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赤燐の異邦人  作者: 秋月冬雪
第一章 
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騎士カティヤ

 次の日の早朝目を覚ますとフレッドはすぐにマニュエルの部屋へ向かった。またジェニファーの襲撃に遭っていないかと心配したためだった。そっとドアに耳をつけると、中からマニュエルの礼拝する声が聞こえてきたので、フレッドは安心して自室へ戻ろうとした。すると、三女のソフィアがまだ寝巻きで歩いてくるのが見えた。無視するのも感じが悪いと思い、フレッドは気さくに、おはよう、と言った。ソフィアは立ち止まると、じっとフレッドの顔を睨みつけ、ほどなく何も言わずに別の部屋へ入っていった。

(変な子だよな。害はなさそうだけど……)

 自室に戻るとすぐに執事のミヒャエルが朝食を運んできた。ローゼンタール家では朝食はそれぞれ自室で行うという。普段は別の使用人が朝食を運んでくるそうだが、ミヒャエルはフレッドを心配して来てくれたそうだ。

「ローゼンタール家の家族は皆、普段何をしているのでしょうか?」

「旦那様は政務を私と共になさいます。奥様はご友人とお過ごしになるか、それ以外は趣味や奉仕活動をなさったりもします。長女カティヤ様は夕方まで騎士団へ行ってますし、ジェニファー様とソフィア様は家庭教師の方から礼儀作法やダンス等のお勉強をなさっています」

(ということは、カティヤに遭遇しなければ、俺は邸の中で安全にすごせるはずだ)

 カティヤが夕方まで邸に居ないということを聞いてフレッドはひとまず安心した。

「フレッド様はいかがなされますか?」

 ミヒャエルにそう尋ねられてフレッドは考え込んだ。そんなフレッドの表情見て彼のことを察したミヒャエルは静かに述べた。

「私はどのような事情でフレッド様がツォーハイムからこちらに来られたのか、詳しい事情は存じ上げませんが、ゆっくりとお考えになり、それからやりたいことをお決めになってください。家督相続についても、フレッド様にそのご意思がなければ、カティヤ様がお注ぎになることもできますし、フレッド様はご自由です」

 フレッドはミヒャエルの温厚な声に耳を傾けて、その言葉をじっくりと味わうように聞いた。そして深く頷いた。


 ミヒャエルが部屋を出ると、フレッドは窓から外を見た。ワイン畑とその下の町が見渡せた。大きくはないが美しい領地であった。

(俺はいったいここで何をしたらいいだろう……)

 与えられた自由の前に何をしたらいいかわからない自分が居た。何でもできること、それは不思議な感覚だった。王になることを定められた運命から突如として解放されたこと。生活は保障されているので、何もしたくなければしないでも良い。

「家畜か……」

 ジェニファーが昨日自分に言った言葉が、奇しくも自分にぴったり合うように思え、フレッドは自嘲した。

「俺は家畜だな」

 思い返せば、王子という地位も家畜そのものであったように思えた。国民から取った税金で豪華な生活を送る自分達。政治を行うといっても、大抵は書類にサインをするばかりで、肝心なことは大臣達が決めていた。何のために生きているのか、それが分からなかった。家畜のような生活が自分に与えられた役割なのだろうか。

 自分の運命がアンネとモリッツ家の陰謀によって大きく変わってしまった今となっては、その安寧が継続するものであるとの確証を持つことはできなかった。

 考えれば考えるほど、何を自分ができるのか、そして何をするべきなのかわからなかった。今の自分が一体何者なのか。突然自分の名前を剥奪され、知らない家族を与えられた。

(俺は一体誰なんだ……)

 フレッドは自分がすでに何者でもないということに気づいてしまった。ローゼンタールの養子であるという即席の肩書き以上には、既に名乗るものがなかった。自分の存在の無意味さが重くのしかかってきたように思えた。

(王子であったころにも、俺の存在意義なんてなかったかもな)


 窓から挿す日差しが目にしみた。

(少しは体を動かしたほうが良い。部屋に籠もっていては気が滅入る)

 フレッドは散歩に出ることにした。馬には乗らず徒歩でワイン畑の間の道を下った。土の匂いが新鮮だった。ワイン棚の手入れをしている農夫が彼に挨拶をした。更に坂を下ると民家が立ち並んでいる石畳の道に辿り着く。道に迷わないように曲がり角を覚えながら、フレッドは行く当てもなく歩いた。

 職人達が作業をする建物が並ぶ道を通り過ぎる。

 フレッドの銀髪はこの地域では滅多に見かけないものだったので、彼はすれ違っていく人々の目線を引いた。彼の端整な顔立ちも相まって、婦人達は彼を見ると何か囁き合っていた。

 職人街では武器防具を作る鍛冶屋が多いようであった。ローゼンタール領の騎士団に使用されるであろうものが、武具に着けられた紋章から見て取ることができた。

(そういえば、あの恐ろしい長女も騎士団に入っているとか。どこが騎士団の支部だかわからないが、見つからないようにしなくてはな)

 フレッドはさらに歩みを進めると、町の市場に出た。食料品から日用雑貨、そしてワインまで色々なものが並んでいて、見ていて飽きなかった。市場の商人達はテントや木製の簡単な小屋を構える者から、ただテーブルの上に商品を並べただけの者まで様々だった。その後ろには民家の一階を商店にしている老舗が建っていた。


 散歩をしていると、朝には落ち込んでいた気分が晴れ晴れとしてきた。

 街は大きくはないが、徒歩でゆっくりと周ると一日では周りきれない大きさだった。そうしているともう昼になり、フレッドは空腹を感じてレストランを探した。

 道端に腰掛けていた暇そうな老婆にフレッドは尋ねた。

「この辺で美味しいレストランはありますか?」

「旅の方かね。そうですねえ。この先を行ったところにあるレストランがこの街では一番美味しいですよ」

 フレッドは礼を言ってそのレストランに向かった。


 レストランはまだ時間が早いようでそんなに混んではいなかった。肉料理とワインを注文してから、深い息をついた。

 ぼんやりと周りの客の様子を眺めていると、自分が他の客の注目を引いていることにフレッドは気づいた。

(銀髪はあまりこの辺にいないようだからな。あんまり目立ちたくないのに……)

 そんなことを考えているうちに料理は運ばれ、彼は食事を始めた。好きなローゼンタール産の良いワインを注文た彼は、それを何杯か飲むといい気分になってきた。

(産地で飲むってのも、趣があるな)


「――おい! 昼間から酒とは良い身分だな」

 後ろから厳しい声がした。

 フレッドが振り返ると、そこには5人ほどの騎士を引き連れたカティヤが腰に手を当てて立っていた。

「ぶっ!」

 フレッドは驚いてワインを吐き出した。

「カティヤ! なぜお前がここに」

 フレッドはすばやく席を立ち上がり逃げようとした。

「行儀が悪いぞ、フレッド。大人しく席に着け」

 狼狽するフレッドをカティヤは冷たく見下して言った。

「カティヤの知り合いか、この銀髪?」

 一緒にいた別の騎士がカティヤに尋ねた。騎士団員たちは、鍛え抜かれた体躯の逞しい男達だった。

「この男は我が家の養子だ」

「ってことは、君のお兄さんだか弟さんってことになるね」

「ああ。残念なことにな!」

(……残念なのはこっちだ)

 フレッドはそう内心文句を言うと、忍び足で席を立とうとした。 

「待て! なぜ逃げる」

「えっと、逃げるとかそう言うのではなくて、そろそろ俺は食事も済ませたし、用事があって……」

「着たばかりのお前に用事などなかろう。いいから席に着け」

 フレッドは仕方なく席に着いた。

「えっと、俺にどういったご用件でしょう?」

 フレッドは柄にもなく畏まって言ったが、カティヤはそれを無視してビールを2つ注文した。フレッドは意味が分からなかった。カティヤは勢いよくそれを飲み干したが、フレッドはちびちびと啜るだけだった。

「お前はそんな女々しい飲み方をするのか」

 フレッドは思わず姿勢を正した。

「いえ。あの、もう十分飲んだんで――」

「私の酒が飲めないとでもいうのか」

 フレッドは恐ろしくなって酒を一気に飲み込んだ。

「良い飲みっぷりだ」

 フレッドは少し酔いが回ったのを感じた。そのせいもあり、なんとか口を開くことができた。

「えっと、昨日はすまなかった。まさか騎士の格好をした女がいるなんて思わなかったもので。悪く思わないでくれ。こうして昼間にちゃんと見れば、お前はなかなか好い女だ」

 そう言ったフレッドの言葉を聞いて、カティヤは顔を赤くしたが、無言でワインを注ぐと、それをそのまま一気に飲んだ。

「お前のようなひょうけた男に家督を継がせるのなんて、私は認めない……」

 彼女の飲みっぷりに圧倒されつつも、フレッドは言った。

「ああ。伯爵がそのつもりでも、俺は別に家督を継ぐとかそういうのに興味は無い。お前が家長になるべく色々努力してきたなら、それを水の泡にしてまで、俺が当主になるつもりはないから、安心しろ」

 カティヤはそれを聞くと、恥ずかしそうにそっぽを向いた。

「私も感情的になりすまなかった。私は別にお前を虐げるつもりはない」

 フレッドはそれを聞くと少し安心した。フレッドは笑顔で右手をだした。

「昨日はちゃんと挨拶できなかったから。これからよろしくな!」

 カティヤは下を向いて照れている様子だが、フレッドの手を取った。フレッドは彼女の手を握ると、その手の平が豆だらけなのに気付いた。

(この女、形だけの騎士じゃなくて、ちゃんと剣の修行をしているんだな。それで、俺に剣を抜いてきたのか。恐ろしいったらないぜ……)

 しかし、フレッドは少し彼女について興味が出てきたので、彼女を懐柔させる目的も兼ねて、少し話をしてみることにした。

「カティヤ、お前はなぜ騎士などやってるんだ?」

「我がローゼンタール家には家督相続者となる息子がいない。だから私が息子として育てられたのだ。セイレンブルク王国の貴族で家長となるものは、成人するまで騎士団にて修行するのが慣わしだ。」

「しかし、ローゼンタール家に息子がいなくても、お前が婿養子を取ればいいじゃないか?」

 彼女は顔を赤らめた。

「……お父様は、お前を私の婿にするつもりらしい」

 フレッドは驚いて、飲みかけたビールを噴出しそうになった。

「俺はそんなことは聞いていないぞ!」

「相手が私では嫌だというのか?」

 フレッドは、「そういうわけではない」と言ったが、考えてもいなかった急な展開に動揺した。

「カティヤ、お前自身はそれでいいのか? 俺みたいな男と一緒になりたいのか?」

「嫌に決まっているだろう! 私は望まない相手と結ばれるくらいなら、自分が男になり当主になった方がいいと思って、今日まで男装をして騎士として稽古を積んできた。今では、どの男にも負けないほどの剣の腕を身に着けたのに、突然やって来たお前のようなひょろっこい男と結婚しろとなんて言われて、私はどうしたらいいのか……」

 フレッドは、彼女が意外とロマンチストであることに驚いたが、それ以上に不憫に思えてならなかった。彼女は拳を固く握ると、言葉を続けた。

「やはり、お父様は女性の私では役不足だと思ったのだろう。だからこそお前のような男をツォーハイムからわざわざ連れて来たのだ」

 カティヤは悔しそうにうつむいた。

「心配するな、カティヤ。俺が伯爵と話してやる。伯爵がどうしても男の跡継ぎがほしいと言うなら、お前は自分の好きな男を見つけて、そいつを婿養子兼家督相続者にすればいい。別に俺はローゼンタール家の当主になりたいなんて思ってない。権力とか地位とか、俺はそんなのに興味ないからな」

 それを聞くと、カティヤは初めてフレッドに笑顔を見せた。

「フレッド、お前はなんだか変わった男だな」

 その言葉にフレッドも苦笑して彼女を見た。

「お前、好きな男はいないのか? お前ほどの美人なら、誰でもイチコロだとおもうが」

 彼女はフレッドの顔から目を背けると頬を赤らめ、首を横に振った。

「なぜお前は男の格好などしている? 女らしい格好をたまにはしてみることだな。それで、騎士団の連中の中から気に入った男を選んで付き合えばいい」

「しかし、突然女の格好なんて恥ずかしくできない」

 フレッドは彼女の初心な感じが気に入った。

「恥ずかしがることなんてないぜ。絶対に綺麗だと思う。俺が保障するから」

 カティヤは目を伏せて頷いた。

「お前の手を握ったとき、豆だらけなのは正直驚いた。でも、剣の稽古で硬くなったお前の手も、それはそれでセクシーだと思う。軟弱で柔らかい女の手のみが美しいというものではない。強い女ってのも、かっこよくて良いと思うぜ」

 フレッドは彼女と友好関係を築くために、他にも考え付く限りのお世辞を言った。

(これで、もう剣を突きつけられることはないだろう……)

 二人はしばらく話した後、カティヤは昼食を終えて、騎士団の仕事へ戻っていった。


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