第四話 妹枠の治癒神官は、チョコレートに浄化される
「当て馬同盟……? それって新しいパーティのことっすか……?」
涙と泥で顔をぐしゃぐしゃにしたクロエさんが、戸惑いながら聞き返した。
「そうですわ。見る目のない愚かな男たちを見返し、私たちの魅力を思い知らせるための気高きパーティですわ!」
「カルミラ先輩の言う通りなのです! クロエちゃん! 一緒にバカ共を後悔させてやるのです!」
「うぅ……カルミラ先輩、メルティ先輩! あたし、入るっす! 見返してやるっす!」
公爵令嬢と天才剣士に両手を取られ、治癒神官が感動の涙を流している。
見事なまでの傷の舐め合いの連鎖だ。
俺は呆れてため息をついた。
「……盛り上がってるところ悪いんだけど、復讐の計画を練る前に、まずはズタズタになった自尊心を回復させないとね。クロエさん、これは君専用の特効薬だよ」
俺はテーブルに銀紙に包まれた長方形の物体を置いた。
平民街の駄菓子屋で買ってきた『激甘キャラメルナッツ・チョコレートバー』。
安物のカカオに大量の砂糖と粘り気の強いキャラメル、さらにピーナッツが隙間なく詰め込まれたカロリー無限大の悪魔の食べ物である。
「……チョコレート? あたしは神様に仕える身として、こんな毒々しい甘い匂いを放つ不摂生な食べ物は……」
「いいから食べてみなよ。君の心という名の神殿は崩壊してるんだから」
「そうですわ。今は細かいことは気にしなくていいと思いますわ」
「その通りなのです! こういう時は平民の美味し……じゃなくて粗末な食べ物を食べると元気になるのです!」
俺は躊躇するクロエさんにチョコバーを握らせる。
クロエさんは潤んだ瞳で恐る恐る見つめると、小さな口を開いてかじりついた。
パキッと心地よい音と共に、チョコレートが口の中で溶け出し、甘いキャラメルが溢れ出す。
その直後、クロエさんの若草色の瞳が限界まで見開かれた。
普段から修道院で薄味のスープと黒パンばかり食べている清貧な神官にとって、このジャンクな甘さは劇薬になるだろう。
「う、美味っ……!?」
クロエさんの瞳から再び涙がこぼれ落ちる。
だが、それは悲しみの涙ではない。
彼女は両手でチョコバーを握りしめると、一心不乱にかじりつく。
「いい食べっぷりですわね。歓迎しますわ、クロエさん」
「塩分と油の次は過剰な糖分ですか……。ノア先輩の食事管理は、私たちの寿命を縮めにきてますね」
二人は先輩面で新入りが餌付けされる様を見守っている、その時だ。
コンコンと控えめなノックの音が鳴り響く。
俺はゆっくりと扉を開ける。
そこに立っていたのは、冷ややかな空気を纏った三年生――生徒会副会長であり、規律の化身と恐れられる、クラリッサ・フォン・シュタールベルク先輩だった。
銀縁眼鏡の奥の瞳は冷たく、きっちりと編み込まれたアッシュグレーの三つ編みが彼女の規律正しさを物語っている。
「生徒会の副会長様が、こんな地下墓地に何の用ですか?」
俺が訝しげに尋ねると、クラリッサ先輩は一枚の羊皮紙を差し出してきた。
「図書管理係のノア・リードですね。生徒会長であるユリウス殿下からの正式な通達を伝えに来ました」
「通達?」
「はい。殿下が新設した『特待生支援サロン』に入部希望者が殺到し、現在の部室では収容不可能となりました。よって部室再編に伴い、この遊休施設である地下特別書庫を、彼らの第二サロンとして明け渡すことが決定しました」
「え……?」
「期日は明日の放課後までとなります。それまでに私物の撤去と図書の別室への移動を完了させてください。……あと、無許可の飲食は規律違反です。速やかに片付けなさい。以上です」
クラリッサ先輩は用件だけを告げて踵を返した、その時だ。
「お待ちになって」
俺の背後から、優雅な足取りでカルミラさんが歩み出た。
その後ろではフライドポテトの塩がついた指を咥えたメルティと、口の周りをチョコレートで汚したクロエさんが見守る。
「公爵令嬢たる貴方が何用ですか?」
「今、『無許可の飲食は違反』と仰いましたわね?」
「はい。茶道部や料理研究会のように、学園に正式な部活動として許可された空間であれば違反になりませんが、ここはただの書庫です」
「でしたら、ここが正式な部室になれば問題ないということですわね」
「……規則上はですが、すでに申し上げた通り、ここはユリウス殿下のサロンになる予定です。立ち退き逃れの無意味な申請など認可しません」
「あくまで予定でしょう? それに無意味でなければ良いのでは?」
カルミラさんは優雅に微笑み、手にした扇子をパチンと広げた。
扇面には『愛とは大義』と綴られている。
「私たちが立ち上げるのは、当て馬令嬢……いえ、平民の文化を体験し、研究する……『平民部』とでも名付けましょうか」
「……平民部ですか?」
「ええ、平民の生活を正しく理解することは、将来国を担う貴族の必須課題でしょう? 編入生を囲い込んでいる殿下のお遊びサロンより、よほど有益で正当性がありますわ。規律の手本たる副会長様が、まさか殿下の私情を優先し、審査を歪めるとは思えませんけれど?」
なるほど。確かに一理ある。
このまま明け渡すことになれば、俺の快適なサボり時間が消滅してしまう。
俺は大切なサボり場所を死守すべく、カルミラさんに便乗することにした。
「クラリッサ先輩、殿下のサロンが編入生を支援するにしても、王侯貴族である彼らに、俺のような平民のリアルな生活や価値観が理解できているとは思えません。本物の平民である俺が常駐するこの場所で、貴族令嬢たちが泥臭い文化を学ぶ。これほど実践的で有意義な研究はないと思います」
論理と規律の急所を突いた我ながら見事なプレゼンだ。さらに、当事者である平民からの正論に対し、クラリッサ先輩は、スッと銀縁眼鏡を押し上げた。
「……なるほど。確かに貴族の教養という観点から見れば、無下に却下するのは規律に反します。ですが、新規設立には最低五人の部員が必要となります。今ここにいるのは四名。お一人足りないようです」
「うっ……」と、痛いところを突かれたカルミラさんが言葉を詰まらせる。
「しかしながら公爵令嬢様の提言でもありますので、明日の放課後まで猶予を与えましょう。ただし、規定人数を満たした申請書が提出されなければ、即刻退去していただきます。では、失礼します」
クラリッサ先輩は今度こそ足早に去っていった。
静まり返った書庫で、俺はため息を吐きながら振り返る。
「カルミラさん、俺もサボり場所を守るために便乗したけど、後には引けなくなったね」
「当然ですわ! バカ殿下と泥棒猫に、私たちの特等席を奪われるなんて、絶対にあってはなりませんもの! あと一人! 明日までに都合のいい誰かを引き込み、正式な部を申請しますわよ!」
「「……お、おおっ!」」
メルティとクロエさんが絶対に理解できていないまま歓声を上げた。




