効果には個人差があります
箱を開けた瞬間、閉めた。
臭かった。腐った肉とも糞とも違う。甘ったるい臭いが鼻から入って奥にはりついた。
「おい、閉めるなよ」
隣でダリオが鼻を押さえている。
「臭いだろ」
「――知ってる。だから当たりなんだろ」
仕方なく、もう一度開けた。
石箱の中には、拳ほどの実が一つだけ入っていた。黄色と茶色のまだら模様で、ところどころ柔らかそうに膨れている。
《不変の実》
ダンジョンからごく稀に見つかる珍品だ。
食べれば、肉体の強さがその者固有の値で固定される。
大岩を担げるほど強くなる者もいれば、今より弱くなる者もいる。結果は食べてみるまで分からない。
ただし、一度決まれば二度と変わらない。
鍛えても強くならない。
老いても弱くならない。
売れば、小さな家が一軒買える。二人で見つけたものだから売れば山分けになる。俺たちはしばらく実を見ていた。
「お前、食うか?」
ダリオが聞いてきた。
「食わない」
答えると、今度は俺が聞いた。
「お前は?」
「俺は食いたい」
「即答か」
「まあな」
来月、ダリオはミラと結婚する。最近は依頼より新居の話をしている時間の方が長い。椅子が高い。鍋は二つ欲しい。寝台は思ったより値が張る。俺には関係ない話だが、毎日聞かされているので相場だけは詳しくなった。
「今より弱くなったらどうするんだ?」
「冒険者を辞めるさ」
答えは早かった。
「そんで叔父の革工房で働く。強くなったら、このまま稼ぐ」
「それでいいのか?」
「いいよ」
ダリオは実を持ち上げた。
「これから毎年、俺はどこまで強くなれるとか、いつ冒険者を辞めるとか考えなくて済む。結果が出ればその先を決められる。おまえはどうなんだ? 強くなりたいんじゃないのか?」
「――なりたいよ。でも、強くなりたいと思わなくなるのが嫌なんだ」
「……面倒くせえな、お前」
「俺もそう思う」
「それならこれはいただくぞ」
ダリオは笑って、実にかじりついた。ぶつり、と湿った音がした。顔が固まる。
「……まずい」
「見れば分かる」
「臭いより味の方がひどい」
涙を流しながら全部飲み込んだ。
――翌日、ダリオは荷馬車を持ち上げた。
車輪が泥にはまり、男三人で押しても動かなかったものだ。ダリオが後ろから持ち上げると荷物を積んだまま片側が浮いた。本人が一番驚いていた。
「……当たりだな」
「みたいだ」
その日のダンジョンでは、もっとはっきりと分かった。
通路の先にオーガが出た。普通なら俺たち二人でも避ける相手だった。人の倍近い身体で棍棒を引きずり、こちらを見るなり突っ込んでくる。俺は逃げ道を確認した。けれどダリオは前へ出た。
「――おい」
オーガの棍棒が振り下ろされる。ダリオは片腕で受け止めた。そして、そのまま腹へ拳を入れる。オーガの巨体が浮いた。背中から倒れ、それきり動かなかった。
「結果オーライ」
ダリオが拳を開いたり閉じたりする。
「……だな」
羨ましかった。
これはもう、仕方がない。
一月もしないうちにダリオは領主の街道警備隊から誘われた。毎月決まった給金が出る。家も用意される。魔物が出れば戦うがダンジョンへ潜る必要はない。ダリオはその場で誘いを受けた。
「これでミラも安心する」
嬉しそうだった。
俺には、その嬉しさも分かった。
町を出る朝、ダリオとミラは荷馬車に乗っていた。
「式には来いよ」
「行く」
「実、本当に俺が食ってよかったのか?」
「今さら吐き出せるなら考える」
「無理だな」
ダリオが笑った。
「じゃあ聞くな」
「後悔してる?」
少し考えた。
「まだしてない」
「まだかよ」
「そのうちするかもな」
「――したら手紙寄越せ。笑ってやる」
「お前もな」
馬車が動き出した。
俺も手を上げた。
それで、二人でダンジョンに潜るのは終わった。
一人になって最初に出会ったゴブリンの群れには負けた。次も逃げた。三度目で五匹を倒し、四度目でようやく最後まで立っていた。
笑いが止まらなかった。
昨日までできなかったことが今日はできた。
それが妙に気持ちよかった。
そこから俺は、昨日の自分を追い越すことに夢中になった。
最初は、あのときの選択を間違いにしたくなかっただけかもしれない。だが、そんなことはすぐにどうでもよくなった。
走れば昨日より先まで脚が動いた。
振り回されていた重い剣が、いつの間にか腕についてきた。
届かなかった刃が届き、避けられなかった攻撃が頬の横を抜ける。
できる。まだできる。なら、もう少し。
ダンジョンの一階層下へ潜った。まだ行けた。もう一階層。そこも越えた。
五匹だったゴブリンが十匹になった。十匹が二十匹になっても、剣を抜く手は止まらない。怖かった攻撃が見えるようになり、重かった剣に軽さを感じる。息を切らしていた場所で呼吸に余裕が出た。
できることが増えるたびに朝が待ち遠しくなった。
もっと。
もう少し。
その先へ。
そして深層で、オーガと出会った。
あの日、ダリオが一撃で倒したものと同じ魔物だった。
棍棒が落ちる。
避ける。
斬る。
――浅い。
もう一度だ。
今度は深く入ったが、オーガの腕が迫る。潜って斬って、そしてオーガが振り向く。もうその動きは目が捉えている。見えている。だから避けられる。身体はまだまだ動く。
「いける」
口に出した瞬間、笑っていた。
踏み込んで斬って、避ける。さらに斬る。その繰り返しだ。やがてオーガの膝が落ちた。肩へ駆け上がり、首へ剣を叩き込む。
一撃。
二撃。
まだ倒れない。
「だったら、もう一回だ!」
全力で振り下ろした。オーガの身体が傾く。地面へ叩きつけられ、足元が揺れた。そしてそのまま動かなかった。俺は荒い息のまま見下ろした。
腕が震えていた。肩も痛い。頬から血も流れている。でも、倒した。
「……勝った」
声にした途端、腹の底から一気に込み上げた。
「よっしゃああああっ!」
拳を突き上げた。
誰もいないダンジョンに声が響いた。
できなかったことができた。
届かなかったところへ届いた。
最高だった。
そして、もう次が見たくなった。
町へ戻ると、ダリオから手紙が届いていた。
二人目の子どもが生まれたらしい。
警備隊の仕事は相変わらずで、家の裏には果樹を植えたとある。最近は魔物より夜泣きの方が手強いらしい。
紙の隅にはインクで汚れた小さな手形が押されていた。上の子のものだろう。最後に、そっちはどうだ、と書いてある。俺はまっさらな紙を広げて筆をとった。
『オーガを一人で倒した』
それだけ書いて、しばらく自分の手を見た。剣だこが潰れ、乾いた血が指の間に残っていた。
向こうの紙には小さな手形がある。
こっちの手には、剣を握った痕がある。
なんだかそれがとてもおかしくて、俺は笑いながら手紙を畳んだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の短編は、「安定を選ぶこと」と「まだ先を求めること」どちらにもそれぞれの報酬がある話として書きました。
どちらを選ぶのが正しいのかは、たぶん人によって違うのだと思います。
読了後、もう一度タイトルを見ていただけると嬉しいです。




