第六話 平民部の顧問
翌日、放課後。
地下特別書庫の安テーブルを五人で囲む中、クロエさんが小首を傾げて口を開いた。
「ノアさん、平民の文化を体験して研究するって、具体的に何をするんすか?」
「そうだね。まずは、平民の金銭感覚や流行なんかを知る必要があるかな。で、何から始めるつもりなの? 部長のカルミラさん」
「何を言っていますの、ノア。平民の文化を学ぶ部に、公爵令嬢の私がトップに立つのはおかしいでしょう? 部長は平民のノアが相応しいですわ」
「その通りです! さあ、ノア先輩。部長として最初の活動を指示してください!」
「薄々勘づいてはいたけど、完全に丸投げだよね……」
俺の呆れ声に被せるように、右腕に張り付いているココナが目を輝かせた。
「お兄さまが部長なのですね! 平民でありながら、高貴な貴族令嬢たちを差し置いて部の頂点に君臨する……さすが、お兄さまですわ!」
「……ココナ、お兄ちゃんは面倒事を押し付けられてるだけだからね……?」
「謙遜するお姿も素敵です!」
俺の切実な声も耳に入っていないのか、ココナは頬を押さえながら、うっとりしている。
俺はやれやれと肩をすくめると、カルミラさんがわざとらしく咳払いをした。
「すでに周知の通り、まずはジャンクフ……平民のリアルな食文化を学ぶのはいかがかしら?」
「カルミラさん、自分で丸投げしといて、今ジャンクフードって言いかけたよね?」
「そ、そんなこと言ってませんわ。聞き間違いを棚に上げるなんて、これだから平民は困るのですわ……」
俺の軽いツッコミに、カルミラさんは誤魔化すようにパチンと扇子を広げて視線を逸らした。
今日の扇面には、『愛は裏切るが塩分は裏切らない』と書かれている。
メルティとクロエさんも見る限り、頭の中はB級グルメのことでいっぱいのようだ。
「……それじゃ、今日はこれにしようか」
俺は仕方なしにテーブルに紙製カップを人数分置いて、ヤカンの熱湯を注ぎ入れる。
「このまま蓋をして、三分待てば完成だよ」
「……ねえ、ノア。平民の文化を学ぶためとはいえ、お湯を入れて三分待つだけで完成する料理なんて、手抜きにも程がありませんこと? 我が家の料理長なら即刻クビですわ」
「これは手抜きじゃないよ。限られた時間と資金の中で、極限まで美味さを追求し、日々の忙しい時間を短縮させた平民の叡智の結晶だよ。たった三分で完成することから『マジック・ヌードル』――別名カップ麺と呼ばれているものだよ。ちなみに一つ銅貨五枚ね」
「銅貨五枚ですって!? 私のドレスのフリルの素材一ミリにも満たない金額ですわよ!?」
「カルミラさんのドレスの値段の方が、よっぽど衝撃だよ……」
俺が呆れて同じ貴族の二人を見ても、『何を驚いているんだ?』と言わんばかりに不思議そうな顔をしている。
誰もカルミラさんの金銭感覚をおかしいとも思っていないあたり、平民部が本当に平民の文化を学べるのか、かなり怪しい。
頭を抱える俺をよそに、剣士であるメルティは別方向からカップ麺を分析し始めた。
「そんな安価な食べ物で、まともな栄養が摂れるとは思えないですけど、これも修行の一環というわけですね」
「たった三分なんて究極のタイパっすね……。あたしなんて、お腹の虫が鳴りっぱなしっすよ……」
メルティはカップ麺をにらみつけ、クロエさんは、今にもフォークを伸ばしそうな勢いの中、俺の右腕に張り付いているココナが身を乗り出した。
「お兄さま、泥棒猫たちに平民の食事を教えるのも結構ですが、まずは、ココナがあーんしますね」
「いいから大人しくしててくれ。あと、距離が近すぎるんだけど……」
「あら、いつものことではありませんか」
「そのいつものことが強制的なんだよ」
右腕にピッタリとくっついて離れないココナを嗜めつつ、俺は懐中時計を確認する。
「よし、三分経ったから開けていいよ」
俺の合図と共に、三人が一斉に紙の蓋を剥がした。
立ち昇る熱気と共に、濃厚な動物系の脂の匂いと、食欲を刺激する香辛料の香りが一気に地下書庫を満たしていく。
「「「うっ……!?」」」
三人の肩がビクッと跳ねた。
「な、なんですの、この香りは……!? 高級食材は使われていないはずなのに、抗いがたいほど本能に直接訴えかけてきますわ!」
「油が……黄金色の油がスープに浮いてます! それにこの縮れた麺! 駄目です! 剣士としての理性が吹き飛びそうです!」
「神様、ごめんなさいっす……。あたし、もう我慢できないっす!」
三人はたまらずフォークを突き立て、麺をズルズルと啜り始めた。
公爵令嬢の作法も、騎士の矜持も、神官の信仰もかなぐり捨て、一心不乱に麺を口へ運ぶ。
「はしたない……はしたないですわ! でも、止まりませんの! この暴力的な塩気と旨味が、胃袋を直接殴りつけてきますわ!」
「美味しすぎるのです! 汗が止まりませんけど、この塩分補給は最高なのですっ!」
「これはマジやばいっす! 神に対する冒涜的な美味さっすよ!」
我を忘れて麺を啜り続ける三人の貴族令嬢。
しかし和やかな喧騒は、乱暴に開かれた扉の音によって、かき消されることになる。
「お前たち! 神聖な書庫で何という下品な物を食べているんだ!」
入り口に立っていたのは、鬼の司書長として恐れられる、レティア先生だった。
腕組みをし、タイトスカート越しのヒールをコツコツと鳴らしながら、怒り心頭といった様子で睨みつけられていた。
「今すぐ片付けなさい! ……いや、待て。なんだ、この抗いがたい香りは……?」
怒鳴り込んできた先生が、ぴたりと動きを止めた。
視線はカップ麺に固定されている。
「あの、俺の予備が一つ残ってるんで、よかったら先生も食べます?」
「ふ、ふざけるなよ……。教育者たる私に、そのような平民の食べ物を……」
その言葉とは裏腹に、先生はカップ麺から目を離さずにゴクリと喉を鳴らした。
深夜まで及ぶ仕事で疲弊しきった先生もまた、ジャンクな香りが効いたようだ。
先生は、俺からひったくるようにカップ麺を手に取り、無言で麺を啜る。
やがて、深い哀愁を漂わせながら口を開いた。
「……この暴力的で品の欠片もない雑な味は、昔を思い出す。今の騎士団長に『お前は堅物すぎる』と婚約を破棄されたあの日の涙よりは、少しだけ温かい味がするな」
自嘲気味に呟いたレティア先生。
なるほど。どうやら先生も見事なまでに訳ありの令嬢だったようだ。
あまりにも重たく、生々しい大人の告白に、一心不乱に麺を啜っていた三人の動きが止まった。
同じように理不尽な理由で男に切り捨てられた痛みを共有する彼女たちは、痛いほど気持ちが分かるのだろう。
「……先生のような立派な方でも、男の理不尽な被害に遭われてたのですわね」
「うぅ……。正しくあろうと努力してきただけなのに、裏切られるのは、いつの時代も同じなんですね……」
「先生もこの暴力的なスープで昔を思い出したんすね……」
カルミラさんたちが、歴戦の傷を負った大先輩を労うかのように深く頷き合った。
書庫が奇妙な連帯感と哀愁に包まれる中、ただ一人、全く別の危機感を募らせた少女がいる。
――ココナだ。
ココナの琥珀色の瞳が、新たな敵の出現を察知したかのように鋭く吊り上がっている。
「そういうことでしたのね!? 厳格な先生まで、お兄さまを口説こうとしに来た泥棒猫だったなんて!」
「なっ!? お前は何を言っているのだ!?」
「いいえ、そうに決まってます! 哀愁漂う大人の色気で、『お兄さまの同情を引いてやろう作戦』ですね! ですが残念、あきらめてください! お兄さまにはすでにココナという妹がいますし! 何より、教育者としていかがなものかと思いますよ!」
ココナの斜め上の追及に、先生の顔が引きつる。
突然、身に覚えのない言いがかりをつけられた第四の被害者――レティア先生だが、小さく咳払いをすると、いつもの厳しい教師の顔に戻った。
「落ち着け、一年。そんなはずないだろう」
「そうだよ、ココナ。先生は別の目的があってここに来たんだよ」
「……え? そうなんですか?」
「当たり前だ。私は教師だぞ」
心底呆れたようにため息をつく先生に、俺は改めて問いかける。
「……それで、先生は何の用でここへ来たんです?」
「そうだったな。私はお前たちが立ち上げた『平民部』とやらの顧問に任命されたんだ。だが、喜ぶな。生徒会は、お前たちを追い出す口実を虎視眈々と狙っている。正式な部として認められたとはいえ、元々ここは王太子がサロンの拡張に狙っていた場所だ。あらゆる手で取り返しに来るぞ」
先生の言葉に場の空気が張り詰める。
どうやら、あきらめていなかったらしい。
誰もが息を呑んだ、その時だ。
バンッ! 本日二度目となる乱暴な音と共に、扉が開け放たれた。
「……見つけたぞ、カルミラ。まさか、こんな薄汚い地下に隠れていたとはな」
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