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赤燐の異邦人  作者: 秋月冬雪
第二章 
15/38

クリスとマニュエル

 彼がモリッツ家に着いたのはすでに夜遅くだった。邸の夜警に遇うと馬を飛び降りたマニュエルは早口で言った。

「僕です。馬を早く預かってください」

 マニュエルのことを知っている夜警だったが、いつもおっとりして礼儀正しい彼の慌てた様子を見たことがなかったためにいぶかしんだが、言われるがまま馬の手綱を受け取った。

 邸に小走りで入ったマニュエルは、大声で「兄さん」と何度か叫んだ。その声を聞いた執事が慌ててやってきては驚いた表情を見せた。

「マニュエル様! いかがなされました。貴方様はフレッド王子とローゼンタール領にいらっしゃるのでは」

 汚れた女性司祭の服を着て尋常ではない様子のマニュエルを見た執事は、どうしたらよいものかとただあたふたしていた。

「兄さんはどこです? 部屋にいます?」

 マニュエルは執事の肩をつかんで揺すった。執事は慌ててクリスの居所を伝えると、マニュエルは駆け足でそこへ向かった。

「兄さん! 大変なんです」

 ノックもせずにクリスの寝室を空けると、クリスは一人の女と寝台の上で抱き合ったまま既に寝入っている様子だった。マニュエルはクリスを揺すり起こした。

「兄さん、起きて!」

 目を開けたクリスは寝ぼけていたが、マニュエルの姿を見ると驚いて仰け反った。

「マニュエル。なんでお前がここに。それにその格好はなんだ」

 何か一大事が起きたことに気付いたクリスは、一緒に寝ていた女性にナイトガウンを羽織らせて、部屋を出るように言った。そして、マニュエルにベッドに腰掛けるようにと促した。

「大変なことが起こったんです!」

 そういうとマニュエルは大粒の涙を流した。兄クリスの顔を見たとたんに安堵を覚えた彼は、緊張が解けたと同時にそれが我慢できなくなったのだった。

「何があったんだ、マニュエル。落ち着いて話してくれ」

 クリスはマニュエルに水を飲ませて、背中を擦った。マニュエルはだんだん落ち着きを取り戻して、ことの次第を話し始めた。クリスはそれを真剣な面持ちで話を聞いた。

「――鉱山の襲撃はいつ予定されているかわからない。できれば今すぐに警備を強固にしてください」

 そう言ってマニュエルは話を終えた。

 クリスはしばらく眉間に指を当てて考える様子を見せた。

「いいだろう。もう夜も遅いが、城へ連絡をして兵を送るように言おう」

「ありがとう、兄さん」

 マニュエルはそう言い切ってすぐにバタリと上体を倒した。

「マニュエル! 大丈夫か。どうした」

 彼はすでに寝息を立てていた。クリスは埃と傷だらけになったマニュエルを見て、彼の疲労が相当なものであったことを理解すると、彼に布団をかけてから、すぐに城へ向かった。


 翌朝マニュエルは目を覚ますと、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。窓から見える日が高かったので、もう昼ごろだということがわかった。

「あっ! 兄さんは!」

 そういうと部屋を飛び出して執事を探した。年老いた執事を見つけると、彼はまた混乱した様子で捲くし立てるように言った。

「兄さんはどこですか!」

「マニュエル様、落ち着いてください。クリス様は鉱山です。すでに鉱山には沢山の兵が警備に付いていますのでご安心を……」

 マニュエルは自分の胸を押さえた。その瞬間、廊下に低い音が鳴り響いた。ずっと何も食べていなかったことをマニュエルは思い出した。その音を聞いた執事は微笑した。

「すぐに朝食を準備します」

 マニュエルは執事から食事を受け取ると、貪る様にそれを口へ押し込んだ。普段上品な食べ方をするマニュエルが、賊のごとく食べるのを見た執事は苦笑しながらそれを見ていた。


 食事が終わると服を着替えてすぐに、マニュエルは鉱山へ向かった。彼が着くと、鉱山入り口付近にはいつもの3倍ほどの警備兵が配置されているのを目にした。

(これなら安心だろう)

 マニュエルの緊張はやっと解けた。鉱山入り口前に置かれた事務所にマニュエルはすぐに向かい、クリスを見つけ出した。

 クリスは、彼が短時間の間に行った多くの対処について語って聞かせた。マニュエルは兄のぬかりなさと行動力に驚きを隠せず、ただ深く頷きながらクリスの語ることに耳を傾けた。

「――そういうことだ、マニュエル。アルスフェルトへの密偵を頼んでおいたから、襲撃計画をしている奴らが何者かも時期に調べられるだろう。兵による警備は事の次第が明らかになるまで強化を解かない。安心しろよ。それに、ローゼンタールの邸からそのカレルという男を連れて来て尋問する。それで奴らの計画も明らかになるだろう」

 クリスはフレッドに似た琥珀色の目でマニュエルを優しく見つめて、彼は言葉を結んだ。

 有能な兄を誇らしく思いながらも、重要なことを思い出したマニュエルは、また慌てて話し出した。

「そんなことより、フレッド様を助けに行かないと!」

「そうだな。たしか、国境の町ロイトの商館の人買いだと言ったよな。フレッドに何か起こる前に、今すぐ人を遣わして助けよう」

「僕が行きます! フレッド様は僕のため、そして鉱山を守るために自分を犠牲にして……」

 マニュエルはまた目に涙を溜めた。

「泣くな、マニュエル。……分かった。だが、お前に警備をつけさせよう。腕の利く優秀な兵をつけろ。お前も狙われているそうだからな。俺は鉱山襲撃を回避する件で忙しい。すまないが、執事に取り合ってくれ」

 クリスはそう言うとやっていた仕事に戻った。

 

***


 邸への帰路に付くマニュエルは、クリスの有能さと弟の自分の平凡さを対比して、自分を恥ずかしく思った。自分は国境を通るための交渉すら成す事ができず、結果、フレッドを人買いに売ることとなった。クリスがあれだけの短時間で兵を配備するためには、どれだけの交渉術が必要であったかを思うと、自分の不甲斐なさが情けなかった。子供のころから、のほほんとして人を動かす才のある兄と対比的な性格のマニュエルは、それでも特に劣等感を感じたことはなかった。しかし、このような状況に置いて、何もできない自分が初めて悔しく思えた。

(僕はいつも兄さんに頼りっぱなしだった。司祭として人の心を癒すことしか考えてこなかった。しかし、本当に神を愛するものは、その創造物である人を時に身を呈して守らなくてはならないのかもしれない。でも、僕にはその力が足りない……)

 出発の準備を整えるべく、マニュエルは突き動かさせるように迅速に動き回ったが、必要なものや手続きを済ます頃にはすでに日が暮れていた。同行する兵達からの希望もあり、翌朝の出発が予定された。


 翌朝マニュエルは5人の優秀な兵を率い、自分用の剣と鎧に身を固め、馬に跨った。出発を控えるマニュエルを見送るため、クリスは邸の前へ出た。

「なんだかお前、別人みたいだな。鎧を着たお前なんて誰も想像しないだろう。これなら安心してフレッドを任せられる。何があってもあいつを助けてやってくれ。あいつにまた一つ恩をつくってしまったからな」

「兄さん、任せてください! 命に代えてもフレッド様を連れて帰ってきます!」

 甲冑に身を包み朝日を浴びるマニュエルは不思議なほど威風堂々として見えた。甲冑を着たのは、顔を見せないための工夫と、カレルの仲間から矢による狙撃を受けないためであったが、それによってマニュエルは気の引き締まる思いがした。 

 同行する兵達の準備が整うまでに、クリスは手短に今後のことについてマニュエルに話した。クリスはすぐに使者を使わせて、ローゼンタール家と連絡を取ることを約束した。そして、そこに捕らえられているカレルと2人の傭兵をツォーハイムに引き取って尋問すること、そして命を狙われているフレッドを一時的にツォーハイム国内で保護するための手はずを整えていることを話した。

「ツォーハイム国境まで、お前に一人の法務官を同行させよう。いくらフレッドが流刑中だからと言って、命を狙われているのだから、ちゃんとした手はずを整えツォーハイム国内にて彼を守ろう。お前が国境までフレッドを連れてくれば、法務官によって特別入国させることができる。」

 マニュエルはその兄の言葉を聞くと、重ねて礼を述べた。

 他にもクリスは、昨日マニュエルに渡した書簡をちゃんと忘れずに持っているかをマニュエルに訊ねると、「僕はもう子供じゃない」と拗ねた顔を見せた。クリスは弟の成長を少し誇らしく感じながら、手を振って見送った。


 一行は午後には検問所に到着した。クリスの書簡とマニュエルの正式な身分証によって彼らはすぐに検問所を通り抜けることができた。検問を抜けるとマニュエルは兜で顔を隠して周りを見回した。アルスフェルトの紋章の着いた馬車が何台か止まっていた。国交のないツォーハイムへ容易には入国できないアルスフェルトの商人達は、国境の手前で入国許可のある人々と商取引をしているようだった。連れて来た傭兵達と休憩を取りながらマニュエルは辺りを見回すが、見覚えのある顔や怪しい者はいなかった。

(アルスフェルトの者達は、僕達を追ってこなかったのだろうか……)

 一瞬そう思ったが、ぬかりない用心をしつつ、国境の町ロイト――フレッドが人買いに預けられた町へすぐに向かった。


 マニュエルが町に着いたころにはもう日が沈みかけていた。商館は既に入り口を閉じられていたので、なんとかそこの警備員を見つけて、人買いの老人の居場所を聞きだした。

 商館で働く者達は、営業時間が終わるとそれぞれ宿に戻るという。人買いの老人の宿屋を聞きだすのは造作なく、一行はすぐにその老人の泊まっているという宿屋に向かった。

 それは中級の宿屋で、外国から来た商人達が多く泊まっているようだった。マニュエルは受付に老人を呼び出してもらった。しばらくすると老人がのそのそとやって来た。

「どなたさんだね。こんな時間に。もう夕食の時間ではないか」

 マニュエルは丁寧に挨拶すると、彼が被っていた銀色に光る兜を脱いだ。それを見た老人は驚いて目を丸くした。

「その鎧……。そんな高価な鎧を着るのは、どこか貴族だけだろう。お前さんは、つい最近わしのところで貴族風の男を売ったろくでなしの傭兵と良く似ているが」

「……はい、僕がそのろくでなしの傭兵です」

 マニュエルは虚ろな目を床に向けた。老人はじっとそんなマニュエルの目を見て言った。

「人買いのわしが言うのもなんだが、人買いというのは嫌な職業だ。でも、人を売りに来る奴ほど最低な奴はいない。お客様に対してそんな態度もないだろうが、わしはいつでもそう思っている。大抵はろくでなしの傭兵が連れて来た外国人の捕虜などが売られていく。人を売るような奴に、まともな者はいない。――それがまさか、人を売るような貴族様がいるとは思わなかったわい」

 マニュエルは「すみません」と、むしろ自分自身に言い聞かせるように、何度も謝った。

「それで、その貴族様がこんな時間に罪深い商人に何の用ですかな」

 試すような目つきで老人は震えるマニュエルを見上げた。

「……お金なら沢山持ってきました。僕の売った人を返して下さい!」

 老人は何も言わずにしばらくじっとマニュエルを見続けたあと、長い顎髭を触りながら言った。

「貧相な傭兵のお前さんが、まさかあの男を受け取りにくるとは思わなかったよ。わしがお前に渡したのは、少ない金額ではなかったからな。返したくても、お前のような細っこい傭兵ふぜいに返せるとはおもわなんだ。残念だが、あの男はもう既に買い取り手が付いてしまったよ。すまないね」

 マニュエルは全身の力が抜けるような感覚に陥った。

「そんな……」

 打ちひしがれる様子のマニュエルに老人は冷たい目線を向けた。

「大切なものは何があっても売ってはならないのを、貴族様は知らないのかな? あの男ならリッツシュタインの裕福な商人が買っていった。骨董品や美術品を扱っているとかなんとか言っていたな。ドレスラーという男だ」

 人買いは、フレッドが売れたのはマニュエルがその場を去ってすぐのことだったと付け足すように言った。

 マニュエルはお礼を言ってその場を後にした。

(リッツシュタイン……。もし、そのまま商人がリッツシュタインへ帰るとしたら、まずいな)

 ツォーハイムとリッツシュタインは6年前より国交が閉ざされ、よほどの場合ではない限りツォーハイムの者がリッツシュタインに入国が許可されることはなかった。特例として入国の手続きを出したとしても、それが受理されるまでには一ヶ月ほどかかることを彼は聞いていた。

 科学技術に優れたリッツシュタインは、6年前に『赤の守護者』と呼ばれる強力な長距離砲を開発した。その弾が大量の褐曜石を原料とすることから、彼らに兵器の使用をさせないために、ツォーハイムは褐曜石のリッツシュタインのへの輸出取りやめた。それが国交断絶の原因であった。

 ただ、正式な入国書なしに入国することはできないが、奴隷として売られる者は、奴隷扱いの許可書を持った商人と共に、入国手続きなしで国に入ることができるという。だから、フレッドはそのままリッツシュタイン出身の商人に連れて行かれることだろうが、それを追うマニュエルは簡単に入国してフレッドを追う事はできない。

(でも、商人がリッツシュタインに直接帰るとはかぎらない。でも、リッツシュタインに帰る可能性が一番高いのは事実だ)

 マニュエルは立ち止まり考えた末、偽造書を発行する版画家のアトリエへ向かった。

 

 細工の施された銀色の鎧をまとったマニュエルが入り口を入ってくると、版画家は怯えたように店の奥へ逃げ込もうとした。

「待ってください! 兵士じゃないですよ。この前、女性の名前で偽造書を作ってもらった者です」

 兜を脱ぎ大声でそう言ったマニュエルを振り返った版画家は、頭を掻きながら戻ってきた。

「いやー、驚きましたね。貴方は変装が趣味なんですか? そんな高価な鎧を身に着けて。この前も女の名前で旅券を作らせたり、その前は傭兵の格好だったり……」

 愛想笑いを浮かべる版画家に、マニュエルは苦笑いを浮かべて挨拶した。

「ところで、貴方の作品をいくつか購入したいのです。貴方の作品を良いといったのは嘘ではありませんよ。窓の外の鳥の絵と、そこに額装された豚さんの絵を買います。全部これから書く宛先に郵送してください」

 マニュエルは笑顔でそう言った。

「あ、そうですか。それはどうも。でも、一体貴方は何者なんですか? 今日の貴方は騎士様のように見えますが。この前は傭兵だと言っていたのに……」

「本当は騎士でも傭兵でもない。そんなことはどうでもいいのですが、急いで偽造旅券を作ってください。お金は弾みます」

 マニュエルが金貨のどっさり入った袋を取り出すと、男は口をあんぐりと開けて驚いた。

「えっと、その。どちらへ行かれるのですか?」

「リッツシュタインです」

 版画家は顎に指を当てて考え込むようなしぐさを見せた。

「そうですか……。あそこは入国のチェックが厳しい。偽造書を見抜く技術が高いもので。――最善を尽くしますが、必ず入国できるという保障はできません。でも、手はあります。貴方のようにお若い方なら、王立科学研究所付属の学校の入学希望者として入国するのが一番だと思います。実際、ツォーハイムからどうしても科学を学びたくて偽造書を入手したがった方が何人か、過去にもここに来ました。そのお客さんがたがその後どうなったかわかりませんが、噂では今でもリッツシュタイン研究所で働いておられるとか……」

 マニュエルはそれを聞くと金貨を多めに出して偽造書の作成を頼んだ。

「あと一つ頼まれてくれませんか」

 マニュエルはさらに金貨二枚を渡して、版画家に思い出せる限りでフレッドの似顔絵を描くように頼んだ。版画家はスケッチ用紙と色鉛筆で手早くそれっぽい絵を描いた。マニュエルはその絵に少し口出しして、「ここはもっとこうだ」などと言って手伝い、30分ほどして絵は出来上がった。

「あとこれを2枚同じのを描いてください。版画にしている時間はないでしょうから」

 版画家は頷くと、あっという間に同じ絵を2枚かき上げた。マニュエルは、初めてプロが絵を描く現場を感慨深そうに眺めていた。


 偽造書作成を待つ間マニュエルは、ロイトの町中で傭兵達と共にリッツシュタインから来たという骨董商人について聞き回った。

 国境近くの町であるロイトでは様々な国からの商人達が集まっているが、この町では人買い商人が多いのが顕著だった。フレッドを買った老人が言うように、大抵は傭兵が連れて来た外国人を売りにだしているそうだったが、買い手の方は様々で、別の目的で来た商人がついでに人を買っていくことも多いそうだ。中には小さな子供まで売られている様子を目にしたマニュエルは心を痛ませた。

(神様のなさることは人の理解を超えると、僕は信者達に教えを説いてきた。しかし、神様はなぜこのような惨いことをお許しになるのだろうか……)

 マニュエルの信仰が揺るぐことはなかったが、司祭として自分のやってきたことへの疑問が少し感じられた。

 しばらく聞き回ったところ、マニュエルの連れて来た兵の一人が有力な情報を入手した。銀髪で琥珀色の目をした男を連れた商人が今朝町を出て行ったのを見た者がいたという。しかし、その商人がリッツシュタインにそのまま向かうかどうかは誰も知らなかった。もしかすると、そのまま全く別の国や、セイレンブルク内の別の町へ行って、そこでフレッドを売る可能性もある。

 いつかはその骨董商人がリッツシュタインへ帰ることは確実であったので、いずれはそのドレスラーという商人を見つけ出せるだろうが、フレッドが奴隷として受けるだろう仕打ちを思うと、一刻も早く助け出したいと思った。


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