Part,15
リネドラルドを離れて三週間。三人はようやくミルドラッドに到着した。
「きれい……」
「お前って、そればっかりだな」
感嘆の声をあげるまりいの隣でショウが苦笑する。もっとも、今回は彼自身納得せざるをえなかったが。
三人がいる国、カザルシアには二つの主要都市がある。一つは王都であるリネドラルド、もう一つはここミルドラッドだ。リネドラルドは活気があふれいかにも『都市』という感じだった。だがここは『華やか』より『清楚』という言葉がふさわしい。さすが水の都と言うべきか。
「シェリアって、こんなきれいな場所で育ったんだ」
「うん。……でも、昔はもっときれいだったのよ」
応えた友人の声が、心なしか沈んだようにみえて。
どうしたんだろう。まりいは隣にいる友人の顔をまじまじと見つめ、ある事実に思い当たる。
ミルドラッドにたどり着く。それは三人の旅の終わりを意味していた。
元々シェリアを、公女様をミルドラッドまで護衛するということが今回の役目、任務だった。どんなにそれらしくない振る舞いをしていたとしても、彼女は公女様なのだ。はたしてこれから先この友人と出会うことはあるのだろうか。
どうして気づかなかったんだろう。もしかすると、これがお別れになるかもしれないのに。
「大丈夫よ。これがお別れにはならないわ。アタシがそうさせるもんですか!」
まりいの表情に気づいたのだろう。公女様が安堵させるように笑った。
「ここはまだ街中だ。護衛っていうのは対象者をを安全なところまでお連れすることを言うんだ」
公女の言葉を肯定するようにショウが続ける。
「最後まで責任もって護衛しろ。シェリアを城内まで連れて行く。それがシーナの役割だろ?」
「うん……」
ショウの声にうなずくも、まりいは胸の中に漠然とした不安を感じていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お初にお目にかかります」
ほどなくして。三人はシェリアの父親、つまりはミルドラッドの公主と対面することとなった。
「リネドラルドの王から話は聞いておる。ショウと言ったな。娘をよくここまで連れてきてくれた。礼を言うぞ」
「光栄です」
正装をして使者らしくなったショウとまりいが礼の形をとる。もっとも彼女の場合、持ち合わせがなかったためショウの服を借りることとなったのだが。
「お母様。こちらの方にもお世話になりましたの」
ドレスを着てすっかり公女様然としたシェリアが笑いかける。さすが公女様。それまでの町娘然といった雰囲気はかけらもない。
「一人では心細かったから。本当にお二人にはなんと礼を言っていいのか」
半ば瞳を潤ませ、優雅に笑いかける様は、先程とは同一人物には見えない。やはり、彼女は公女様なのだ。二人うなずくと、視線を公女から別のものに向けた。
「そうですか。そなたにも苦労をかけましたね」
「そんなことないです……」
二人と話せるようになったからとはいえ、完全に人見知りがなくなったというわけではない。半ば消え入るような声で会話をしながらも、まりいは一種の違和感を感じていた。
どうしたんだろう。この人達、変だ。
確かに会話は成り立っている。だが、何かが違う。まるで心ここにあらずと言ったような。リネドラルドの時とはまるで違う。それとも王族とはこのような人達のことを言うんだろうか。
「お父様。わたくしお礼がしたいの。ですから、もうしばらくこちらに滞在していただいてもかまわないでしょう?」
鈴を転がすような声でシェリアが言った。公主は一度だけ自分の娘を見ると視線を二人に向ける。
「長旅で疲れただろう。部屋を用意しているからそこで休むがよい。報酬はおってよこす」
「お心遣い感謝いたします」
淡々とした声。
(シーナ!)
ショウに肩をたたかれ、二人して再び礼の形をとる。
「わたくし、二人をご案内します――」
「シェリア。あなたには話があります」
公女の声を妃がさえぎった。こちらも感情のない淡々とした声――に聞こえるのはまりいの気のせいだろうか。
「――わかりました。ではお二人とも後ほど」
ドレスのはしをつかみ優雅に一礼するとシェリアは両親の元へ歩く。
こうして二人は公女様と別れることとなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
公主にあてがわれた部屋の中で、まりいはずっと考えごとをしていた。
あれが親というものなの? あれじゃまるで――
「どうした?」
ショウに言われ、まりいははっと顔を上げる。
「どうもしてない」
「だったらいつまでそうしてるつもりなんだ?」
まりいは部屋に立ち尽くしたままだった。
「あの人達がシェリアのお父さんとお母さんなんだよね」
あらかじめ用意してあったイスに座りながら、まりいは二人のことを、シェリアの両親を思い浮かべる。
「王様みたいなものだしな。それなりに思うところがあるんだろ」
「でも……」
「お前の世界じゃ、こんなことってないのか?」
ショウの意図するものがわからず、まりいは首をかしげる。
「身分とか、そういうの」
「……わからない。でもあまり関係なかったと思う」
まりいが答えると彼は小さな笑みをもらした。
「いいな。それって」
「え?」
まりいは再び首をかしげる。それを見てショウは苦笑した。
何を言ってるんだろう。こいつにそんなことを言っても仕方ないだろ。
「なんでもない。あ……」
「どうしたの?」
振り返ると、そこにはシェリアがいた。
「さっきはごめんなさい」
そう言って頭を下げる。いつもよりしおらしいのはドレスを、正装をしているせいだろうか。
「いいよ。お父さんとお母さんとの大事な話だったんでしょ?」
「うん……」
それでも公女様は頭を上げようとはしなかった。
「何かあったのか?」
それまでの一連を見ていたショウが声をかける。ぴくりと体を振るわせた後、シェリアはぽつぽつと言葉を紡いだ。
「ケンカの原因がわかったの。ラズィアの領主と結婚するか寄宿学校へ行って時期公主としての務めをはたすか今すぐ決めろ……ですって」
『な……!』
あまりのことに、まりいはおろか、ショウすら声をかけることができなかった。
確かに両親の仲が悪いということは聞いていた。だが、ケンカの原因ももちろんだが結婚に公主など。目の前の少女にはあまりにも過酷ではないか。
「アタシね。これでも頑張ってきたの。アタシが頑張れば、公女様らしくしてればお父様とお母様と仲良く暮らせるんじゃないかって」
唇のはしを上げて、公女様は笑う。だがそれはとても痛々しいものだった。
「三人でどこかにでかけたり誕生日を祝ってもらったり。
子供じみてるって思うでしょ? でもアタシにとってはささやかで、でも何よりも大切なことなの。でも現実は違う。……バカみたい」
「シェリア、もういい」
悲痛とも言えるシェリアの声に、まりいは首をふった。
「公女って何? 国を治めるための道具? 名前も知らない人にあてがわれる人形?」
「もういい――」
それが限界だったのだろう。シェリアはまりいにすがって肩をふるわせた。
「アタシ、誰かと結婚するために、国を治めるために生まれたんじゃないわ!
親子三人で生活することがそんなにいけないことなの? アタシの人生って何なの!!」
前に泣いたのは、まりいを助けてくれた時だった。今、彼女の瞳に宿るのは冷たくて悲しい涙。
何も言えず、まりいは目の前の少女をぎゅっと抱きしめた。
自分にしがみついてむせびなく少女。まりいはおろか、ショウですら声をかけることはできなかった。
声を出せるようになったのは、しばらくしてからのこと。
「……落ち着いた?」
「ん……」
涙をぬぐうとシェリアは立ち上がった。
本来なら何か言うべきなのかもしれない。だが、まりいにはそれができなかった。
「ごめんなさい。これじゃいい迷惑ね」
苦笑すると扉に手をかける。
「今日は休むわ。二人ともおやすみなさい」
「部屋まで送ろうか?」
「一人で大丈夫。だってここはアタシの家だもの。大事なお客様にご迷惑をおかけしてはいけないわ」
ショウの言葉を丁重に断り公女様は微笑んだ。
そう、ここはシェリアの家。広くて豪華で、でも空っぽで。
「シェリア!」
去り行く後姿に、まりいは声をかけた。
何か言わなきゃいけない。でも、なんと言えばわからない。
「明日、街を案内してくれない?」
そう言うのがやっとだった。
まりいの気持ちが伝わったのだろう。シェリア様は少しだけ笑みを浮かべる。公女としてではなく、彼女本来の笑みを。
「まかせて。どこだって案内してあげる。ここはアタシの庭なんだから!」
部屋を訪れた時とはいくぶんか明るい表情で出て行く。だが、まりいはミルドラッドを訪れた際に感じた不安を打ち消すことができなかった。
この後、まりいはシェリアを一人で帰らせたことを後悔することとなる。