世界を救う少年~3~
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俺を射貫く数十の視線。意味はわかる。律はこれが嫌なのだろう。だが、理解はできない。『人は個にして全』などと言うではないか。個人として完結しているからこそ、それで全てという意味だろう? ならば、他人にどう思われようとも気にならないのが普通なのではないだろうか。……普通か。俺がもっとも忌み嫌う言葉に律ではなく俺が当てはまってしまうというのも皮肉な話だ。
俺は律の駆けていった方にもう一度目を向けた。既に彼女の姿はなく、そこにいるのは俺に対する興味を早くも失い始めた生徒達だけ。俺は小さくため息を吐くと歩き始めた。……どうやら律のため息がうつったようだ。
そもそもあれもおかしな女なのだ。幼少の頃は律の奴もCWOのことを信じていて、俺が龍を倒すためにと滝に打たれる修行をしていれば(公園の噴水を代用した)、律の奴も真似をして風邪を引き、銃弾をよけるためにとバッティングセンターで修行していれば、やはり真似をしてはこぶをつくって泣き出す始末。それでも懲りずにひたすら俺の真似をしていたにも関わらず、いつの日からか疑うようになり、仕舞いには人のことをバカ呼ばわりだ。その心変わりの早さと言ったら山の天気も裸足で逃げ出すことだろう。これが俗に言う乙女心は理解できんというやつなのだろう。
校門を抜けて校舎に入ると下駄箱の前で律が魂でも抜き取られたかのように手元を見つめていた。何をしているんだ? と疑問に思って声をかけようとしたが、同じクラスの女が律に話しかけていた。
何を言ったのかは聞こえなかったが、律は顔を真っ赤にすると手元の手紙らしき物を鞄にぞんざいにしまって、必死に否定する素振りを見せた。そのまま二人で廊下の方へと歩き去る。……一体何だというのだ?
自分の下駄箱を開けて確認してみるが、律のように手紙が入っていることはなかった。他の人間はどうかと、いくつか開けてみる。まだ登校していない奴の下駄箱にもそれらしき物は見つからなかった。
あれは一体何だったのか。ここで考えられることは三つ。
①恋文
②留年勧告
③密書
①はあり得ないので除外で良いだろう。問題は②と③だ。②の留年勧告はあいつの成績ならあり得るかもしれない。何せ、初めての中間テストで追試を受けることになったぐらいだからな。
もしもそうなら、俺が直々に教えなくてはならないのだろう。腹立たしいほど億劫だが、仕方ない。律には親父の件で貸しもあることだしな。
だが、望むべくにして最も可能性が高いのは③の密書だ。つまり、律の持つ手紙こそが『CWO』からのもので、中身は『黒野光貴と接触したい』というようなものだったに違いない。だからこそ、律は手紙の内容に呆然とし、クラスメイトに訊ねられ慌てたのだろう。
俺の下駄箱は律の下駄箱の隣にある。つまりは密書を運ぶ下っ端が、間違えて律の下駄箱に投函してしまったと考えれば合点がいく。
神と名乗るあいつが『CWO』と俺の接触を予言したのが今朝の出来事。そして律だけに何者かから手紙が来るという非日常的事象。関係がないと言う方がどうかしている。
そうとわかれば、急ぐに越したことはない。授業が始まる前に律からあの手紙を受け取るべきだろう。
俺は靴を履き替えると疾風の如く教室までの道のりを駆けていった。途中、凡庸な生徒共が俺のスピードについてこれずに、なんどかぶつかったが、優しい俺は自分が怪我することで相手を助けた。手首と膝をやられたが、仕方がないだろう。
教室へとたどり着くと、痛みを残す右手を庇って左手でドアを開ける。すぐに自分の席で俯いている律を発見。どことなくそわそわしているように見える。きっと、手紙の存在に押しつぶされそうなのだろう。やはり急いだ方が良さそうだ。
俺は一直線に律の元へと向かうと単刀直入に言った。
「手紙を渡してもらおうか」
律の反応はすさまじかった。目を見開き顔を赤くすると、ガタンと椅子を大きく鳴らし、立ち上がって俺の手を取った。俺はそのまま半ば引きずられる形で廊下に出されると二つ隣の人気のない空き教室へと連行された。ふむ、確かにCWOの話をするのに人の目を気にするのは理にかなっている。ここなら声を潜めれば誰にも訊かれる心配はない。
「何であんたが知ってるのよ!」
しかし、予想に反して開口一番に大声で怒鳴られた。ポニーテールが逆立ち、巨大なマゲのように見えるのは気のせいだろうか。
「何故って、お前が下駄箱の前で固まっているのを見たからだが」
俯き気味でぶつぶつと独り言を言い始めた律だったが、小さすぎてよく聞き取れなかった。
「そんなことより、手紙だ。あれは俺宛だったのだろう?」
律は見上げるようにして首を傾げた。
「……え? なにそれ?」
「なにじゃない。CWOからの手紙なら俺宛に違いないだろうが」
ぐずぐずとしている律に俺が苛立ちを覚え始めたのと対象に律は至って冷静に、というよりむしろ蔑んだような眼差しを向けてきた。
「……バカじゃないの?」
「バカとはなんだ! 良いから渡せ!」
「渡すわけないでしょ! あれはあんたが思っているような物じゃないの!」
「じゃあなんだと言うんだ」
「ひ、秘密ですっ」
内容に言及した途端に歯切れが悪くなったのを俺は見逃さなかった。
「お前、まさか自分だけCWOに取り入ろうとしてるんじゃないだろうな」
「だから違うって」
「律、悪いことは言わない。考え直せ。CWOの活動はお前には荷が重すぎる」
「あ、あんたはどこまでアホなのよ……」
酷く心外なことを哀れみの視線と共に言われた。
「いい加減にしろよ。そっちがその気なら俺も本気を出さざるを得ないぞ」
「だーかーらーっ! あー、もういいやっ! 勝手にしなさい!」
ぷいっと踵を返して律は教室を出て行ってしまった。一人取り残された俺は高ぶる気持ちを抑え込むように長い息を吐き出した。
「……仕方ない。実力行使に出るか」
俺が空き教室を出ようとしたとき、遅刻を決定づけるチャイムが鳴ったのだった。