世界を救う少年~2~
神之宮大学付属中等部に入学して二ヶ月。だんだんと気温も上がり、最初はちょっと肌寒かった夏服も日を追うごとにその役割を果たしてくれるようになっていた。日差しは暑いけど、風は涼しい。そんな夏とはまだ言い切れない今日この頃。私は久しぶりに光貴と通学路を一緒に歩いています。
まだ新しい学ランに着られている感ばりばりの光貴は相変わらずの目つきの悪さで前を睨み付けている。おばさん(あ、光貴のお母さんのことだよ)が「すぐに伸びるわよー」と言いながら選んだLサイズの学ランははっきり言ってめちゃくちゃ大きい。光貴は私より身長が小さいのだからMサイズでも大きすぎるはずなのだ。袖から指すら見えていないし。
そして男の子にしてはちょっと長めの髪の毛に、寝癖のようなハネが一束。これは本人曰くどうしようもないらしく、まあ、確かに私もこいつのこのアンテナがふにゃってるところは数える程度しか見たことないし、だから今日も相変わらず変な髪型で堂々と歩いているわけです。私のお母さんなどはこれが可愛いと絶賛なのだけど、はっきり言って全く理解できない。だらしがなく見えるだけだと思うけどな。
小さいし、我が儘だし、ぶっきらぼうだしで、幼なじみの私としては弟みたいな奴なんだけど、今回ばかりは困ってしまった。いくら弟みたいって言っても、同じ家に住んでいるわけじゃないんだから、毎朝起こしに行くのはちょっとめんどくさい。
私は既に今日何度目かのため息を小さく吐いた。
「お前、なんなんだ。さっきからため息ばかり吐きやがって」
光貴がつっけんどんに訊ねてくる。別に機嫌が悪いんでもなく、これが普通なのだ。あ、いや、今朝のことがあるから少し機嫌が悪いのかもしれないな。
「誰のせいだと思ってるのよ」
私があからさまにもう一度ため息を吐いてやると、さすがに感に障ったのか、光貴の目がいつも以上に鋭くなった。
「俺のせいだというのか? 貴様が俺の神聖なる惰眠を阻害したのだろうが。憤りを示すなら俺に権利があるはずだ」
というか、神聖なる惰眠ってなによ。神聖って付ければ惰眠による遅刻が正当化するとでも思ってんのかこいつは。
「文句だったらおじさんに言ってよね。というか私には感謝ぐらいしなさい」
「い、いや、それは……」
光貴は困ったように目をそらした。こいつはおじさん(光貴のお父さんのことね)が苦手なのだ。……まあ、私も苦手だけど。怖いんだもん。
そもそも、おじさんがあんな教育方針を立てたのがいけないのだ。おばさんが言うには『男子たるもの、いつまでも親に甘えるな』という黒野家新家訓が原因らしい。まったくもって迷惑な家訓だ。そんな家訓のせいでわざわざ私が起こしに来なければいけないんだから。光貴の扱いならおばさんの右に出るものはいないって言うのに。
はぁ……、明日も起こしに行かなきゃいけないのかなぁ……。おじさんにチクッてやろうかなぁ。でも、修羅場るんだよね……。めちゃくちゃ怖いんだよ。隣にまで聞こえてくるんだもんおじさんの声。なんか私まで怒られているみたいな気がして憂鬱になっちゃうし。
「全く、お前のせいで緊張感も何もあったもんじゃない」
「今までの流れのどこに緊張感なんてもんがあったのよ」
「馬鹿たれ。俺は朝からずっと緊張しっぱなしだぞ。なんてったってついに『DDO』が世界掌握に向けて動きだしたらしいからな」
……また始まった。光貴お得意の夢と現実をごっちゃにする能力だ。
「はいはい、今度はどんな夢を見たの?」
私が光貴を無視して歩き始めると「ど、どこへ行く!」とちょっと慌てたように着いてくる。距離は保ったままのようだけど。
「夢などではないっ! 『DDO』つまり『ダークダーティーオーガナイゼーション』は存在する!」
えっと日本語にすると『闇の……』まあ、いいや。どうせ大した意味なんかないだろうし(……英語が苦手なわけじゃないんだからね?)
「『DDO』は魔王の復活を目論むとてつもない組織で、その内部構成、関係組織、活動拠点など全てが闇に包まれた恐ろしい――」
「じゃあなんであんたがそんな組織のこと知ってるのよ」
「……な、何を言っている? それはもちろん、俺の隠された力が予知というか、予言というか……そう! 神から直々に伝えられ――」
「どこで?」
「……塔の上だ」
「どこの?」
「…………夢の、中の」
だんだん光貴の声が小さくなり、勢いがなくなる。こいつは頭がぶっ飛んでいるのに、素直で正直なのが良いところだ。というか、それがなければ私も早々に見切りを付けていてもおかしくない。これで嘘つきだったら、はっきり言って関わるのも嫌になっちゃうし。
「この前言ってた『DP』とは違うの?」
ちなみに『DP』とは「デッドピープル」の略らしい。どんな組織かはもう、アホらしくて忘れたけど。
「『DP』……?」
しかも忘れてるしっ! 私の脳味噌くんに無駄なこと覚えさせて自分はキレイさっぱりですか!? なんかもう、悲しくなってきたよ……。
「『DP』、『UBWO(アンノウンブレイクンワールドオーガナイゼーション)』、『NSK会(日本から世界を壊そうの会)』エトセトラエトセトラ。みんなあんたが昔言ってたあぶなーくて、おっかなーい組織だけど、どうにかなったの?」
振り向いて光貴の顔を伺うと、眉を潜めて必死に思い出そうとしていたようだが、私が見ていることに気づくと慌てて取り繕って、ナルシスト気味に眉を持ち上げた。
「ふ、あれは厳しい戦いだった。そう、まるで第二次世界大戦中に存在したという超能力兵士同士の戦いのような異能の力と現代戦力のぶつかり合い。俺の封印されし聖なる力と『CWO』の協力なければ双方共倒れになっていたのは間違いないだろうな。お前も気をつけろよ? どこに『DDO』のメンバーが隠れているかわからんのだからな」
なんつー適当な返事。そうなのだ。光貴はことあるごとに『闇の勢力』だの『世界を裏から操る悪の組織』だのと妄言を吐く。私が言ったのは氷山の一角であり、そりゃあ本人も全部覚えてなんかいられないわなと納得してしまうぐらいだ。悲しいことに。
昔から勇者ごっことかヒーローごっこが好きだったからなぁ。私も一緒になって喜んで遊んでた記憶もあるんだけどさ。いくら何でももう中学生なんだから、現実を見なさいって感じだよね。というか、成長すればするほど妄想と現実がごっちゃになってる気がするなこいつの場合。
学校の正門が見える大通りに入ると、とたんに生徒の数も増える。ひとまずこの話は切り上げないと。私が恥ずかしいし。
「わかったわかった。『DDO』も『DP』も『CWO』も存在するから。ちゃんと覚えているから。気をつけるからこれでこの話は――」
「『CWO』を一緒にするなっ!!!」
な、なんかとんでもなくおっきい声で怒鳴られたっ!?
「『CWO』、つまりは『クリーニングワールドオーガナイゼーション』はこの世界を救うことを目的とした最初にして最強の『ライティオスグループ』だ。彼らは日夜、俺たちの世界を守るため、懸命に戦ってくれている。言うならば彼らの戦いこそが『ライティオスウォー』。それを――」
「わ、わかったからっ! ちょっと、光貴、ストップ! みんな見てる……っ」
はあぁあぁぁぁっ! やっちゃったよっ! なんだか知らないけど光貴の琴線触れちゃったみたい!
「わかってないっ! いいか、律。彼らはな、俺の同志でもあるんだ。彼らを侮辱することは――」
「ごめんっ! また後でっ!」
こんな場所いられるかっ! 無理! 何で叫ぶのよっ! 私はダッシュでその場から離れた。後ろから光貴の呼び止める声が聞こえてきたけど、もうそれすら恥ずかしい。……これだからあいつと登校するのは嫌なのに! とにかく光貴の目が届かないところに行こうと私は全力疾走したのだった。