久々の故郷
「はぁ、やれやれだぜ……。一時はどうなるかと思った。あんな所で足止めを食らった日には、冗談にもならない。俺は、いざとなれば、あの爺さんをぷすっと一撃で――」
「フレッド様! 悪い冗談は大概にしてください!」
彼は、冗談に決まっているだろう、と言って笑った。
「でも、なんだかマニュエル君のおかげで通れたわね。ありがとう、マニュエル君。これでやっとツォーハイムの国境を越えられたし、あとどれくらいで首都に着くのかしら」
ラザフォードは小さなため息をつき、冷え切った手を自分の太ももの間に挟み温めていた。
「セイレンブルク経由で行ったらもっと時間がかかっていただろう。山脈を越えてショートカットできたことは全く運がよかった。いずれにせよ、時間は短縮するに限る。褐曜石を持ち帰ってからも、研究所で弾を作るのに時間が要るからな」
シュトルツは深い霧の中を見つめてそう言った。道中も彼はずっと気が気ではないようで、ドレスラーにできるだけ急ぐようにと何度か頼んでいた。
「ご安心ください。山を下ると、そこにはすぐにツォーハイムの首都が広がるのが見えます。そう長くはかかりません」
ドレスラーは焦りを見せるシュトルツにそう言った。
それを聞いたフレッドは次第に落ち着かなくなっていた。2年ぶりの故郷であった。これから王や王妃、それにフレッドのことを嫌うモリッツ家の進歩派と顔を合わせなければならないというが面倒だった。
(母上は元気だろうか……)
2年前に自分が罪を着せられたことで、王妃がどんなに落ち込んでいたかを彼は思い出していた。流刑生活が始まってからのこの2年間、無意識に母親を思い出さないようにしていた自分にふと気がついた。彼にはどうにもできないことであったから、彼女の悲しみという面倒なことについては考えないことが一番だと思っていた。しかし、この後に及ぶと、それについて考えずにはいられなかった。
自分がどんな顔をして彼女に会えばいいのかを考えていたが、考えが深みに嵌らないように、思考の焦点を父王やモリッツ家との交渉にすり替えた。私情よりも、今は国を救うことを考えねばならなかった。
(俺は保守的なモリッツ家のやつらをどうやって説得して、褐曜石を持ち出せばいいだろうか)
説得方法を考えながら、彼は傍でうたた寝をするマニュエルを見た。間抜けな寝顔の彼が、老司祭に向かって数時間前に行った演説を思い出していた。
(『衆生への愛』か……。マニュエルじゃあるまいし、俺はそんなクサいことを主張して場を切り抜けられるタイプでもないしな。そもそも、ツォーハイムの国境を通るくらいならそれくらいの理屈でどうにかなるだろうけど、頼むことが褐曜石の持ち出しともなると、一体何を言ったらあいつらが許可を出すのか……)
彼はため息をついた。
ふと、彼は赤燐の暴走に巻き込まれ、こん睡状態だったときに見た夢を思い出していた。
(『大地の宿命……』そんなこと言ってたっけな。あの山の女神らしき女は、俺に土地を守れとかなんとか言っていたような気がする。俺もそんなことを夢に見るとは、マニュエルの迷信好きが感染ったのかな)
一人で苦笑しながら、霧の中を眺めると、ぼんやりと目下に広がる景色が見えてきた。
「フレッド君、あれを見て!」
ラザフォードはフレッドに肩を寄せると、眼下を指差した。そこにはぼんやりとツォーハイムの城下町と王宮が見えた。
「あそこがフレッド君の生まれたお城ね。結構大きいのね」
フレッドは頷くと、自分の気を紛らわそうと思い、彼女に神殿の場所や、町にある施設の場所について、紹介しだした。
ラザフォードは興味深々で彼の話に耳を傾けていた。
「いつか、全てがうまくいったら、君の生まれ故郷をちゃんと観光してみたいわ。君が何を見て育ったのか、どんな景気が好きだったのか、君のことをもっと知りたいの」
大きな瞳がじっとフレッドを見つめていた。
「ああ。もちろんですとも。それと、僕も先生の故郷の農村を見てみたいです」
ラザフォードは苦笑した。
「私の実家なんて、王子様が来るような場所じゃないわ。牛や羊がうろうろしてるし、撒かれた肥料が臭いのよ」
「かまいません。僕も貴女という人をもっと知りたいから」
そのまま瞳を見合わせた二人だったが、マニュエルの気配を背後から感じたため、すぐに視線を離した。
標高が低くなるにつれて、景色はより鮮明に見えるようになってきた。
「ラザフォード先生。あそこが褐曜石鉱山の入り口です。いつか先生は、鉱山に行ってみたいとかいってましたよね」
彼らのいる位置から城下町をはさんだ向こう側に微かに別の山々が見えていた。それがモリッツ家の管理する褐曜石の鉱山であり、その山々はツォーハイムでは神聖なものとして崇められていた。
「綺麗な山脈ね。本当に今の季節でも頂上は雪を被っているのね」
彼女もマニュエルの話した伝承について思い出していた。
***
彼らを乗せた馬車は山を下ると城下町に入った。
海上からの脅威に怯え、混沌としていたリッツシュタインの城下町に比べて、ツォーハイム国内は平常を保っているように見えた。ツォーハイムは公式には宣戦布告はされていなかったし、国民達はおそらく、彼らが赤の守護者の射程内にいるということを知らされていないのだろうと思えた。国交のないリッツシュタインからのニュースがツォーハイムに届くのは、それが重大なニュースであったとしても、何日も後になる。
次第とフレッドの見慣れた景色が広がってくる。彼の知り合いの家や何度も行った酒場などを見ると懐かしい気持ちが湧いてくる。
(たった2年空けただけなのにな……)
彼は馬車の窓から街の景色を見ながら、国を追放された2年前のことを思い出していた。マニュエルと二人で馬車に乗り、無念の気持ちと新しい土地への期待を抱えていたあの日。
ふと、夢に見た山の女神のいっていたことが思い出された。
(この国を出ることになったのは、俺が望んだ結果だったのだろうか)
まさかそんなわけはないだろう、と思いながらも、自分がこの国に愛想を付かして、いっそのこと逃げてしまいたいと思っていたのは確かだった。
(でも、俺はこの国を救いたい)
少しずつ馬車が城に近づいてくると、彼の緊張も高まって行った。
居眠りしていたマニュエルも目を覚まして、彼にとっては一年ぶりになる故郷の町並みを眺めていた。
「一年くらいじゃ、町も何も変わりませんね」
そう言ったマニュエルも少し緊張した面持ちになっていた。
まもなく、馬車はツォーハイム城の入り口に止まった。フレッド達はひとまず気付かれないように幌の中へ隠れて、正式な入国が認められているマニュエルが一人で外へ出た。
馬車を出迎えた兵がマニュエルに敬礼した。
「マニュエル様。突然のお帰りですね。いかがなされましたか?」
「お迎えありがとうございます。僕は急いで王に謁見しなければならないのです。あと、兄さんにも。緊急事態だって言って、なんとか引っ張り出してきてください」
「マニュエル様、しかし現在、王やクリス様は会議中でして、明日までお待ちしてもらわないと――」
「悪いけど、明日まで待っている時間はありません。僕が思うに、一番良いのは僕たちを会議に混ぜてもらうことだと思います。そうすれば手っ取り早いと思います」
兵はマニュエルが焦る様子に気づき、頭を下げた。
「左様でしたか。それでは、急いで会議の席へ赴き、マニュエル様が参加なさるという件を伝えて参りますので、しばらくお待ちください」
「じゃあ、お願いします。それと、僕の3人の友人達も一緒だと、念のために伝えてください」
そういうと兵は足早に城の中へ入っていった。
マニュエルが馬車の幌の中に入ってくると、フレッドは彼の襟元をつかんだ。
「おい、マニュエル! 何考えてるんだ。突然会議場なんかに俺は乗り込みたくない。分かってるだろ、俺は殺人犯ってことになってるんだ」
「あ、そうでした? でも、ぐずぐずしている時間は無いですし、皆が揃っているならその方が好都合じゃないですか?」
マニュエルは彼の襟元をつかむフレッドの手を突き放し、フレッドの心細げな顔をじっと見た。
「でもなあ、心の準備というのがある。まずはクリスとか、話の分かる奴から順番に交渉してだなあ――」
「フレッド君、我々には時間がない。マニュエル君の判断は正しいと私も思う。君はこの国の王子なんだろう。それに、やましい事をしてないなら、堂々としたまえ。自分の父親や大臣など、知った仲ではないか」
呆れた様子のシュトルツに背を向けると、フレッドは頭を抱えて慌てふためいた。
「落ち着いて、フレッド君。私が着いているわ」
「ラザフォード先生……」
フレッドは彼女の両手を握った後、少し考えてから、突然、彼女の着ていたローブを剥ぎ取った。
「キャー! 何をするのフレッド君!」
「フレッド様、こんな時になって何を血迷ったのですか?」
「先生、『キャー』ってことはないでしょう。ローブの下にも服着てるし」
「それはそうだけど……」
彼は、流刑になっている自分が城内をうろうろしているのがばれたら不味いと思い、顔を隠すためにローブを奪って着込んだことを説明した。
「フレッド様ったら」
マニュエルが苦笑していると、先ほどの兵士が戻ってきて、彼らを招き入れた。
「さぁ、行くわよ!」
ラザフォードは気を引き締めて馬車を降りた。シュトルツとローブをすっぽり着込み、背を丸めたフレッドが彼女に続いた。
兵に先導され、マニュエルと一行は広い城内を会議室へと向かい進んでいった。マニュエルが一緒にいたため、城内では彼らを特に不審がる者もいなかった。
ツォーハイム城の内装が珍しいらしく、ラザフォードはそこでもきょろきょろとしていた。
「すごいわね! 本当にフレッド君ってこんな場所に住んでたの? 私だったら落ち着かないわ。こんな広い廊下とか。方向感覚には自身があるけど、それでもすぐに迷ってしまいそう」
フレッドは、すぐに慣れますよ、とそっけない返事をした。
彼にとってはそれどころではなかった。まずは、どうやってここへ至ったかなどを短刀に説明する言葉を捜していた。フレッドは時間を稼ぐために、とりあえずトイレに駆け込んだ。




