世界を救う少年~6~
翌日、俺は昨晩の成果物を手に学校へと向かった。
成果物その一:DDOのメンバーのみが持つことを許されたメンバーズカード(俺の手作りのレプリカだが)
成果物その二:俺の今までの活躍をまとめた小説(多少の誇大表現が含まれるが、その辺りは仕方ないだろう。プレゼンというのはいつの時代もそういうもののはずだ)
成果物その三:CWOの活動内容をまとめた書類(これほど活動内容を知る一般人は他にはいないだろう)
まずはこの三点を武田に渡すことから始めようと考えたのだ。なんといっても目玉はその一のメンバーズカードだ。いかにCWOと言えどもこれほど精巧なレプリカは持っていないはず。
武田も俺の情報網と予知夢の力に感服し、誰がCWOに必要な人間か身をもって知ることになるはずだ。あとの二点は予備策と言ってしまっても良いほどメンバーズカードの出来は素晴らしかった。
いつもよりだいぶ早く学校に着いたのは武田に人知れずに渡すためだ。そしてB組の前で待ち伏せていれば最速で渡すこともできる。善は急げというしな。
B組の前まで来て、人がいないか確認しようとドアに手を掛けたとき、中から武田の声が聞こえてきた。
「じゃ、早速だけど払ってもらおうかな?」
「う、うん」
どこか不穏な空気を感じて俺は音を立てないようにドアを開けた。隙間から中を覗き見る。
「きみさぁ。これじゃ、三日前に貸した分だけだよねぇ?」
「え、でもトイチって言ってたし、十日経つまでは無利子なんじゃ……」
「きみ、バカでしょ。どこぞの貸し金じゃないんだから貸した時点で最初の利子が発生するんだよ。常識だよ?」
机の上に座って足を組んだ武田が偉そうにふんぞり返ってお札を数えていた。千円札が五枚。
どうやら、武田はあの気の弱そうな男子生徒にお金を貸していて、今返してもらっているらしい。
「え、じゃあ、これでいい?」
男子生徒が五〇〇円玉を武田に渡そうとしたが、武田はその手を無下に払った。五〇〇円玉が弾かれて床に転がる。
「ホントバカだね。僕はトイチ。十時間で一割って言ったんだよ。七十時間ってことにして、諸経費込みで一万円ってとこだね」
「そんなぁ! たった三日で倍だなんてっ! 詐欺だ! 悪徳金融! 訴えてやる!」
「一体誰に訴えるのさ。きみが十八禁サイトを見て課金されたってばれるだけじゃない? 僕の貸した五千円が微力ながら役に立ってくれたんでしょ? 後は利子さえ返してくれれば誰も困らない。みんなハッピーじゃないか」
悔しさに顔を歪めて男子生徒は床に崩れ落ちた。その肩に武田は手を置いて優しく囁く。
「大丈夫。三万円も都合がついたきみならあと五千円ぐらいどうにかなるでしょ?」
「……どうにか、ならなかったから武田くんに借りたんじゃないかっ」
「お母さんのお財布にならそれくらいきっと入ってるよ。明日になったらプラス二千円だからね」
あっはっはっは、と笑いながら武田はこちらへと向かってきた。俺はとっさに自分の教室へと逃げ込み、早急に、なおかつ音を立てないようにドアを閉めた。
ぶわっと全身から汗がにじみ出ているのが自分でもわかった。誰もいない教室に、抑え込んだ呼吸が嫌に大きく響く。決定的だった。武田はCWOではない。彼らはあんな悪徳業者まがいの取引は持ちかけないし、何より、俺の第六感が絶対に違うと告げていた。
もしかしたら俺はとんでもない間違いをしていたのかも知れない。武田はCWOではなく、DDOのメンバーだったのか!
俺は放課後までの間、休み時間という休み時間はずっと武田をつけて過ごした。その結果、武田がDDOメンバーだということはもちろん、もしかしたら幹部なのではないかという疑問すら出てくる始末。ここに今日一日に武田が犯した犯罪をまとめた記録がある。
① 武田、椅子に画鋲を置く:武田は休み時間になるとクラスメイトの椅子の上に画鋲を置くというイタズラを繰り返した。クラスメイトはそのイタズラになれているのか、ほとんどの男子は号令の後に椅子を確認していた。しかし、質の悪いことに武田はちょうど金具の上に画鋲を置いているため、気づかずに座ってしまう人間が多かった。どうやら「起立」→「礼」→「ちゃくせきイッテ!」という反応を楽しんでいるらしい。喰らった人間は恥ずかしさもあって痛み倍増というわけだ。なんと残酷な。
② 武田、万引きをする:昼休みの購買は戦争と言ってもいいほど人が混み合っている。その中、武田はパンを万引きしていた。しかも形が薄く小さいビスケットパンを大きなメロンパンの下に隠しておばちゃんに見せることで会計をごまかしていたのだ。卑劣極まりない。
③ 武田、『無防備』攻撃をする:「無防備ぃ!」と叫びながら男子の股間をクリーンヒットする遊びがB組では流行っているようだった。だが、直前までの冷静さとその素早さ、そして「無防備ぃ!」と言わないで後から呟くように付け足すという技のおかげか武田の右に出る者はいないらしい。武田は一発も喰らっていないのに、喰らわしたのは今日だけで四人。ちなみに喰らった人間は死んでいた。まさに悪魔のような所行だ。
以上が本日の成果だ。魔王を蘇らせようとしているDDOのメンバーなだけのことはある。やることがえげつないと言わざるを得ないだろう。
そして俺は昨日までの俺を恥じていた。律をうらやましがるあまり、奴の本質を見抜けないとは……。はっきり言って『俺失格』だ。律にも謝らなくてはならないだろう。と同時に警告をしなくてはならない。武田がいかに危険かということを。
帰りのHRが終わった瞬間、俺は律のもとへと向かった。昨日と同じように律は俺に絶対零度の眼差しを向けてきたが、ここで怯むわけにはいかない。俺はそっぽを向いて歩き出そうとしていた律の手を取り振り向かせた。
「待ってくれ!」
「なに。話すことはありませんけど」
律が振り返り、俺をきつく睨み付ける。
「頼む。話を聞いてくれ。あれは誤解だったんだ」
「何が誤解だって言うの? 全てあんたが本気で思ってたことでしょ!」
「違うんだ! 奴は俺の考えているような奴じゃなかった! お前は奴に騙されているんだ!」
「意味がわからないし! どうせあんたは武田くんに取り入ることしか考えていないくせに!」
「今は違う! ちゃんとお前のことを、律のことを考えている! だから話を――」
「……あー、ごほん。二人とも、先生もな、校内新聞で大体のことは知っているが、そういうことはもうちょっと人目を気にした方が良いぞ。まあ、若さに任せて暴走というのも――」
律が脱兎の如く駆け出した。俺の手をふりほどき、田辺先生をはね飛ばして教室から出て行く。いつの間にか教室はしんと静まりかえり、全ての視線は俺へと集まっていた。……そうか、視線が集まると恥ずかしいということを今やっと理解したような気がした。
俺は自分の机に戻ると何事もなかったように教科書を鞄にしまい、ゆっくりと教室を出たのだった。
とは言ってもこれくらいで諦めるわけにはいかない。律がダメなら直接、武田を止めるだけだ。俺は教室を出てすぐにB組に向かった。だが、HRが早く終わったのか既に掃除が始まっており、武田の姿はない。早々に学校を後にしたのだろうか? 俺は急いで下駄箱へと向かう。
武田の靴を確認したが(調査で出席番号は確認済み)どうやら既に学外へと出てしまっているようだ。昨日、奴が律目当てで帰路を変更していたならどうしようもないが、追いかけるだけの価値はあるだろう。俺は小さく気合いを入れるとサラブレッドも真っ青なスピードで駆け出した。
武田の姿を発見したのは俺が小さい頃よく遊んでいたぞうさん公園の前だった。後ろ姿で武田だと確信した瞬間、俺は既に奴の名を叫んでいた。
武田は振り向くと人の良さそうな顔で笑顔を作った。
「あれ? 黒野くんじゃないか。どうしたんだい? そんなに慌てて」
「くだらない芝居はやめるんだな。貴様の化けの皮はとうに剥がれているぞ」
とぼけた顔でごまかす武田に俺は今日見たことを伝えた。万引きの話に差し掛かったところで武田は笑みを消し、顎でしゃくるように公園を指した。そこで話そうということか。
俺は了承すると武田の後に続く。武田はぞうさん公園のシンボルとも言える象をモチーフにした滑り台の階段に腰を掛け、悪意に満ちた笑みを俺に向けた。先の笑顔とのギャップにおぞましさすら感じるほど、酷薄な笑みだった。
「それで? きみはどうしたいんだい?」
「律から手を引け」
「嫌だと言ったら?」
「貴様が後悔するだけだ」
俺は威嚇するように学ランを脱ぎ捨てる。すると武田は思わずといったふうに笑いをこぼした。
「く、くっくっく、何をかっこつけているんだか。あのね、僕は成績優秀なんだよ。小学生の頃は通知表オール満点」
「それがどうした。そんなもの自慢にもならないぞ。俺だって主要科目は満点だった」
武田は滑稽な物でも見るかのような見下した視線で俺を見つめる。
「ばぁーかぁ。俺は全部満点。つまり体育もバッチリ。運動神経も素晴らしいってことさ。きみはどう? 見たところ運動ができるようには見えないけど」
俺は悔しさに顔を歪ませる。確かに体育は五段階中四の成績だった。身体の小ささを補えず、筋力を必要とする種目を苦手としていたのだ。
「貴様、この俺をキレさせてただで済むと思うなよ……」
「やってみろよ。この中二病が」
「貴様ぁあああああっ!」
俺は叫ぶと同時に駆け出した。その初動は弾速をも越える勢いだったはずだ。しかし、武田は紙一重で俺の拳を避けて見せた。
「へえ、なかなかやるじゃん」
「謝るなら今のうちだ」
「口だけは達者なんだね」
俺は身体を振り向かせる勢いで蹴りを出す。が、それはフェイント。そのままもう一回転すると回し蹴りを放った。しかしそれすらも左手で防がれてしまった。
「軽いよ。体重が乗ってないんじゃない?」
武田は俺の足首を持つと軸足を払った。俺はそのまま背中から叩きつけられる。
「あ、身体が小さいから体重もないだけか」
「くっ!」
俺は武田に掴まれた右足を捻り、左足で奴の手を払いのける。そのまま勢いを殺さないように立ち上がると構え直した。頬に嫌な汗が一筋流れ落ちた。
さすがDDOの幹部というだけのことはある。俺の攻撃がこうも簡単にいなされてしまうとは。こいつはかつてない程の強敵かも知れない。
「今度はこっちからいくよっ」
武田はそう言うと同時に左ジャブを繰り出してきた。俺がスウィングするように避けたところに右ストレート。だが、甘い。俺は足を使って後ろへと下がることでそれを避ける。しかし武田は休むことをしなかった。立て続けに後ろ回し蹴り、上段蹴り、裏拳と回転するように攻撃を繰り出してくる。そこにはまさにプロとも言うべきなめらかさがあった。俺はギリギリの距離を見極め、後退することでそれらを避け続けた。
「ふう、なんだ。運動神経もいいんじゃん、きみ」
「言ってろ。すぐに後悔させてやる」
今の攻撃でわかったことがある。スピードなら俺に分があるということだ。だが、やつの体術を見る限りきちんと体重が攻撃に乗っている。ウェイトの分だけ威力は奴の方が上だろう。ならば、攻撃あるのみ!
俺は重心を落としながら駆け出すことでタックルの体制を取る。武田も腰を落として身構えるが、俺の本当の狙いは違った。そのまま勢いに任せて飛び上がると膝を突き出す。体重が足りなければスピードを上乗せしてやればいい。腰を落として構えたせいで避けることはできないはずだ。案の定、武田は両手を交差するように防御の姿勢を取った。いけるっ!
ゴッ。という骨と骨がぶつかり合う音が響く。決まった――はずだった。
「甘いね」
武田は俺の攻撃に押されるどころか、押し返すように腕を突き出した。俺は空中でバランスを崩して、そのまま地面へと落下する。すぐに武田が馬乗りになって俺の両手を封じ込めた。まずいっ!
「黒野くんさ、喧嘩したことないでしょ。きみの体重の軽さと力のなさはきみが思っている以上だと思うよ? 全然痛くないもの」
武田は残酷に笑みを浮かべると俺の頬を殴りつけた。視界が大きく揺れる。
「きみの発言だしさ」
もう一発反対の頬に衝撃が来る。
「きっと香坂さんは信じないと思うんだけどさ」
今度は突き刺すように鳩尾に拳が振り下ろされる。肺の中の空気が全て吐き出され、息が止まる。視界がビニールで被ったようにぼやけ始めた。
「一応約束しておこうか。きみが見聞きしたことを香坂さんに言わないって。そうすればやめてあげるよ」
ふざけるな。俺はそう口にしようとした。が、上手く口が動いてくれなかった。視界はどんどんとぼやけて、既に武田の顔の判別もつかなくなっていた。負けるのか? この俺が。幹部とはいえ、DDOのメンバーごときに。こんな有様ではCWOにも入れてはもらえないだろう。俺はただ、地面の砂をひっかくように固く握った。
その時だった。武田の身体が横へと吹っ飛び、のしかかる体重が消えたのは。
すぐに何者かに腕を掴まれ引っ張り上げられる。俺はやっと丸めることができるようになった身体で嘔吐するように咳き込んだ。
「大丈夫か?」
低くよく響く声は聞いたことのないものだった。滲む視界を袖で拭い、隣を見ればとてつもなく巨大な身体がそこにはあった。神之宮中学の制服に包まれた身体は見事なまでに引き締まり、太く逞しかった。背は一八〇センチ近くはあるだろう。刈り込まれた頭髪は見事なまでの銀髪。俺はこいつの顔に見覚えがあった。確かこいつも一年生だった気がする。
「事態は把握している。助太刀しよう」
「なんだお前はっ!」
左肩を抱くようにして立ち上がった武田が叫んだ。巨大な男は目を見開くと威圧するように名乗った。
「F組、忠野虎牙」
「なに? お前があの……」
武田の顔が引きつる。無理もないだろう。
忠野虎牙。聞いたことがある。生ける伝説とも呼ばれる兄、忠野龍爪の弟で、入学した時点で将来の番長の座は決まっているとまで言われている男だった。兄の威厳を借りているだけではなく名実ともに一年最強とも名高い。その根拠は既に色々な噂を通じて光貴の耳にも入っていた。曰く、とある不良高校を一人で壊滅させただの、やくざに用心棒として雇われているだの。とにかく、奴と目を合わせただけでそいつは死に至るとまで言われている。そんな男がなぜ……。
「黒野光貴、助けはいるか?」
鋭い眼光が俺を捉える。どういうわけか、こいつは俺を助けようとしているらしい。俺は虎牙を見上げ吐き捨てるように言った。
「冗談は身体だけにするんだな。これは俺の戦いだ。手を出すな」
つばを吐き捨てると口の中を切っていたのか赤い塊となって飛び出した。中々良いシチュエーションだ。この状況を作り出してくれた点に関してはこのデカブツに礼を言っても良いぐらいだ。
虎牙はしばらく俺のことを見下ろしていたがやがて「わかった」と一言だけ言って一歩下がった。
睨み合う俺と武田。だが、武田にさっきまでの余裕は無いように見えた。手出しをしないと言っても俺の側にはあの虎牙が付いているのだ。うかつに手を出せないというところだろう。
やがて武田が大きく息を吐いて、左手でメガネを軽く持ち上げた。
「興が削がれたよ。ここまでにしておいてあげよう。どうせ、きみの発言なんていつもの妄言だと香坂さんには思われるだろうしね」
武田は親しい友人にでも挨拶するかのように「それじゃあ、また」といって去っていった。俺も緊張の糸が切れたのか、ふと肩の力が抜けた気がした。
「しっかり守れ」
見上げると虎牙がまた鋭い視線を放ちながら見下ろしていた。ここで負けては絶対にいけない気がして、俺も睨み返す。
「言われなくても律は俺が守る」
虎牙は値踏みするように俺と目を合わせていたが、やがてゆっくりと公園から出て行った。
「しっかり守れ……ね」
俺は脱ぎ捨ててあった学ランを拾うとぞうさん滑り台に寄りかかり空を見上げる。雲だけが平和そうに流れていた。