Day 2-2
> “神樹の地下迷宮 ── 大穴の底”
黒く焦げた木の根に囲まれた大穴は、深さ十メートル、半径三十メートルほどの
広さがあった。緩やかなすり鉢状の大穴の中心には台座があり、その上に黄色に
輝く宝玉が置かれている。
そして、台座を守るように地中から現れた砂巨人と狼の獣闘士との戦闘は、
すでに五分以上が経過していた。
上半身しか姿を見せていないにも関わらず、砂巨人の全高は五メートルを超えて
おり、《発光》に照らされた姿は威圧的だった。
砂巨人が長い両手を組んで上段に振り上げ、獣闘士に向かって叩きつける。
サイドステップでを回避した獣闘士は、砂でできた腕に向かって右手の
幅広剣を突き刺した。
獣闘士による攻撃に怯むことなく、巨人は姿勢を戻すと、右腕で前方を薙ぎ払う。
身を屈め、左腕の小盾を眼前に構えた獣闘士は、バックステップで衝撃を
弱めつつ距離をとった。
「ワンコさん、いったん退きましょう」
「“おう。仕方ねえな!”」
“夜兎”を離れた場所に待機させて、“Wanco”と砂巨人の攻防を観察していたけれど、俺とワンコさんだけではかなり分が悪い。《分析》の能力で一通り開示された情報からは、有効な攻略法を考え付かなかった。
獣闘士を大穴の北端まで退避させたワンコさんが、戦闘終了のログと共に地中に沈んでいく巨人を見ながら、腕を組んで唸る。
「やっぱり、喉のところの赤いの狙わないと駄目そう?」
「ええ。ただ、《火焔槍》は効かなかったですし、剣は届きませんでしたね」
「冷気属性は?」
ワンコさんの質問には、首を横に振らざるを得ない。“夜兎”は冷気属性を捨てて、炎熱属性を強化してしまっている。
あとは、戦わずになんとかやり過ごす方法を考えるか。
「奥の台座には近付けそうですか」
「援護があっても難しいなー。せめてもう一人、落っこちてきてくれるといいんだけど」
ワンコさんは北側の階段の上、プラザナードの方を見上げた。ワンコさんと合流してから十分ほど経っているけど、その間にこの地下通路の谷間を通ったのは、スーツ姿の男性が数人だけだった。
「昨日と違って、開始時間バラバラだからなー」
と、ワンコさんが言ったのと同時に、エリアマップの反応が増えた。視点を操作して新たに落ちてきたプレイヤーキャラを確認すると、それは神職系の呪歌道士だった。
“Macro”という名の呪歌道士は小さな竪琴弓を構えて癒しの呪曲を奏で始め、火と落下によるダメージを回復していく。
階段の上から数人の話し声が聞こえてきた後、しばらくしてから金髪の青年が下りてくる。
七分丈のモスグリーンのズボンに、白いタンクトップを着た青年は、階段の途中で立ち止まると、右手に持ったパッド型端末の画面を見ながら頭を掻いて、ぼそりと呟いた。
「ハッ、“美女と野獣”かよ」
◇ ◇ ◇
「久しぶりー、マクロ君」
「あー、ゴールデンウィークのイベントが最後だったから、三か月ぶりスか」
知り合いだったらしいふたりは軽く挨拶を交わした後、揃って俺の方を見た。
「喜多ちゃんの親戚、ヤジ君だよ。こっちはマクロ君。渋谷の情報屋さん」
「はじめまして」
ワンコさんの紹介に続いて会釈をしたものの、彼は黙ったままこちらを睨んでいる。何かあったかなと疑問に思っていると、彼はゆっくりと口を開いて、
「……親戚ってことは、“Kitty”狙いの不正改造者って訳じゃないのか」
いきなり不穏当なことを言った。喜多さん狙いってどういうことだ。変な連中に狙われてるのか。
聞き返そうとしたとき、横からワンコさんが口を挟んできた。
「マクロ君、マナー違反よー」
「いや、済まねえ。わざわざ九州から来たプレイヤーがアイツに絡んでるもんだから、勘違いしちまった」
金髪の青年は、また頭を掻きながら、こちらに向かって軽く頭を下げた。
「ヤジ君、あんまり気を悪くしないでねー。マクロ君てば、まだ日本語上手くなくって」
「オレ日本人ですけど? 髪染めてるだけスけど?」
「あれ、本名サム・マクロードじゃなかったっけ」
「岩蔵真玄と一文字しか合ってねえよ!」
俺を放置して漫談を始めるふたり。というか、ワンコさんの一方的な弄り倒し。
放っておくとまだ続きそうだったけど、今の空気が変わらないうちに、と彼に話しかける。
「いくつか聞いてもいいですか、マクロさん」
「さんはいらねえや。キャラ名だしな」
何から聞けばいいのか少しだけ迷い、とりあえず互いの素性についてはっきりさせることにした。
「九州から来たって、どうして知ってるんですか?」
「そりゃまあ、情報屋だしな。“天神迷宮”を一人で踏破した正体不明の妖術士、不意打ちの効かない魔物狩りっつったら有名だぜ」
そんな噂になっているとは知らなかった。尾ひれがつくにも程があるんじゃないか。特に後半。そんな能力があったらぜひ欲しい。
「知り合いにプレイヤーいなかったんで、何十回と挑戦してようやく、ですよ」
「ふーん?」
「……ていうか、情報屋って、“幻想世界”のですか」
マクロは一瞬不思議そうな顔をした後、真面目な顔に戻って答えた。
「そりゃそうだろ。情報屋なんて、実際にいるわけねえって。いても興信所に毛が生えたような連中だろうし、オレ学生だしな」
「はあ」
なんとなく雰囲気から勘違いしてしまったけど、確かにそんなものかもしれない。続きを促すようなマクロの視線を受けて、最後の質問をする。
「“喜多さん狙いのチーター”って、何の話です?」
マクロがワンコさんの方を窺うと、彼女は不機嫌そうに口を尖らせ、彼を睨みつけた。しかし、迫力ないな。
「本人の居ないところで勝手に話すのはどうかなー」
「つっても、アイツのフレンドに何も話さんわけにもいかんでしょう」
「元はと言えばマクロ君が変なこと言うからでしょ」
言い争いを始めたふたりを、どうしたものかと見守っていると、ポケットの中の携帯電話が震えた。電話を取り出して、親戚かつ同級生からの着信に応答する。
「もしもし。喜多さん?」
『ん。そっちはどんな感じ?』
「台座と“第六の鍵”っぽい宝玉は見つけた。でも、砂の巨人に邪魔されてる」
『そっか。こっちは都庁前で水路のパズルに詰まっちゃってて。他のパーティの人たちと協力してるんだけど、もうちょっとかかりそうな感じ』
「わかった。俺の方もなんとかできないかやってみるよ」
電話を切ってポケットに戻すと、静かになったふたりの方を見る。
「意見、まとまりました?」
「クエストの途中だし、もう終わってる話だから、ざっと話すだけにするぜ」
「いま何か問題が起きているってわけじゃないんですね」
マクロは頷く。現在進行形の話でないなら、無理に詳しく聞き出すこともないか。
◇ ◇ ◇
マクロは鞄から取り出したペットボトルの水を飲んでから、改めて話し始めた。
「もう知ってるかもしれないが、アイツは鼻が利くっつーか、勘のいい奴なんだ」
「……勘?」
「“幻想世界”である行動をとったときに、それによって何らかの変化が起きたかどうか。簡単に言っちまえば、“隠しフラグ”とか“隠しパラメータ”とかが変わったかどうかが、漠然とわかるようだな」
ワンコさんは軽く頷くだけで、口を挟まない。どうやら出まかせの話ではないようだ。
花園神社──フラワー・ガーデンのミッションを思い出す。あの特別報酬も“勘”で気付いたってことなのか。
「で、一年くらい前。その話をどこからか聞きつけたチーター共が、アイツを同類だと思ってチームに勧誘したんだ」
つまり、俺はその連中の同類だと思われたわけだ。つい、マクロを見る視線に非難がこもってしまう。
「ああ、悪かったってばよ……だけど、アイツの勘ってのはそんなに便利なモンじゃなかった。遠隔操作だと全然わからないし、“隠しパラメータ”にどんな意味があるのかもわからない。調子に乗ってフラグ立てていったらクエスト失敗のフラグだった、とかな」
なるほど。どういう行動をとれば正しいのかがわからない以上、結局は、とにかく何でもやってみる必要があるわけだ。
「そんなだからアイツは、相手がチーターだろうがそうでなかろうが、どれだけ誘われてもどこかのチームに入るってことはなかった。それをよく思わなかった連中が、あることないこと言いふらし初めやがって」
勝手に勘違いした上に逆恨みとか、迷惑な話だな。その時のことを思い出していたのか、マクロは苦い顔で言葉を続けた。
「姐さんとオレのチームで連中の尻尾を掴んでアカウント停止させたり、噂を鎮静化させたりで、ようやく落ち着いたのが春先くらいか」
「どうしてそこまでして、喜多さんを助けようと?」
その質問に対して、ワンコさんはニヤリと笑った。マクロは明後日の方向を向いて、小声で答える。
「まあ、いろいろあンだよ」
「マクロ君が喜多ちゃんを好きだからに決まってるだろ、言わせんなはっずかしぃー!」
「ちげーよ!」
なるほど。
「オマエも納得すんな!」
◇ ◇ ◇
装備とスキルに関して一通り情報をやりとりした後、俺たち三人は再び砂巨人への挑戦を始めた。
「ホントに前衛で大丈夫なのねー?」
「ええ。そろそろ体力ヤバそうですし、俺が前に出ますよ」
何度か直撃を食らいながらも巨人の攻撃を引き受けていた獣戦士と交代して、
妖術士が前進する。右手に錫杖、左手に発動したばかりの《理力障壁》を構え、
砂巨人の正面に立つ。
後退した獣戦士は、呪歌道士の癒しの呪曲で少しずつ回復していく。
呪曲による回復が終わるまで一分弱。その間、後方からの支援は期待できない。
まあ、さっきの戦闘で攻撃のパターンは把握できているし、“Wanco”が復帰するまでなら耐えられるだろう。
手元の液晶画面を見ながら、攻撃の回避に集中し始める。半歩左、上方から短い雑音。
砂巨人が左腕を真上に振り上げるのと同時に、妖術士は右に一歩ステップする。
一拍置いて、左腕の肘から先が地面に叩きつけられ、砂塵が舞い上がった。
妖術士は錫杖で胴体を攻撃しながら、巨人の左腕と胴体の間に体を滑り込ませた。
「ヤジ君!?」
回復を待ちながら画面を見ていたワンコさんは驚いているけど、次の攻撃に対してはここが安全地帯だ。
しかし、やっぱりコアを狙わないとダメージ与えられないか。
砂巨人は上体を右に捻り、振り被った右腕からストレートを放つ。
しかし、左腕の陰に位置する妖術士には当たらない。
両腕はそのまま外側へと薙ぎ払われ、開いた空間に妖術士だけが残された。
砂巨人は両腕をさらに広げ、攻撃の準備体制に入る。
左右から迫る雑音の波に、距離を取って回避するだけの時間が無いことを悟る。なら、一か八かで。
妖術士は砂巨人の胴体に密着し、反対側を向いて《障壁》を構え、屈み込んだ。
数瞬の後、大きく広げられた砂の腕が、勢いよく打ち合わされる。
発生した衝撃によって《障壁》が砕かれ、妖術士の体力が四割ほど削られた。
シールドが無かったら一発で戦闘不能だな。相手が硬直している間にもう一回張っておかないと。
“夜兎”を移動させつつ、ショートカットから《理力障壁》の詠唱を選択。ついでに状況を確認する。
「回復、どんな感じですか」
「あと半分。オマエ、無茶するなあ」
「次はちゃんと避けますよ」
有言実行。両腕による叩き込みを食らわないように距離を取って、攻撃の回避に専念すること数十秒。
二度目の大技を余裕を持って避けたところで、回復を終えた“Wanco”と交代する。
これでも駄目なら、回復薬を使ってもう一回前に出ないと。
再び獣戦士による防戦が始まった。
二回の接近戦と妖術士の戦い方を踏まえて、獣戦士はほとんどの攻撃に対して
小盾を使わずに回避する。
攻撃をかわされた砂巨人の隙を狙って竪琴弓から放たれる矢は、赤い核に
吸い込まれるように次々と突き刺さり、少しずつ輝きを奪っていく。
「行けそうですね」
「だな。あと何発かで終わりだろ」
マクロのその言葉の通り、再び俺の出番が来ることはなかった。止めの一撃で砂巨人は動きを止め、形を失って崩れていく。
◇ ◇ ◇
“大地”の紋章が刻まれた台座から黄色の宝玉を手に入れ、“第六の鍵”入手のミッションを達成したことを確認する。
「フラグ管理どうしてるのか謎だが、三チームともミッション達成になったな」
「“うむ。後はここからどうやって脱出するか、だな”」
“鍵”を手に入れても大穴の状況は変わらず、どうやら他のメンバーを待つ必要があるようだった。
迂回組の状況を確かめるためにワンコさんが電話をし始めたところで、マクロが話しかけてきた。
「しかしアレだな。妖術士のくせにあれだけ接近戦できるんなら、“天神迷宮”の話も頷けるな」
そうは言いつつも、マクロは不信の表情を隠さない。まあ、殴り妖術士なんてどう考えても間違った方向性だしな。
「敵のパターンを覚えるのは得意なもんで」
なんか反応が早すぎんだよな、というマクロの言葉には、答えないでおく。喜多さんの親戚とはいえ、初対面の相手のことを何もかも信用するわけじゃないだろうし。
液晶画面に“夜兎”のステータスを表示させて、彼に向けて見せる。体力の低さを機動力と防御力でカバーしつつ、隙を作らないように《移動詠唱》を修得している。
「なるべくソロで戦えるように技能を選んでありますけど、毒ブレスとか使う相手だとまず勝てないですね」
画面に顔を寄せてしばらく睨んでいたマクロは、まあいいや、と呟きながら姿勢を戻すと、真剣な口調になった。
「さっきの話だけどよ。オレとか姐さんとかが裏でアレコレしてたってのはアイツに言うなよ」
「喜多ちゃんには内緒でね」
知らないなら、わざわざ教えることでもないよな、と俺は頷いた。