ロウ 3
どういう心境の変化がララエにあったのか誰も知らない。それはあまりに突然で予想出来た者はいなかった。前日までロウを片時も離さなかったララエが青白い顔でロウに告げた。
「おまえはもういらないわ。あきたの」
屋敷の者達は皆驚いていた。ロウだけが冷静に話を受け止めている。
気軽に物か何かを捨てるような傲慢な言い方は意図的に人を傷つけようとする意志が透けて見える。だが、ララエの腫れぼったく赤く充血した目や不自然に強張った顔が全てを台無しにしている。
ララエは何かを言いかけたがグッと口を引き結んだ。手がドレスを掴み、皺を作る。何かを我慢する時のララエの癖だった。
「ロウだけじゃなない。あなたたちもよ」
ただ眺めるだけだった侍女達に向かって指をさす。自分達にまで矛先が向いて彼女達は途端に騒ぎ出した。
「どうしてですか!?」
「私達が何をしたっていうのよ!?」
「今まであんなに良くしてあげたのに!」
ララエに詰め寄らんばかりの行動に傍で控えていた執事が止めに入る。
「こらっ、お前達止めないか!!お嬢様に向かって!」
「だって酷いじゃないですか!!」
「横暴よ!」
「私達真面目に仕事をしていたわ!」
今度は執事に向かって口々に文句を捲くし立てる。
ララエは机に置いてあったティーポットを掴みあげると思いっきり床に投げつけた。陶器で出来たティーポットはひとたまりもない。室内は静まり返った。
ララエの荒い呼吸だけがその場に響く。侍女達を精一杯睨み付けた。
「あきたの。もう、いらないの。ロウもあなたたちも。こんな風になりたくないなら出ていって」
暴力とは無縁のララエが見せた暴挙に侍女達は蒼褪め震えた。ララエがあの冷酷非道な男の娘だと思い出したのかもしれない。
ララエも震えていたかもしれない。セリフとは裏腹に声には悲しみが宿っていたかもしれない。
ロウはララエの心情を知りたいとも解雇される理由が知りたいとも思わない。不当だと騒ぐ気もない。今まで拘束されていたことこそが不当だった。
誰もが動けずにいた中でロウは誰よりも速やかにその場を辞した。ララエに向ける言葉も僅かな感情の機微もなく背を向けた。
ロウが今まで大人しく捕らわれていたのは領主に母親を人質に取られていたからだ。下手に反抗して母親に手を出されるのが怖かった。大人しくララエの人形でいるしか母親のためにロウが出来る事がなかった。
母親の行方は依然わかっていない。ここではなく、王都に連れて行かれた事だけがわかっている。
2年間忘れた事はない。ずっと考えていた。母親を探して救い出す事。母を助けられたならどこか遠くに逃げてもいいと思っていた。
思いがけず手に入れた自由を無駄にしたくない。
ララエの屋敷を出てロウがまず向かった先は一度も帰る事のなかった家だった。領主の口ぶりで父親が何か知っている可能性があったからだ。
ララエの元にいても時折父の噂を聞いた。まともな生活を送っているようには思えず、ロウの知らない間に死ぬのではないかと思っていた。
自宅の入口に佇んでドアに手をかけた。懐かしいと言えばいいのか、見慣れた現実がそこには広がっていた。狭い部屋には乱雑にモノが配置されどこか埃っぽい。机の上には飲みかけのグラス。椅子には脱ぎ捨てられた服。何かわからない染みのついた壁。床には酒瓶が転がっている。ララエの美しい屋敷に比べればごみ溜めだった。
歩けば床が軋む。ロウの体重が増えた分だけ軋みが大きい気がした。
「………誰かいるのか?」
奥から掠れた声が聞こえた。
覚悟は出来ていた筈だ。それにもかかわらず、ロウの心臓が竦み上がる。与えられた暴力と恐怖を体は記憶していた。
ロウが動けず固まっていると足を引きずる音が近づいて来る。
「盗人か?ここには盗るようなものは何もないぞ」
その口調や声を覚えている。母親が居なくなってから優しさが宿る事もなく常に不機嫌な声。
固唾を飲んだ。現れたのは予想通り父親で、驚きにロウは言葉を失った。
記憶にあるよりもずっと小さく、哀れな年老いた男がいた。髪には白いものが多く混じり肌はくすみやつれて目が落ち窪んでいる。痩せて細い体は前に傾むき杖を失くしては歩けまい。実年齢よりももっとずっと年を取ってみえる。
簡単にロウをねじ伏せ暴力で支配していた男とは別人だった。2年の歳月が父親から若さを全て奪い去っていた。
何も言わない相手に父親は訝し気に眉を顰めた。
「誰だ?」
再び誰何する声に訝しく思うのはロウの方だった。目の前にいる自分の息子がわからないのだろうか。狂う程執着していた、愛する妻に似たこの顔が。
注意深く父親を観察すると目の焦点が合っていなかった。ロウとよく似た青い瞳は濁って光を失っている。
ロウは目を瞠った。鉱山で働く者の逃れられない宿命がある。
―――毒だ。鉱山の毒に冒されて父親は視力を奪われている。
「父、さん………」
呆然として呟けば、父親は信じ難い事を言った。
「私に息子はいないが」
冗談や嘘を言っているようには見えなかった。自分の足元に大きな闇が広がるのを感じる。気を抜けば闇に捕らわれる。急激に喉の渇きを覚えて唾を飲み込んだ。何度か空気を吸い込んで慎重に言葉を重ねる。
「ロウだ、あんたの息子の」
父親は眉を吊り上げて見えない目でロウを不愉快そうに睨んだ。
「私に子供はいないと言っているだろう!死にぞこないと思って侮るんじゃない!!ここから出て行け!!」
興奮して捲し立て、杖を振り回しロウに掴みかかろうとしたが目測を誤って転んだ。
「くそっ!!」
父親は悪態をつくと杖をロウに向かって投げつけた。杖はロウの肩にぶつかって鈍い音を立てて床に虚しく転がった。ロウの体がよろめく。力が全身から抜けて行くようだった。
父親のように鉱山の毒に冒される者は多かった。それでも以前は深刻な事態には陥る事が少なかったのは鉱山にこもり過ぎないように徹底した日程管理がされていたお蔭だ。毒を体が解毒出来るように十分な休養を挟む。そうすると余計な毒を溜め込む事もなく、毒への耐性も作られて行く。
そうした労働者への配慮は領主が代わり、無くなった。鉱山の仕事が犯罪者の強制労働という名目に重きを置くようになったからだ。
毒が人体にどのように作用するかは人によって様々だ。父親の場合は目を全盲にし、脳へダメージを与えた。加えて長年の無茶な飲酒と相まって深刻な状況に陥っている。
王都に向かう事は出来なかった。決して母親を見捨てたわけではない。父親を見捨てる事が出来なかったのだ。
どこかで圧倒的な力を持つ父親が死んでいてくれればと願った自分がいた。にも拘らず今目の前で確実に死に向かっている哀れな男をどうしてか見捨てられない。
脳に障害を負った父親の世話は骨が折れた。始終気難しく扱いづらい。父親にとって良かったと言えるのは、母親とロウを忘れた事だった。妻を奪われた悲嘆も息子に暴行を加えていた事も覚えていない。
憤りがないわけではなかった。ロウの中には怒りも哀しみも常に渦巻いていた。吐き出す場所を見つけ出せず領主への憎悪が一層深まっていった。
世話の必要な病人を抱えての暮らしは大変だった。幸いロウの仕事は直ぐに見つかり、ララエの屋敷に来ていた庭師の弟子として働き始めた。
週に2、3回ララエの屋敷を訪れ庭の手入れをした。庭師のアルトは高齢で若く体力もあるロウを大変可愛がった。庭師の仕事に興味のなかったロウにも惜しみない知識を与えてくれた。
そんなアルトだったが、一つだけロウには理解出来ない事がある。
アルトはララエが庭に姿を見せなくなった事を嘆いていた。美しい旋律を聴けない事を残念がっていた。
庭だけではなかった。ララエは自室に閉じ籠って殆ど部屋から出ないと聞いていた。以前のようにロウの傍に来て、べったりくっついて来る事もない。
庭の主が庭を楽しむ事をしなくなってもアルトは丁寧な仕事をした。四季折々に咲く美しい花はララエの部屋に飾られた。
自分が育てた花がララエの目を楽しませるのかと思うと苦い思いが込み上げて来たが、ロウは真面目に仕事をこなした。
懸命に働いても生活が良くなる事はなかった。こんな田舎では弱者は強者に逆らう術をしらない。確実に領主の圧制は強められ、領民達はそれに慣らされ抵抗する意思を削がれていった。町は活気を失くし、領主の私兵が町をうろつく。多少の酷い話は直ぐに人々の心から忘れ去られた。
ロウの中には暗く燃える炎がある。単身で領主に向かっていったあの頃よりも更に昏く熱く勢いを増して鍛えられたロウの理性を少しずつ焼いていた。
表面上は平静を保ちながらララエから離れたロウの暮らしは5年が経過していた。
春の初めの冷え込んだ朝にロウを息子と認識出来ないままロウの父親は静かに息を引き取った。最後に流した父親の涙の意味はロウにわからない。声に出さず呟いたのは母親の名前だったような気がした。
葬儀はしめやかに行われた。訪れる人は父親の知人よりもロウを心配する人の方が多かった。慰めの言葉はすべて上滑りしていった。
肉親を亡くして生まれる筈の哀しみはなかった。だからと言って安堵が広がるわけでもない。ただ終わったのだとしか思えないロウはどこか壊れている。
ぼんやりしているロウの腕を引く者がいる。咄嗟に腕を振って振り払った。
「ロウ、大丈夫?」
下からのぞき込んでくるは大きな瞳の整った愛らしい顔、ロウと同じ年の幼馴染のアリスだった。葬儀の手伝いを買って出てくれていた。
「悪い………、皆はもう帰った?」
「うん。後は私達だけだよ」
「そうか。アリスも帰っていいよ。今日は色々ありがとう」
「うん。………ねぇ、今日はうちに来ない?」
そう言ってロウの冷えた手を白く華奢な両手で握った。今度は振り払うのを我慢した。
「どうして?」
「ロウ一人だと心配だわ」
自殺でもすると思われているのだろうか。見当違いの心配に苦笑が漏れる。陰を帯びたロウの笑みにアリスが呆けた隙にさりげなく手を引き剥いた。
「一人で平気だ」
ロウの手が擦り剥けた己の手を見てアリスは眉を顰め溜息をついた。彼が素っ気無いのは何時もの事だった。甘えてくれればいいのにといつも思う。頼ってくれないのはとても悔しかった。ロウに見惚れるだけの他の女達と自分は違うと思っていた。
哀しみに沈んでいてもロウは美しく魅力的だ。女性よりもずっと綺麗で人を惑わす色気があった。アリスは気が気ではなかった。
(私はロウの役に立てるもの)
アリスはそれを証明するように扉に向かうロウの背中に声をかけた。
「………私、今度、領主の別邸で働くことになったの」
喜んでくれると思った相手の反応は芳しくなかった。振り返ったロウは秀麗な眉を顰めて難しい顔をした。
「馬鹿な事をする。領主に目を付けられたどうするつもりだ?」
年々領主の非道は酷くなる一方だった。未婚既婚問わず気に入った女を浚って犯す事も平然とする。権力に物を言わせて最もらしい事情をねつ造し、被害者は口を閉ざすしかない。
男達は女を守るために必死になっている。アリスの両親も同じだ。ましてやアリスはこの辺りでは一番の器量良しだった。彼女の両親はアリスをなるべく外に出さないように、人前で素顔をさらさないように育てて来た。
もしも、ロウの母親のようになりでもしたら。
背筋に冷たい汗が流れた。
「酷い目に会いたくないなら家に居ろ。おじさんが守ってくれる。何かあってからじゃ遅いんだぞ」
優しく諭すつもりが冷たい物言いになった。
アリスは傷付いた顔をした。ロウのために無茶をしたのに。領主をずっと気にしているロウに、アリスならもっと凄い情報を渡せるかもしれないのに。
「大丈夫よ。私に秘策があるの。絶対にあの男は私に興味をもたないわ」
自信満々に言い切った。最終的にロウはアリスに感謝する筈だと思った。アリスがロウにとって必要な存在だと認めてくれる。
「やめてくれ、俺のためだと思っているなら尚更だ」
アリスがロウに好意を持っているのを知っている。アリスは隠す事のない恋情をロウにぶつけて来る。だが、今回はやり過ぎだった。
アリスは頷かず頑固に言い張った。
「もう決めたの」
怒鳴りそうになるのをロウは堪えた。アリスは叱れば叱るだけ意固地になる性格だ。
「………どうしたらやめてくれる?」
ロウの懇願にアリスは愛らしい頬を薔薇色に染めた。
「私をロウの恋人にして」
「………」
黙り込んでしまうロウにアリスは失望を覚えた。
ほら、やっぱりロウは頷いてはくれない。だからアリスは止めるわけにはいかないのだ。ロウがとても、とても好きだった。アリスには沢山のライバルがいる。いつまでも同じラインに並び立つのは嫌だった。そこから抜け出すチャンスを無駄にしたくない。
「絶対にやめない!」
そう宣言するとアリスはロウの元から逃げ出した。
一人になったロウは一気に疲労感が襲ってきた。椅子にぐったりして体を投げ出してこめかみを揉む。酷い頭痛がする。アリスをどうすればいいのか考えるのも億劫だった。
物事はいつもロウが望まぬ方向に進む。一つくらいロウの思い通りになってもいい筈だ。
天井を睨み付けてロウは一つの決意をした。
父親はもういないのだ。今度こそ母親を救い出そう。ロウがここを去ればアリスも馬鹿な行動を起こす必要もなくなる。
同じように苦しむ人たちを見捨てるような罪悪感がないわけではない。ここ数年ここを離れる若者は増加している。逃げられる者は逃げればいいと思う。それを咎める事は出来ないだろう。
苦い思いを噛みしめる。それはいつだってロウの人生の味だ。
もの思いに耽っていると扉が叩かれる音が響いた。
今日はもう来客は無い筈だ。アリスが戻って来たのかとロウは重い腰を上げた。
「アリス?」
扉の傍に立っていたのは父親と同じような年代の男だった。威風堂々とした筋肉に覆われ鍛えられた肉体は服の上からでもわかる、軍人の体格だ。見たことのない男だった。領主が雇っている傭兵かと警戒の色を濃くした。
ロウの美貌を目の当たりにした男の茶色の瞳が突然潤んだ。
「ジュリアーナ様………」
「!?」
驚くロウの前で母の名前を口にした男は跪き外聞も何もなく泣き始めた。
男はジャスと名乗った。ジャスは長い話をロウに語って聞かせた。それは両親の物語だった。両親とジャスの故郷はここよりもずっと遠い国にある。母親は高貴な血筋の大貴族の一人娘だった。対する父親は貴族の地位の末席に名を連ねるだけの貧乏貴族。二人の結婚が反対されるのは誰の目にも明らかだった。激怒したロウの祖父母から逃れるように二人は駆け落ちした。執拗な追っ手を逃れて二人が辿りついたのがこの地だった。
ロウは幼い頃に母が語ったお伽噺を思い出していた。物語の結末にしてはあまりに悲惨だ。今なら母親もお伽噺には出来ないだろう。
ジャスはジュリアーナに剣を捧げた騎士だった。当時はまだ見習いだった彼は数年後祖父に命令されてジュリアーナを探す旅に出たのだ。
「これを見て下さい」
差し出されたのはロウの記憶にある優美な短剣だった。領主に捕らえられて失くした短剣だ。手に取ればあの頃よりもロウの手に馴染んだ。
「これが闇市で売られていました。家紋を施したジュリアーナ様の短剣です。このお蔭で私はやっと手掛かりを見つけたのです」
男の目は未だに泣き腫らして充血していた。ジャスの体に緊張が走っている。不自然に力を入れ過ぎた腕の筋肉が盛り上がった。強張った顔で酷く言い辛そうに口を開いた。
「私はジュリアーナ様を見つける事が出来ました」
ロウが椅子から立ち上がった。体を前に傾けて向かいに座るジャスのシャツを掴み詰め寄る。
「どこにっ!どこに母さんはいるんだっ!?」
ジャスの目に苦痛が浮かぶ。
「ジュリアーナ様は、高級娼館に隠されておいででした。………私がお探し出来た時には、もう、助けられない状態で………最後に、貴方の事を、とても、心配されていた………」
ロウの瞳に光が失われて行く。蒼褪め体がどうしょうもなく震えた。力なく椅子に背を預け、呆然と呟いた。
「俺は、間に合わなかった………?」
ジャスは頭を床に擦り付けて平伏した。
「申し訳ありません!!私がもう少し早くお助け出来ていたらっ!!!」
どうしてジャスが謝るのだ。母親が死んだのは彼のせいではない。ロウのせいだ。ロウが父親を見捨てられなかったせいで、母親を見捨てたから。
(母さんが死んだ………)
どうして一番罪の無い者が死ぬのだ。一番弱く、それ故に犠牲になった優しい人が。
ロウが望んだたった一つの未来。
5年前に母親を救えていれば。それよりもロウが領主を殺していれば母親は生きていた筈だ。
領主への憎しみはそのまま何も出来なかったロウ自身に向けられた。
思考が赤く染まる。手にしていた短剣を鞘から抜いた。自分が何をしているか自覚はなかった。衝動のままに自分に向かって剣を振り降ろす。
気が付いたらジャスに引き倒され体を拘束されていた。鍛えられた男の体から逃れられない。熱く重い体、押さえつけられる恐怖。全身に鳥肌が立ち怖気が走る。昔の残像が蘇りそうになる。
「離せっ、………馬鹿な真似はしない」
躊躇いながらジャスはロウを解放した。床に転がったまま何度も荒い息をつく。離れた処に短剣が転がっていた。
自分に向けた殺意は消えていた。ロウは死にたかったのではない。自分を殺したかったのだ。
差し出される手をロウは拒絶した。何とか半身を起こす。傍らにいたジャスはもう一度ロウに向かって頭を垂れた。
「私はジュリアーナ様の騎士でした。ジュリアーナ様亡き今は、貴方の騎士としてお仕えする事を許して頂きたいのです」
荒唐無稽な話だ。ロウに仕えてこの男に何の得がある。誰かの主人になれる様な身分もなければ気力もなかった。
「………俺は貴族じゃない」
「いいえ、貴方は私がお仕えすべき主人です」
確信を持ってジャスはロウを見つめた。ロウは首を振るしかない。
「それは、爺さんだろ」
「出来れば、貴方を故郷にお連れしたい。閣下はきっと喜んで下さる」
顔も見たことがない祖父が存在も知らない孫を喜ぶとは思えない。それはロウにも当てはまる。
「俺の肉親はもういない」
自身で放った言葉がロウの心を抉った。悲しみがロウの目を虚ろにした。生きる気力が急激にロウの中から失われ温もりのない空洞が広がる。
見た目よりも情に脆い男は悲痛な顔をする。騎士としては優秀なのだろう。ロウを取り押さえた手腕一つ見ても無駄がなかった。もしもロウにこの男のような力量があったなら全てが変わっていた。
生きる希望も意味も失ったロウの中に一つだけ残る物があった。昏く燃える憎悪が。それを意識した途端ロウの目に力が宿った。
「あんたの主人にはなれないが、あんたに頼みがある」
落胆を隠せなかった男は肩を跳ねあがらせた。
「私に出来ることなら何なりと」
ロウは薄らと壮絶に美しく笑った。もうロウを押し留めるものは何もない。昏く燃える炎に焼かれてしまえばいい。
「俺に剣の扱いを教えてくれ」