第一話 変な女
俺はお人好しでも博愛主義でもなんでもない。なのに、何故こんなことになっているんだ。
あえて言うなら、猫は好きだ。でも飼うなら犬の方が良い。
どちらかと言えば、女は物静かで女らしく聡明で、できることならば美人の方が良い。
二級建築士の資格は一応取得しているけれど、一級建築士資格は二度落ちている。
再来年三十歳になる予定の独身、大学卒業後すぐに別れて以降恋人なし、の俺、井上覚は変な女を拾って、今、途方に暮れている。
「あのね、そういうわけだから、一晩だけ泊めてください」
目の前の女はそう言ってペコリと頭を下げた。ふわふわの柔らかい茶色の髪が揺れて、甘いシャンプーの香りを鼻孔に届ける。
「何故だ?」
理解できなくて、納得いかなくて尋ねると、女は眉間に皺を寄せた。
「だから! 部屋中どこもかしこも水浸しなんです!! 上階の住人のせいで!! 今日寝る場所がないんです!!」
「それはさっきも聞いた」
そうじゃなくて。
「じゃあ、なんで聞き返すんですかっ!!」
キッと睨みつけて、女は怒鳴る。
「事情は判った。だけど、何故俺に言う?」
「そんなの、あなたしか目の前にいないからに決まってるじゃないっ!!」
泥酔しキレた女の叫び声は、仕事に疲れてささくれ立っている俺の耳には痛すぎる。
ハンドバッグで殴り付けられ、俺は顔をしかめた。
現在住んでいるマンションはすぐ目の前。歩いて五分かからない距離だ。
そろそろ十一時になろうとする時刻。道端で泥酔し、泣きながらうずくまる女を見つけて、つい声をかけてしまったのが、運のつき。酔っ払いには、道理も常識も、全て無意味だ。
ため息をついて、立ち上がる。……疲れた。
「ちょっと!?」
女が悲鳴を上げる。
いちいち説明するのも面倒臭い。諭してやる程の気力もなければ、女をホテル等の宿泊施設に連れて行って置いてくるだけの余裕もない。
俺は今すぐ家に帰って寝たい。心底思った。二度と道端に落ちている変なものは――特に生物――今後は決して拾うまい。触れず、話しかけず、見て見ぬふりをしよう。君子危うきに近寄らずだ。
「すぐそこだ。一晩だけなら泊めてやる」
こんなにお人好しな質じゃなかった筈だ。しかも、目の前の女は好みでも何でもなければ、知り合いですらない。
青天の霹靂。俺にとって不意に降って湧いた災難だ。
これ以上話をしても会話すら成立しない。無駄な労力を払って、無駄に気力と体力を消耗したくなかった。
見るからに怪しげな女に、手を差し出してしまったのは、心身疲れきって思考能力が低下していたからに違いない。
おそらく、俺はその時、酔っ払いと然程変わらぬ思考能力、意識レベルにあったとしか思えない。
気の迷い、気の緩み、疲労、倦怠。
俺はその変な女を連れ帰って、まだ何かごねてぐずる女をソファに寝かしつけて、布団をかけてやり、スーツを脱いでハンガーにかけ、全て脱いでベッドに潜り込んだ。
泥のように重かった。夢も見ないで熟睡した。
やめておけば良いのについ書いてしまいました。
井上覚と中島理子出会い編。