指名手配犯のオシゴト その2
「なんだこれ」
朝ってか昼過ぎに、俺が一階のリビングに降りると、部屋は銀色の缶でいっぱいだった。
廊下まで溢れて来ているそれを適当に一個手に取って、くるくる回してみる。
と、裏のあたりに四角くて赤いシールが貼られていた。
「缶、で、赤。ペンキか?」
そう呟いた時だった。
リビングの缶の山の中から、ちびっこいのがひょっこり顔を出した。
「……イチバン。おはよう」
「サンバンか。はよ」
出て来たのは、相変わらず白いレースやリボンがいっぱい付いた黒いドレスを着たサンバンだった。
缶の山を縫ってちょっと近付くと、どうやらノートパソコンを使っているらしい。
あ、何か押した。
と思ったら部屋の隅に置いてあるコピー機がウンウン動き出す。
俺はコピー機の方にに方向転換して、最初に出てきた紙を拾った。
「『改修工事・解体予定壁一覧』?」
一番上の見出しを読み上げる。
見出しのその下には、壁の所在と着工予定日がずらっと並んでいた。
コピーが終わって、吐き出された紙は全部で五枚。
どれも一番下まで住所と日付が書かれていた。
サンバンがこっちに近付いてくる。
黒いシールが貼ってある缶と、刷毛を持って。
「……塗りに、行こ」
「せーの」
夜の十時。
ようやく全員が揃ったリビングで、俺はニバンと並んで紙を広げ、適当に声を上げた。
「イチバン」
「イチバン」
「……イチバン」
「イチバン!」
その瞬間、ビッ、と俺の紙に指が四本集まる。
隣のニバンが、きゅっと目を三角にした。
「何でよ!」
そう言って、自分が持っている紙を見る。
俺も自分の紙を見て、ニバンのものと見比べたけど。
「やっぱ、俺かな」
「うわあ! ヤな男がいるー!」
ニバンが俺をバシバシと叩く。
「だってなあ……」
叩かれながら俺がそう言うと、他の奴らも揃って頷いた。
こんな夜中に何やってたかちゅーと、絵を描いてた。
壁に何を描くかを決めてたんだ。
俺は昔から、割と絵とかを描くのが好きだったから、こういう作業は苦じゃないな。
最初はサンバンと一緒に描いてたんだけど、他の連中が帰ってくるうちに、なんやかんやでニバンと勝負することになって。
結果は見ての通り、俺の圧勝だったんだけど。
「ええ~? だめえ~?」
ニバンが首を傾げる。
持っている紙には、赤黒い血だまりみたいなのが、ぐるぐると渦を巻いていた。
こう、魔界に続く門の中とか、こういう風に描かれるよな。
「……明るい絵が、いい」
と、真っ黒な格好をしたサンバンが言うと、その隣で兄さんも頷く。
「そうだね。せっかくだしね」
「イチバンが描いた絵なら何でも素敵です。ニバンは嫌いです」
「たくさんペンキもあるしな!」
「だってよニバン。待て待てヨンバンを刺しに行こうとするな」
「離せ!」
大振りのナイフを取り出してヨンバンに飛びかかろうとするニバンを何とか止める。
リビングが血だまりになるのはゴメンだ。
猫みたいにフーフー威嚇をするニバンを、ヨンバンは笑顔で、しかしこめかみに青筋を立てながら見ている。
お前ら本当に仲悪いよな。
「まあ、何はともあれ、この絵で決定で良いな?」
『はーい』
「そいじゃ、十二時出発ってことで、よろしく」
俺が言うと、みんなは立ち上がり、各々準備のために部屋に戻った。
途中、ニバンが俺の服の裾を引っ張って、
「次も勝負よ!」
と言った。
望むところだ。俺が勝つけどな。
「はい到着」
隣の運転席で兄さんが言った。
「ありがとう兄さん。体調は?」
「うん。大丈夫だよ」
「そっか。なら良かった」
ガチャッガチャとシートベルトを外して、外に出る。
最近少しずつ暖かくなってきているけど、やっぱり夜は少し肌寒いな。
黒いバンに詰め込めるだけ詰め込んだペンキの缶をどんどん下ろして、全員で現場まで運ぶ。
「やっぱ広いなあ」
そこは線路に沿ってずーっと続く、汚い灰色の壁だった。
後ろにはシャッターが閉まった廃屋が線路に沿ってずーっと並んでいて、その裏は汚いラブホテルとかそういうのが建ち並んでいる区画だ。
終電もとうに過ぎたから、辺りは随分と静かだった。
「んじゃあ適当に線書いていくから、適当に塗って」
『はーい』
百円均一で買ってきた白いチョークで、壁の端から線を引いて行く。
横長のちょっとずんぐりした長方形を、丸く出っ張らせたり、へこませたりして、それをどんどん繋げていく。
「……イチバン」
「あ?」
不意に、つなぎの裾が引っ張られた。
見ると、サンバンが心なしか不機嫌そうにこっちを見上げている。
「……下も」
「あ。わり」
そうか、この高さだと、サンバンは届かねえか。
「あれ? でもゴバンは? 肩車とか」
「それじゃあ、高すぎるんだよなあ」
ぶっとい腕にいっぱい缶をぶら下げて、ゴバンが苦笑しながらやって来た。
確かに、ゴバンの身長と壁の高さはそう変わらない。
これで肩車をしたって、逆に塗れないだろう。
「なるほど。分かった、ちょっと待って」
そう言って、俺はぐっと屈んで一番下まで線を描いた。
へこませて、出っ張らせて。
ジグソーパズルのピースを描いて行った。
「てかこのペンキって結局誰がどうしたモンなの」
何とか端まで線を引き終わって、色塗りをしようと反対側にやってきた俺が、固まって色塗りをしている他の奴らに言うと、
「ああ、僕。僕が貰ったんだ」
と、隣で黄色のペンキを塗ってる兄さんが言った。
「サンバンじゃねえんだ」
リビングの缶の山の中に居て、工事予定の壁を表にしていたのはサンバンだ。
てっきりこいつが持って来たのかと思ったけど、
「……私が起きた時には、もうあった」
「そう」
一階に降りてきた時にペンキの山を発見したサンバンは、せっかくだし絵を描くとか色を塗るとかしてみたくなったらしい。
それで、ではどこにと考えた時に思い浮かんだのが、高架下の壁なんかに良くある、近所の小中学生が描いた、みたいな絵だったらしい。
「下地いらずの速乾性。シンナー分の少ない水性でしかも乾いても剥がれにくいすぐれもの!」
「聞いた事ねえわそんなペンキ」
俺が言うと、兄さんの向こうに居るニバンが、ちょっと身体をのけぞらせてこっちを見た。
「そうなの?」
「水性ペンキってのは付着性が弱くて剥がれやすいんだよ。刷毛目も出やすかったりする」
「刷毛目も出にくいって言ってたかな」
「ますます聞いた事ねえわ」
いったいどうなっているのやら。
俺は兄さんの足元にある蓋の開いていない缶を手に取って眺める。
銀色の太い胴体に、赤いシールが一枚貼ってあるだけだ。
隣で、兄さんがにこにこ笑う。
「世に出てないものだからねえ」
その言葉を聞いて、俺はペンキの缶を兄さんの足元に戻した。
「やっぱり」
「そんな優れ物を、オレたちが使って大丈夫なのか?」
のしのしとペンキと刷毛を持ってゴバンがやって来た。
適当に一個受け取って、蓋を開ける。
「その辺は大丈夫。売り出したりするつもりは無いんだってさ」
「それは、どうしてです?」
いきなり背後から声が聞こえて、俺は反射的に持っていた缶切りを後ろに振った。
「おっと」
「チッ……。外したか」
「ニバンが刷毛を投げてこなければ、イチバンの攻撃を受ける事が出来たんですが……。残念です」
「死んでくれ」
缶の蓋を開け切って、俺は立ち上がる。
兄さんは、楽しそうに笑いながら言った。
「そんな必要が無いくらい、彼はお金持ち……満たされているからねえ。それこそ、暇つぶしでこんなペンキを開発しちゃうくらいには……。あ、ニバンもヨンバンも、良からぬ事を考えちゃ、ダメだよ?」
兄さんが言うと、声を掛けられた二人は揃って苦笑した。
「大丈夫よ。お兄さんの友達に、手は出さないわ。お金を持ってればいいって訳でもないしね」
無謀な賭けはしないわ。とニバンが言うと、ヨンバンも、
「不本意ながら、同意です」
と頷いた。
「しかし、どんな奴だよ。そいつは」
「会ってみる?」
「……いや、遠慮しとく」
とぶん、と黄緑色のペンキの缶に刷毛を突っ込みながら、俺は首を横に振った。
興味が無い訳ではないが、文字通り世界の違う奴らだ。そういうのは。
だから、
「そういう世界を渡り歩いちゃう兄さんは、俺結構すごいと思うよ」
「わあ! ありがとう! 最愛の弟にそう言ってもらえるなんて、嬉しいな!」
「どーいたしまして」
俺はそう言って、黄色く塗られたピースの隣に、黄緑のペンキを塗り始めた。
夜中に六人で、どうでもいい話をしながらひたすらに色を塗っていく。
ニバンとヨンバンは、相変わらず隙あらば潰すみたいな雰囲気を醸しながら、この間良いカモを見つけたと揃って笑っていた。
サンバンは、ここ何日か話題になっている女子大生を狙う変質者集団の正体を付きとめたから、今度首を跳ね飛ばしに行くとぷんすか憤っていて。
ゴバンは、先日所用で自販機を投げ飛ばしたらチンピラもどきの車に当たって、喚かれたから黙らせたと豪快に笑う。
俺と兄さんはそんな話に相槌を打ちながら、次は貨物列車でも漁るかと話し合ったりした。
「こんなとこかね」
赤、黄、青、白、黒、緑、紫、橙、黄緑、水色……。
ずーっと続く意味を成さないジグソーパズルを見て、俺は頬に付いたペンキを拭った。
結果的に広がっただけだけどな。
他の奴らを見ても、顔や繋ぎはいろんな色のペンキで汚れていた。
お気に入りの小さいながらもフリルとリボンたっぷりのゴスロリつなぎが汚れてしまったサンバンは、しょぼんと下を向いている。
「この前盾を新しくしたけど、つなぎも新調するか。これを着続けるのはさすがに目立つし」
『賛成』
「お前もそう落ち込むな。ニバンがまた仕立ててくれる」
俯くサンバンの頭をぽんぽん叩いて言うと、サンバンはニバンを見上げた。
「任せて」
とニバンもサンバンの頭を撫で、ぱちんとウィンクをした。
「さて、そんじゃそろそろ帰ります、か……?」
まだ空は暗く、東の空も白み始める事は無い。
電車も動いてないし、当然人の往来も無い。
が。俺たちは、ん、と一斉に口をつぐんだ。
途端、隣に立っていたサンバンがちょこちょこと素早くゴバンの肩に乗る。
「……西から、来てる」
「だな」
微かに聞こえてくる、音。
その音の方向を探り当てたサンバンとゴバンが頷き合った。
「来ましたか」
「ふーん。意外と早いのね。頭の固い奴らばっかりだと思ってたけどそうでもないのかしら」
「いや、音出してる時点で十分バカだ。中途半端な連中だな」
俺たちはさっさと道具を放り込むと、バンに乗り込んでシートベルトを締めた。
「夜明け前にバンでカーチェイスとは、なかなかおつだな、ロクバンよ」
がはは、とゴバンが笑うと、兄さんも、にっと笑って
「そうだね」
と頷く。
「さ、飛ばすよ。シートベルトはちゃんと締めた?」
『はーい』
ぎゅんと兄さんがアクセルを踏む。
「頼むよ兄さん」
「任せなさい弟よ」
急発進したバンは狭い道で壁すれすれにUターンしたと思ったら、ジグザグと道を曲がり大通りへ向かう。
「腹減ったな……」
ガクガクと揺られながら呟く。
「でしたらイチバン。私と朝食に行きませんか? 良い店を見つけたんです。それでその後に――」
「そう言えばキッチンに野菜がたくさんあったわ! スープとかオムレツとかたくさん作るから、み・ん・な・で・食べましょう! ヨンバン以外の!」
「おお! ニバンの料理は美味いから楽しみだ!」
「……ねえ、イチバンはどっちを選ぶの? NLルート? BLルート?」
「お前らちょっと黙ってくんねえかな」
「さあ! 出るよ!」
兄さんがハンドルをぐるっと切って、黒いバンは一台のパトカーの前に飛び出した。
ずるずると背もたれに身体を預ける。
とりあえず、
「明日は何処に行くかね」