Day 3-3
> “神樹の地下迷宮 ── 第一区画”
廃墟の水没イベントから避難した私たちは、サブマスターに別れを告げ、上の地下通路へと戻った。
ひとまず西側の人通りが少ない場所に移って、それぞれが自分のキャラクタを操作する。南に移動し、祭壇のある広間を経由して第一区画を進み、一昨日は水没していて進めなかった場所へと向かった。
斥候として、先行して水路へと下りていったトモキ君が報告する。
「ちゃんと先に行けるようになってるみたいです」
「じゃあ、予定通り移動しようか」
ツグヤ君の呼びかけを合図に、全員がそれぞれの端末を休止状態にする。開拓士の探索スキルは、“遠隔操作”状態でも機能するものの、距離に応じて制限がかかってしまう。
地下鉄の改札の横を通り、小型店舗と広告が並ぶ地下通路、メトロプロムナードをまっすぐ東へと歩きながら、私はトモキ君に話しかける。
「調子はどうです。リーダーにも慣れましたか」
「あ、はい。何すればいいのかは、なんとなく。でも難しいですね」
「大変でしょうが、これもイベントの醍醐味ですよ」
前を歩いていた喜多さんが、そのとーり、と何度も頷く。後頭部にまとめられたお団子が縦に揺れる。
アルタ手前の石鹸屋から漂う臭いを潜り抜け、地下鉄の改札の横を通ってしばらく歩いて、サブナードの入口へと到着した。
「しかし皆さん、今日は気合い入ってますかね?」
「これ以上ポイント逃すと上位に入れそうにないんで。ポイントに繋がるイベントが他にもあるといいんですが」
ツグヤ君はそう言って、手に持っていた地図を見た。地下商店街の途中、店の正面で戦闘やイベントが発生する可能性は低いが、何らかのメッセージが隠されているかもしれない。
トモキ君がゲーム機を取り出し、設定を“同期操作”に変更する。ミニノートを見ながら歩くわけにはいかないので、ここは彼に任せるしかない。
何か見つけ次第、地上との出入口で確認することにして、探索を開始した。
◇ ◇ ◇
> “神樹の地下迷宮 ── 外郭水路”
数刻前まで水で満たされていた地底の水路を、一行は慎重に進んでいく。
湿った石畳がランタンの灯りを反射し、幅の広い水路を不気味に
浮き上がらせている。
視界の片隅、窪みにできた水溜りの方で、何か小さなものが跳ねた
ような音がしたが、崩れた岩の影になっていて、はっきりしない。
買物客や通行人で賑わう地下商店街を、喜多さんを先頭に歩く。店舗の途切れる場所で何度かメッセージログを確認したが、情景描写だけが続いている状態だった。
プリンスホテルへと通じる通路の手前までやってきたところで、私たちは歩みを止めた。
「結局、特に何もなし、か。隠しエリアっぽい場所も無さそうだったよな」
「特に怪しい感じはしなかったです」
確認は少年ふたりに任せておいて、この先にあるはずの台座を調べるための準備を始める。鞄からミニノートを取り出し、休止状態から復帰させる。
液晶画面に“幻想世界”アプリが表示され、サーバとの通信が行われるのと同時に、別プロセスとして常駐させていた監視ツールがメッセージを表示した。
── 周辺で“千里眼”の起動を検出。監視領域内に“Tricker”が存在。行動に注意。
隣にいる喜多さんに気付かれないように、急いでメッセージを消去する。
どうやら、不正改造者連中が動いたようだ。私が送りつけたツールを使って、“Kitty”と“Tricker”の動向を見守るつもりらしい。使用者の位置は上方、北方向。小型端末では利用できないツールなので、どこかの喫茶店でノートパソコンを使っているのだろう。
“千里眼”ツールは、隠しエリアやイベント限定エリアの詳細を、遮蔽物を無視して見通すことができる。相手に教えた情報はそれだけで、逆探知できることは伝えていない。連中はこちらを一方的に監視していると思い込んでいるはずで、使用者が誰なのか確かめる絶好の機会なのだが、タイミングが悪い。
バッテリーは有限だ。常に“千里眼”を起動しているわけにもいかないから、地上でツールを使っている人物とは別に、私たちがここに到着したことを知らせた人物が近くにいるだろう。私ひとりがこの場から離れれば、怪しまれる可能性がある。
「鳥飼さん、準備できたですか」
「……もう少しお待ちを」
接続しているのは、今回のためだけに用意した捨てアカウントで間違いない。位置情報は偽装防止しているため間違いないだろうが、さすがに監視カメラに写るような場所にはいないと思われる。
応援を頼むにしても、新橋のセンターは遠すぎる。近くにいて、すぐに動けて、事情を話せる誰かがいれば、何とかなるのだが。
「恭介さん? 調子悪そうですけど、大丈夫ですか」
「いやいや、ヤジ君。なんか調子悪いっていうより、単に嫌そうな顔してるだけっぽいよ」
ああ、そんな顔していますかね。彼女に頼るしか方法が無さそうですからね。
思わず漏れそうになった溜め息を堪えて、表情を引き締めてみる。
「ちょっと、仕事のことを思い出してしまいまして。申し訳ありませんが、電話を一本かけさせてください」
◇ ◇ ◇
> “神樹の地下迷宮 ── 地底湖”
崩れた石壁を伝って、閉ざされた水門の上に登ると、目の前には
水で満たされた広い空間があった。
地底湖の中央には小島があり、水が湧き出している黒い台座と、
青色に輝く宝玉が見えた。
水門の操作によって流れが変わったためか、水位は少しずつ下がって
おり、浅い場所を通れば歩いて小島まで辿り着けそうである。
台座の位置は、プリンスホテルへと続く上り階段の途中にある、コインロッカーの手前だった。
周辺には何も見つからなかったため、私たちはコインロッカーの横で操作を再開した。
開拓士を先頭に、周囲を警戒しながら、小島へと移動させる。
“湧水”の台座へと近付き、“トモキ”が調査を始めたところで、喜多さんが呟く。
「昨日みたいにモンスターが守ってるとか無かったねえ」
「ん。でも、これでミッション達成になるかどうか、まだ謎だしな」
今朝配信されたミッションは、これまでと同様に三つ。ただし、“第六区画”の探索以外のふたつについては、内容がシークレットになっていた。
昨日、一昨日の二日間の内容から推測するに、台座の上の青い宝玉が次の区画の鍵だろう。それとは別に“水の守護獣”もどこかに出てきそうではあるが……
調査を終えた開拓士が青い宝玉を手に取ると、台座から際限なく
湧き出していた水が止まった。
それと同時に、周囲の地面が微かに、小刻みに揺れ始める。
周囲を見回すと、さらに水位が下がり、地面が見え始めた湖の底に、
いくつもの銀色の塊が蠢いていることに気がついた。
滑らかな表面を持つそれは、静かな棲み処であった場所を失った
ことに反応してか、細長い触手を一斉に伸ばしてきた。
── 【戦闘開始】 “未識別:軟体”
「ああ、なるほど。ここで戦闘ですか」
「囲まれてますよッ」
トモキ君の言う通りである。
湖底に隠れていた四体の敵が、それぞれ複数の触手を出していて、このままでは袋叩きに遭うこと必至だ。
「雷球を。とにかく包囲から抜けましょう」
トモキ君は、慌てながらも間違えることなくアイテムを選択した。
開拓士によって投げられた焦げ茶色の小さな玉は、放物線を描いて
飛び、銀色の塊の近くに落ちて、音を立てて爆ぜ弾ける。
一瞬、周囲を白い電光が覆い尽くし、効果範囲内の触手が動きを
止めた。
無駄口を叩く暇もなく、他の触手の動きを完全に無視して、包囲の外側へと走り出る。
そのまま敵から距離をとった私と“トモキ”に対して、“Kitty”と“夜兎”は立ち止まり、再び動き始めた触手を迎え撃つべく向きを変えた。
体力の少ない妖術士で接近戦とはまた無茶を、とは思うものの、“近接操作”での戦闘に関しては、何故かそれなりに自信があるらしい。
傭兵剣士は両手持ちの鎚を振り回し、伸びてくる触手を
まとめて弾き返す。
金色の錫杖と魔法の盾を構えた妖術士は、触手の攻撃を受ける
ことなく、隙を狙って電撃を叩き込んでいく。
ふたりは囲まれないように少しずつ後退しながらも、後衛に攻撃が
及ばないように連携を続けている。
「ツグヤ君、大丈夫ですか」
「はい、ここは静かなんで。魔物図鑑を見て貰えますか」
「お任せあれ」
援護をトモキ君に任せて、敵の情報を確かめる。
《水銀御手》。秘術によって生命を与えられた水銀の塊。基本属性は地。おや、水属性ではないと。
「火属性、効くようですよ」
「マジですか」
妖術士は攻撃の手を止め、雷侯錫を空中に放り投げた。
金色の錫杖は光の粒となって消え去り、代わりに先端に紅玉が
埋め込まれた銀色の錫杖──緋后錫が現れる。
すぐにサブ武器に装備を変更した彼は、続けて魔法の詠唱を行うと共に、触手の攻撃を移動と防御で凌いでいく。だが、《防御詠唱》のスキルがあっても、一定以上のダメージを受けてしまえば詠唱は中断されてしまう。さすがにこの状態のままでは、正確な発動までは期待できない。
「次弥さん、交代します」
「じゃあ、ちょっとだけ頼む」
再び投擲された雷球によって作り出された隙を利用して、“夜兎”は後退し、“トモキ”が前線に立った。援護射撃の合間に、防御に専念する“トモキ”に対して《祝福》を使用し、受けるダメージを軽減させる。
そして、長い詠唱の最終段階。“夜兎”の大きな動作と共に魔法が発動する。
四体の《水銀御手》の中心に、赤い球状の魔法陣が浮かび上がり、
無秩序に回転しながら敵を包み込むように拡大する。
魔法陣の内部に炎が吹き荒れ、限界を超えるダメージを受けた
触手が消滅していく。
炎熱系範囲攻撃魔法のひとつ、《焦炎熱渦》。“夜兎”自身の炎熱強化スキルに加えて、装備による増幅効果が適用されたそれは、敵を一気に瀕死状態まで追い込んだように見える。
……蒸発した水銀については、気にしないことにしよう。ゲームでそこまで考慮していないだろう。
「よっしゃ、触手が無ければこっちのもんじゃよ」
「喜多さん、待って」
止めを刺そうと前に出ようとした喜多さんを、ツグヤ君が引きとめた。見れば、触手を失った塊たちが激しく震え、それに伴って画面全体が揺れ始めている。
振動は地底湖だった空間全体に広がり、天井から小さな石が落下し
始めた。
周囲の岩盤も崩れ出し、北側の壁に開いた穴から光が差し込んでくる。
背後の水路で大きな音が響き、そちらも安全ではないことが窺えた。
勝てないと分かって、道連れにしようということか。ウインドウの片隅の“demonstration”の表示が消える前に、方針を固めなければ。
「どうします。撤退しますか」
「もう一発撃てるんで、試してみます。その間に逃げ道、探してください」
傭兵剣士の《大旋風》と同様に、《焦炎熱渦》もミッション中の使用回数が制限されている大技のはずだ。どうやら、スキルか杖の効果で使用回数が追加されている、ということらしい。
デモが流れている間に待機時間を解消できたらしく、“夜兎”は再び詠唱を開始した。揺れる地面の上で、時折降ってくる石を紙一重で回避する動きに感心しつつ、周囲を捜索する。
震え続ける敵を迂回して、地下空洞の北側へと移動する。入ってきている光が地上からのものなら、ここから脱出できるに違いない。
「水路はダメ、戻れないみたい」
光源を持っているトモキ君と一緒に、南側を調べていた喜多さんが報告する。となると、こちら側が正解だろう。
予想通り、壁際まで接近したところで、別階層への移動用アイコンが出現した。
「出口発見。ツグヤ君も、できるだけこっちに」
「了解、す」
二度目の《焦炎熱渦》によって、四体の《水銀御手》は完全に消滅し、
地響きも収まっていく。
しかし、岩盤の崩落は断続的に続いており、この場所が安全になった
とはいえないようだ。
◇ ◇ ◇
> “神樹区郊外 ── 黒曜石の牢塔”
神樹区から北方に見える丘陵地と、そこにそびえ立つ漆黒の塔。
近付く者を拒絶する結界が存在したため、周辺は未踏地帯となっている。
時折、塔の方角から聞こえてくる大きな鳴き声から、その塔の中には
何かが封じられているのだと噂されている。
急いで地上エリアへと移動した私たちが目にしたのは、丘の上の黒い塔が、地響きと共に目の前で傾いていく光景だった。
画面内で舞い上がる土煙を見て、各々が感想を口にする。
「この上って、歌舞伎町でしたっけ」
「規制やら何やらで実装されないままでしたけど、地下迷宮と合わせてようやく公開されるんですな」
「えーと。地下を通ったら封印を通り抜けられました、って感じです?」
「そんな感じかなあ」
地盤の崩落が止まり、土煙が収まると、傾いた塔の上の方から
冷たい風が吹きつけてきた。
見上げると、塔の頂上から、白く巨大な鳥がこちらに向かって
舞い降りてくるのが見える。どうやらその巨鳥が、冷気の源で
あるようで、周囲の気温が急激に下がっていくのを感じる。
「あー、連戦かあ」
「こいつも火が効きそうですけど、さっきの魔法はもう無理ですかね」
残念ながら、とツグヤ君は首を横に振る。地道にやるしかないか。
戦闘開始までのカウントダウンの最中に、対ボス用の作戦を確認する。
「どうしましょう?」
「喜多さんは無理のない範囲で接近戦。トモキ君は援護しつつ、喜多さんがピンチの場合に交代。ツグヤ君は距離を取りつつ魔法攻撃。私は回復と支援に専念します。ひとまず、動きを見極めながらで行きましょう」
「今日は全員無事で終わらせるよ」
「そういえば、今日、火属性が効かない敵が出てない気がするんですが……」
確かに。今日は水属性と予測して準備するプレイヤーが多いだろうと、製作者側も考えていたのだろう。ワンコ女史が黙っていた理由が分からなくもない。
そういえば、彼女の方は上手くいっているだろうか。あちらの状況を確かめるにしても、とにかくこの戦闘を終わらせなければ──
── 【戦闘開始】 《氷鳳》
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