第十二話 勉強会は、カツ丼と共に散る
期末テストを目前に控えた休日。
平民部の活動も当然休みとなるはずだったが、まさかの俺の部屋に令嬢たちが来ている。
「……なんと言いますか、我が家のクローゼットよりも狭いお部屋ですわね。それに、その……殿方のお部屋に上がるのも初めてですので、少し落ち着きませんわ」
「わ、私もなのです……。男性の部屋特有の匂いというか、ノア先輩の匂いがして、そわそわするのです」
「あたしも初めてっすよ……」
俺のベッドの端に腰掛けたカルミラさんをはじめ、メルティもクロエさんも、落ち着かない様子で頬を染めながら見回している。
安アパートの六畳ほどの空間に、ちゃぶ台を囲むように座る。
隣の部屋にココナが住んでいるとはいえ、ただでさえ狭い部屋の人口密度がひどい。
事の発端は昨日だ。
カルミラさんが「来週、期末テストですが、皆さま勉強は大丈夫ですの?」と口火を切ったことが始まりだった。
完璧令嬢のカルミラさんはともかく、傷心してやけ食いに走ったメルティとクロエさんは勉強に手が付かず、焦っていた。
そこから「平民の学習環境を視察しつつ、私が教えて差し上げますわ」という強引な名目で、勉強会が開催されることになってしまったのだ。
「皆さん、勉強を教えるなんて建前で、本当はお兄さまの匂いが充満するこの部屋に上がり込みたかっただけですよね!?」
自分の部屋が隣のココナ。
当然のように入り浸り、俺の右腕に張り付きながら、早速斜め上にキレた。
「初めての殿方の部屋でドキドキするなんて、破廉恥にも程がありますし、本当はテスト勉強も、ただの口実ですよね!?」
「ち、違いますわ! 私は純粋に劣悪な環境で学ぶ平民に、この私が勉強を教えて差し上げようという慈悲の心からですの!」
「嘘です! 下心丸出しでお兄さまの家まで押しかけてくるなんて、これだから泥棒猫たちは困ります!」
俺の狭い部屋で激怒する妹と、濡れ衣を着せられて顔を赤くしながら反論する公爵令嬢。
どうやら休日ですら、俺は休めないらしい。
「はいはい、二人ともそこまでにして。ココナ、お客さまにお茶を出すから手伝ってくれ」
まるで自分の家のように振る舞い、正妻のように胸を張って威嚇するココナを台所へ追いやると、俺はちゃぶ台に教科書を広げる。
「カルミラさん、一人暮らしの男の家に来てまで騒がないでほしいよ。今日はテスト勉強会なんだからさ」
「……分かっていますわ。さあ、ノアも分からないところがあれば、この私が特別に教えて差し上げますわよ」
カルミラさんがコホンと咳払いをして、優雅に腕を組む。
しかし、俺は苦笑して首を振った。
「気持ちはありがたいけど、俺は大丈夫だよ。平民がこの学園に残るには、成績をトップクラスでキープしないといけないからね。図書管理のバイトで本も読み放題だし」
「……そういえば、以前も私を理詰めで分析してきたりと、平民のくせに無駄に頭が回りましたわね」
カルミラさんが少し悔しそうに呟く。
実は、俺の成績は学園でもトップクラスなのだ。
そうでなければ貴族だらけの学園で生き残るなんてことはできない。
「じゃあ、ノア先輩! この古語の翻訳を教えてほしいのです!」
「あたしは歴史の記述問題がサッパリなんすよ……」
助けを求めてくるメルティとクロエさんに、俺がペンを走らせて解説しようとした時だ。
お茶を持ってきたココナが、横から口を開く。
「メルティ先輩、この単語は前後の文脈から読み解くと魔力伝導率の法則に当てはまります。それからクロエ先輩は建国暦三百年の条約ですね。要点は三つです。一つ目は隣国との不可侵領域の制定、二つ目は平民への初等魔術教育の解禁、そして三つ目は特級魔石の国家管理化です」
「「「え……?」」」
学年が一つ下であるはずのココナの完璧な解説に、みんなは一斉に目を丸くした。
「……コ、ココナさんは一年生ですわよね? なぜ、二年生の範囲である歴史や古語の法則を理解していますの……?」
「ふふん。当然です! 誇り高きお兄さまの隣に立つに相応しい妹になるため、この程度の勉強はとっくの昔に終わらせています! 愛の力があれば、学年の壁など容易いものです!」
「愛の力で片付けていい知識量ではないのです……」
「世紀の大天才っすね……」
胸を張る天才ココナの圧倒的な学力に、ついにカルミラさんまで教わる側に回り始めた。
俺とココナの解説により、あっという間に三人の試験範囲の課題が埋まる。
開始からわずか一時間で勉強会は終了した。
「……よし。これで、みんな大丈夫そうだね」
「まさか平民の兄妹に勉強を教わる日が来るなんて、公爵令嬢としてのプライドが……」
「ココナちゃん、凄すぎるのです……」
「教え方も先生よりずっと分かりやすかったっすよ!」
「ふふん。ココナにかかれば、この程度の問題など準備運動にもなりません!」
「本当に驚きましたわ。……それで、ノア、頭をフル回転させましたので、その……お腹が空きましたわ」
「私もなのです……」
「あたしもっすよ……」
「……そう来るかなと思ってたよ。それなら、平民のテスト前の定番料理があるよ」
「やっぱり、お兄さまの手料理を食べに来ただけてです」と、ココナが呟く中、ちゃぶ台に突っ伏している令嬢たち。
俺は苦笑交じりに立ち上がり、台所に立った。
「お兄さま、やはりアレを作るのですね!」
「ああ、テスト前に勝負運を上げるには、やっぱり『カツ丼』だよな」
俺は買っておいた豚ロース肉に衣をつけ、高温の油へ投下する。
パチパチと弾ける油の心地よい音。
きつね色に揚がった分厚い豚カツを包丁でサクッと等分に切り分け、甘辛い醤油と出汁を張った小さな鍋へ並べる。
そこに薄切りの玉ねぎを加え、軽く溶いた卵を回し入れた。
グツグツという音と共に、出汁の香りが六畳一間の部屋に充満する。
「……こ、この胃袋を鷲掴みにされるような良い匂いは……」
「もうダメなのです……! 剣士としての理性が油の匂いに負けそうなのです!」
「」
背後から三人の荒い息遣いが聞こえる。
俺は炊きたての白飯をどんぶりによそい、半熟卵で綴じたカツを乗せる。
「お待ちどうさま。これが平民のテスト前の定番、『カツ丼』だよ」
「「「おおーっ!」」」
ちゃぶ台に並べられたどんぶり。
湯気と共に立ち昇る甘辛い出汁の香りと、黄金色に輝く卵。分厚い揚げ肉の存在感にみんなは釘付けだ。
「……なんという過剰なカロリーかしら。淑女が食べていい代物ではありませんが、たまりませんわ!」
カルミラさんが震える手でスプーンを握り、大きな口を開けた。
「なっ……!?」
カルミラさんの赤い瞳が限界まで見開かれた。
サクッとした衣の食感と、噛むほどに溢れ出す豚肉の脂。甘辛い出汁とトロトロの卵が優しく包み込み、旨味を吸い込んだ白飯が土台として受け止めている。
「お、美味しいですわ!」
「手が止まらないのです!」
「サクサクとトロトロの波状攻撃っすね!」
やはり上品な所作など残っていない。
完璧な公爵令嬢も、誇り高き剣聖も、清楚な神官も、全員が頬を膨らませてどんぶりを掻き込む。
「ふふん。お兄さまのカツ丼の前に、泥棒猫たちの理性など無意味ですね!」
「ふふん! お兄さまのカツ丼の前に、泥棒猫たちの理性など無意味ですね!」
口の端に卵をつけたまま、ココナも変わらず誇らしげに胸を張っている。その姿に苦笑しつつ、俺もどんぶりに向き直る。
狭い平民の部屋に響く、どんぶりとスプーンが触れ合う音。
テスト勉強という本来の目的は彼方へと消え去り、俺たちは、ただカツ丼を味わう会に没頭して、日が暮れていった。




