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第十七話 夢のような幸せ(一)

後半少々官能的(?)な表現があります。

「井上さん、良いですか?」

 昼休憩、深川が訪ねてきた。

「え、何、深川由貴奈? おい、井上、どういう事だよ」

 隣の席の同僚・梶木寿義(かじきひさよし)が肩を寄せて聞いてくる。

「後で話す」

 そう言って立ち上がる。

「メールしようかとも思ったんですけど、直接来ちゃいました」

「うん、何?」

「あの、よろしかったらお昼一緒に食べませんか? 都合悪ければ結構ですけど」

 本当は先に作っておきたい書類があったが、別に急ぎじゃないから、休憩後でもかまわなかった。

「良いよ。どうする?」

「外に出ませんか? おすすめのお店があるんです」

「判った。今、机の上片付ける。少し待ってて」

「はい」

 深川は紅潮した顔で頷く。思わず唇がゆるんだ。

「……井上」

 席に戻って、作成途中の書類を保存して終了させていると、椅子越しの背中に、梶木がのしかかってきた。

「……気色悪いから、耳元に息を吹きかけるのはやめてくれ」

「いつからそういう事になったんだよ。水臭いぞ。いつの間にどうやって口説いたんだ」

「後で話すから、離れてくれ」

「後でっていつだよ」

 昼食後はしたい事がある。

「…………」

 夜か? だけど、明日も飲む予定なのに、平日に二晩続けて飲みに行くのは少々辛い。話事態はすぐ済むと思うが、何となく絡まれそうな気がする。

「梶木、邪魔しないでやれ。今一番楽しい時なんだから」

 と、高杉が助け船を出してくれる。

 すまない、と黙礼すると、高杉はニヤリと笑った。

「じゃあ」

 と言い置いて、上着をはおり、内ポケットに財布を入れて、立ち上がる。

「バックレるなよ?」

 梶木はしつこい。肩をすくめて、深川の元へ向かった。

「ごめん、行こう」

「はい、井上さん」

 正直、人前で手を握ったり腕を組んだりするのは苦手だ。

 だけど、深川はそうするのが当然とばかりに、腕を回してくる。

 自意識過剰かもしれないが、さっきから注目を浴びているような気がして、何となく目を伏せてしまった。

「井上さん」

「何?」

「昼食、パスタなんですけど大丈夫ですか?」

「好き嫌いはないから」

 あえて言うなら、ドリアンが苦手だ。昔、修学旅行先でドリアンのジュースを注文してしまい、臭いで挫折した。あれならニッキ水――シナモン入りの甘い飲料。慣れないと匂いがきつい――を一リットル分一気飲みする方がマシだと思う。

 しかし通常ドリアンは滅多に見ないものだから、あえて申告する必要はないだろう。

「井上さんは普段何を食べてるんですか?」

「たいしたものは食べてないよ」

「例えば昨夜は?」

 何となく恥ずかしくなった。

「井上さん?」

「……いや、昨夜は食べ忘れたから」

 主にあのバカのせいで。食べる暇もなかったし、食べようという気にもなれなかった。折角のおでんは冷めてしまったし。

「え、大丈夫なんですか? 今朝は食べて来たんですよね?」

「……おにぎりを」

 昨夜食べる予定だったのを、捨てる代わりに、腹の中に入れた。惣菜は一応冷蔵庫に入れ、おでんはもったいないが、食べる気になれずに捨てた。

「え、やだ、井上さん。いつもそういう食生活してるんですか?」

 そういうわけじゃない。

「いや、昨夜と今日はたまたまで……」

「じゃあ、その前は?」

 しまった。

「立ち食い蕎麦で素うどんだった。でも、その日は遅くまで残業したから……」

 疲れたし遅くなったから、簡単に済ませたかっただけで。それだけなんだが。

 深川の顔が心配そうな表情に変化したのを見て、少し後悔した。

「井上さん」

 深川が真っ直ぐな瞳で俺を見上げる。

「う、うん」

「食事はきちんと取らないと駄目ですよ」

 それは判ってる。判ってるつもりだし、普段は本当にもう少しマシで。

 ……だけど、どのくらいマシかと言えば、五十歩百歩なレベルなのかもしれない。

 そう思うと、結局何も言えなくて。

「作りましょうか?」

「……え?」

 きょとんとしてしまった。

「私、あまり上手じゃないですけど、井上さんの現在の食生活よりはたぶん良いものが作れると思います」

「え、良いの?」

「はい」

 深川は恥ずかしそうに微笑んだ。

「井上さんが食べたいって言ってくれるなら、頑張って作ります」

 その顔が可愛くて。それに嬉しかった。

「有り難う」

 思わず顔がゆるんでしまう。俺が笑うと、深川も嬉しそうに笑った。

 心が暖かくなる。ひどく優しい気持ちになった。嬉しくて、平穏で、幸せな。

 ……そうだな。たぶんこれで良いんだ。

 時折触れる胸の感触だけは、どうしても慣れなくて、気恥ずかしくなったり、落ち着かない気持ちになったりするけど。

 高杉に聞いて、彼女と行く先を幾つかピックアップしておこう。本当は自力で探しておくべきなんだろうけど、俺はそういう観点で外食した事はなかった。いつも空腹を満たせるかどうかが価値基準になっていたから。

 今更気付いた。俺は楽しむための食事というものを、ほとんどしない生活をしていたんだな。食事時間もバラバラで、栄養バランスなんて考えてなくて。

「井上さん?」

 深川が心配そうに声をかける。

「ごめん」

 そう言って、なんとなくそうしたい気分になって、人目を確認してから、彼女の腰に手を回した。エッチな意味でなく、彼女との距離を縮めたくて。この嬉しくて幸せな気分を彼女に伝えるには、言葉じゃ足りない気がする。

「あ」

 深川の顔が真っ赤に染まる。

「い、井上さん?」

「嫌? 嫌ならやめるけど」

「あ……いえ、嫌じゃないです」

「ごめん、嬉しくて」

「……私も」

 深川は真っ赤な顔でうつ向いて呟いた。

「私も、嬉しいです」

 可愛い。すごく可愛くて。

 思わず腰に回した手に力が入ってしまって、腰骨から下腹辺りに指が滑ってしまう。

「!」

「ご、ごめん」

 焦る。だけど、一度身体を離そうとしたら、深川が腰を押し付けるように密着してきて、どきりとした。

「……深川」

 そう言って身を離す。

「え?」

 深川は不思議そうな顔をする。

「……嬉しいけど、ちょっとくっつき過ぎ。食事どころじゃなくなるから」

 すると深川は潤んだ瞳で、俺を見つめた。その目が、唇が誘っているように見えて、彼女の腰に手をかけ、抱き寄せながら、もう一方の手で、顎を掬い取るように上げさせて、そっと唇を触れ合わせた。

 彼女の両腕が俺の背中に回り、ギュッとしがみついてくる。俺は上下の唇をゆっくりと交互に食むようにしてから、舌先で柔らかな唇の輪郭を辿るように舐めて、ゆるんだ唇をこじ開けるように舌を侵入させると上顎をそっと舐め上げてから、彼女の舌を絡め取りながら、優しく唇を吸った。

 幾度か角度を変えながら、柔らかく唇を食み、吸う。優しく、ソフトに。彼女の柔らかく甘やかな唇を味わいながら。

「い……のうえ、さ、ん」

 唇を離すと、深川はぐったりと俺に身を預けて、目を閉じる。

 その髪を優しく撫でた。

 深川は幸せそうに微笑んだ。

「好き」

 そう呟いた深川を、愛しく感じて、俺は無言で抱きしめた。


今回のあとがきは、ネタバレが嫌いな方は読まない方が良いと思われます。


 ↓


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一応『夢のような幸せ』は間に合コン話を入れて計三回となる予定です。

今後の展開を全く匂わせないサブタイトルはキツイだろうと思い、こんなサブタイトルを付けてみました。

あからさま過ぎず、しかし匂わせておきたいと考えた結果のつもりなんですが、成功しているかは謎です。

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