊勢長島一向一揆の虐殺などの残忍さがよくわかる句ですね。
豊臣秀吉は「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」
短気な信長に機転をきせて仕えた秀吉の、知恵者ぶりがわかる句ですね。敵地にある墨俣に一夜城を築いた腕前がありますし。
徳川家康は「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
信長に息子を殺せと命令され、秀吉に三河から関東の江戸へ移転を命じられるなど、苦難続きで天下取りを支えてきた家康が、晩年に天下取りの野望を実現した話がよくわかる句です。
さて、明智光秀にもホトトギスの句があるのを御存じでしょうか?
明智光秀は「鳴かぬなら 放してしまえ ホトトギス」と「鳴かぬなら わたしが鳴こう ホトトギス」です。
私見ですが、前の句は捕らわれの身からホトトギスを自由にする優しさが感じられ、後の句は秀吉が詠んだなら明るい感じがしますが、光秀だと、どことなく哀れさを感じました……
本能寺の変を現した句だとしたら、後の句は誰も暴走する主君を止められないのなら、私が止めてみせる! と、いった背景が感じられました。
明智光秀が急に謀反をおこしたのは、信長が天皇家にとって代わろうとした野望を知り、有力公家衆に押されて裏切りに走ったという説があります。だとすると、意味深な句に思えてきますね……
以上、天下餅の短歌とホトトギスの句は作者が誰かわかっていません。ホトトギスといえば、正岡子規のペンネームを連想しますが、江戸時代からある句のようです。
江戸時代後期にかかれた『甲子夜話』(肥前の平戸藩主・松浦静山の随筆)に三英傑の性格をあらわす句として紹介されていて、九州平戸に伝わる詠み人知らずの句だそうです。名をふせたのは徳川幕府の時代に家康を批判する句なんて公表したら大変なことになるからでしょうか……
ところで、実は三英傑の句のあとにこんな四番目の句がありました。
鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス
鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス
いや待てよ 鳥屋に売ろう ホトトギス
急に落語のようなオチがついて面白いですなあ……明智光秀の句は、この句から連想して別の人が考えたのでしょうか?




