第四話 生物
二度と会わないだろうと思って別れた女と、数時間と経たずに再会してしまった時、人はいったいどう振る舞うのだろう。
少なくとも俺は真っ白になった。言うべき言葉も、するべき行動も何もない。
糸の切れたマリオネットみたいに、動けなくなった。
それは家のすぐそばのコンビニ。女を拾った道のすぐそばでもある。
「あ、いらっしゃいませ。って、あぁー! 今朝のお兄さん」
うるさい、黙れ。黙ってくれ。他人の視線や耳が気になって、思わず女の口を押さえて塞いでしまった。
しまった。余計に、怪しい。冷や汗が出る。
「お、大声出すな。迷惑だ」
そう言ってゆっくり手を離す。
「朝食買いに来たの?」
タメ語だ。俺が客だという自覚はないらしい。
無言で睨むと、不思議そうな顔になる。
だいたい何故、見ず知らずの女に慣れ慣れしくされた上に、兄さん呼ばわりされなくちゃならないんだ。
「その呼び方はやめてくれ」
「だって名前知らないもん」
女は名札を付けていた。その表記が正しければ、中島というらしい。
「井上だ」
「下は?」
「君には関係ない」
そう言うと、女は首を傾げた。
「口癖?」
そういうわけじゃない。それが単なる事実だからだ。
少なくとも俺は関わりたくない。
「それはそうと、弁当なんか買うのやめなよ、井上さん。どうせ偏食で野菜や果物ろくに食べてないんでしょ? 塩分糖分多いし、添加物入ってるし、身体に悪いよ?」
「俺は一応客なんだが」
「とりあえず私が作った弁当あげる。時間なかったから適当で超手抜きだけど、手作りだから。ちょっと待ってて」
「は?」
なんなんだ、この女。人の話を全く聞かない上に、このマイペース。
「待て。そんな物は必要ないから……」
「遠慮しないで、井上さん。じゃ、ちょっと待ってて。……カズリン、ちょっと裏へ行って来る。すぐに戻るから、暫くよろしく」
「はい、リコちん」
リコちん? 察するところ、下の名前はリコというのだろうか。そんな事はどうでも良い。
「待て。そんな弁当なんか食べてる余裕はない」
「昼に食べれば良いじゃない」
「入れ物はどうする気だ」
「この店に届けてくれれば問題ないよ。弁当箱は三種類持ってるし」
「そういう問題じゃない」
なんで、人の話を聞かないんだ。
「必要ないって言ってるんだ」
「井上さんには必要だよ。肉付き薄いくせに、下腹出て。あれはぜい肉じゃないよ。お腹にガスが溜まってるの。だから繊維質取らなきゃ。それに顔色悪いよ。ビタミンとミネラル取らないと。胃腸の調子もあまり良くなさそうだから、揚げ物はやめた方が良いよ。味付け薄めの煮物なんか良いよ、大根の。ま、騙されたと思って食べてみて」
「…………」
思わず絶句した。何故そんな事が判るんだ。しかもいつの間に、そんな分析していたんだ。俺は呆然と立ち尽くす。
そうしている間に女がピンク色の可愛らしい弁当袋を抱えて戻って来た。
「はい」
「…………」
思わず女と弁当袋をじっと見つめてしまった。
「毒とか下剤とか睡眠薬とか仕込んでないから」
「は?」
何を言ってるんだ?
「だから、安心して食べて良いよ」
「…………」
なんなんだ、この奇妙な生物は。
「一つ聞きたい」
「何? 井上さん」
「ガスが溜まってるとか胃腸が悪いとか何故判った? それにビタミンやミネラルが不足しているとか」
「だって胃下垂じゃない。それに触って確かめたし」
それって触って判るものなのか。それ以前に触って確かめるものなのか?
「あとは勘?」
……って。
「勘なのか?」
「うん。頭で考えるより、勘の方が確かだよ」
なんて滅茶苦茶な女なんだ。しかも、頭が悪い。ものすごくおかしい。なんなんだ、これ。首に縄つけずに放し飼いにして良い生物なのか。
俺は呆然と見つめてしまった。
「ところでもう七時半近いけど時間大丈夫?」
大丈夫じゃない。遅刻だ。慌てて押し付けられた弁当袋片手に、走り出した。