ロウ 4
ジャスは領主の私兵と化している自警団に傭兵として雇われる事になった。その傍らで秘密裏にロウに剣を教え鍛えた。ロウは非常に熱心な生徒だった。何を思ってロウが剣を手に取ったのか分かっていたジャスは間者の役割を喜んで引き受けた。彼にも領主を恨む気持ちが多大にあったのだ。
ロウが予想出来なかった事態がある。ロウの様子に気付いた若者達が賛同して剣を教わり出した事だ。こうして領主打倒の意志は人々の心に広がっていった。
ロウは何度説得してもアリスがララエの屋敷で働くのを止められなかった。ロウが庭師として屋敷にやってくるとアリスは喜んでロウに屋敷で起こった些細な事も話して聞かせた。
アリスの愛らしい顔は目から下を布で覆われて前髪の隙間からエメラルドグリーンの瞳だけが覘いている。最初にちょっとした細工を施してアリスは顔に醜い火傷を負った哀れな少女を演じている。そのお蔭でアリスの布を取って顔を拝んでやろうとする輩はいなかった。
ロウが働く傍らで口を動かしながらアリスは雑草を抜いている。
「もうね、周りが年寄ばかりなの。お嬢様の世話をしてるのか他の侍女達の世話をしてるのかわかんなくなりそうなの」
アリスの言うようにアリス以外の侍女は全員年配の者ばかりで、腰が痛いとか膝が痛むとか、体の不調を訴えて体力のいる仕事はアリスの担当になってしまっていた。話も世代が離れているから若々しい会話がない。別に年寄との会話が嫌なわけではないのが、感覚の違いは否めない。同世代と言えばララエだけになるわけだが。
「お嬢様はあんまり手はかからないのだけど、部屋に籠ってひたすら暗いの。なんか不気味なのよね。あ、知ってる?屋敷に飾られている綺麗な絵があるんだけど。それをお嬢様が子供の時に描いたって言うのよ?とても信じられないわ。今も何か一日中描いてるみたいだけど、誰にも見せてくれないし、完成する気配もないのよ。本当に絵なんか描けるのかしら。日中ほとんど動かないくせに食べる量だけは人一倍なのよね。毎日凄い豪華な料理なのよ?あれで太らないわけないわ。去年のドレスが入らなくて直さなくちゃいけないのよね。他の人は目が見えないっていうからまた仕事押し付けられちゃうし。あ、そうだわ」
延々と話し続けるのかと思ったアリスは話を切ると自分のポケットを漁った。手の平には糖衣を施したお菓子が乗っている。
「はい、これをロウに」
子供の頃にここで良く食べたお菓子だ。何故か女達はロウにお菓子を与えたがる。ロウが受け取るとアリスは嬉しそうににっこり笑った。
「また持ってくるからね」
存外、アリスは楽しそうに働いている。ロウは複雑な溜息を吐き出した。
「………あまり目立つような行動はとるなよ?」
「わかってるよ。私、上手くやってるでしょ?」
アリスの目が褒められるのを期待して輝いた。
本当の事を言えば、思った以上にジャスがいい働きをしてくれているのでアリスのしている事は殆どが無駄だった。正直にそれを話して素直にわかってくれればいいのだが、逆にむきになって無茶な行動に出られるのが怖かった。ある程度気が済んだらなるべく早く帰そうとロウは思っている。
「いつでも辞めていいんだからな」
「わかってるって。ふふっ、心配してくれてありがとう」
この時見当違いに喜ぶアリスは全く分かっていなかった。
領主の圧政に疲弊した民を装いながら、ロウ達の活動は水面下で慎重に進行している。ロウ達の結束は固くジャスは優秀な教師であり指揮官だった。ただの田舎の若者達を軍隊のように鍛えている。
毎夜ロウは出来る時間の全てを費やして体を鍛えた。今度こそ本懐を遂げるために手に血が滲んでも剣を握り続けた。
そんな日々を続けていたからかもしれない。迂闊にもララエの屋敷の庭で寝入ってしまっていた。
ロウの目覚めはいつも一瞬だ。瞬時に状況を理解すると予告動作など何もなくいきなり体を起こした。
驚いたのはロウよりも相手だったかもしれない。少し離れた場所でロウを観察していたその人物は飛び上がらんばかりに驚いて顔を赤く染める。ロウと目が合うと眦を引きつらせ巨体を翻し慌てふためいて逃げ出した。
ララエだった。あんなに太って醜い姿はララエでしかあり得ない。昔と少しも変っていなかった。余程焦ったのだろうララエが居た場所にスケッチブックが落ちていた。それを拾い上げるとロウは目を瞠った。
そこにはロウが描かれている。スケッチブックをめくって現れるのは色んな年代のロウばかりだった。これだけロウで埋め尽くされればララエのロウへの執着が良くわかる。
不愉快だった。ララエの執着はロウをとても不快にさせた。
飽きたと言ってロウを捨てたからではない。
呆れるほど昔のままのララエだからだ。愚かな子供のままの。ララエは自分がどんな立場の子供を望んだのかいまだに理解していない。ロウがどんな気持ちで大人しく人形に徹しなければならなかったか。ララエの立場が父親も母親も奪われたロウにとってどれ程のものなのか。
ロウはスケッチブックを投げ捨てて踏みにじった。泥がつき紙が破れていくつものロウの顔が歪む。それでも気は収まらずそれを不快気に見下ろすとポケットを探って枯れ葉を燃やすために持っていたマッチを取り出した。火をつけてスケッチブックの上に落とした。
メラメラと燃え上がる炎から目が離せなかった。灰になっていくのをいつまでも見入っていた。
あの日以降ララエが遠くからロウを窺っているのが目につくようになった。ララエの気が緩んでいるのか、ロウが気にするようになったのか。
今もララエはロウとアリスを覘き見ている。それを認めてロウが気まぐれを起こした。アリスの手を引いてララエの方に近づいて行く。突然のロウの行動にアリスは驚いていたが繋がれた手を握り返した。布で隠された頬が嬉しさでバラ色に染まる。
ララエが焦っている滑稽な姿が良くわかる。こちらを十分に見える位置までくると立ち止まりアリスの顔から布を取り去った。アリスの顔が見え過ぎないようにロウの大きな手でアリスの白い頬を覆った。アリスの翡翠の瞳は熱に潤みうっとりとロウを見上げている。
「………ロウ」
甘ったるい声がロウを呼ぶ。普段では考えられないロウの行動を疑問に思う余裕もない位に頭に血が昇っている。期待で心臓が壊れそうだった。
いつも夢に見ていた。美しいロウが愛を囁き触れてくれるのを。
ロウの美しい顔が近づいて来る。嬉しさと羞恥心で目を閉じたアリスにはロウの空色の瞳に同じ熱が宿っていないのを見ずに済んだ。
「ん」
初めてのロウの口づけは唇の僅かに端だった。そんな事は気にならない程アリスは浮足立った。頭がくらくらして全身の力が抜けてロウに縋った。
ロウはアリスを抱き返しながら体の向きをさり気無く変えた。
隠れるのも忘れて呆然とこちらを見ているララエがいる。小さな目から止めどなく涙が流れ落ちる。醜くい分一層哀れな姿だった。
ロウの口角がゆっくりと上がる。初めてララエに向けた笑顔。ララエの心が流す鮮血がロウには見えた。ララエの絶望はロウの心を震わせ、初めて味わう恍惚はとても甘美だった。
その年は天候不順が続き作物の収穫量が例年の二分の一程で深刻な食糧難だった。加えてこの地方を襲った寒波が領民達を苦しめて、領主への不満と憎しみを募らせていた。そんな中で事件は起こった。
大地は深い雪に覆われて白く塗り潰されている。明け方の一番冷え込む時にロウの家のドアを乱暴に叩く者がいた。
ロウはジャスだと思った。彼は人目のつかない時間帯に良くロウの家を訪れていた。だからロウは特に疑問に思わずドアを開けた。
冬の冷気と一緒にロウの胸に飛び込んできたのはアリスだった。アリスは強い力でロウに縋りつくと嗚咽を漏らす。
アリスは外套を羽織っていたが足は素足だった。雪の上を歩いてきたのだろう真っ赤になっている。ロウに縋る体は氷の如く冷たい。
「何があったんだ?アリス?ちょっと離れて」
引き離そうとすると必死にロウにしがみ付いて来る。嫌がる体を離し俯くアリスの顔を無理やり上げさせて息を飲んだ。
アリスの愛らしい顔は涙に塗れて目は腫れ、唇は切れて血が滲み頬には人の手形と思われる跡が浮かんで赤く腫れている。
「う、わぁ…や………ロ、ウ」
前が肌蹴た上着の下は薄い夜着だけを纏っている。その服も破かれて無残な姿だった。破けた胸元から丸く張りのある膨らみが半分以上出ている。白い肌には沢山のうっ血が散っていた。下肢は大腿部まで丸見えで内腿には白濁と血が混じり合いこびりついていた。
何があったかは一目瞭然だった。ロウは言葉を失い蒼褪めた。
アリスは必死でロウに手を伸ばす。
「やだっ、ロウ、ロウ!!」
硬直するロウの首に腕を回して再び縋りつく。
「お願いっ、抱いてっ。うっ、ふぇ、お願いっ」
ロウは答えられない。氷のようなアリスの体がロウから体温を奪って行く。傷ついているアリスを抱き返すべき腕が動かない。
ロウの胸に顔を押し当ててアリスが悲嘆にくれる。
「わ、わ、わたし、け、がされ、なんかいない、わっ。あ…んなの、ちが……う」
激しく頭を振るとアリスは自分で上着を脱いだ。体にまとわりついている破れた夜着も脱ごうとした。
「ダメだ!」
咄嗟にアリスの手首をつかむ。そこにも強く掴まれた跡が残っていてロウを狼狽えさせた。
「………どう、してぇ?どうしてダメなのぉ?ロウ、キスしてくれたじゃない?っふ、うっ………穢された、から、わたし、きたな、いっ?」
「違うっ!!」
「なら抱いてよ!!!」
叫ぶとロウに滅茶苦茶に体を押し付ける。
「アリスっ」
アリスの力に押されてロウが床に倒れ込む。ロウを上から押さえつけたアリスの唇がロウの唇を強引に塞いだ。
「!!」
アリスがロウの手をとって自分の乳房に導いた。
「やめろ!!」
ロウが引き離そうと込めた力はアリスの体を床に打ち付けた。
蹂躙された華奢な体を晒してアリスが床に蹲った。枯れる事のない涙が頬を流れ続けていた。己の体を抱いて体を揺する。嗚咽が段々大きくなり獣じみた絶叫に変わる。
「う、えっ、うぅぅぅ、うっああああああああああああああああああああああああああ!!!うああああああああああああああああああああ!!!」
慟哭がロウの心を貫いた。心を狂わすような叫びはロウの息を止めた。
扉が再び叩かれる音はロウの耳に入って来なかった。肩を引かれてジャスに気付く。
「何があったんです!!これはどういう事ですか!?」
アリスの絶叫がロウの意識を絡めとっていた。反応の薄いロウに痺れを切らしてジャスが蹲るアリスに近づく。気が触れたように叫び続けるアリスを危険だと感じたのだろう、首筋に手刀を当てた。
崩れ落ちるアリスを受け止めて着ていた上着でアリスを包む。ジャスが鋭い目でロウを見た。強い眼力に押されてロウが後ずさる。
「医者を………医者を、呼んでくる」
「駄目です。私が行きましょう。今の貴方は冷静じゃない」
「いや、俺が行く。アリスを頼む。足が凍傷になっているかもしれない。温めてやってくれ」
「ロウ!!」
逃げるようにその場を離れた。
雪の上に吐瀉物をぶちまけた。先程から体の震えが止まらない。アリスの絶叫が今も頭に響いている。
アリスはロウの母親だった。そしてロウ自身でもあった。何度でも繰り返される。
領主が生きている限り終わりがない。
ロウが医者とアリスの両親を連れて戻るとアリスは眠っていた。ジャスが出来るだけの事をしたお蔭で、アリスは凍傷にならずに済みそうだった。アリスの両親はアリスを見て泣いた。医者が二人を宥めると母親だけを連れてアリスの診察に当たった。
アリスの診察を医者は丁寧に行った。今家の中には医者とアリス達親子しかいない。ロウは外に出て白く染まった景色を眺めていた。
背後からジャスが上着をロウの肩に掛けた。
「そのままでは風邪を引きます」
ロウの顔色は青白く血の気を全くなかった。吐く息が白く凍る。
上着はジャスのものだった。ロウは上着に手をかけてジャスに返す。
「いや、大丈夫だ」
渋るジャスの胸板に強引に上着を押し付けた。
ジャスは時々ロウを女子供のように扱う時がある。この顔のせいなのは分かっていた。
「アリスは?」
「薬のお蔭で落ち着いています。もうしばらく鎮静剤は続けた方がいいでしょうね」
「体は?」
「外傷なら時間の経過と共に良くなるだろうと」
だが、心は、心はどうなるのだろう。
二人の間に重苦しい沈黙が流れた。
「………蜂起は避けられないでしょう」
「むしろ遅過ぎたくらいだ」
呟いた声は大気と同じように冷たく凍っていた。
アリスの事件が領民達の憎しみを爆発させる結果となった。領主側の誤算は軍人であるジャスがいた事だ。彼は緻密で慎重な計画を立て、領民だけではなく彼の傭兵仲間達を領主の私兵に多く紛れ込ませていた。
「領主側の主だった人間と自警団、両方を同時に制圧する必要があります。出来れば数時間以内。我々には時間をかける余裕はありません」
「都からの援軍か」
「ええ、領主と中央の癒着はかなり強い。下手をすれば地方の反乱ではなく国賊というレッテルを貼られかねない」
ジャスはかなりのコネを持つようで短期間の内に領主を調べ上げていた。
「自警団の制圧は簡単ではないだろうな」
年々強化されていった自警団は数も多く屈強な傭兵が殆どだ。それに比べてロウ達は数も少なく戦闘経験のない平民ばかりだ。どれ程体を鍛えようと実力の差は歴然だった。
「その辺りは私に任せて頂ければ。何も正攻法でぶつかる必要はありません。幸い自警団の多くは外から来た者ばかりです。こちらの毒に慣れていない者が殆どですから」
飲み水か食べ物に混ぜれば上手くいけば戦闘不能に出来る。毒に慣れた地元の人間では思いつかない考えだった。
「それと、これは他の者達にも徹底させて頂きたいのですが、出来るだけ無血で反乱を成功させたいのです」
「………誰も殺すなと?」
ロウが眉を顰める。いくら毒を上手く使えたとしても戦闘は免れないと思われた。相手を生かしながら戦う事はただ殺すよりも困難に思える。
一方ジャスは成功を疑っていなかった。彼の目はその先を見据えていた。
「国との交渉の際にはこちらの有利に働きます」
反乱に勝利しても国から国益を掠め取った盗人にされては裁かれる。あくまでロウ達は領主の非道に耐え兼ねての反乱だと主張しなければならない。余りある領主の極悪非道な罪状に無血の勝利が欲しいのだ。
「領主親子は無理だろう」
人々の不幸の根幹だ。ここには殺さずに許せる者などいないだろう。
ロウがジャスを見据える。ロウの瞳はあの朝以来凍ったままだった。美しく透徹とした青は温かみを失くし見る者を竦ませる。
「それは承知しています」
他の誰でもないロウが手を下す事になるのをジャスは感じていた。
失敗は許されない。ただの領民風情には何も出来ないと思われている今しかチャンスがない事を誰もが理解していた。まだ雪深く、道の通行が復旧されていない冬の晴れた日に計画は実行された。
ロウ達は迅速に行動した。恐ろしく統率のとれたロウ達は領主の私兵を制圧し、領民達の決起を予想していなかった領主側は、完全に不意を突かれる形になった。
ララエの屋敷の眼前、領主を乗せた馬車が止まった。護衛は僅かに5名。その内の一人はジャスの手の者だ。ロウとジャスを含めた6名で領主を襲った。
馬車から引きずり出された男は数年前の貴族然とした容貌は崩れ内面そのままの汚らわしい姿を晒していた。
傲慢な灰青色の目が血走り唾を飛ばしながら口汚く罵る。その殆どの言葉は耳を傾ける価値のないものだ。
「汚らわしい娼婦の息子風情が!!」
領主の言葉がロウの鼓膜を震わせた。暴れる領主の片腕をジャスの剣が一閃した。
地面に落ちる腕。聞くに堪えない絶叫。流れる血飛沫を前にしてもロウは眉一つ動かさない。
地面に無様に転がる男を見下ろす眼差しは人を見る目ではなかった。コレは人ではないのだ。家畜以下の存在だ。この世でもっとも醜悪な物。
失血で意識を失いかけている領主を足で転がす。
「おい、まだ死ぬな」
冷徹に言い放つ。血に塗れ表情のないロウの美貌は悪鬼のようだった。一片の慈悲もその顔にはない。
「誰か、松明を持って来い」
ジャスが松明を受け取ってロウの傍に並んだ。
「お前は楽には殺さない」
松明を受け取ると血を流す肩口に宛がった。獣そのものの叫びが上がる。肉を焼く焦げた臭いが漂う。誰もロウの凶行を咎める者はいない。みっともなく暴れるもう片方の腕を煩わしく見つめ、一片の躊躇いもなくロウが剣を振り下ろす。暴れる手を失って領主は地面に転がりのたうち回る。
「もう片方も焼いてくれ、失血死などさせるな」
ジャスが頷くとロウはララエの屋敷に押し入った。
ここはララエの城だ。大抵の者は初めその美しさに息を飲む。ララエはここで幸せだけを与えられ守られて何も知らずに育った。
多少の悲哀はララエにもあったかもしれない。だがそれは領民達の苦難や悲嘆と比べる価値すらないものだ。
ララエは恨まれている。領民達はララエも領主と同じく血も涙もない傲慢で極悪非道な娘だと信じている。昔ララエが解雇した侍女達が広めた噂は瞬く間に真実として人々に受け入れられた。
ララエ自身が直接的に何かをしたわけでなくともララエは領主と同罪だった。
何も知らない事がいい訳になるのなら、領主によって犯された者や死に追いやられた者達はどうなる。彼らこそ何の罪もない人々だった。
ララエには死ぬ以外の道は残されていない。それも出来るだけ惨たらしく死なねば領民達の溜飲は下がらない。
ロウの足取りは鈍る事無く突き進んだ。南側の庭の眺めが一番いい部屋がララエの部屋だった。
扉を叩くような上品な真似はしなかった。部屋に押し入ればララエは目を丸くしてこちらを見た。剣を片手に返り血を浴びた尋常でない様子のロウを認めると恐怖に顔を引きつらせた。
「あっ………」
ロウがララエに一歩近づけば息を飲む。領主のようにララエはみっともなく喚いたりはしなかった。これからどんな目にあうのかわからないのだろう。
ララエには今もロウが人形のように見えるのだろうか。無表情はあの頃と変わらない。
いつもロウを見て楽しそうに笑っていたララエはロウに怯え恐怖を滲ませている。
無言の中部屋の空気が張り詰めて行く。ララエの心臓の音さえ聞こえてきそうだった。
後ずさり逃げようとするララエをロウは鞘ごと振り上げた剣でその右足を砕いた。
ララエの体が傾き床に倒れた。ララエは声にならない絶叫を上げた。血が滲む程に口を噛みしめて目もきつく閉じている。全身に力が入っていた。
痛みが全ての感覚を凌駕した。思考は痛みに塗り潰される。ララエの全身から汗が噴き出す。のたうち回りたいのに体は痛みで動けない。
そんなララエをロウはただ無言で見下ろしている。自分が引き起こした事態にまるで興味がないように。
ロウが倒れたままのララエの腕をとった。苦痛に泣くララエをそのまま容赦なく引きずって行った。
門前には沢山の人が集まっていた。誰もが領主親子の最後の姿を見たがっている。
すでにララエの意識は痛みのために朦朧としていた。領民の一人がララエの頭から水をかぶせる。その瞳に少しだけ光が戻り沢山の憎しみの目と対峙した。傍らに両腕を失くした瀕死の領主がいる。
ララエは血の気を失くし震え上がる。無数の石が罵声と共にララエに向かって投げられた。石は柔いララエの肌を破って血を流させた。蹲って体を丸めても恨みの分だけ容赦なく降り注ぐ。
剣でもってララエの顔を上げさせたロウは震えるばかりのララエに向かって口を開く。
「己の父親が何をしてきたか知っているか?お前が何をしてきたかを?お前の父は俺達から様々なものを奪い去っていった。物や金だけじゃない。父や母、妹や―――恋人を。俺達の怒りが理解できるか?お前達の薄汚い命だけでは足りない」
ロウの剣がララエの脇に転がる領主のわき腹を抉る。汚らわしい領主の血が流れる。ずっと殺してやりたかった相手だ。実際にその願いが叶う時もっと苦しめばいいと願う。きっと悪魔はロウのような顔をしている。
「お前にも俺達の苦しみを教えてやろうとしたが………」
そう言ってロウが再びララエを見た。朦朧としながらも恐怖に彩られたララエの瞳は魅入られたようにロウから目が離せない。
ロウはララエにわかるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「こんな醜い娘ではいくら金をつまれても誰も犯す気にはならないな。豚の娘にはお似合いだが」
絶望がララエを覆った。領主の愛したララエの無垢な心が死んでいく。魂が砕かれていく音をロウは聞いた。
「奪われる気持ちくらいは教えてやろう。こんな醜い娘でもお前が本当に愛していたのなら」
ロウはララエの心臓を貫いた。ララエの見開かれた瞳が光を失い濁るのを最後までロウは間近で見ていた。
後、ラスト一話。