Day 2-1 TOMOKI
追加背景“魔物の研究者”
──世界を旅する妖術士には、各地にはびこる魔物の生態や弱点を研究し、編纂して後世に残すという目的があった。彼女は未踏破の地下迷宮の話を聞いて、大人しくしていられるような性格ではなく──
◇ ◇ ◇
> “代替現実 適用外区域”
薄曇りの空の下、荻窪から青梅街道沿いに走ること四十分。高層ビルの下にある西口自転車駐輪場に、俺と喜多さんは到着したところだ。
管理人に百円玉を渡して、駐輪場の中に入る。定期を持っている喜多さんは慣れたもので、もう自転車を置いて戻ってくるところだった。
「昨日も一緒だったけど、あの子同級生?」
「あ、ヤジ君は親戚っす。同級生になるの、かな?」
喜多さんと管理人との会話が漏れ聞こえてくる。ちゃんと同級生だから、疑問形にしないでもらいたい。
しかし、昔のあだ名なんてよく覚えてたな。と改めて感心しながら、自転車を乗せたレールを持ち上げて、上の段に滑り込ませる。置いた場所をもう一度記憶に留めてから、喜多さんと一緒に駐輪場から出た。
「この辺のビルって、どこが一階だか謎だよな」
中央通りを東に向かって歩いている途中、上の方を南北に横切っている道路を見ながら呟く。その道路の手前までは地上なのに、そこから先は、段差も無いのに地下通路になっている。
「貯水池があったんだってさ。確か、淀橋浄水場だったかな」
似たような名前の家電量販店を連想しながら、地下通路を進む。右側にある動く歩道は、節電のために停止中らしい。
左側に見え隠れするビルの地下フロアを眺めつつ、地下通路の地図を頭に思い浮かべる。
昨日の探索で、新宿駅の東側はサブナードを除いてほぼ調べ終わっている。水路になっていた副都心線沿いの通路では、南北それぞれの端で地上に出るための隠し区画を発見できたものの、それ以上の発見はなかった。
今日探索することになるエリアは、大体予想がついている。昨日手に入れたのが“第四の鍵”で、今朝の六時に通知されたミッションのひとつが“第四区画”の探索だった。
祭壇の周囲には六つの扉があって、北東側が“第一区画”。順当に考えれば、“第四区画”はちょうど反対側の南西方向になる。
そしてもうひとつ。
『折角だから、ヒントを出しとこか。“一、四、九”。じゃあ、また明日な』
あの臨時サブマスターが、花園神社で別れ際に告げた言葉が、予想の裏付けになっている。
◇ ◇ ◇
> “神樹の地下迷宮 ── 六鍵祭壇”
「では、始めますね」
智樹君がそう言った後、ゲーム機の液晶画面で祭壇の中央に立っていた開拓士が、緑の珠を頭上に掲げる。骨伝導ヘッドホンから流れる低い音と共に画面が揺れ、“第四区画”のエリア解放メッセージが表示された。
エリアマップを確認すると、昨日進んだのとはちょうど反対側、南東の扉が通れるようになっていた。
──“大地の楔の座を空けよ。楔は根の檻の中、水の流れを追って正しき道へと至れ”
祭壇上に新たに出現した光る古代文字を、智樹君が解読する。情報ログを見ながら考える素振りを見せていた喜多さんが、すぐに顔を上げて言い放った。
「あんまり考えることなさそうじゃない」
そうだろうか。確かに、“大地の楔”とか“根の檻”とかは、いまいちはっきりしない内容だけど。
「後半なんか重要そうだけど?」
「“神樹区”の西側で水が関係している場所というと、“恐怖ヶ原”の滝くらいですかね」
「あー、確かにあったような」
恭介さんが挙げた“恐怖ヶ原”は、現実世界では新宿中央公園の辺りになるはずだ。フラワー・ガーデンの泉から地下水路に水が流れていたことを考えれば、その滝が関係している可能性は高い。
「何にしても、行ってみないことには始まらないか」
「そうですね。とりあえず移動しましょうか」
ヘッドホンの音量を調節し、ショートカットを探索用に切り替える。“トモキ”に追随するように設定して、準備が完了したことを智樹君に伝える。
昨日と同様に、開拓士を先頭に扉へと向かう。
南西側の扉の先には、反対側と同じような広い幅の通路があった。
通路は南と西に延びているが、南側は少し先で西向きに曲がっている。
「南はイベント広場の辺りだね。どっちに進もうか」
「昨日と同じで、左手優先で行きます」
喜多さんの問いかけに迷わず答えて、智樹君は移動を再開する。パーティリーダーとしての意思決定にもだいぶ慣れてきたようだ。
南側の通路の先、正方形の部屋の中には、古い棚や壺、壊れた木箱などが雑然と並んでいた。
中央にある太い柱が、この広い部屋の天井を支えていたようだが、
時の流れと共に積み重なった土砂が、部屋の半分を押し潰している。
「行き止まりみたいだけど、これは移動しないと調べられないかな」
「ん、じゃあ、先行って調べてみるー」
白地図に情報を書き込みながら呟くと、喜多さんの返事と共に、三人が荷物を持ち上げる気配がした。
いや、置いていかれるとちょっと悲しいものがあるんだが。
急いで書き込みを終え、地図を畳んでショルダーバッグに入れて、三人の後に続いて歩く。
新宿駅西口イベント広場は、ロータリーと南側の地下街との間にある広いスペースで、展示や物販などのイベントがほぼ毎日開催されている。
人の流れを邪魔しないようにガラス扉の内側に入ると、上の方からいつもの前兆が聞こえてきた。
すぐにショートカットから“不意打ち注意”のメッセージを送り、怪しそうな場所にゲーム機を向ける。
「不意打ちってどゆこと?」
喜多さんが横から画面を覗き込んで、すぐに嫌そうな顔になる。あちこちから木の根が張り出した天井に、黄色と黒の斑模様の巨大な蜘蛛が数匹張り付いていた。
「……ヤジ君が寝てる離れの部屋、むかし私が使ってたんだけど、起きたら天井にでかいのがさ」
「あー、言わなくていい」
《火焔槍》を準備。ロックオン、トリガー。
◇ ◇ ◇
> “神樹の地下迷宮 ── 第四区画”
元は広いアーケードだったであろう場所は、今は大樹の根によって侵食され、分断されている。
光の差さない道はまっすぐ西へと続き、その先を窺い知ることはできない。
開拓士を先頭に奥へと進んでいくと、途中で分岐路にさしかかった。
さらに西へと続く下り坂と、南に分岐する細い通路である。
中央通り地下通路は、西口広場からまっすぐ西に延びている。車道を挟んで南北に存在していて、朝通ったのが北側通路、今歩いているのが南側通路だ。
地下通路はおよそ三百メートル先で地上になってしまうため、そちらに近付いていくにつれて熱気が強くなっていく。
「ここですね」
辿り着いた地下通路の端から、恭介さんが指し示した先に顔を向けると、プラザナードと書かれた通路があった。正面に向き直ると、すぐ先に地下鉄の入口が見える。
都庁が見えないかと顔を上げてみたものの、街路樹の葉に隠れてよく見えなかった。
「こっち側はあんまりイベント無いし、高層ビルばっかりだからよく知らないんだよね」
「私も、いくつか店を知ってるくらいで」
二人の知識を当てにできない状態なので、ひとまず人気のないプラザナードに入って地図を広げた。
地下鉄の入口に入れば、都庁やその先の新宿中央公園まで地下を通って行ける。
南に延びるプラザナードに入ると、そのままシーズンロードに入って甲州街道に辿り着くことになる。
シーズンロードの途中にある新宿モノリスを指差して、恭介さんに確認する。
「あのサブマスターが言ってたのって、ここですよね」
「ええ。そこまで行けば何かあるんでしょうけど、どうしますかね」
サブマスターがわざわざ出したヒントというのが気になるものの、結局のところ、調べるのが先か後かくらいの違いしかない。
他に情報が無かったので、左手優先で、という方針に従って、南へと進むことになった。
◇ ◇ ◇
四方を大樹の根に囲まれた細い通路の途中。
紅く光る球体が空中に浮かんでいるのを発見して、開拓士は立ち止まる。
球体の周囲の壁や床は黒く焦げており、それが高熱を放っていることを窺わせた。
通路自体はそこから数メートルほど先で、深い大穴になっている。
何も貼られていない展示用のボードが壁に並んでいるのを横目に見つつ、球体を発見した場所まで行ってみると、通路の真ん中に謎のオブジェがあった。
山頂から流れる水が、曲がりくねった川を通り、すり鉢状の穴に流れ込んでいる。川の途中には“水”の文字をあしらった部分があった。
「これって、祭壇のヒントと関係あるんでしょうか」
智樹君がそう聞いてきて、文章を思い出す。確かに“水の流れを追って”とはあったものの、このオブジェは現実世界のもので“幻想世界”にあるわけじゃない。逆に、“幻想世界”にあるのは高熱を放つ赤い球体だ。
「これ以上先には進めないようだし、なんか引っ掛けのような気がするなー」
喜多さんの脳筋的直感がそう告げているし、恭介さんも微妙な表情だ。前屈みでオブジェを観察していた智樹君は、鼻を擦りながら姿勢を戻して呟く。
「確かに、水というよりは、焦げ臭い感じですね」
それって、水を流す装置か何かが壊れてるんじゃないのか。そう思って臭いをかいでみるものの、特に何も感じられなかった。
もしかして、俺が“聞こえる”のと同じように、智樹君も“幻想世界”の何かを感じたんだろうか?
疑問に思いつつ、液晶画面を見ながら提案する。
「この赤いの調べてみるなら、炎耐性持ってる俺が行くけど」
余計なダメージを受けるのも何だし、魔法的な仕掛けなら開拓士より妖術士の方が向いている。
智樹君が頷いたのを受けて、オブジェに近付いてゲーム機を構える。次の瞬間、後ろから喜多さんのつぶやきが聞こえた。
「あ、フラグが」
妖術士が手を伸ばしたのがきっかけか。
赤い球体がひときわ明るく輝き、地面に吸い込まれるように落下していった。
通路の床面を覆っていた木の根は燃え上がり、近付いていた妖術士を巻き込んでいく。
「次弥さん!」
「大丈夫。大したダメージじゃない、が」
足元が崩れ、そこが実は大穴の一部であったことが判明する。
逃げる間もなく、妖術士は燃える木の根と共に穴の底へと落ちていく。
「あー」
パーティ分断のメッセージが流れる端末を見ながら、喜多さんが気の抜けた声を上げた。
◇ ◇ ◇
> “神樹の地下迷宮 ── 大穴の底”
気を取り直して状況を確かめる。分断されたのは“夜兎”だけで、残りのメンバーは穴の上だ。
木の根が衝撃を和らげてくれたためか、直ちに回復が必要なほどのダメージは受けていないが、
念のため回復薬を使用しておく。
穴はかなり深く、ロープを使った救出は不可能だろう。
恐らくは南であろう方角に目を向けると、別パーティのプレイヤーキャラの反応があった。
「ヤジ君。私たちは都庁前まで迂回して、南側から合流できないかやってみるよ」
「ああ。こっちはこっちでいろいろ調べてみる」
プラザナードを戻っていく三人を見送ってから、背後を振り返る。謎のオブジェの向こう側に目を向けると、プラザナードが終わる辺りで通路が下り階段になっていた。
そこが恐らく“大穴の底”で、同じようにトラップに引っかかった先客がいるのだろう。
“夜兎”を移動させながら、階段を下りていく。階段を下りた先は、数メートル先で再び上り階段になっている。
水道管かガス管が上を通っているためか、何らかの理由でわざわざこの部分だけ天井を下げる必要があったようだ。
階段下には一人の女性がいて、ゲーム機の画面を眺めていた。
彼女はこちらに気付いて顔を向けると、一瞬首を傾げた後、思い出したように手を叩いた。
「あー、喜多ちゃんの彼、じゃない親戚のコ。えーっと、確か……」
誰だか思い出せても、名前が出てこないようだ。かく言う自分も、彼女の名前を思い出せないのだけど。
俯いて悩んでいる彼女に対して名乗ろうとしたとき、彼女が顔を上げた。
「そう、ヤジ君!」
ああ、もうそれでいいです。
「もしかして落ちちゃった?」
頷いて肯定する。画面に表示された“Wanco”という名の獣闘士を見て、喜多さんが何と呼んでいたかを思い出した。
「ワンコさんも引っかかりましたか」
「んー。近付いたら問答無用だったねー」
ワンコさんは両手を広げて肩をすくめ、首を左右に振った。
「落ちた人は何もできずに待ち惚け、ってことは無いはずだから、どこかに手掛かりがあると思うのよねー」
「そすね」
わざわざ分断してまで、他のパーティの人と行動するように仕向けているのだ。何か役割があるのだろう。
ワンコさんと俺は、手分けして穴の底を調べてみることにした。
2011.08.04 誤字訂正